loading ...

1998年11月20日

羅生門

映画「イングリッシュ・ペイシェント」を観ていたら、ヘロドトスの「歴史」からおもしろいエピソードが挿入されていた。
 


リディアの王カンダレアスは自分の后の美しさをことあるごとに自慢していた。
ある日それに挑発されたかして、ガイジスという男が后の寝所に忍び込み、彼女の一糸まとわぬ姿を見た。
后はその時は誰にも言わず黙っていたが、次の日ガイジスを呼び出してこう告げた。
「わたしの裸身を目にした罪で死を選ぶか、カンダレアスを殺して王となるか、二つにひとつ。」
そこでガイジスはカンダレアスを殺害し、リディアの新しい王となった。という話である。


どこかで聞いたことある話だな〜と思ったら、そう、ほとんど黒澤明の「羅生門」じゃありませんか。
これは周知のとおり芥川龍之介の「薮の中」が原作になっている映画だが、その「薮の中」もこれまた「今昔物語」に題材を取っている。古さからいけば「今昔」よりヘロドトスのほうが先なので、こっちが原典で今昔が変形版のような気もするが、洋の東西を問わず、女はこういう場合みな同じような行動を取る、ということなのかもしれない。
  

念のため「羅生門」のあらすじをさらっと書いておく。
若い旅の夫婦が山奥で盗賊に襲われ、身ぐるみ剥がされた上、木に縛りつけられた夫の目の前で妻が犯された。
その後で盗賊は、こうなったからにはお前を殺したくはないから、俺を夫として共に暮らしてはくれまいか、と女に頼む。
すると女は、「二人の男に恥を見せては生きていけません。わたしを妻とするなら、あの男を殺してください」と、もとの夫を指さして叫ぶ・・・・・。
 

まあ、こんなのが物語の主要部。どこかの評論家に言わせると、黒澤明という人は、「女は罪深い生き物」という観念があったそうで、男を堕落させたり、裏切ったりする女のモチーフが他の作品にもよく出てくるそうだ。
「羅生門」の話に戻るが、「夫を殺してくれ」と頼まれた盗賊がその後どうしたか。
しばらくまじまじと女の顔を見つめたあと、身動きできない夫に向かって、
「この女はどうする?殺すか?」と問いかける。
今の今まで夫と呼んでいた相手を平気で殺せという女の残酷さ、二面性に気づいた盗賊が、「この女を生かしてはおけない」と悟るわけである。
 

でも、わたしはこんなもんは女の罪でも何でもないと思う。
古代や封建主義的社会では、力を持つ男が絶対的な権威であり「主」であり、女は「人」ではなく男の所有物に過ぎなかった。
力では絶対に男に対抗できない女が、こういう世界で自分の身を守り生き残るにはどうしたらいいのか。男に媚びて庇護を受けるか、脳味噌をフル回転して最大限に賢く立ち回らねばならないのである。
 

ヘロドトスの話で言えば、后がもしガイジスに寝所に忍び込まれたことを放っておいたら、どこからかその話が洩れた時に、カンダレアス王はガイジスを殺すのはもちろん、いずれその怒りの鉾先は后のほうにも向いただろう。
怒りは猜疑を呼び、憎悪となって彼女の命をも脅かす。それがわかっていたからこそ后は先手を打ったのだ。
シェイクスピアの「オセロー」も、まったくの潔白である妻の不貞を疑うあまりついには妻を殺してしまう夫の悲劇だが、こういう時代には夫に不貞を疑われることだけでも命が危うかったのだ。
「羅生門」の場合も同様。夫は目の前で妻が盗賊に犯されるという屈辱を味わっているわけだし、たとえ女が盗賊の言うがままに夫婦になったとしても、もとの夫が生きていれば復讐にやってくるにちがいない。自分に屈辱を与えた盗賊と、平気で自分を裏切った売女を生かしてはおけないと。
だったら盗賊の申し出を拒否し、夫に殉じていま殺されるか? 「所有物」ひとつ守れず、自分が盗賊に犯されるのを黙って見ていた夫と共に?
万一盗賊が情けをかけて夫婦ともども命を落とさずに、また別れずに済んだとしても、盗賊に犯された妻を夫は早晩疎んじるようになるだろう。自分の与えられた屈辱を毎日見せつけられるも同様だからだ。
どのみち彼女の存在が危うくなるのは目に見えている。夫か盗賊か、どちらかが死なない限り。
 

男の心理を的確に読み、チェスや囲碁のように何手も先を打っておく。それしか女が生き残る術はなかったのだ。男が女を自分の所有物のひとつであり、手軽にやり取りできる「もの」だと考えている世界では。
「あの男を殺して!」と夫を指さす女の狂乱した様は、常に男に生殺与奪の権を握られたまま憎しみすら感じることを許されず生きてきた女が、ついに自我に目覚め、運命に報復しようとしているようにも見える。
それを考えると実に哀れな話だと思うのだが、男性の多くはこの映画を観て、「女は信用できない生き物だ。何を考えているのか分からない」という感想を抱くのかもしれない。



 blogランキング参加中

投稿者 : ナツ at 1998/11/20 | カテゴリー : ジェンダー
コメント


コメントする


トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL: