● 「緊縛絵師 原田雨情 淫幻の世界」ガシャポンフィギュア
発売元 エロポン
昨今、食玩とガシャポン集めにいそしむ大人は数多い。(それはお前だろうという突っ込みはいりません)そんなわけで、とうとうガシャポン界にも「18禁ガシャポン」が登場した。その名も「エロポン」。わかりやすいなあ。
現在、数百億円市場とも数兆円市場とも言われるガシャポン、食玩、いわゆるミニチュアトイ業界に、100%大人の為の究極の美とエロティシズムを追求した作品が登場!!
タイトルは大人のカプセル&大人の宝箱(通称『エロポン』)
シリーズ第1弾は、「緊縛絵師・原田雨情の恥縄乱舞」。上品さと淫らな美しさが同居した不思議な世界観に、子供騙しの通用しない酸いも甘いも噛み分けてきた大人がどっぷりはまってしまうことは間違いない!!
だそうです。まあ、いかに可愛らしく子どもが見ても喜びそうなおもちゃの顔を装っていても、「週刊わたしのおにいちゃん」だって完全に大きなおともだち向けの商品だったわけで、何に使われたのか分かったもんじゃありません。誰が見ても文句なく18禁!というフィギュアが出てくるのも当然の流れでしょうね。
むしろ、そういう一億総ロリ指向に危機感を抱いた志ある人々が日本男児の未来を憂い、このままでは日本は滅びるとばかりに猟奇エロあるいは無惨絵、にっかつロマンポルノ系に見る古き良き時代のエロスを復活させ、原点に回帰せよ、というメッセージを送っているのだと解釈したが単に造形師の趣味だったらしい。裏読みしすぎた。
第二弾・第三弾発売決定!! 第二弾・昭和かすとりエロス・縄艶妖花 第三弾・原田雨情・恥縄乱舞2 刑罰編 乞うご期待!!
もう第三弾まで予定があるのか・・・。
しかしもし日本人に受けないとしても外人には受けると思う。造形師の高杉涼は、「七人の侍」のフィギュア化を成功させて欧米でも高い評価を受け、「マスタータカスギ」と呼ばれて数々のコンベンションに招待されている人らしい。
今度は和風着物美女。しかもSM。欧米人がハァハァするのが目に見えるようだ。
● ところで、そもそも「緊縛絵師・原田雨情」って何者よ?と思ってググってみたが、件の「エロポン」しか引っかからなかった。実在の絵師じゃないらしい。まあ十中八九伊藤晴雨がモデルだろうと思うけど。
伊藤晴雨というのは、大正−昭和にかけて活躍した「責め絵(緊縛によるSM画)」の巨匠。中学生くらいの頃うっかりこの人の絵を見ちゃった時は仰天して、はっきり言って嫌悪感を抱き、「丸尾末広や花輪和一の原型はこれか」と勝手に納得したりもした。竹中直人が晴雨役を演じた映画もある。 およう(松竹ホームビデオ)
晴雨は1960年代に亡くなっている。変態絵師としてのレッテルを貼られ、官憲に激しい弾圧を受けながら貧困の中で絵を描き続けた。
今見ても確かにショッキングな絵ではあるけれど、現代ならば変態画とは呼ばれず芸術と見なされただろうと思う。何しろ妻を含めあらゆる女を実際に縛りあげて描いてきた人だけあって、その筆致には鬼気迫るものがある。そこらのエロ漫画家やイラストレーターが逆立ちしたって敵う代物じゃない。
「初めのうちは相對ずくだと思つてゐますけれども、縛られたり、吊されたりして、長くなりますと、どう言つていいでせうか、反抗心といふやうなものが湧いて參ります。レンズに入る時も、苦しいといふよりは憎らしいといふ感じで胸が一杯です。これまで責めてもなほ飽足らないのかと怨めしくなります。自然にこわい顔にもなるのでせう。けれども、傍に見物がゐたり、仲間のものがゐたりすると、こんな氣持にはなれません。却つて滑稽に感じて來ます。」と歯切れよく、帰世子さんは物語つた。
「サンデー毎日」大正13年6月1日号・伊藤晴雨夫人のインタビュー
(正字正假名遣ひ文を樂しみませう。)
奥さんも大変だな。晴雨にしてみればその怨めしそうな表情こそ描きたいんだろうから、「その顔まじ萌え!」ってなもんだろうし。因業な男だ。
有名な妊婦の逆さ吊りも、晴雨の奥さんが実際に妊娠している時に逆さに吊ってモデルにしたものだといういわくつき。(ひどい話だがその後無事出産したらしい。)
「残酷画を描くことによって、サディズムを自分の体内で飼い殺すことになり、性犯罪を未然に防ぐ安全弁の役割を果たしている」と本人が語っていたというが、要はホンモノさんだったわけです。
昇華という行為が精神活動においていかに重要かがわかる。エロを十把一からげに弾圧したり規制すればいいってもんじゃないんですね。
とはいえ本来ならば押し入れに封印すべき完成度の低いアホ妄想画までなんでも垂れ流しOKという現状もどうよ、とも思ったりするけど。
晴雨がもし「淫幻の世界・エロポン」を見たらどう思うだろう。「ワシの世界が3Dに!」と大喜びするか、激怒してぶち壊すか。
どちらにしても晴雨の絵と比べれば、迫力も妖しさも上品さも嫌悪感もフィギュアはまったく比較にならない。せいぜいお化け屋敷や見せ物小屋程度の妖しさでしかなく、そしてそれは立体化されたせいだけではないだろうとも思う。
あれは激しい弾圧と世間の無理解と貧窮の中で、それでも俺は描くんだと描き続けた画家にしか到達できない境地なんでしょう。
晴雨も現代に生きていれば案外、
「なんでも好きなだけ描いていーよ。つか、フィギュア化するから描け。むしろ」
とか言われたあげくリビドー消失しちゃって毒気もエロ気も抜かれた健康的な画家になっていたかもしれない。
それを考えると、自由って時としてつまらないものだと思う。
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