最近のニュースでやってたんだけど、警察署に一日何十回となくいたずら電話をかけていた中年男性(40〜50代?)が、業務妨害だか公務執行妨害だかで逮捕されたそうだ。その犯行理由が、
「政治談義を一席ぶちたいのに、だれも話を聞いてくれなかったから」
とのこと。
そんなあなたのためにこそインターネットはあるのに。アホですね。
個人のテキストサイトなんて、常に何かしらもの申したいことのある文句の多いタイプの人間でないと、長年続けることはできない。このおじさんこそ理想的なサイト管理者になれるだろう。カウンターがちょっと回れば、「世界中の人が自分のサイトを見に来ている」という錯覚にひたれるし、いくら一人で好き勝手なことを書いても、誰も半畳を入れない。独壇場だ。
政治の話をしたいなら議論系サイトにでも行けばいいと思うかもしらんが、そうすると自分が文句を垂れ流す代わりに他人の垂れ流す文句も聞かなきゃならなくなるから、自分一人で演説をぶちたいこのタイプの人には耐え難いだろう。わたしにはこの人の気持ちがよくわかる。
いや〜ネットがあって本当に良かったよな。わたしのために。
「文句の垂れ流し」で思い出したんだけど。定期的に観察している作家のサイトの日記で、「作家でもない一般市民が、自由に意見を述べたり情報発信できるようになってしまった今のインターネットの世界というものは、ひとを傷つけ憎しみを増幅させるだけだから非常に危険だ」という主旨のことが書かれていまして。この人は、ずいぶん前からネットで読者とトラブル起こしてるんですけども。
これ読んだ時、「なんつー傲慢なものの考え方だ」と思ったなあ。いっぱんしみんが自分でそう言うのならともかく、作家本人が言っちゃ、それは選民思想じゃん。
インターネット上でファンとトラブって、読み手の声が(賞賛も中傷も)ダイレクトに耳に入ってしまう状況に脅威を感じ、ネットから撤退してしまった作家もいたけど、あの人は賢明だった。
「物書きでもない一般人が賢しらに情報を発信する資格なんかない。作家(私)の与えるものを受け取るだけの存在であるべきだ」といくら吠えてみたところで、インターネットの特性がインタラクティブである以上どうにもならない。ネットという土俵の上に乗ったとたん、すべての言葉は平等に均されてしまう。
しかし、実のところ「世界に向けて発信」なんて言ったって、作家でもない個人のサイトのヒット数なんてたかが知れてるんだから、「非常に危険だ」などと警鐘を鳴らすほどの問題ではない。
それをことさら脅威に感じるのは、自分の作品に対して賞賛以外の言葉をネット上でダイレクトに投げつけられた時、作品と自我との分離ができていない作家が、自分の本質への攻撃だと感じるせいである。
小説が作家にとって別世界を構築してものがたる手段ではなく、自分自身をものがたるための手段でしかないとすると、作品への攻撃はそのまま自我への攻撃となるわけだから、アイデンティティの危機に対して非常な脅威と感じるのは当然といえば当然。
だが、はっきり言って「あんた以外の大多数の人にとっては、そんなことはちっとも危険でもなんでもない」わけだ。
つか、わたしは一般市民だけど、サイトはじめた当初よく感じの悪いやつにからまれて、「やっぱりネットってやべーところだよな。気をつけてないとどんな難癖つけられるかわかんないわ」と辟易していたもんで。わたしの書いているものこそ、まさに「作品と自我の分離ができていない」どころか、自我そのものをさらしてるからな。作品じゃなくてただの日記だけど。
しかしそれはあくまで「わたしの自我にとって危険だから気をつけるべき」なだけであって、こんな自意識まるだしのページを作ってない大多数の人にとっては、やっぱり情報発信できるインターネットという場は、メリットの方がデメリットより断然多いと思う。
つまりネットは「人を傷つける場」でもなけりゃ「危険な場」でもない。嫌なやつはネット以外でもどこにでもいるんだから、自意識過剰なやつが自衛すりゃ済む話だってことですね。
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