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2000年2月11日

私の夫を殴ってください

どこかの奥さんが友人の男に頼んで、自分のダンナをタコ殴りにさせたあげく死亡させた、という事件があったが、その初公判が行われたというのをニュースで見た。
殺人教唆の罪かなんかで件の奥さんは裁かれているらしいが(殺すつもりまではなかったようだけど)、検察側がその動機として提示した内容が興味深かった。いわく
高圧的な態度の夫と暮らすうち、自分が理想としていた『恋人同士のような夫婦関係』と現実がほど遠いことを思い知らされ、夫の苦しむ姿が見たいと思うようになり、かかる犯罪に及んだ」そうです。


そーか。そういう理由だったのか。と妙に得心がいったと共に、気持ちが分かるだけに考え込んでしまった。動機をこのニュースで知るまでは、「また不倫三角関係のもつれかよ。別れりゃいいのになんでわざわざ殺すかね。馬鹿な妻が浮気をすると旦那も大変だね」と思っていたんだよね。妻が男に頼んでダンナを襲わせた、といえば、今までのケースではだいたいそのあたりの理由だったから。
しかし、これはそういう単純な事件じゃなかったらしい。この短い検察側の意見陳述だけでも、この奥さんがこういう暴挙に出ずには入られなかった原因の片鱗みたいなものが見え隠れしている。
ニュースでこれ聞いてわたし「なんだって?」と思ったんだよね。だってこの陳述のニュアンスじゃまるで、「対等な夫婦関係というものはわが国では存在しない。それは恋人同士のうちだけだ。現実の夫婦関係では夫が妻に対して高圧的にふるまってしかるべきだ。それを不満に感じるのは女が結婚に対して自分勝手な理想を抱いているからだ。現実は厳しいのだ」とでも言わんばかりでしょうが。
 

「自分が理想としていた」って、何?「対等なのが当たり前」じゃないわけ?夫は妻の上司でも飼い主でもないんですけど。
「高圧的ではなく対等なパートナーとして接して欲しい」というたったそれだけの望みが、この奥さん一人の身勝手で個人的な理想に過ぎないんでしょうかね。
「高圧的にふるまうのはやめて欲しい」・・・ここまでは自然な感覚であり、妻が結婚生活に絶望感を抱いたのも当然であった、夫が妻に精神的苦痛を与えていたのは確かである、というニュアンスがほとんど感じられないのが実に奇妙だ。
検察からしてなんの疑問もなくこういう言い方してるんだから、なんの疑問もなく毎日奥さんを家政婦や奴隷のように扱って暮らしている夫が存在するのも道理だね。まあ、この事件の被害者たる夫の場合は、どの程度の「高圧的な態度」だったのかはわかりませんが。

少なくとも奥さんはしばらくは我慢していたらしいし、「男友達に夫を殴ってくれるよう頼む」という「最後の手段」に出るまでは、多分何度か抗議もしたのではないか。それを頭から押さえつけられ、鼻であしらわれるうち次第に、「夫の苦しむ姿が見たい」という破滅的マイナス思考に陥ってしまったんだろうと思う。
「もっとちゃんと抗議したり、話し合えばよかったのに。それをしないで短絡的に暴力に訴えようとした妻が完全に悪い」と思う? でも、「まともな話ができない」人種というのも世の中には確かに存在するのだ。
 
 

仁科明子の離婚後の心境を語った記事を読んでいたら、こんな話があった。
結婚していた頃松方弘樹は、時々彼女を床に正座させ、自分はベッドの上に座って見下ろす形で、妻に向かって一方的に説教を垂れる、ということをしたそうだ。
(たいした落ち度がなくてもである。「立場の違いをわからせる」という意味合いだったらしい。まさに「高圧的な態度」だ。)
仁科明子がたまりかねて、「わたしは奴隷でもロボットでもない。わたしにだって心があるんだ」と抗議しても、「お前とはケンカにならない。そもそも対等ではないんだから。上と下の関係のもの同士はケンカなどできないんだ」と言ってまったく正面から取りあおうとはしなかったらしい。
 

こういう関係だとどういうことになるのか想像がつくね。夫の方が過ちを犯しても妻は一切責めることができず、妻の過ちだけが一方的に責められることになる。そのあげくあのオヤジは都合のいいときだけ、「夫婦は一心同体だろ?」と、まるで抗議する妻の方が悪いかのような言い方をして逃げるんだそうだ。
 

いつから「一心同体」という言葉が、「お前は俺の一部なんだから余計なこと言うな。逆らうな。俺の手足が俺の脳味噌に逆らって勝手に動くはずがないんだから」というような意味になったんですかね。こんな頭の悪い男にエラそうにふんぞり返られてちゃわたしなら憤死もんだね。議論して負けたら面目が丸つぶれなもんだから、「対等でないからケンカはできない」とかほざいて最初から逃げを打つ卑劣さも我慢ならない。
「議論したら負けるくらい、自分のやっていることと自分の頭が悪いってことだけはわかってるのね。その程度の知能だけはあってほんとによかった。でないとわたし、獣婚になっちゃうものねえ」
とか、にっこり笑って言ってやればよかったのにな仁科明子も。
 
 

などと、先の事件のニュースを聞くうち、ついついこの夫婦の関係をオーバーラップさせてしまったわけですが。
かくのごとく、はじめから相手をペットのようにしか思っていなければ、何を訴えられようが「またうちのイヌがキャンキャン吠えてる。うるせえなあ」としか感じられないわけで、こういう人間相手に道理を説くとか、自分の気持ちをわかってもらおうと努力すること自体無駄なのである。だからといってこの事件の奥さんみたいに、男友達にダンナをぶん殴ってもらう、ということで問題が解決するはずもないのだが。
 

閉鎖された家庭という空間の中で、大事な家族であるはずの夫に「高圧的な人を人とも思わぬ扱い」をえんえんとされ続け、びくびくおどおどと夫の顔色をうかがって暮らさなければならない、しかも逃げ場がない、というのも、タコ殴りにされるのと同じくらいの精神的暴力だと知るべきであります。
でもこれで逆にダンナを殺しちゃったらまた逃げ場のないべつの牢獄に入らざるを得なくなるわけで。やっぱり仁科明子みたいに、「一銭ももらわずにお別れしました。今はとってもすっきりした気分です」と憑きものが落ちたように晴れやかに笑える決着のほうがハッピーエンドってもんですね。



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投稿者 : ナツ at 2000/02/11 | カテゴリー : ◆脳内物質
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