にわか人形趣味人となったわたしとしては、その手のサイトをあちこち回ってみたり、街に出たついでにおもちゃ屋にふらりと入ってみたりしているのだが、人形見るついでにプラモなんかも観賞しては、「すげ〜」「かっこいい〜」などと感心することしきりなのだった。
最近の模型技術のすごさといったらない。これは、模型関係のサイトの写真を見ていても思う。
気のせいではなく、こういう手作業およびメカニカルデザインをやらせたら、やっぱり日本人が世界でも一番なんではないか。器用なのはもちろん、ディテールにまでこだわる執念と、金になるかならないかを考えるよりまず、好きだから手間ひまかけてすばらしいものを創り出し、結果として高い金で取り引きされるようになる、というところが、職人だよなあと思う。
小さい頃、クラスの男の子がよく自作のロボットの絵を描いて見せてくれた。
「ここからあっしゅくされた空気がでてロケットパンチが」
とか、
「ここがジョイントほうしきになっているからびよくにへんけいできるんだ」
とか、わけわかんねー説明をいっぱい聞かされたもんだ。
「そうぞうじょうのロボットなのに、なんでそんなこまかくしくみまでかんがえてんのさ。“ふしぎなちからでロケットパンチが出せる”で、いいじゃん」
などとわたしは思っていたが、今思うに、あれが技術者魂ってやつだったんだな。
実際には存在しないロボット、これからも存在しないだろうロボットであっても、
「どういう仕組みで動き、変形合体するのか」
「宇宙空間でこのデザインだとどんな機能上の問題が生じるのか」
などという、大いなる無駄ともいうべき想像力と技術的知識を駆使し、メカオタク、いやさ模型職人は、機能性と芸術性に折り合いをつけながら、今日もすばらしい模型を生み出すわけだ。
いやホントに。どーせ宇宙空間でマジに戦わせるわけじゃないんだからもっと見た目にこだわって作ればいいのに、と思うようなものでも、つい機能性を考慮してしまうオタク魂がわたしは好きだね。かといって、完全に機能性と現実性重視になってしまうと、タダの戦車のミニチュアなんかになってしまう。あっちにはわたしは興味はない。
「銀河英雄伝説」の宇宙戦艦、白銀に輝く旗艦ブリュンヒルトとか、真っ赤で戦闘的なバルバロッサとか、いつまでもいつまでも見つめていたいと思うほど美しいんだよ。あれも多分、宇宙空間で両軍展開して砲撃しあうのに都合のいいのはどんなデザインか、なんて意味のないことを割とマジメに考えて作られたんじゃないかと思う。しかし実際に自衛隊で使われるはずの戦艦でもないので、やっぱり見た目の美しさも重視。
こうして考えてみると、日本の模型技術、あるいはガンダム他戦闘アニメの発達ぶりは、(ちゃんとした)軍隊を持たない、戦争を放棄した国であるせいかもしれない。本当の兵器を作るための技術力が生かせないので、想像上の戦艦や戦闘ロボットのデザインをすることで、「兵器(戦うための道具)を作りたい」という無意識下の欲求に折り合いをつけているんではないか、なんて。
石器時代からの原始的・遺伝的欲求ってわけかね。
でも、テレビで見るアメリカの戦艦や戦闘機より銀英伝のブリュンヒルトの方が、ずっと美しくて好きだ。日本人男性にはどーぞこのまま、「兵器を作りたい」という強大な欲求エネルギーを、アニメと模型の方にだけ注ぎ込んでいってもらいたいもんです。殺し合いの道具を作ったり、実際に戦争するためのエネルギーをゲージツと空想に向け続けりゃ、きっとすごいもんができると思うね。
これこそまさに「有意義な無駄」ってもんだ。
サブカルチャーとなめられていてもどうせ、あと数百年もしたら浮世絵と同じで、芸術作品として専門家に評価を受けるようになるんだしさ。
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