2月4日放送の「アンビリーバボー」では、船に関する怖い話がいくつか紹介されていた。タイタニックの転覆事故が、実際に起こる何年も前にある小説家によって本の中ですでに予言されていた、という話は有名なのでべつに目新しくもなかったが、エドガー・アラン・ポオの小説についての奇怪な話は初耳だった。
問題の小説は「ナンタケット生まれのアーサー・ゴードン・ピムの物語」という、ポオ唯一の長編。
シチュエーションはこうだ。主人公を含む数人の男が船で遭難し、ボートで大海を漂流しているときに、通りがかりの船に助けを求めようとする。その船からは男が身を乗り出してこっちを見ている。
もう少し辛抱しろと身ぶりで励ましているらしく、ちょっと奇妙には見えるが陽気なやり方で頷いて見せ、絶えず微笑を浮かべてきらきら光る白い歯並みをのぞかせていた。
船はゆっくりとではあるが近寄ってきた。そしてわれわれの心臓は激しく高鳴った。
みんなは心の底からの叫びをほとばしらせ、いまや完全な思いがけぬ素晴らしい救いの手が眼前に現れたことを神に感謝した。
(高松雄一・訳)
現実の三人の男は漂流中に幸運にも他の船に救助されて奇跡の生還を遂げたのだが、その後仲間の一人を殺して喰ったということが明るみに出て裁判にかけられた。
「あなたがたは『アーサー・ゴードン・ピムの物語』という小説を知っているか」
と裁判官に聞かれた時、三人はそろって首を振ったという。
「いいえ。それはいったいどんな小説ですか」
あまりにも薄気味の悪い話だ。だが、「船に関する怖い話」なら他にもある。
有名な「マリー・セレスト号事件」・・・・・船の怪奇実話としてはわたし的に最高のものだと思う。以下にマリー・セレスト号について言及している本から、事件のあらましを引用してみる。
1872年12月5日午後3時。ジブラルタルに向かうブリッグ船(二本マストの帆装船)デイ・グラチア号が、サンタ・マリア島からおよそ590キロ地点を航行していた。しばらくしてデイ・グラチア号は、一隻のブリッグ船に近づいた。海上の作法に従い挨拶の信号を送ったが、先方からはなんの応答もなかった。そればかりかその船は風の吹くまま右に左に波間に漂い、誰も舵を取っているようには見えなかった。
その船が数ヶ月前にニューヨーク港を出航した、マリー・セレスト号であることに気づいたモアハウス船長は、一等航海士及び二人の船員と共にボートに乗り込み、マリー・セレスト号に乗り移った。
船長は甲板の船板を踏みならしながら大声で怒鳴った。だが、なんの反響もないどころか、猫の子一匹いなかった。
マリー・セレスト号の乗組員は、当時45才のブリッガス船長の他、一等航海士、二等航海士、コック、四人の水夫。他に船長夫人ファニーと二歳になる娘が同船していた。
船はどこも痛んでいなかった。暴風雨にあった様子は毛ほどもなく、すぐにでも航海できるばかりになっていた。
新鮮な飲料水も食糧もたっぷり残っていたし、水夫部屋の中もきちんと整頓され、部屋の人たちはほんの五分前に出ていったとしか思われないほどきちんとしてあった。
キッチンの調理鍋にはまだたくさんの料理が残っており、ストーブには燃えきった後の灰がそのままになっていた。
食堂のテーブルには、手をつけたばかりの料理がそのまま残っていた。一枚の皿には食べかけのかゆがあり、半熟の卵が割られたまま手つかずにあった。
咳止め用の薬瓶がふたを開けたままになっていた。おそらく、使用しないままそこを立ち去ったに違いない。
牛乳瓶も手つかずのまま置いてあった。
備え付けの救命ボートは、一隻も使われた様子がなくそっくりそのままで、降ろされようとした様子すら見られなかった。
いったいこれはどうしたというのだろう。無理に説明をつけようとすれば、ある日突然、乗組員全員が大急ぎで甲板に駆け上がり、海中めがけて飛び込んだとしか考えられない。だとすればどうしてそんなことをしなければならなかったのか。
マリー・セレスト号の船長室から、航海日誌が発見された。だが手がかりになるものは何も得られなかった。
日誌には11月7日、ニューヨーク港を出港以来、11月24日までのことが正確に記されてあった。それによると船はその頃北緯36度56分・西径27度20分、すなわちアゾレス諸島のサンタマリア島から、西方76キロの地点にあったという。以上の点から、マリー・セレスト号はデイ・グラチア号に発見されるまで、少なくとも10日ほどの間およそ10キロあまり漂流していたことになる。
ほかに11月25日朝の分がメモ帳に記されてあったが、それは
「わが妻ファニーが・・・・・」
で唐突に終わっている意味不明の走り書きだった。
blogランキング参加中ネタバレになってしまいますが。
「ドンキホーテの休日」(鴻上尚史著扶桑社)
の241ページ目の9行目に、メアリーセレステ号の真相が載っています。興味があれば立ち読みしてください。(もしかして、別の船のことかな?そんな事はないか)
その本は読んでいないのですが、マリー・セレスト号事件はいまだ未解決のはずです。「保険金詐欺」説が根強くありますが、当時の裁判では否定されているらしい。
しかし、わりと最近のTV番組(特命リサーチだったかな?)で、いかにもこれが真相というように断定してあって萎えました。有毒ガス説やらいろいろな説の中のひとつにしか過ぎないのになあ・・・。食事がそのままだったとかいうのは脚色だという話だけど。
鴻上尚史氏は何を真相としていましたか?
「The Story of “The Mary Celest”」という本によると、救命ボートが消えていたらしいのです。つまり謎は無かったという“と学会的な”スタンスですね。
また同じような説を取り入れているサイトを見かけました。
私が勝手にリンクを貼ることはいけないと思うので「魚石庵」&「マリーセレスト号」で検索してみてください。
子供の頃読んだ本では、学研から出ていた
「幽霊船の謎」という児童向けの書籍に謎解きが載っていたと記憶しています。船長の妻がピアノの下敷きになって死んだ少年の手首をホルマリン漬けにして保存していたという、妄想全開な物語だったと思います(うろ覚え)。
>「The Story of “The Mary Celest”」という本によると、救命ボートが消えていたらしいのです。
>つまり謎は無かったという“と学会的な”スタンスですね。
それはわたしもどこかのサイトで読みました。しかし実際は、「救命ボートが船内になかった」というだけの話で、最初から積みこまれていたのかどうかがあやしいというのです。
当時の法律でも、もちろん客船に救命ボートを備え付けるのは義務とされていました。が、実際にはボートを積載せずに堂々と航海していた違反船も多かったので、マリー・セレスト号に救命ボートがなかったのも、乗組員が使用したのか、最初からなかったのかは判断できないとのこと。
(タイタニック号の場合は定員の半数分の救命ボートしか積んでいなかったために、大惨事になりました)
よしんば救命ボートで脱出したとしても、船は無傷のまま存在するのに、どんな理由があって危険なボートに乗り移ったのかは謎のまま。しかも全員行方不明になっている。
何も解明されていないし、確実な証拠もないのに、「謎はなかった」というのもおかしな話だなあと思う。
>船長の妻がピアノの下敷きになって死んだ少年の手首をホルマリン漬けにして保存していたという
そこまで背びれ尾ひれがつくと、おもしろいけどうさんくさいですね。W・H・ホジスンあたりの海洋怪奇譚みたい。「我が妻なんちゃら」っていう船長の航海日誌から妄想炸裂したのかなあ。
夏なので涼しくなるためにわたしも最近怪奇小説を読みまくってます。夜中にやるとけっこう背中が寒い・・・。
>ナツさん
酒が不足したので、メタノールを添加して提供した。
乗組員は中毒で死んでしまい。残った船長一家は自力航行が不可能となり、
通りかかった島めがけて食料積んでボートを漕ぎ出した。
しかし無人島だった。
だめかな?
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