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2001年1月 5日

蠅の王

蝿の王
ウィリアム・ゴールディング, William Golding/平井 正穂



「バトル・ロワイヤル」が映画化されて、チャットでも、映画では「CUBE」、本では「クリムゾンの迷宮」(貴志祐介・著)を彷彿とさせるよねー、という話になったんだけど。「独自のルールに縛られた閉鎖空間からの脱出」がテーマになってるというのが共通点だってんで。わたしは、「バトル・ロワイヤル」の原作も読んでないし映画も観てないんだけど、あらすじを聞いてゴールディングの「蠅の王」を思い出した。これも映画になってるんだけども。

 
本はずいぶん前に読んだもんで細かいところは覚えてないんだけど、ボーイスカウトか何かの合宿で、セスナ借り切って目的地へ行こうとしてたところが、どっかの無人島に墜落しちゃうんだよね。んで、引率してた大人が死んじゃって、子どもたちだけが取り残される。
はじめのショックから立ち直ったあとは、なんとか協力し合ってがんばっているんだけど、助けが来ないのをうすうす悟り始めたところから状況が変わる。このあたりでグループが二分される。たとえこの無人島でずっと暮らさなければならないのだとしても、秩序を維持することによって精神の崩壊を防ごうとしている子どもたちと、いままで生きていた社会の掟など通用しなくなったことに気がつき、食うか食われるかの原始的な状態に戻ってしまった子どもたちとに。


そして闘いが始まり、後者のグループのリーダーによって前者のグループの子どもが殺される。もはや、罪悪感などない。プリミティブな戦闘用の化粧をし、インディアンのように叫んで仲間に攻撃を仕掛ける子どもたち。目は肉食獣のようにぎらぎらと光っている。
そこへ突然救助隊がやってくる。これ、映画も観たんだけど、セスナから降りてきた捜索隊の大人が、殺し合いをしている子どもたちに、ゲームでもしているのだろうと思って、「なにをしているんだ、おまえたち」と呆れ顔で話しかけるシーンがラストにある。
その途端、仲間殺しをした子どもから獣のような目の光が一瞬のうちにかき消えて、振り上げていた手製の槍を持った腕が力なく下がり、泣き出しそうなくしゃくしゃの顔になり、あえぎだす。圧巻。


ここで話は終わるんだけど、殺人を犯した子どもがその後どうなるのか気になったなあ。救助隊の大人の顔を見るまでは、罪悪感を感じていないんだよね。大人が「なにをしているんだ、おまえたち」とのんびり話しかけてはじめて、現実(というか元の社会)との接点を取り戻す。
11、2歳くらいまでの子どもにとって、現実つーのは結局大人の存在を意味するのか、それとも自我の確立していない子どもにとっては、大人が上位自我である以上、大人なしでは良心が機能しないということかなーとか、いろいろ解釈したりして。
 

「バトル・ロワイヤル」も賛否両論あれど、こういうテーマの映画なんでしょかね。観た人に感想聞きたいわ。



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投稿者 : ナツ at 2001/01/05 | カテゴリー :
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