サイトをしばらく放置してたので、色々書こうと思っていたことが全部お空の彼方に消えてっちゃったわけなのですが。
とりあえず「ラスト・サムライ」を観たので備忘録代わりに書いておこう。(以下多少のネタバレ含)
正直、また欧米人の勘違い入った日本観が見られるかと思ってわくわくしていたのだが、そういった意味ではつまらない作品だった。何ごともコテコテが好きなアメリカ人が、この程度の描写で満足できるのだろうか。ニンジャもハラキリも出て来たが、全体的に控えめで、ハリウッドのサムライ映画の先駆である「将軍(SHOGUN)」のように突っ込みどころ満載のなんちゃって時代劇を期待していた人間としてはいささか拍子抜け。
かといって突っ込みどころがないかといえばやっぱりそんなことはなくて、勝元(渡辺謙)が討ち死にするクライマックスで勝者たる官軍側が砲撃をやめて全員土下座した時には、ツレと二人で爆笑をこらえるのに必死だった。黙祷なら分かるよ。でも土下座はねーだろあの場合。
「勇敢な敵に向かって敬意を表する」意味なんだろうが、「殺しちゃってゴメンなさい」と米つきバッタのように平謝りしてるだけみたいに見えた。「日本人ならこういう時はなんでも土下座」とでも思っているんだろうか。なんだかなー。
そしてお約束の大和撫子の入浴シーン。これを外すわけがないと思っていたら、この映画にもやっぱりありました。
でもこれも非常に控えめで、勝元の妹・たか(小雪)が水場で長襦袢の片袖を脱いで、後ろ姿のまま髪を洗っているところへトム・クルーズ演じるオールグレンがやって来る。舐めるように観察してしばし見蕩れてからおもむろに「失礼しました」。・・・失礼だと思ったらとっとと出て行け毛唐。
アメリカン的には「日本人→風呂好き→日本女性→入浴シーン」という連想が働いているらしく、この手の映画に入浴シーンは付き物なので今回も絶対あると思っていた。
ハリウッド映画「将軍(1980年公開)」では、風呂に入っているイギリス人の所へ武家の女(島田陽子)がいきなりマッパで入ってきて、そしらぬ顔で体を洗い出し、目を白黒させているイギリス人を尻目に「日本ではこれが自然なのです。恥ずかしいことなどありません」などと言うシーンがある。日本でもたいへん不自然です。
制作者は多分、温泉の混浴の習慣を知っていつでもどこでも日本人は混浴なんだと思い込んだんだと思うけど、武家の女がいきなり外人と二人っきりで家風呂に入るかよ。のび太だってしずかちゃんに毎回どんな仕打ちを受けているか考えてみろ。あの映画観て本気にしたアメリカ人が喜び勇んで日本にホームステイにやって来て、日本人の女の子が背中を流しに来てくれるのを風呂の中でわくわくしながら待ったあげくついに誰も入ってこなくてのぼせて卒倒したかも知れないと思うと、異文化への誤解がもたらす軋轢の重大さに思いを致さざるを得ない。
そんな23年前の勘違い映画と違い、「ラスト・サムライ」では、武家の女はちゃんと慎みを持っていて自然だった。(片肌を見せていただけなのに、サッと隠したり。)もしかしたら制作者は、「将軍」の入浴シーンに対する日本人の「ありえねえ」というクレームを聞いていたのかもしれない。
しかしまあ、考えてみれば何もハリウッド映画に限らずとも、しずかちゃんも由美かおるも意味なくお風呂に入りまくりだった。「濡れ場がないならせめてお風呂」。なんか知らんがこういう法則があるのだろう。今後は美青年のフンドシ姿もよろしく。
そんなツッコミはともかくテーマはどうよ、といえば。
こう言っちゃ何だけど切り込みが浅い。「武士道」を表現したかったのは解るけど、「主君に仕え、自分を鍛え、民に情けをかける」これが武士道だ、素晴らしい、それだけの話で終わっている。
それだけなら西欧にも昔から騎士道ってもんがあるじゃん、ノーブレス・オブリージとか。それとの違いはどうなのよ、という話になると、「散り際を美しく」「綿々と生にすがることは不名誉である」「つまり何でもいいからサムライは死ね」というのが日本的である、程度の理解しかない感じ。
オールグレンの独白に、「日本人は、表面的には礼儀正しく親切だが、内面には複雑な心理を抱えている」というのがあったけど、その「複雑さ」がどういうものであるのかは表現できていない。
「複雑すぎてよくわかんないや。でもなんか武士道ってカッコイイ」というのがテーマといえばテーマだといえる。それとも、そんな複雑さまで追求していったら哲学的になりすぎて娯楽性が失われるから、ハリウッド映画としては致命的なのかもしれない。その分、殺陣や合戦にカットを割きました、というのがあからさまだった。
(その点、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」は東洋文化の中に投げ込まれた西洋人を描いた映画の中では秀逸だったと思う。仏教的世界観の「(西欧から見た)複雑さ」の一端を感じられたという意味では。)
ちなみに非常に意外だったのが、トム・クルーズより渡辺謙の方が目立っていたこと。
アカデミー助演男優賞の可能性もあるそうだが、確かにかなりの存在感があった。トム・クルーズの方が脇役みたいに見えたほど。
渡辺謙自身の演技も良かったのだろうけど(目に力があった。スクリーンで見た時に迫力ある目の出来る役者は場を制する)、トム・クルーズが主役でありながらあえて渡辺謙の引き立て役に甘んじた感もある。
「オレより脇役の方が目立ってるってどういうことよ?ああ??」とかなんとかクレームを付けなかったんだろうか。「ボディ・ガード」のケビン・コスナーの噂を聞いているだけに(W・ヒューストンより主役である自分の出番が少ないといって、彼女のシーンをカットして自分の分に回したという姑息さ)、ハリウッドスターなんてみんなあんなもんだろうと思っていたのにな。
日本文化がテーマなだけに、日本の「和=チームワーク・協調」を尊重したってことなんでしょうかね。
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