ねこは青、子ねこは黄緑
―共感覚者が自ら語る不思議な世界
パトリシア・リン ダフィー Patricia Lynne Duffy / 石田 理恵
昨年の8月頃の雑記に、「アルファベットや数字に色がついている」という話を書いた。興味があればそっちも参照してもらいたいんだけど、要するにわたしの頭の中では数字やアルファベットには勝手に色がついているんである。ひらがなとカタカナにも一応ついている。
例えば「BAKA」と書いてあると、黒字で書いてあっても無条件に「BAKA」という配色に見えてくる。
これはわたしが自分で決めている配色ではない。子供の頃からAは黄色だって決まっているのだ。同じようにBは赤。Cは薄い水色。この調子でZまで全部色つきで見える。「なぜ」といわれても答えようがない。(中にははっきりした色が見えてこない文字もあるけど)
数字も同様。脳内イメージなので、自分の意志で色を変えようとしても変えられない。勝手にその色でイメージが固着しているわけ。
人にこの話をしてもよくわかってもらえないので、「なんだろうなーこの現象は」と、ずーっと不思議に思っていた。小さい頃から絵を描くのは好きだったから、画材だけはふんだんに与えられて育っていたので(48色の色鉛筆とか64色のパステルとか)、そのせいで文字まで配色されて見えるようになったのかなあ、ぐらいに考えていた。
しかし最近出版された「ねこは青、子ねこは黄緑/(パトリシア・リン・ダフィー著)」という本によると、これは「共感覚」と呼ばれる現象らしい。以下レビューより。
「共感覚」と呼ばれる極めて稀な脳現象がある。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のうち、ふたつの感覚が同時にはたらく、不可思議な感覚様式のことである。
たとえば、文字に色が見える、音に手触りを感じる、痛みに映像を感じる、味に形が伴う・・・といった、ふたつの感覚が奇妙に混在した知覚現象だ。
ちなみに、文字に色が見える現象をもっと具体的に紹介すれば、Aはオレンジ、Bは緑、Cは青、Dは茶・・・という具合に、アルファベット26文字のそれぞれに色がついているのである。(中略)本書の著者も、文字に色が見える共感覚者。誰もが文字に色を見ているわけではないと初めて知った時の衝撃を契機に、共感覚についての文献読破、研究者との対話、他の共感覚者たちへのインタビューなどを通して、長年にわたり情報を収集してきた。(中略)
ランボー、ナボコフ、スクリャービンら、多くの作家や音楽家、画家も共感覚者だったといわれるが、医学的には未知の部分が多い。
上記の「文字に色が見える現象」のくだり、ドンピシャ。わたしの場合、Aはオレンジじゃなくて黄色だし、Bは緑じゃなくてその補色に当たる赤、Cは青じゃなくて白っぽい水色に見えるけど、妙に共通点があるので面白い。
この本の著者は日本人じゃない。超個人的な現象だと思っていたこの脳内イメージが、もし、民族の違いなどにも関係なく普遍的に共通しているんだとしたらおもしろいを通り越して不可思議だ。A〜Zまで全部の文字の色を対応させてみないと、どのくらい共通しているのかわからないけどね。
ちなみに、解説では色つき文字の他にも、音に手触りだの痛みに映像だのを感じる人がいるとまで書いてある。そこまでいくとわたしにもわからない。他人に色つき文字の話をしても理解してもらえなかったわけがやっとわかった。「音に手触りを感じる」言われても感覚的にわかんないもんな。
自分的にはこんなにはっきりした現象で、しかも子供の頃からこうなので今さら奇異でもなんでもないけど、その現象を体験したことのない人にはなかなか想像しづらいだろうし、こっちも説明しにくい。
それにしても、ランボー、ナボコフ、スクリャービンですか。共感覚がうまく役に立つと偉大な芸術家になれるってことなのかね。わたしの場合は、PCでキーを打つ時に色のイメージが多少役に立ってるくらいだけど。キーの配置が頭に入ってないうちは色で覚えた。映像が頭の中に勝手に浮かんでくるんだわ。ベビーピンクのUとか緑色のEとか。でも他には何も使い道がないんですけど。
・・・このへんが凡人の限界ってことなのね。トホホ。
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