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1998年6月 1日

ランボーとヴェルレーヌ

もうけっこう前の話になるけど、衛星放送でレオナルド・ディカプリオ主演、「太陽と月に背いて」が放映された。詩人のランボーとヴェルレーヌの道ならぬ恋、つまりホモセクシュアルの話だ。


この映画で改めて注目されたみたいだけど、実はわたしは中学生くらいの頃から、この二人の同性愛的逸話については知っていた。何かの小説で二人のことを題材にした話を読んで、興味をもって調べたことがあったからだ。
そのころ国語の教科書にも、ランボーとヴェルレーヌの詩がいっしょに載っていて、ポートレートとプロフィールも小さいながらついていた。わたしは、そのきれいごとだけの紹介文を読みながら、「なんで「二人はできていた」って正直に書かないんだ」と一人で怒っていたもんである。(教科書に載るか、そんなことが。

芸術家(ゲイ術?)同士の蜜月なんて、男女の間でもそう長くは続かないと相場は決まっている。この二人も映画みたいな痴話ゲンカを繰り返したらしい。わたしは今まで、恋愛の末期に「ランボーがヴェルレーヌの左手を」銃で撃ち、それが原因で二人は別れた、と記憶していたのだが、映画を観て逆だったらしいことがわかった。ヴェルレーヌの方がランボーを撃ったのだ。
   
ランボーは若く美しく、過激で情熱的で、失うものは何もなかった。かたやヴェルレーヌはいい歳こいたオッサン、地位も名誉も美しい妻もある。(しかも、この当時ヨーロッパのほとんどの国で同性愛は犯罪とされていた。)そういうしがらみを背負った一人前の男が、ピストルで相手を撃った撃たないの痴話ゲンカをするほど狂うなんて、いったい何が彼をそこまでさせたのか、ということが漠然とした疑問だったのだが、この映画を観てなんだか妙に納得した。
   
妹と一緒にボーッと観ていたら突然、ハゲかかったおっさん(ヴェルレーヌ)がベッドにうつぶせになり、うめき声を上げているシーンが映し出された。「ギシギシ」という擬音つきだ。そしてそのすぐあと、ランボー(ディカプリオ)が彼の上で腰を振っているシーンに切りかわった。
一瞬静まり返ったあと、わたしと妹は大騒ぎしだした。
   
ちょっと待て
それは逆だろう、君たち
それでいいのか!?いや、やっぱり間違ってると思うぞ
   
それまでベッドシーンがなかったので、わたしも妹も、当然ランボーの方が女役だとばかり思い込んでいたのだ。衝撃の事実だった。
   
そのあと、例のピストルの件で二人の仲が公になり、ヴェルレーヌは裁判所に引き出され、ぱんつを下げられて医者に下半身を入念に調べられた。
調査のあと、医者は厳かに言った。
被告は長期にわたって受動的立場で同性愛に耽っていた痕跡があります」。
結果、傷害罪と同性愛の罪で、有罪。踏んだり蹴ったりである。
    
「逆」だったら、バレずに済んだのに。
   
なんでヴェルレーヌがあんな若くてかわいらしい奥さんを捨てて、傲慢で乱暴なランボー(笑)の方を選んだのか、不思議でたまらなかったのだが、その時やっと納得がいったような気がした。
いくらなんでも、奥さんにあの真似はできないもんな。
   
「おお、ぼくの枕元で、夢見つつ微笑んでいる唇よ。
早く、早く、目覚めておくれ。世界が消えてしまわぬうちに」
とかなんとかいうヴェルレーヌのベタベタな詩を読みつつ、大昔のわたしは、「ランボーってきっとすごい美少年なんだな。ヴェルレーヌはダンディなおじさまで、きっとすごくランボーを愛してたんだな」
などと勝手にロマンティックな想像をしていたものだった。詩だけ読んでりゃ、現実感がなくてきれいな少女マンガみたいなもんだからね。
しかし、そんな思春期の淡い幻想を、見事にぶっこわしてくれたよ。この映画。
だからといってゲンメツって言うにはこっちも育ちすぎてしまったんだけど。
「汚れちまった悲しみに・・・」って気分かなあ。(あ、こりゃランボーじゃなくて中也か。)



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投稿者 : ナツ at 1998/06/01 | カテゴリー : ◆脳内物質
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