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1998年10月12日

魂の殺人者

ショックな出来事が起こってしまった。
BBSにも書いたのだが、よく見に行っていた某ページの作者である女性が亡くなったのだ。
こんなところで内情をよく知りもしないわたしが故人のことについてうだうだ書いていいものだろうか、という躊躇はあるのだが、何か言わずにはいられない気持ちなので書くことにする。


彼女は鬱病にかかっていた。ご両親にもご主人にも結局治すことはできなかった。その鬱病にかかった根本的な原因のひとつとも言えるものが、彼女が子供の頃に見知らぬ男から受けた性的虐待だったらしい。
ここでわたしが改めて考えさせられたのは、彼女の死そのものよりも、むしろそちらの、幼児に対する性的虐待についてである。
   

たった21歳で彼女は死んでしまったのだが、それまでWebページで自分の過去の体験を隠すことなくつづり、「死にたい」という心情を正直に吐露し続けていた。
そうしていれば当然、共感者や理解者が現れる一方で、「甘えるな」「あんたは弱すぎる」「そんなに死にたければ死ねばいい」という否定的なことを言う人間も出てくるわけだ。
その人たちの意見もあながち間違いではないと思う。確かに彼女は周りの人に甘えていたんだろうし、精神的にも弱く、未成熟な部分もあっただろう。しかしわたしは、他の原因で鬱病にかかった人間と幼児虐待が原因で鬱病にかかった人間とでは、区別しなくてはいけないのではないか、という気がするのだ。
   

アメリカでは、子供の頃に虐待―――主に性的虐待を受けて育ったのに、なんとか大人になるまで持ちこたえた人々のことを「surviver〜生き延びた人」と呼ぶ。
幼児期に大人からそういう扱いを受け、激しい衝撃を受けると、生きてゆく力さえ失われてしまうことが多い証拠である。
彼らはほぼ例外なく、大人になってからも過去の記憶に苦しめられ続ける。薬物・アルコール中毒、自殺や犯罪など、苦しい記憶から逃れるためにまともな生き方から転がり落ちてゆくケースも多い。
   

しかし、自覚があるならまだましなほうかもしれない。それがあまりにも辛い体験なので、「記憶から消してしまう」人々もいる。こうすれば少なくとも忘れている間は普通の生活が送れるのだが、記憶の一部にぽっかりと穴が開いているわけだから、これも一種の精神障害であることに変わりはない。そんな不自然な状態ではどこかに歪みが出じるものだし、何かのきっかけで思い出したときは悲惨なことになる。
   

それより甚だしい例になると、「多重人格症」という重い精神障害を引き起こす場合もあるという。ビリー・ミリガンでも有名なように、多重人格者のほとんどは幼児虐待の被害者であると言われている。
子供は過酷な体験をすると、自分の精神を防衛するために、「こんなひどいことをされているのは自分ではない、赤の他人だ」と思い込もうとする。大人と違って、そうしないと精神が耐えられないからだ。その結果として「別の人格」が誕生する。
繰り返し虐待を受けている間は、その「自分ではない誰か別の人」に代わって苦痛を引き受けてもらう。(その間、人格の交代が起こる。)大人の圧倒的な力や権威から逃れる術もない子供には、そうする以外に逃げ道がないのである。
   

ビリー・ミリガンの中には24もの人格が同居していたといわれているが、そのうちの一人に確か9歳くらいの男の子がいて、この子は父親に生き埋めにされかけた記憶を持っていた。調べていくうちに、ビリー自身が幼児期に義父から性的虐待を受け、「このことを誰かに話したらおまえを埋めてしまうぞ」と脅され、実際に自分の墓穴を掘らされた上、その中に落とされスコップで土をかけられた経験があることがわかった。
   

つまりビリーが子供の頃、実際に虐待を受けている間に、その9歳の男の子と人格を交代させることによって、長く苦しい時間を耐えていたわけである。
しかし、その人格もビリーの一部であることには変わりがないのだから、苦痛が限界を超えてしまうと、それから逃れるためにまたさらなる人格の分裂が起こる。そうやって自分を分割し続けていった結果が、24もの多重人格症状なのである。
   

多重人格症自体にはまだまだ未知の部分も多く、アメリカはともかく日本ではろくに認められてさえいないというのが現状らしいが、幼児虐待とこの手の精神障害に密接な関わりがあることは、紛れもない事実である。
   

子供は大人に比べて、力でも知恵でもかなわない。自我においても未成熟だ。そういう「絶対に自分に逆らうことのできない弱い存在」に対して、欲望のままに力を振るうこと、あるいは弄ぶこと。これがどういう結果を招くのか、に対して、まったく無関心な人間が数多くいる。その時だけで済む問題ではないのだ。後々までその子の人生に大きな影響を与えるかもしれない、あるいは大人になる前に自ら死を選ぶかもしれない。子供を狙っていたずらを仕掛けたりレイプしたりする犯罪者たちは、そこに思いを致したことがあるのだろうか。
  
   

最近の日本の事件でもひどいものがあった。
学校から帰ってきた小学生の女の子が、誰もいない自宅にカギを開けて入ろうとしたところ、見知らぬ男に家の中に入り込まれ、強姦された。そして、「このことは誰にも言うな。言ったらひどいぞ」と脅して逃げたのだが、味をしめたらしく後日その子を外へ呼び出そうとした。子供から話を聞いた両親が驚いて署に通報したため、連絡を受けて待ち構えていた警察官に逮捕されたのだという。
捕まったその男いわく、「脅しておけば誰にも言わないと思った」。
   

この話からもわかることは、こういった変態は、子供を同じ人間だとは思っていない、ということである。まるで人形かおもちゃ、それとも排泄のための便器か何かだとでも思っているらしい。
あんなひどいことをしておきながら、呼び出したらその子が誰にも言わずのこのこ出てきて、もう一度おとなしくいたずらをさせるとでも思っていたのだろうか。思っていたから呼び出したんだろうな。どんなにその子が苦痛だったか、ひどい衝撃を受けたのか、まるでわかっていないのだろう。ロリコン漫画やアニメ、ネットのペド系ページを見続けて、脳が腐りきってしまった人間の一人に違いない。ああいう媒体で描かれている少女たちは、いたずらされてもまったく嫌がってなどいないばかりか、むしろ悦んでいるわけだから。
   

あれを現実だと思い込んでしまうぐらい粗雑な脳味噌の人間―――というよりけだものが、日本中、世界中至る所にいて、いつ子供たちに危害を及ぼすかしれない。何か具体的な行動に出ない限り、当然だが捕まえることもできないのだ。これは本当に恐ろしいことだと思う。
  
  

幼児期に大人から性的いたずらをされた子供は、その時は幼すぎてよく意味がわからなくとも、成長して自分がされたことがなんだったのかを理解するにつれ、精神的混乱を引き起こす。
そして、自分が「自我がない、生きているおもちゃ」として大人から扱われたことに気付くと、自分を汚れたもの、人間ではないもの、排泄のための道具である、と感じ、「普通の無垢な子供たちとは違う」「生きていても意味がない汚らわしい存在」だと思い込むようになるのだという。
子供たちは被害者であって、汚らわしいのはむしろ加害者たる大人であるはずなのに。
   

だが、これはそんな理屈で済むことではないのだ。もっと心の奥深い部分、無意識のレベルで自分を貶めてしまうのだから。
その精神的外傷(トラウマ)によって大人になってからも苦しみ続けている人に対して、「あんたは甘えている」「昔のことなどいつまでも引きずるな」などと、ひとくくりに言えるだろうか。忘れられるものならとっくにそうしているだろう。
亡くなった女性の例で言えば、自分が幼児期に性的被害を受けたことをご主人に話している間、「こんなことはなんでもないことなんだ!!」と叫びながら自分の顔を殴り続けていたそうである。
   

アリス・ミラーはこういう、大人、特に保護者などの身近な大人による子供への身体的・心理的虐待を「魂の殺人」と呼んだ。大人によって人格や尊厳を無視され、おもちゃのように扱われるのだから、確かにこれは一種の殺人と言えるだろう。だからわたしはこの手の犯罪を、殺人と同レベルだと認識して裁いてほしいと思っている。
   
   

現在、欧米や日本をはじめ先進国で、ペド(※ペデ・小児性愛者)たちはますます増え続けている。法の目の厳しいそれらの国では情欲を満たすことができないので、彼等は東南アジアなどの貧しい国々にある売春宿で子供を買いあさっているそうだ。そこでは貧しさのために親に売られたりさらわれたりしてきた子供たちが、たった3〜4歳から客を取らされている。海外からそれらの子供を買いに来ている男たち(もちろん日本人も多くいる)の言い分を聞くと吐き気がする。
自分の国で幼児と性行為をすることは犯罪だが、それが犯罪にならない国でならいいだろう。小児嗜好は古来からあるひとつの高尚な趣味にすぎない。むしろ我々は、貧しい国の子供たちに愛と食べ物を与えに来ているのだ」。
   

自己欺瞞やすりかえもここまでくれば芸術だ。この手のペド外国人どもは子供たちに「ワニ男」と呼ばれているのである。子供たちの目に彼らがどんな風に見えているのか、このあだ名だけではっきりと分かるというものだ。
「ワニ男」たちを怒らせないようにと、さまざまな要求におとなしく従いながら、早く地獄のような時が過ぎ去ることだけを願っている。こういう子供たちが奴らの言う「愛」を与えられて喜んでいると、果たして本気で思っているのだろうか。
 
書いているうちに本当に腹が立ってきて、また長くなってしまった。だが、わたしがBBSなどで小児性愛についてうるさく書いている理由が、なんとなくわかっていただけたかと思う。
大学の頃児童心理学の講義などを受けていて、いろいろ調べていくうちに悲惨な事実をいくつも知るに及んで以来、児童虐待関係はわたしの鬼門だ。凄惨すぎてまともに読めない本もあったし、今も、これを書きながら怒りで胃が痛くなってきたほどだ。
だけど、あまりにも彼女の死が衝撃的で、書かずにはいられなかった。
  

最後に。
   

幼い頃の辛い記憶を昇華することなく逝ってしまったことは本当に残念だと思いますが、Aさんのご冥福を心よりお祈りいたします。



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投稿者 : ナツ at 1998/10/12 | カテゴリー : ◆脳内物質
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