テレビで小耳にはさんだ話によると、郷ひろみは、外で食事している時でも何度もトイレに立っては髪や服装を整えていそいそと戻り、「僕、おかしくない?」と妻に確認しないと気がすまない男なんだそうだ。
「
おかしいよ。頭沸いてんじゃねーの?」と、何故その時言ってやらなかったのかわたしにはわからないが、とにかくそんなことも「離婚の理由」なんだそうです。わかりやすすぎるナルシストだなあ。普通は結婚前に気がつくと思うけど。
内田春菊も前の旦那さんと離婚してから結構エッセイやらマンガやらで悪口を書いている。この人の家庭の事情ってのも複雑で、別の人との間にできた子供を一人で育てていくつもりが、認知するから結婚しようと申し出た相手、というのがその旦那さんだったかな。
こういう表面的な事情だけ聞いていると、当事者でない人間は、当然その旦那さんは天使のような人だと思う。なので、周りの人に「いい旦那さんだね」「感謝しなきゃダメだよ」と、結婚してる間中ずーっと言われ続けたそうだ。
「私もあんまりそういわれ続けるのでそうだと思ってた。『感謝しなくちゃなあ』と。でも、そうやってごまかして見て見ぬふりしていた問題が別れる時に一気に噴出した」みたいなことを、沢田亜矢子との対談で語っているんだけど。
これを読んで、なんつーか、内田春菊みたいに、自分の人生すら突き放して乾いた作品にしてしまう作家にして、やはり恋愛中や結婚している当時には、配偶者や自分の状況を客観的に観察することはできないものなのか、という感慨がありましたね。
「愛される理由」なんて書いちゃった二谷百合恵は、愛されている状況(幻想)に酔っている期間が内田春菊より長かっただろうから、醒めるのにも時間がかかることは予想できるんだけど、物書きってのは基本的に見ないふりし続けることができない人種だと思う。本質を見ないで、「なかったこと」にばかりしていたら、たぶん、作品も死ぬ。考えるのをやめることもできない。やめたら作品も書けない。常に追求し続ける。
だから、内田春菊の場合みたいに「外側から見ていると幸せでも内部は矛盾だらけ」という状況だったら、その矛盾がどこから来るのかとか、「なぜ自分は感謝できないのか。それどころか不満だらけなのか」という問題を追及しまくるはずじゃないかと思ったんだな。それで、それを逐一作品の糧にするんだろうと。
ダニエル・キイスが宇多田ヒカルに言った言葉を借りれば、「
それが私たちなんだ。どんな悪いことに遭遇しても、いつかは物語(詩)に書けると考えている」
別れてからやっとのことで、「あれは間違いだった」と気づくのなら、わたしたち凡人と何ら変わりはない。自分の幸福にも不幸にも酔うヒマなく、「これは次の作品のネタになる!」と考えてしまう作家根性が、わたしはたまらなく好きだったりする。

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