ポルノビデオ出演のイラン女性、石打ち刑で処刑 【テヘラン21日=久保哲也】
二十一日付のイラン保守系紙によると、八年前に国内制作のポルノビデオに出演したとされるイラン人女性(35)が二十日、テヘラン市内の刑務所で、下半身を地中に埋められ、石で打たれて処刑された。
イスラム教の戒律が厳しく、外国人や異教徒でも女性は全身を覆うイスラム式服装を強制されるイランでは、ポルノは当然、ご法度。海外で制作されたものは現在、違法に流通しているが、国内で制作されたのが確認されたのは極めて異例だという。イランのイスラム法では、石打ちの刑は不倫や売買春などに適用される。
だそうです。これ、一年くらい前のニュースなんだけど。ネットで拾ってきた。
ポルノは御法度なお国柄でも、結局のところ違法に流通してんだろ。みんなこっそり見てるんだろ。嫌いなふりしたってどこの国の男もおんなじなんだよ。それで自国の女性が出演したら即刻石打ちの刑ですか。すげー広い心の棚を持ってる人ばかりいる国なんだね。こわ〜。
石打ちの刑ってのは、前にも書いたかもしれないけど、聖書にも記述があるアラブ・イスラエル地域の古典的な刑法。死ぬまで集団で石をぶつけ続けるという残酷な刑ね。
娼婦を糾弾する民人に向かってキリストが言ったセリフ、「汝ら罪なき者、あの女を石もて打て(今まで自分は罪を犯したことがないと言える者だけが、あの女に石を投げなさい)」という有名な言を知らんのかなー。イスラム教の始祖マホメットは、キリストを「自分の前にこの世に発現した預言者」として認めてるんだぞ。
うーん。一神教の国ばかりじゃないか。自己正当化に必死な奴が多いのは。
罪を犯したとき、「自分の意志でやりたいからやった」と言えない人間がいちばん醜悪だと思うんですが。「やらされた」とか「誘惑された」とか「そうしむけられた」とか「追いつめられた」(心の声・本当の自分は善良なのに)とか、いちいちうざいんだよ言い訳が。
タブーを犯して快楽を得た以上、自分の中の悪魔を認めるぐらいは最低の代償。その程度の精神力もないやつが調子ぶっこいて欲望を満たそうとするから、「まさか、あんなおとなしくて善良そうな人が、あんなことをするなんて」って言われる羽目になるんだね。自分の悪心を認められないたぐいの善良さなんてなんの役にも立ちゃしねえどころか害悪。自己正当化のためにならどんなことでもやっちゃうからな。小市民は一生欲求不満のまま鬱々として生きていけばいいとおもいます。
とにかく、マリアは当初はほとんどかまわれていなかった。それが聖母の地位に上りつめたのは、「神の子であるキリストを生んだ母も当然選ばれた神聖な女でなければならない」という思いこみはもとより、古代から浸透していた母性的・母権的宗教(大地母神を崇めるたぐいの)を、「父なる神―神の子キリスト」という父権的性格を持つキリスト教が駆逐した。その反動から、母性的愛をもとめる民衆の欲求が高じて、「聖母マリア」の存在が成立したといわれている。
どんな宗教でも、母親のごとき愛情と豊饒をあたえる女神様の存在が人間には必要不可欠だってことですね。キリスト教は、たぶん、そういう母権的古代宗教を一掃するために、あれだけ男性的な形をとって現れたんだと思うけど(“父なる神”といわれるとおり、キリスト教の神は男性形なんだよねー。“私は怒れる神である”とかゆってやたらと強権的で容赦なく人間に罰を与えるし)、それは人間にとっては過酷すぎた。おそろしい罰を与える父なる神だけでは、子供である人間は萎縮してしまう。
で、無償の愛を惜しみなく与える母なる神(マリア)をも必要としたと。
(無実の若い女たちが魔女として処刑される理由はたいてい、「チャーム(魔力)で人の夫を誘惑した」だの、「悪魔と交わった」だの、根も葉もない性的問題だったりするんだよな・・・。
年取った女であれば、失せ物を探したり病人を癒してやったりしていたウィッチドクター、日本でいう“拝み屋のおばあさん”や産婆みたいな存在が殺されたとおぼしい。
やっぱり、母性と女性性が敵視された(かつ、恐れられた)時代だったんだと思う)
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