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2000年10月16日

愛と支配の物語

支配と愛との関係とかゆーことをまだしつこく考えているうちに、偶然小説のあとがきで、こんな引用にぶつかった。
愛とは強者から弱者に流れる感情である」。
 

 
・・・う〜ん。いやあ、この定義が本当だとすると「可愛い」「いとおしい」という感情はみんな「相手が自分より明らかに弱くて、支配している(あるいは、支配したい)のはこちらだから可愛いのだ」という感情の裏返し、ということになってしまって、実に感じの悪い話である。感じが悪い、というのは確かに一面真実だなあとも思えるからで。
垂直じゃなく水平に生じる「愛」はそれでは愛ではなくてせいぜい「同志愛」「友情」程度のものなのか、いわんや完全に対等な「同志」のよーな関係になってしまった男女に愛は生じる隙もないのか、どっちかが支配者にならんと愛は正常に流れんのかー、というようなことをぐるぐると考えてしまったわけです。
さらに引用は続く。


「だが、力を行使された人は、与えられた力によって世界が広がり、新しい生命を手に入れる。これこそは創造を意図する力の行使であり、わたしはこれに愛の名をさずけたい。」(イーフー・トゥアン『愛と支配の博物誌』)


うげえ。そーなんですか。そんなことがあり得るんですかとある意味目からウロコが落ちる文章だった。
「支配欲に裏打ちされてはいるけども愛」という言い方をしないで、「そのものずばり支配欲」を行使されることが行使された人間にとって無から有を生み出すぐらいのプラスの現象となるなんて、そんなことがあるのかなあ。
ああ、「教え導く・指導する」あるいは「啓蒙する」なんてことは、支配者から被支配者に対して行われることか。こう考えると確かに、「世界は広がる」わな。ただし、「どっかヤバい世界へ連れて行かれちゃう」こともあるわけだけど。金髪碧眼のアーリア人種しか生存を許されないような世界とか。ステージ昇るためにはハルマゲドン起こして人類救済しなきゃなんないとかいう世界とか。みんな一人の男の並外れた支配欲の結果だもん。
 

でも確かに、「自分を絶対に傷つけないとわかっている存在」に対してだけ、人間は安心して無償の愛を与えられる、という側面があることは否めない。そう考えると、ヒットラーも麻原も、「人並みはずれて愛情豊かなので全世界の人間を愛したかったんだけど安心して愛するためには全人類を完全に支配して奴隷にしないと愛せなかったのであんなことしちゃいましたあ。愛です。すべては愛のなせる技です。てへっ」ってことになるんでしょうかね。
・・・・・いくらかわいくしても許せるか。



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投稿者 : ナツ at 2000/10/16 | カテゴリー : 心理
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