池田小の児童8人も殺した宅間守。裁判中もすこぶるふてぶてしい態度で、改悛の情がまるで見られないそうですが。
自分が絶対的被害者であると思っている人間ほど強いものはない、と思うのはこういう時だな。加害者が被害者に対して罪を悔いるのは、相手にとてつもない苦しみを与えたことに気づく時だけであって、自分がこの世で唯一無二の被害者であると思っている者は、自分が感じている苦痛・屈辱・怒りよりまさるものがこの世にあることなど想像がつかない。
たとえ「おまえは被害者ではなく、加害者なんだ」と指摘されたところで、
「確かに小学生は可哀想だったかもしれんが、俺の方がもっと可哀想だ。みんな、ガキどもの死には声を上げて嘆き悲しむが、俺の苦痛にはまるで無関心じゃないか。(※宅間は「離婚した妻に当てつけたくてやった」と言っている)
こういう奴らしかいない世の中だから、俺は常に被害者であり続けなければならなかったんだ。
子供たちはみんなに同情されている。この上、なぜ俺があいつらを哀れんでやらなければならないんだ? 何も持っていないのは俺の方なのに」
としか感じないだろうと思う。こいつの心象風景が見える気がする。
以前、ある壊れかけた人のサイト(鬱か何かで精神状態が悪化していたらしい)の日記を読んでいた時も思ったことなんだけど。
夜中に猫が騒いで、いつまでも鳴きやまないので発狂しそうになり、静かになるまで何度も何度も狂ったように蹴り飛ばした、精神状態が最悪な時だったので、本当に気が狂うかと思った
と、いったようなことが書いてあり、その後、「冷静になった今、自分を見つめ、分析したこと」として、「実は私の母親も精神的に不安定な人で、鬱期にはどなられたりあたられたりした。そのトラウマによって私も不安定な時期は自分を抑えられなくなり云々・・・」という繰り言がえんえん述べられていた。
わたしから見て、それは自己分析なんて代物じゃなかった。最初から最後まで自己憐憫に満ちた言い訳。「蹴り飛ばした猫」に対する後悔や哀れみや罪悪感が、「冷静になって自分を見つめ」ているはずなのに、まるで感じられない。
幼児期に母親から受けた仕打ちがトラウマになって自分も精神的に不安定である、という理屈はわかる。そういうことはあると思う。そして、その体験によって、彼女は過去、確かに被害者だった。
しかし現在、猫に対しては彼女は、絶対的加害者である。なんの責任もない猫に対して自分の苛立ちをぶつけ、腹いせをした。
しかし彼女にはそれがわからない。自分が「絶対的被害者」であると思っている者は、たとえ誰かに対して害を与えることがあっても、加害者の側に回ることは決してない。
そうすると加害者が当然感じるべき「相手に苦痛を与えた」という自覚、冷静になった時に感じるはずの後悔も、感じなくて済む。可哀想なのはいつでも自分ただ一人。こういう人間は無敵である。
幼児虐待する親も、加害者である自覚がまるでないようだけど、これと似たような心理からなんだろうと思う。
7歳の女の子を「悪魔」と罵りながら、スタンガンや催涙ガスで責めさいなみ、その様子を録音までして愉しんだあげく殺してしまった両親がいたが、「悪魔はおまえらの方だろう」と世界中の誰もが思おうと、彼らだけは自分を「善良だが不幸な小市民」だと思っていたと思うね。人間てのは、虐待を愉しむ時でさえも、子供を「悪魔」、自分を「悪魔に対抗する側=正義あるいは善」と規定しないと気が済まないものなのか、と思うと、死にたくなるほどうんざりするけど。
子供を「悪魔」と呼んでいる事実だけで、加害者としての自覚がまるでなかったことがハッキリとわかる。幼い子供と相対してさえ、自分の立場は「悪魔がいるためにひどい目に遭っている(子供がいるために自由を奪われるとか、貧乏だとか、はたまた“こんなことはしたくないのに虐待させられてしまう”)被害者」なわけだ。
自分がこの世で被害者であると規定して存在しているものの暴力的側面てのは、このことだ。
なにをやっても言い訳がきくからな。世界に対しても、自分の良心に対しても。
なんか新年からイヤな話で恐縮ですが。考え出したら止まらなかったわ。
blogランキング参加中はじめまして。ティアスです
>自分がこの世で被害者であると規定して存在しているものの暴力的側面てのは、このことだ。
そういうのってたくさん見られますね。
「性暴力とPTSD」の掲示板でも、加害者のことを罵ったり、傷つけたり・・・。
きずつけられたから、きずつけてもいい。
傷つけられた人のことを考えると、その人の痛みを思うとしてはいけないことのはずなのに・・・
誰もがやってる。性犯罪の被害者ですら、加害者を傷つけてる。
「それは正常なことです。回復するためには必要なことです」と心理学者に言われながら。
だったら、どうして、宅間守や通り魔事件のことを起こした人のことは理解しようとしないの。温かい目で見てあげることができないの。どちらも、おなじようなものでしょ。やったことは違うけど。
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