大阪の中学生が手錠をされたまま轢き殺された事件。やっと34歳の中学校教師が捕まったわけですが。
新聞記事によると、犯人の教師は以前から「女子生徒とどうやって接していいかわからない」と、周囲に悩みをうち明けていたとか。そのくせ、いきなり女子に抱きついたりとセクハラ行為が激しくて、生徒に気味悪がられていたらしい。
どうやって接するも何も、男子生徒と同じ「自分の生徒」として接すればいいだけの話なのに、ことさら女子生徒だけを異常に意識してしまうということは、性的対象としてロックオンしているせいだ。「女」の肉体を持って生まれた人間はこの教師にとって、相手が何歳だろうが自分の生徒だろうが関係なく、単なる「女」という肉のかたまりでしかない。
肉は肉であってむさぼるものである。
それ以外に接する方法を知らないし、想像したこともない。
そんな男の目の前に食指の動く肉のかたまりを並べ、現実にはその肉をむさぼることを禁じているから、「どうやって接していいかわからなくなる」わけだ。
前にも同じことを書いたけど、一部のロリコン(というかペド)男の罪悪感の欠如はどうにかならないかと思う。
栃木の小学生誘拐事件に関して、「穢れた現世の女に堕ちる前の天使を求めているのであり、一面的な見方をすべきではない」という感想を書いている馬鹿をネットで見つけて、またもやふつふつと殺意がわき上がってきた。罪悪感のないのも当然だ。こいつらのセルフイメージでは、あくまで自分たちは穢れていないんだろう。
新潟県の女性監禁事件では、犯人の男は誘拐してきた当時9歳の少女に「おじさん」と呼ばれると腹を立て、殴りつけたそうである。「自分はあの子と同じ歳ぐらいのつもりで接していたので、おじさん扱いされるのには我慢がならなかった」というのがその言い分。
無力な9歳の少年が、どうやって力づくで少女を誘拐し、何年も監禁し、気に入らなければ殴りつけて黙らせることができるというんだか。
大人の知恵と腕力で幼児的な願望を満たそうとする人間のことを、「穢れた現世の女に堕ちる前の天使を求めている少年の心を失えない男」という方向に、都合よく変換するのはこのぐらいにしてほしいもんです。自分が一番穢れているくせに、それを認めようとしないで女にばかり一方的に純粋性や無垢なるものを求めようなんて根性がそもそも笑止。根本から間違っている。
こんなことわかりきっている話だと思うだろう。が、実際にうちのページの掲示板にも昔、「誰にでもブランド物や綺麗なアクセサリーを身につけたいという願望くらいあるものじゃないですか。無垢な幼女をそれと同じように側に置いておきたいという気持ちからつい誘拐してしまうことだってあると思います」という書き込みを悪びれずにしていった人がいるんだよ。あの時は戦慄した。
だからことさらにしつこく、「あんたらは穢れてるの女よりも誰よりも。無垢な幼女なんかでは今さら救えないほどに。それを直視して生きろ」といって追い込みをかけておきたくなるわけなんですけども。
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