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2002年3月21日

全世界を100人の村に縮小すると

わたしのところには来なかったのだが、こういう内容のメールが一時流行っていたらしい。(原文は英語) 確か、筑紫哲也も番組の中で取り上げていたような気がする。


もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には・・・

  57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
 

52人が女性です
48人が男性です 
 
70人が有色人種で
30人が白人
 
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
 
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
 
6人が全世界の富の59%を所有し、
その6人ともがアメリカ国籍
 
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
 
もしこのように、
縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、
自分と違う人を理解すること、そして、
そういう事実を知るための教育がいかに必要かは
火をみるよりあきらかです。
 
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
 
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、
病気でなく健康だなと感じることができたなら・・・
あなたは今生き残ることのできないであろう
100万人の人たちより恵まれています。
 
もしあなたが戦いの危険や、
投獄される孤独や苦悩、
あるいは飢えの悲痛を
一度も体験したことがないのなら・・・
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。
 
もしあなたがしつこく苦しめられることや、
逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに
教会のミサに行くことができるなら・・・
あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。
 
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、
頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。
 
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中で
もっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。
 
もしあなたの両親がともに健在で、
そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なことです。
 
もしこのメッセージを読むことができるなら、
あなたはこの瞬間2倍の祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,
その上あなたはまったく文字の読めない
世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
 
昔の人がこう言いました。 
我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
 
お金に執着することなく喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく
人を愛しましょう。
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように
生きていきましょう。


どーしたいのかね。この文章書いた人。
上を見たらきりがないから分相応で満足して生きろ。
自分より下の者は世の中にはごまんといる。そのことさえ忘れなければ、一生優越感に浸れて幸福でいられるだろう

とでも言いたいんだろうか。
だいたいこれ、PCを所有していて日常的にインターネットに繋げる環境がありこの文章を読める人間、つまり自分は幸福だ、と結論づけられるようになっている巧妙な文章だもんな。(さらに、アメリカ国籍で金持ちで大学教育を受けている人間が世の中で最高の位置にいる、という順列的価値観も見えてんし。差別反対をうたいながら偏見を隠しきれないところがアメリカ人の馬鹿正直なところだよね)




ひがみやねたみは人間の心をむしばむが、常に他人と引き比べないと自分の幸せを実感できないという精神構造も、同じくらい病的だと思う。
「誰より恵まれているか」という相対論ではなく、誰にも関係なく自分はただ自分として世界に足を踏みしめて存在し、自分が幸福だと思うから幸福なんだ と言い切れるようでなければ真に幸福を知ったとは言えない。



「エレファントマン」という映画が昔あった。
象皮病か先天性の奇形が原因で常にすっぽりとマスクで顔を覆い、厚手の黒い服で体を隠している男の話だが、それを子供連れでわざわざ見に行ったおばさんが、小学生の息子にこういった。

「わかった? 世の中にはああいう惨めな生き方をしているかわいそうな人が大勢いるんだから。
あんたは健康に五体満足に生んでもらって、お父さんもお母さんもそろってるし、こんな幸せなことはないんだよ」



こういう人をわたし的には恥知らずというんですが。

そんな価値観を植え込むための材料に使われちゃ障害を持つ人も迷惑なんだって程度のこともわからない頭の親に育てられる子供の不幸はさておくとしても。
常に他人と引き比べないと自分の幸せを実感できないという精神は、「常に自分より他人が不幸だということがわからなければ幸福にはなれない」という感覚に、容易にシフトする。



三浦は何でも持っている。父親は大手の保険会社に勤めていて、家も裕福だ。あねごの言うとおり、容姿にも不足はないだろうし、能力にも欠けるところはない。

 ただ、貪欲なのだ。守は思う。自分には足りないものはないが、同じように足りないものがない人間は他にもたくさんいる。自分も十持っていて、隣の人間も十持っている状態で、その隣にいる人間に対して優越感を感じたいと思ったら、相手から何かを取り上げてしまうしか方法がない。そうしないと満足できない。

 三浦のような人間―――今は大多数がそうなのだ―――が満足感と幸福感を得ようと思ったら、もう足し算では駄目なのだ。引き算しながら生きていくしかない。

宮部みゆき著「魔術はささやく」より抜粋



飢餓に苦しみ、ワクチンも接種されずに死んでいく子供や、アフガン難民や、戦争犠牲者のニュースを見て、我が身に引き比べてそっと「確かに自分は恵まれている」ぐらいのことは誰でも考える。けど、結局のところ、何が本当の幸せかなんて誰にもわからないし、不幸だろうが幸福だろうが人間は自分の人生を生きていくしかない。

世の中の多くの人が不幸なことを確認しなければ、ここが地上の天国であると思って生きてゆくことはできないし、安心して慈悲心も愛も発動できないという感覚が、気色悪くてたまらない。

マザー・テレサは生涯紛争地で慈善活動を続けた。
キリスト教徒でありながらイスラム教地区(多分アフガンにも)に教会をつくり、貧民救済に当たった。「奉仕に見せかけた伝道である」とイスラム教徒の反感を買い、嫌がらせや妨害を受けたらしいが、屈することなく活動を続け、助けきれずに死んでいった人がいれば、その人の信仰に合わせて埋葬してやった。イスラム教徒にはイスラム教式、ヒンズー教徒にはヒンズー教式で。

あまりにも紛争地域ばかりに行くので、見かねた政治家が、「あなたの身の安全のために、お願いですからもっと政情の安定した地域に移ってください。すべての人間を救うことは、神ならぬ人間には不可能です」と懇願すると、マザーは答えたという。



私はまず目の前の人を一人助け、そしてその余裕があれば、もう一人も助ける。
そうやって生きていくだけです。そうしたいのです
」。



「その人が惨めでかわいそうだから。それに比べて恵まれている自分が何かしてやるのは当然のこと」ではなく、「自分がそうしたいからだ。誰かが泣いていると自分も決して幸福にはなれないからだ」と言える人間ほど強いものはない。
そして、そういう強さを持って生きている人間が結局のところいちばん幸福だと思う。
だって、わたしも含めて世界中の多くの人間は常に不安で不安定で、何をどうすれば自分が幸福になれるのかよくわかっていないから、とりあえず不幸な誰かを見て安心することくらいしかできないんだからな。
こういう弱さと存在の不安定さを不幸と言わずになんと言おう。

「全世界を100人の村に縮小すると」の文章を読んで、「“自分ってなんて幸福だったんだろう”と思いました」だの、「世界にはこんなに多くのかわいそうな人たちがいるんだってことに、はじめて気がついたような気がします。私たちは、自分がどんなに恵まれているかわからないで生きているんですね」だのと書いている人たちは、そんなことにはじめて気がついたり、そこでやっと真の幸福を感じている自分の貧しい心理も自覚できない不幸な人たちだと思うよ。かわいそうに。 




憎まれ口ばかり叩いているわたしがいちばんかわいそうな人間だというオチでした。



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投稿者 : ナツ at 2002/03/21 | カテゴリー : 宗教・哲学
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