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2002年1月15日

唯我仏とエロゲーと風俗

エロゲーって、わたし一度もやったことないんですけどもね。それは機会がなかったからだけでなく、「どーせそんなゲームに出てくる女の子なんてユーザーの勝手な願望や欲望に忠実な、奴隷か犬か人形か幼児かそれともその全部かなんでしょーが」という抜き難い偏見があったせいでもあるんですが。しかし最近はふとした理由から、「おもしろそーなのもあるようだし、一度やってみたいなあ」と思うようになりました。
なんだかこの世界も奥が深くて、初期の物に比べるとシナリオの高度化とか、キャラクターの性格付けに関してリアルさと緻密さを追求するようになってきたとか、そういう変化があるようで。


リアリティの追求ねえ。ご都合主義に陥らないためには、徹底的に思い通りにならないゲームでも作るとかはどうだろ。

「なんであたしがそんなことしなきゃなんないわけ?」「どーしてあんたの命令を聞かなきゃならないの?」「あんたあたしになんの権利があってそんなこと言うの?」「その程度の行動であたしの好意が得られると、本気で思ってんの?」「どうしてあたしがあんたの思い通りになるなんて、そんな夢が見られるんですか?そんなに自分に自信があんの?」「人の気持ちを理解しようというより、フラグが立つことしか念頭にないんでしょ?」「あたしのシナリオが終わったら、今度は○○ちゃんにしようとか思ってるくせに、よくそんなしらじらしいことばかり言えるよね」「あ〜あ、エロゲーっていいよね。気に入らない展開になったらリセットすりゃいいんだもん。電源落とせば『あの時あんなこといってあの子はどう思ったろう』とか悶々と考えなくて済むし。絶対に傷つけられないし。ヒッキーには楽だよね」

等々と、目とおっぱいが大きくて童顔のアニメ少女がアニメ声で次から次へとユーザーの頭に冷水を浴びせかけ悶絶させるような悪罵の連射。最初から最後までこんな具合。どんな選択肢を選んでも絶対服は脱がない。隠しイベントがあるに違いないと必死で探しても無駄。5人いれば5人全員一人として思い通りにならない。タイトルは「世の中そんなに甘くない」。 ダメ?売れない?

わたしは人間というのは「ひとりひとりのエゴ宇宙に唯我仏として存在する生き物」だという認識があって。だから他者の思い通りになどならないのが当たり前で、たまーに思い通りにいったってそれは自分が相手を思い通りにしたわけでもなんでもなく、たまたまお互いの願望が一致した、というだけのことに決まってるじゃん、という。

しかし「自分の小宇宙に唯我仏として存在する自分」と、「同じく自分の小宇宙に唯我仏として存在する他者」の願望がたまたま合致するなどということは実はビッグバンに匹敵するほど奇跡的な僥倖ではないかというのはわたしが貧乏性なせいもあるんだけど要するに自分があまりにも自意識が強すぎるので人もそうに違いないと思っているというかこんな意識があるから世の中が生きにくいのである。まーこれは状況が願望通りに展開しなかったときに自分を納得させる言い訳でもあるので、うまいこと願望通りにいったときはすっかり忘れて、「なんつーか、世の中バラ色ってかんじー?今まで生きてきた中で一番しあわせ?世界はみーんなオレ様のもの〜みたいな」という躁病及び自我拡大状態に至ることは言うまでもない。

 

まあそれは置いといてですね。エロゲーにのめり込む人たちというのは、「他者(異性)を思い通りにしたい・してもらいたいという幼児的支配欲が異常に強いが為に、現実生活ではその願望が満たされることはあり得ないので常に欲求不満状態に陥っている。だからバーチャルな世界でそれを満たすしかない」というタイプばかりなんでないのかなーと、いままで勝手に思い込んでいたわけですわたしは。

 

だから、「そもそも他人(異性・同性問わず)を『思い通りにしよう』というのが間違いだ」ということに気づかないのは不幸であると(そんな欲求を抱き続けて生きていれば、慢性的飢餓状態に陥るのが分かり切っているわけだから)。思い通りにならなくても、あるいは自分の思い込みとはまったく違う人間だったとわかっても、その人がその人でありさえすればそれでいいなんだかんだ言ってやっぱ好きだーとか、そういうことだって時にはある。自分だってそういう好かれ方をされればどんなに嬉しいかということが全くわからないまま、ゲームの中で自分の言うことを聞く女の子の服を脱がす愉しみに耽溺してしまったら、やばいんではないですか。というかやばいので近づきたくないですとかなんとか思っていたわけです。

 

しかし、ある人のページを読んでですね、「あー、こういう自覚的な人たちもいるのか」とすっかり認識を改めさせられた、というか。「絶望的なまでに『他者の意志と自我』の存在に敏感な故に、現実の人間にはおいそれと近づけず、バーチャルな世界にのめり込んでしまった」人たちがいるんだなあ、と気がついたわけです。まー当然といえば当然かもしんないが気がつかなかった。んでむしろ、あんまり他人の自我とか意志の事なんて考えてない、たとえば女子高生なんてみーんな周りと同じことしかできなくてなんも考えてない海ミジンコなみの脳味噌、としか認識してない男のほうが、女の子に楽に近づき、そういう扱い方をしてはばからないのかもしれんと思い至ったわけで。

 

以前みんなで居酒屋で話してたとき、知り合いの男性が、「一度だけ風俗に行ったことあるけど勃たなかった」という話をしてたことがあるんです。

理由は、相手が恋人でない以上恋愛の対象ではなく、単なる欲求を満たすだけの肉体である(見も蓋もないが率直な話)という認識があり、こっちにとってそうである以上、風俗嬢にとっても自分は金を持っているだけの豚野郎に過ぎないんだ、そう思っているに違いないのだ、みたいなことを考えたらとてもじゃないができるわけない。彼女じゃないと絶対にダメだ。

というようなことを言っていた。これをナーバスとか神経質とか言うのかもしれんけど、実のところすげえまともな感性だなー、と思いましたよ。普通は風俗嬢の心理状態なんかに思いを馳せたりしないんでしょ、こういう状況の時。つーか、テレパシーでも持ってて相手の心理がわかれば全員不能になるどころか発狂するのは間違いないとわたしは思うが。

しかしこういう感性を持った人が少ないが故に、風俗産業ってのはどんどんどんどん発展していくばかりでキリがないんですね。相手の心理なんかおかまいなしだからこそ、つーか相手を対等な人間だとは思ってないからこそ安心して金で買って遊べるわけだし。まともに人間扱いなんかしたら一時も気持ちが安まらないし。気持ちよくないんだろし。

 

だから何が言いたいのかというと、やっぱり結論としては「自覚的であるべきだよなー」みたいなー。エロゲー他バーチャル世界にのめり込むときも、「現実の人間相手ではまったくこうはいかないんだ。これは願望だ。妄想だ」とはっきり自覚した上でのめり込み、風俗行ったら行ったで、「風俗嬢にとって自分は金を持った性欲豚」であることを自覚した上で事に及ぶべきじゃねーの、という、・・・・・・・やっぱり果てしなく人にケンカ売りまくってるか。



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投稿者 : ナツ at 2002/01/15 | カテゴリー : ◆脳内物質
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