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2003年6月27日

魔性の女たち

ポルノビデオ出演のイラン女性、石打ち刑で処刑 【テヘラン21日=久保哲也】

二十一日付のイラン保守系紙によると、八年前に国内制作のポルノビデオに出演したとされるイラン人女性(35)が二十日、テヘラン市内の刑務所で、下半身を地中に埋められ、石で打たれて処刑された。

イスラム教の戒律が厳しく、外国人や異教徒でも女性は全身を覆うイスラム式服装を強制されるイランでは、ポルノは当然、ご法度。海外で制作されたものは現在、違法に流通しているが、国内で制作されたのが確認されたのは極めて異例だという。イランのイスラム法では、石打ちの刑は不倫や売買春などに適用される。



だそうです。これ、一年くらい前のニュースなんだけど。ネットで拾ってきた。

ポルノは御法度なお国柄でも、結局のところ違法に流通してんだろ。みんなこっそり見てるんだろ。嫌いなふりしたってどこの国の男もおんなじなんだよ。それで自国の女性が出演したら即刻石打ちの刑ですか。すげー広い心の棚を持ってる人ばかりいる国なんだね。こわ〜。

石打ちの刑ってのは、前にも書いたかもしれないけど、聖書にも記述があるアラブ・イスラエル地域の古典的な刑法。死ぬまで集団で石をぶつけ続けるという残酷な刑ね。

娼婦を糾弾する民人に向かってキリストが言ったセリフ、「汝ら罪なき者、あの女を石もて打て(今まで自分は罪を犯したことがないと言える者だけが、あの女に石を投げなさい)」という有名な言を知らんのかなー。イスラム教の始祖マホメットは、キリストを「自分の前にこの世に発現した預言者」として認めてるんだぞ。




“不倫や売買春などに適用される刑”とあるとおり、抑圧が厳しい地域では、自分がやりたくてもやれないことをやってしまった人間に対しては、罰が過激になる傾向がある。ねたみはもとより、自分の中の罪深い欲望を、禁忌を破った他者に仮託して攻撃するので、恐ろしく残酷になれるんだな。

つまり、性的欲望の強い者ほど、この女の存在が刺激になって、神に背いてしまうかもしれない、そうなると天国に行けない、畜生俺を刺激しやがって、悪魔め、となって石をぶつけるにも容赦なかっただろうと思われる(男だけとは限らんが)。大喜びで石をぶつけまくった奴の家を重点的に家宅捜索してみたら面白いよ。きっと違法ポルノの山だから。




つーか、一神教の宗教ってイスラム教に限らず、「悪魔は常に自分の外にいる」というスタンスなんだよな。自分の中にもともとある欲望や悪意を認められない。無理矢理ないことにする。

もし悪心が起こったら、それは自分の弱さ・愚かさからではなく、悪魔のせい。スケベ心が起こったら、それはベールを身につけずツラをさらして歩く女のせい。満員電車で痴漢したくなるのは、挑発的な格好をしている女のせい。盗撮したくなるのも、ミニをはいてるコギャルのせい。小学生にいたずらしたくなるのは、無邪気にランドセルしょって縦笛吹いてるせい。


うーん。一神教の国ばかりじゃないか。自己正当化に必死な奴が多いのは。


罪を犯したとき、「自分の意志でやりたいからやった」と言えない人間がいちばん醜悪だと思うんですが。「やらされた」とか「誘惑された」とか「そうしむけられた」とか「追いつめられた」(心の声・本当の自分は善良なのに)とか、いちいちうざいんだよ言い訳が。

タブーを犯して快楽を得た以上、自分の中の悪魔を認めるぐらいは最低の代償。その程度の精神力もないやつが調子ぶっこいて欲望を満たそうとするから、「まさか、あんなおとなしくて善良そうな人が、あんなことをするなんて」って言われる羽目になるんだね。自分の悪心を認められないたぐいの善良さなんてなんの役にも立ちゃしねえどころか害悪。自己正当化のためにならどんなことでもやっちゃうからな。小市民は一生欲求不満のまま鬱々として生きていけばいいとおもいます。


とかいういつもの話はおいといて。何を書こうとしてたんだったかなー。



えーと。そう。「女は罪深い生き物だ。なぜなら男を誘惑するからだ」という論理は、自分の中の欲望や悪心を自分で処理できない大脳皮質が脆弱な男たちによって、古来から提唱されてきました。

中世魔女狩りも、実は、女性の母性的神秘性に対する男性性の反動であると同時に、“誘惑者”である女性への恐れや敵意が顕在化した結果だ、とみる向きもある。

自分で書いててわかりにくいな。まあ、「非力でありながら人の理性を狂わせる力を持つのは常に女だ。それは魔術だ。悪魔の業だ」というヒステリックな思いこみが一因で、あの魔女狩りという名の大量殺戮が起こったんじゃないかという話。

(魔女と和訳されるwitchは魔法使い、ぐらいの意味で、女だけを指すとは限らず、実際には男もwitchとされて処刑されたが、大部分はやはり女だったらしいです)




しかし魔女狩りが起こったのは、キリスト教がもともと男性的・父権的宗教である、というのが根本的原因なんだろうなやっぱ。

聖母マリアといえば、日本人にもなじみの深いキリスト教のシンボルだが、もともと、キリスト教の発生当時(つまり2千年前)には、キリストの母であるマリアは聖母でもなんでもなかった。時代が下るにつれて偶像視されるようになってきたんである。マタイ伝だったかマルコ伝だったかなー、聖書出してくるのめんどくさいからうろおぼえだけど、神の子として崇められている息子に遠くから会いに来たおかあさん(マリア)に向かって、「女よ、汝はわたしと何の関わりがある」とかゆって追い払ってますキリスト。超冷たいです。「女」はないだろおかあさんに。





とにかく、マリアは当初はほとんどかまわれていなかった。それが聖母の地位に上りつめたのは、「神の子であるキリストを生んだ母も当然選ばれた神聖な女でなければならない」という思いこみはもとより、古代から浸透していた母性的・母権的宗教(大地母神を崇めるたぐいの)を、「父なる神―神の子キリスト」という父権的性格を持つキリスト教が駆逐した。その反動から、母性的愛をもとめる民衆の欲求が高じて、「聖母マリア」の存在が成立したといわれている。



どんな宗教でも、母親のごとき愛情と豊饒をあたえる女神様の存在が人間には必要不可欠だってことですね。キリスト教は、たぶん、そういう母権的古代宗教を一掃するために、あれだけ男性的な形をとって現れたんだと思うけど(“父なる神”といわれるとおり、キリスト教の神は男性形なんだよねー。“私は怒れる神である”とかゆってやたらと強権的で容赦なく人間に罰を与えるし)、それは人間にとっては過酷すぎた。おそろしい罰を与える父なる神だけでは、子供である人間は萎縮してしまう。

で、無償の愛を惜しみなく与える母なる神(マリア)をも必要としたと。




というわけでカトリック(旧教徒)では聖母マリアはキリストと同じくらい崇拝されているわけだけど、世界史で習ったとおり、16世紀にマルチン・ルターがキリスト教は今や堕落している、聖書の教えに従っていないとか言い出して宗教改革が起こり、プロテスタント(新教徒)が台頭するわけ。んで、プロテスタントは当然教条主義だから、「聖母たる」マリアは認めていないんだよね。ただの人間だと言われてます。(聖書に書いてないことは認めないから)

卑しく、貧しい、軽蔑された者であったただの少女を神が聖別し、処女懐胎させた、だから神はすばらしい、マリア自身に神性があったわけではない、みたいな論調。




ともあれ、せっかく人間の自然な欲求をふまえて現れたキリスト教における「母性」を、プロテスタントは再びつぶしてしまった。初期の父権的宗教に回帰せよ、というわけだ。

魔女狩りは、カトリック教会がプロテスタントの台頭を何とか鎮め、カトリックに民心を縛りつけるため、異端者を見つけて処刑していったのが発端だともいわれる。 しかし群衆心理学的に見れば、母性や女性性を畏れながらも強烈に求め続けてしまう自分の心こそを恐れ、憎んだ民衆の無意識が、その反動からあれほどまでに残酷に、熱狂的に、魔女たちを狩っていったと言えるかもしれない。


無実の若い女たちが魔女として処刑される理由はたいてい、「チャーム(魔力)で人の夫を誘惑した」だの、「悪魔と交わった」だの、根も葉もない性的問題だったりするんだよな・・・。
年取った女であれば、失せ物を探したり病人を癒してやったりしていたウィッチドクター、日本でいう“拝み屋のおばあさん”や産婆みたいな存在が殺されたとおぼしい。

やっぱり、母性と女性性が敵視された(かつ、恐れられた)時代だったんだと思う


なんつーか、自分の中の欲望(あるいは弱さ)から目を背けるためになら、人間はどこまでも残酷になりうるって証拠かね、などということを考えてしまったです。



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投稿者 : ナツ at 2003/06/27 | カテゴリー : ジェンダー
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