神奈川県警高津署は14日、東急田園都市線の電車内で川崎市宮前区の私立小学校4年の女子児童(10)の下半身を触ったとして、同区東有馬5、会社員武山修容疑者(23)を県小暴力防止条例違反の現行犯で逮捕した。
武山容疑者は同日午前7時50分ごろ、同線溝の口駅に停車中の上り急行電車内で、女子児童のスカートの上から下半身を触った。女子児童が武山容疑者の腕をつかんで「痴漢です」と叫び、一緒にホームに降りると、武山容疑者は逃走。「この人痴漢です」と叫びながら追いかけている女子児童の姿に男性駅員(20)が気付き、武山容疑者を取り押さえた。
「女のくせに」「女なんだから」と、男から、時には女から、抑えつけられた悔しい思いが女性には誰にもあるせいだろう。真紀子前外相の無念の涙に、多くの女性が共感した。それなのに、首相はその威力を計算し損ない、内閣支持率を大きく落とした。
男の涙の威力は、どうだろうか。鈴木氏の涙についてコメントを求められた首相は、今度は慎重に「ご本人が決断されたことですから」とはぐらかした。だが、鈴木氏の落涙シーンに、日本の男たちが共感したという気配はあまりない。男の涙の威力は、とうてい女の涙にかなわないのかもしれない。
まあ、田中真紀子の涙は悔し涙で、鈴木宗男の涙は自分を哀れむ涙だった、という違いはあるわな。男の涙に威力がないから男性たちが共感しなかったんじゃなくて、自己陶酔のにおいを嗅ぎとってしらけただけでしょ。大衆は、その程度の敏感さは持ってるよ。
あー、無意味な浪花節が通用しない時代になってよかった。
と思ったら、地元では結構通用してるみたいですね。
「私はたたき上げ。人一倍努力して政治家になった。ものを言えなくなったらおしまいだ」と自分の発言に対する誠実な態度を強調。「私を東京の大学に出すために、おやじは家に1頭しかない馬を処分して25万円を工面してくれた」と生い立ちを振り返ったところで感極まり涙ぐんだ。その瞬間、約1300人の聴衆はシーンとなり、間をおいて拍手のあらしが起こったという。 だそうです。知るか。
でまあ、この先はわたしの偏見なんですけどね。「たたき上げの苦労人は金持ちより誠実」というのは幻想じゃないかと思う。むしろ逆で、大金持ちの家庭で、なんの不自由もなく、誰をもねたむこともそねむこともなく、愛されて大事にされて育ってきた生粋のお坊ちゃんお嬢ちゃんの方が、のほほんとしているし、人の悪口も言わないし、人を陥れる気もない人が多い。貧乏人の方が性格がゆがむ素因は山のようにあると思うね。 貧乏人の一人として言うんだけど。
めったやたらに苦労した昔を持ち出しては涙する宗男を見ていると、「まあ昔はそりゃ苦労したけど、みんなそうでしょ」とさばさばしてない分だけ不気味だ。「自分で言うほど貧乏ではなかったよ」と証言する昔の知人も多いところを見ると、白髪三千丈か、そうでなければ、人並みの苦労を死ぬほどつらく感じ、みじめに思って、他人をねたみ、そねみ、さぞ鬱屈した青春時代を送ったんだろうなあ、と思ってしまうんですけどわたしは。しつこい苦労話で感動できる人の気持ちが知れませんね。
本当に苦労した人ほど達観しているもんだし、「人間、誰だって人生のうちにつらい時期はありますよ。私だけじゃない」という人生観を得るもんだと思う。
要するに、自分だけが特別だと思ったり、べらべらと苦労話を自慢しまくる苦労人は信用できない。その目的ってのは自分に酔うことなんだから、「同じ苦労人同士の方が、貧乏人の気持ちをわかってくれるはずだ。貧乏人出身の政治家の方が信頼できる」と期待するのは間違い。この手の人は「俺の方がおまえら愚民よりもっと苦労した」と思うだけです。
【ロサンゼルス12日=石井一夫】
米テキサス州ヒューストン郊外で昨年6月、主婦アンドレア・イェーツ被告(37)が6か月から7歳の自分の子供5人を殺害した事件で、同州ハリス郡地裁の陪審は12日、同被告に有罪の評決を下した。
この事件では、同被告が2年前に4人目の子供を出産後、うつ病を患い、薬物投与を受けていたことなどから、その刑事責任の有無をめぐって全米で議論が沸き起こっていた。
捜査当局の調べによると、イェーツ被告は昨年6月20日、自宅で5人の子供を1人ずつ呼び、水を張った浴槽でおぼれさせた。 今年1月から始まった公判の中で、弁護側は「被告は犯行当時、極度の精神的抑うつ状態にあり、合理的な思考能力を欠いていた」として無罪を主張。検察側は「被告は善悪の判断をつけられる状態だった。殺人は意図的なもの」として死刑を求刑していた。
イェーツ被告に対する量刑については、同じ陪審が今後、新たな法廷証言などをもとに決定する。
「合理的な思考能力を欠いていた」っていう割にはずいぶん合理的に仕事を片づけてるじゃん。いっぺんに5人を呼んで、他の子の目の前で子どもを殺す、とかしていたら大騒ぎになって収拾がつかなくなることがわかってたんだな。だから心神喪失を認められず有罪判決が出たんだろうけど。
しかし、一人なら勢いでわけのわからないうちに殺せるかもしれないけど、5人の我が子を順番に、鶏でも絞めるように殺せる女の心象風景ってどういうんだろう。子どもは当然死の直前まで母親を信頼しきっていただろうし、お風呂に呼ばれたら洗ってもらえると思って、素直に入ってきたんだろうな。
それとも、母親に何か異常を嗅ぎとって躊躇しただろうか?
母親のおそろしさを描いて右に出る者がない漫画家といえば、楳図かずおと山岸凉子がいる。特に楳図かずおは、小さな子どもにとって母親がこの世ならぬ不気味なものに見える瞬間があることをよく知っている。というか、自分が母親に感じた不気味さを大人になった今でも克明に覚えていて、表現できる、という点で稀有である。
幼児にとっては、この世でいちばん信頼に値する存在は母親以外にない。また、だからこそ母親に見捨てられたら終わりだ、という不安感を常に抱いている。だから母親の感情の動きに想像以上に敏感で、母が自分をかわいいと思ったその直後に、死ぬほどうっとおしい、子どもなどいない方がいい、と思うことがあることにさえ気づいている。
大人になれば、人の感情の機微もわかり、母親にだって機嫌のいい時もあれば悪い時もあるさ、で済むのだが、幼児にとっては、その母親の内面の変わりよう、菩薩と夜叉のギャップは妖怪なみにおそろしく、理解できない異形である。
わたしも幼児期に母親に感じた不条理さや、身体の芯がつきとおるような恐怖感を覚えている。だからといって大人になった今では、自分も含めて人間は不条理な生き物だとわかっているから、親の愛情を疑うことはないけどね。
でも、楳図かずおのマンガはいまだに怖いと思うし、子どもの頃に確かに見た気がする、母親の夜叉の表情が如実に描かれていて、「あ〜。見た見たこの顔。よく覚えてるなあ楳図かずお」と感心することしきりだ。
だから、上記の子ども5人殺しの話を知った時も、この女はたまたま、夜叉の部分があふれてあふれて、止まらなくなった母親なんだな、と思った。
こんな母親がいるなんて信じられないとは思わない。あの部分が存在すること自体は知っているからだ。そして、彼女が子どもをひとりずつ水の中に抑えつけた時、どんな表情をしていたかも、たぶんわかるような気がする。
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