loading ...

2004年11月23日

憲法24条改憲問題

「男女平等」大丈夫?=改憲論議に危機感−自民の「家族」重視に・女性グループ

「男女平等を逆行させる」。憲法改正論議が活発化する中、自民党憲法調査会プロジェクトチームは今春、家庭における両性平等を定めた憲法24条について「家族と共同体を重視する観点から見直すべきだ」との論点を打ち出した。
18日までに明らかになった同調査会の憲法改正大綱原案は、明確には見直しに触れなかったものの、女性グループは危機感を抱いている。 


憲法改正チームは、現行の条項の前に、「家族は社会の基礎として保護されなくてはならない」という条項を挿入することを提案しているそうです。で、女性団体らがそれに反対していると。
これを「個人の尊厳と両性の本質的な平等」より優先して保護するべきものだ、と規定するのだとしたら、そりゃ人権無視も甚だしいと思う。
この問題に関しては「家族を重視することのどこが悪いんだ」とか、「あまりにも個人主義だから子どもがおかしくなっているんだ」などといっている人もいるが、それは論点をずらしているだけだ。


第二十四条は、婚姻が両性の合意だということが書いてある。

一回だけ家族という言葉が出てくるのは、「離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」いわゆる徹底的な個人主義。家族というのはそれに準ずるものだというような考え方で書かれている。

憲法は、九条のこととかあるいは義務規定が少な過ぎるとか、新しい権利が書き込まれるべきではないかというようなことが一般的に言われますけれども、実は日本国憲法の最大の欠陥は、第九条以上に、二十四条的なもの、家族とかコミュニティーというものを全く認めないというところではないかというふうに言われていることは、先生も御承知だろうと思う。 (鳩山(邦)委員)


「(憲法二十四条は)徹底的な個人主義。家族というのはそれに準ずるものだというような考え方で書かれている。」と発言していながら、それがなぜか「(二十四条は)家族とかコミュニティーというものを全く認めない」ものだ、という結論にすりかえられている。
こんな言い方をされれば一般人は、「ああ、憲法二十四条は家族を全く認めていないのか。だったら改憲すべきだな」と思うに決まってるだろうが。「準ずる」がどうやったら「全く認めない」になるんだよ。詭弁もいいかげんにしろ。


個人の権利を侵害することでしか『家族』という共同体を保つ方法がないならば、それは『家族』のあり方が間違っているのであり、そんな『家族』ならば存在しない方がいいのだ。男女とも幸福になるために結婚して子どもを産み、子どもの幸福を願って育てるはずだ。男女のどちらかの不幸や権利侵害の上に婚姻関係が成り立ち、子どもをも幸福にできないとしたら家族になる意味がない。


そんな当たり前のことが、法律で規定されなければ守られなかったからこそ条文化されたわけだ。(それまでは主に女性の方が家の犠牲になる、という形でコミュニティが保たれてきた。「女は三界に家なし」の発想である)
ところが今、憲法調査会は「家族というコミュニティを作るさまたげになるのなら、個人主義はよくない」と言い出したわけ。
鳩山氏はさらに「戦前の日本が持っていた中で、いい部分まで取り去ろうとしたのがGHQであり、この憲法ではなかったか」とか言ってるんだけど、「いい」のは封建的家父長制度下における家父長とその予備軍、すなわち男たちにとってだけであって、「女に生まれたが最後、親に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う」ことを当然のように求められてきた女たちにとっては「よくない」制度・慣習だったからこそ憲法によって改められたことを忘れているか無視している。ものすごい無神経な発言だと思う。


そのいわゆる「戦前の日本のいいところ」を復活させる方法でしか家族というコミュニティを保護できないというならば、女に与えた権利をもう一度剥奪しよう、といっているのと同じだ。昔の日本とはまったく違った方法で『家族』を保護しよう、そのために新たな概念を取り入れよう、という話ではない以上、当然そうなる。


もっとも、鳩山氏は二十四条問題に関しては右派らしく、かなり発言が時代錯誤で極端である。他の改憲論者は、「個人の尊重及び両性の平等」と「家族の尊重、保護、育成」を両立すべき、という意見が多いようだ。・・・それはそれで曖昧だし、今までとどこがそれほど違うんだとしか言えないんだけど。

女性団体も、そんなことは不可能だ、結局のところ鳩山氏の言うように、時代に逆行する形(封建的家制度の復活)でしか改憲論者の望みどおりにはならない、ということを懸念すればこそ反対しているわけだ。


最大の問題点は、「人間個人の尊厳と両性の本質的な平等」というのは必ず守られるべきものだが、「家族のあり方」というのはそうではないということだ。
つまり、前者は個人の価値観によって左右されてはならない万人の権利だが、後者は「人それぞれの価値観によって左右されるもの」であるということ。どういう家族を作ろうがそれはそれぞれの自由だし、家族を作らないのも自由。
だが、その自由はあくまで「人間個人の尊厳と両性の本質的な平等」を侵さない範囲内でしか認められない。
だから「個人の尊厳」に「家族」が準ずるのはあたりまえなのだが、個人の尊厳を重視するあまり国民が個人主義に走って身勝手になっている、などという根拠も不明確な妄想を元にして、個人の尊厳を見直そうなどといっているのだから、滅茶苦茶である。


個人の尊厳の尊重→個人主義→身勝手、というこの三段論法が百歩譲って正しいとしても、「家族」には直接関係ない。「家族」を重視すれば国民が身勝手にならないという保証もない。
身勝手、というのは社会生活において他人の権利を侵害するほど自己本位だということだ。他人の権利を侵さない範囲内でしか個人主義は貫けないのだ、という教育を徹底させればいいだけだろう。
だがそれを徹底させるべき憲法が個人の権利を侵す範囲で「家族制度」を復活させるとしたら、矛盾もいいところである。身勝手なのは改憲論者たちである、という皮肉な結果になりそうでうんざりしてくる。


(ジジイどもの本音は「結婚しないで独り身でいる成人男女はみんな身勝手」と言いたいところなんだろうが、そうは問屋が卸さないね。
だいたい、家族を作ったら、つまり他人と共同生活をしたらどうしても他人の権利を侵害してしまうから誰とも暮らさないし結婚もしない、という生き方だってあるわけだ。他人と自分を尊重するため、あえて一生一人でいる。これもひとつの価値観だろう。これを身勝手というや否や?)


あんまり世論の反発が激しいんで、憲法改正チームもどんどん文面が消極的になっていっているのが笑える。それでも「家族と共同体の重視」という基本姿勢は変わらないのだけど。
どうしても「家族という共同体」が国家の基盤として必要なら、発想を転換すればいいと思う。
たとえば同性愛者の婚姻を認め、彼らが養子を育てられるように法整備するとか、シングルマザーが一人でも子どもを生んで育てやすいように法律で保護するとかだ。「夫婦と子ども」という形の家族以外家族ではない、という概念があるから、男と女をなんとか早めにくっつけて子どもを産ませたい、そのためなら無理無体なことでもやる、男女平等に逆行する形での改憲もいとわない、という馬鹿げた話になる。
(初めから一度も結婚しない)母子家庭でも父子家庭でも家族として保護、男同士・女同士の婚姻家庭でも家族として保護、という風にすれば共同体はいくらでも増やすことが可能だ。
それができないなら、いずれは、国家が強制的に集団結婚させるしかない(統一協会のように)、という事態にもなってしまうだろう。あとは移民を受け入れるか。どっちかだな。


昔の日本はこんなんじゃなかった。年頃になれば自然に男女が結婚した。女は黙って家の中でだけ働いていた。昔できたことが今できないはずはない。できないとしたら今時の若者(特に女)が身勝手だからだ、って?
だから、それは女が外で働けなくて結婚するしか生きていく道がなかったからこそ実現できたユートピアなんだっつーの。「死ぬか、家の奴隷として生きるか、ふたつにひとつだ」って社会から無言の要求をされたら誰だって生き延びる方を選ぶだろうが。イスラム教国家じゃあるまいし。いつまでも大昔の夢見てんじゃねーよ。


まあぶっちゃけ 憲法改正チーム必死だな というか、いくら憲法で家族家族わめいても結婚する気になるかならないかはわたしらの気分次第、子どもを産むか生まないかも気分次第、おまえらに強制されることじゃない。そんな無駄なことをする暇があったら男女ともに働いて家事育児も分担できる方向に法整備したらどうだと思う。結婚して子供を産んだが最後、女の方にばかり負担がのしかかるんじゃ家族を作る気になんかなるはずがない。
(何度も書いたが、たとえば看護婦の離婚率が高いのは女性側の負担がでかすぎるからだ。自分の給料で生きていけるならば、家事育児を分担しない夫の世話を焼きながら人命を預かる仕事と両立することなどバカバカしくてやっていられない。第一、物理的に不可能である)


まず、女性のみならず男性も長期の育児休暇を完璧に取れるように企業に対して法整備しろ。違反企業は企業名公表と業務停止も視野に入れろ。
第二十四条を改正するなら、
家族という共同体の保護のためには、男性の積極的な家事・育児参加も不可欠である。
現代日本においては女性の社会進出がめざましく、男性とかわりなく社会で働いている以上、専業主婦と同じ労働を仕事を持つ女性に期待するのは不可能である。
家庭を維持するために、女性の一方的な労働と忍耐に頼るような方法は、これを永久に放棄する。

という文言を入れて男性が家事育児に参加しづらい社会制度・慣習を変えるようにしろ。
保育園・企業内の保育施設も整備しろ。ベビーシッター制度を普及させろ。女にだけ過大な期待をしたり幻想を押しつけるな。(母性本能がどうとかいう曖昧な根拠で、女性の心理的・物理的負担を重くするようなことね)
また、家事育児をたった一人で一手に引き受ける専業主婦の労働も労働と認め、その立場を法律で保護しろ。(これは多少やってるのかな?)


この程度のこともやる気ないんだろう。どうせ。まあ今政治の中枢にいる頭の堅いじいちゃん達が全員引退しない限り無理だとわたしも思う。
だからあんたらにはもう何も期待しません。余計なことさえしないでくれれば結構。あんたらもわたしらに何も(早く結婚しろとか子ども産めとか)期待しないで下さい。以上。


STOP!憲法24条改悪キャンペーン

「出産後も仕事」支持52% 朝日新聞社世論調査
「出産後も女性はどんどん外で働くべきだと思う」と答えていながら、「育児を分担するために、夫はしばらく仕事を休むべきだと思うか」という質問には「そう思わない」が多数を占める。女性に負担を強いる傾向がここでも明らかになっている。


(男性だけでなく女性も「男性が育児のために会社を休むのは難しい」と答えているのだが、それは男性社会である日本において、「育児は女の仕事」という価値観が根強いから仕方がない、という現実認識からのようだ。
こんな現実が厳然としてあるのなら、女性が「子どもを産まない」選択をするのは自然なことだと思うが、なぜ、このリスクを女性一人が背負って子どもを産むのが当然と思うのか、また、産まない女性は自己本位で身勝手だという批判さえ上がるのか(森元首相のような)、わたしには理解できない。)


なお、わたしは専業主婦が悪いとか絶対なりたくないとか考えているわけではない。生き方を国や社会が強制するのがまちがっていると思うだけです。結婚して、二人で話しあって共働きの方が都合が良ければ共働き、専業主婦の方が都合が良ければそうする、子どもを産む産まないも二人で話しあって決めるべきこと。そのあたりに憲法を笠に着てお上が口出ししよう、という根性が気に入らない。



 blogランキング参加中

投稿者 : ナツ at 2004/11/23 | カテゴリー : ジェンダー
コメント

投稿者 : ruribitaki at 2005年3月 2日 20:57

記事、おもしろく拝見しました。長文なのに読みやすいし、いつもながら非常にうまくまとめてあるなあ、と。
家族制度を個人の尊厳に優先させてはいけない、ということですよね。きっちり言葉になったのを読むと、ああ、すごく当たり前のことなんだと再認識します。

一点だけ私の実感と違うこと。時代に逆行する男女不平等をベースに家族制度が見直されるとして、男は得をするかというと、これは現実にはそうではないと思います。得をすると感じているのは高齢の方の一部だけじゃないかしら。家族を国家や会社組織の延長としてしか捉えていないから、おかしなことになるわけで。

それに男女が(あるいは同性婚を視野に入れてパートナーがという言葉を使うべきかな?)互いを尊重しながら営んでいく家庭で育つのでなければそもそも子供が歪みますって。どちらかが一方的に我慢してるとか、上下関係があるとかだと。そんなものを「尊重するに値する家庭」と言われてもな、ってところですね。


投稿者 : ruribitaki at 2005年3月 2日 20:58

訂正です。

家族を国家や会社組織の延長としてしか捉えていないから

彼らが家族を国家や会社組織の延長としてしか捉えていないから

紛らわしい書き方デシタ。

家族制度は国家の道具で、子供は国家資源。
そのような発想に改めてゾッとします。
そして、そのような冷酷な発想を「血の通った人間」「愛のある人間」などという口当たりのいいウソの言葉で塗り固めている。
でも言葉にだまされちゃう人もいるってことですよね。


投稿者 : ナツ at 2005年3月 2日 20:58

>時代に逆行する男女不平等をベースに家族制度が見直されるとして、
>男は得をするかというと、これは現実にはそうではないと思います。


そうなんでしょうか。「両性の平等」より家族を維持する方が重要だとなれば、例えばDVで夫から逃げた妻がいる場合、裁判所は「家族の保護」を根拠にして、被害者である妻に「家族を統括する夫には従うべきである。多少の喧嘩ぐらい耐えて家庭に戻れ」と諭すかもしれません。
極端な話、そういう判決を出すことも可能になるということです。
それは「家族を自分の好きに支配したい」と考える男性にとっては都合のいい状況ですよね。


また、24条の改憲は9条の改憲とリンクしている、という見解が強いです。つまり、9条を改憲して日本が参戦した時、「国家を支える最小単位」としての父権的共同体が必要だ、ということですね。
るりさんの言うとおり、富国強兵のために最も都合のいい共同体の形態が戦前の「夫が一家の主=支配者、妻子は部下か奴隷」といった構造であると。
軍隊の構造を家庭に持ち込んで命令系統を明確にすれば、そりゃ合理的なシステムができると思います。あー、国にとって都合がいいこと。

そのかわり、上(夫)が馬鹿だったり暴力的だったりすると、下(妻子)は逃げ場がなくなる。家庭という閉じられた世界ではなおさら。
そういった歴史的反省からも24条は制定されたのに、まったく無視して父権だの家制度だの言ってる馬鹿は脳が煮えてると思いました。


投稿者 : 一書生(♂) at 2005年3月 2日 20:59

非常に興味深くうなづかされました。
私は「第三章 国民の権利と義務」に関する条項はいかなる形にも改正すべきでは無いと思います。

なぜ憲法24条がここに在るのかなと学生の身分ながら考えました。(基本的人権、法の下の平等が定められているのだから憲法ではなく、法律で制定でもいいはずなのに)

24条一項「両性の合意のみ〜」これは19〜23条の個人の意思と尊厳の保護からではないでしょうか。
さらに「夫婦が同等の権利〜」は14条の法の下の平等からでしょう。
二項は国家が家族という国民の最小コミューンを「侵害しない(法律は個人の尊厳と両性の〜制定されなければならない)」と読むべきで、一項の「夫婦が同等の権利を有する〜相互の協力により維持」を敷衍したもので、さらに家族という最小コミューンを認めている、であるからこそ旧社会の男尊女卑を完全に打ち消すために成文化していると解すべきだと思います。(鳩山委員とは真逆ですね)

つまり、24条がこの位置にあるのは前条を引継ぎ、男女の本質的平等を憲法で誓い、法の下の平等を徹底し、新しい日本を作り維持していくという非常に重要な条文だからこそ自由国家的要請の締めとしてこの位置にあると私は解します。

そう解するならば、24条を(いかなる形にせよ)改正する事は基本的人権を軽く捉える事になるのではないか(言いすぎかな)と思われます。

家事労働が労働として法で認められてはいますが、まだまだその地位は低いですし、また確かに働く女性にとって専業主婦と全く同じようにというのは非常にに困難です。

私が先ほどのような解釈をしたのは、むしろ一般法、特別法で(さらに)男性の家事・育児参加、その環境、企業責任の徹底を制定するほうが国民の声を反映しやすく、改正しやすいと考えたからです。
24条は両性の本質的平等の下に夫婦相互の協力を求めており、新法令の根拠たりえる上、社会情勢にスムースに対応できると思ったためでもあります。
だからこそ安易にかえてはならない、と。
妥当ではないでしょうか。

改正委員とやらはもうちょっと考えて選別して欲しいものです。

反論なんだかただの意見なんだかよく解らない上に失礼なこと言ったかもしれないです…しっちゃかめっちゃかな文章で申し訳ありません…。


投稿者 : ruribitaki at 2005年3月 2日 20:59

>「家族を自分の好きに支配したい」と考える男性にとっては都合のいい状況

そうですね。法的な平等、不平等に関わらず、もともと女性との関係を支配と隷属によってしか認識できないような人にとっては確かに好都合でしよう。
けれどもそういう男性が一般的だとは思えないし、思いたくないのだということです。また、ナツさんが述べておられるように、結婚しなくても一人でも子供を持って育てたいという願いを持っている男性なども、生き方に対する選択肢をさらに狭められることで、損をしてしまいます。

現在国を切り回している人たち(の一部)にとってはこれが、根本的に将来の展望について考えずして国民を支配できる楽な方法(場合によっては唯一の打開策)に見えているのだろうな、と思います。そんなバカな案が通るわけないよ、心配することないんじゃない? という声も聞きますが、9条の改憲問題も含め、私は大変気持ちの悪い思いをしています。


投稿者 : ナツ at 2005年3月 2日 21:00

>一書生さん

法科の学生さんでしょうか。憲法自体は変えずに一般法で両性の平等を実現せよ、ということなんですね。
おっしゃるとおり24条自体はアンタッチャブルなのが一番いいんでしょうが、どうしても改正しようというのであれば、男女の対等な協力関係を前面に押し出した方が、結局のところ改憲論者の望んでいる*はず*の「家族の保護」につながるだろうと考え、そう書きました。
しかし、改憲論者のいう「家族の保護」とは建前であり、家族を構成する「人」ではなく「(戦争をするための)国家」にとって都合のいい家族を作ることが目的なんですから、憲法にしろ一般法にしろ、我々の望みどおりに改正する気はないのでしょうね。うんざりしてきます。


>るりさん
>そういう男性が一般的だとは思えないし、思いたくないのだということです。

一般的ではないでしょうね。(わたしもそう思いたい)ただ、確実に存在していることは、小林よしのりの提唱するような「父権の復活」や、それに共感しているらしき若い男性の意見を見ても分かります。
というか、9条と24条の改正論議が今現在高まっていることそのものが、強権的・マッチョ的な世論が厳然として存在する証拠だと思うんですよ。
一昔前なら話にもならないと一蹴されていたはずの改憲意見が、今は堂々と日の当たる場所に出て来ている(特に第9条は「不可侵」という扱いだったのに)。高齢の勘違いした人だけが勝手に喚いてるならこんなことにはなっていないと思います。
(上の一書生さんのような人が多数派だと思いたいんですけどね・・・。)


投稿者 : ruribitaki at 2005年3月 2日 21:01

>高齢の勘違いした人だけが勝手に喚いてるならこんなことにはなっていないと思います。

そうですね。私の不安感も、このあたりから来ているのかもしれません。

小林よしのりについては、詳しくは知らないんですが、彼はかつてはリベラル派だったものが、ある時期を境にコンサバ化してしまったのですよね? 彼の書いたものには力がある。だから、彼の賛同者のなかにはもともとのマチシズム礼賛者だけでなく、彼に感化され、ある意味騙されて(言葉は悪いですが)しまっている少年や青年もかなりの割合でいるのではと思います。(想像です)
小林よしのりは、ある時期を境に、人間に対する根本的な信頼感を損なったのではないかと私は想像しています。個人主義と利己主義は異なるものだと私は考える。けれども彼はそれを全く信じていない。個人主義を野放しにしておくと、人間は(日本人は)ダメになると本気で考えているような気がする。だからって全体主義は利己主義と同じか、それ以上にマズいよ! と個人的には思うのですが、それこそ選択肢がないと考えるぐらいの危機意識があるのではないかと。(とはいえ強権&人権無視という方向へいくのは最悪の選択肢だと思いますが)


投稿者 : イカフライ at 2005年3月 2日 21:01

>小林よしのりの提唱するような「父権の復活」や、それに共感しているらしき若い男性の意見を見ても分かります。
>というか、9条と24条の改正論議が今現在高まっていることそのものが、強権的・マッチョ的な世論が厳然として存在する証拠だと思うんですよ。

 ネットなどでも良く目にする右派的な意見(まあ、軽蔑を込めてネットウヨと呼ばれているようですが、ワシも呼んでる(^.^))の主は、圧倒的に若い男性でしょうね。(20代から30大もせいぜいアタマ)
 こういう男性達は、若い分、かつての男女不平等の実相を知らないのではないか?と思います。多分、親も戦後生まれでしょうし、教育現場でも男女両方に家庭科があった時代に学校に行っている。昭和2-30年代生まれとは見てきたものが違う。その中で、男としての自信がない男性が、保守的なマッチョ体質になるような気がします。
 彼等の考えている古き良き日本、というのは、実は過去のどこにも存在した事の無い日本なんですよね、戦前の日本が悪い事ばかりだった、というのは勿論、短絡的ですが、現代の日本の問題点が全て戦後の憲法や民主主義にある、というのは、それこそ短絡的とおり越して、ただのバカでしょう。

 にしてもね、個人主義を否定する方々にお聞きしたい。国家、社会、家族、全ての共同体は、そこに属する構成員1人1人が幸せになる為にそもそも存在するのではないの? 個人の幸福を犠牲にした家庭の、どこに幸せがあるのだろうか?


投稿者 : ナツ at 2005年3月 2日 21:02

>るりさん
>小林よしのりについて
薬害エイズとオウム問題まではゴー宣を面白く読んでましたが、その後は強権的な言論が鼻について読むのをやめ、彼がどうなったか全然知らなかったので、ちょっとだけネットで調べてみました。
なんだかますます過激になっているところは変わりないみたいですが、方向性は大分変わっているようです。反米が行き過ぎて今度は左翼になってるとか、アルカイダの無差別テロを激賞してるとか、拉致被害者の家族を攻撃したとか、激しく迷走している。わたしはこの人のことを完全に右翼だと思っていたのでかなりビックリしました。由緒正しい(笑)右翼はおろか、ネットウヨにも今はあまり相手にされてないようです。誰か詳しい人解説してくれないかな。


>イカフライさん
>男としての自信がない男性が、保守的なマッチョ体質になるような気がします。
ルサンチマンとしての保守ってわけですね。共産主義だって元はブルジョアに対する労働階級のルサンチマンだと言えば言えるわけなので政治思想にはそういった側面があるものだとは思いますが、人権を踏みにじられた反動から左右に傾倒するのと比べて、「男としての自信を取り戻すために」ウヨ化するというのはいかにも流行の「自分探し」くさい。生きるためにせっぱ詰まってない時代の現象なのでしょうか。


>(20代から30大もせいぜいアタマ)
「若い男性」って言ってるけど結局はわたしと思いっきり同世代なんだよなー・・・だからこそ心配だというか。旧世代なら何を言おうがもうおまえらに期待してないから勝手にしろって感じなんですが。
でもネットウヨの多くはネットでは差別的で声がでかいが現実社会ではのび太タイプで無害であるという話も(略)


投稿者 : イカフライ at 2005年3月 2日 21:02

小林よしのりについて。
 私も「ゴー宣」を拾い読み程度なのですが、もともとよしりんが右翼になったのも、エイズ薬害運動の特に関った左翼の人達とのトラブルがあって左翼嫌いになった時に「つくる会」が近づいてきたからですよね。
 個人的意見ですが、彼はそもそもノンポリだと思いますよ。多少家庭観、女性観などに古臭いところがあるようですが、それは思想と言うより環境的なもの、まあ、平たく言えば田舎のおじさん的な程度でしょう(さだまさしなんかも、そういうの感じる程度に)。
「ゴー宣」も、もともとはコミックエッセイのつもりではじめた様で、身近に感じる社会問題を、頭の良い評論家や学者の専門用語ではなく、パンピーとしての視点で描こう、というのがきっかけだったと思うし、初期はそんなかんじでした。
ただ、取り上げる問題が結構重かった事と、ヒット作を描いた漫画家だと言うことで、いろいろな団体(解放同盟とかともかかわっていましたよね)や運動家との関りを持たざるを得なくなった、ただ、そういう人達は、よりりんを広告塔として使おうとしていたんだと思います。
 ところが、よしりん、ミョウにマジメと言うか、その辺、漫画家と言う職業柄、世間知らずなんでしょうね、自分が運動の中心だと一生懸命になりすぎちゃうところがあるように思えます。
 右翼化に関しては、薬害エイズがきっかけのようですが、最近の迷走に関しては、彼は彼なりに右翼思想を追及したんだと思います。で、右翼思想を民族主義的な面から考えれば、当然反米に行きつくと思うんですよね。ところが、日本の右翼、保守派の多くは親米(勿論、一水会のような反米右翼もありますが)なんですよね、その辺の齟齬と、あと、「つくる会」とのトラブル(こっちのほうが大きそう、たかが漫画家といわれたとか)もあって、今、反米、反親米主義者ともいうべき存在になっている。ネットウヨは親米ポチばかりだから、相手にされないんでしょうね。

 でもね、漫画家は思想持っちゃダメですよ、漫画がつまらなくなる、たかが漫画家にもどらなきゃ、よしりん、と思っているんですけれどね。しょうもないおっさんやな、と思いつつ、どっか最近のよりしんには気持ち解るような気になる部分もあるんですが。


投稿者 : ナツ at 2005年3月 2日 21:02

詳しい解説ありがとうございます。そうですね、昔のゴー宣では「父権」といっても「女子供や部下を守って保護してやりたい」という意識に基づいたもので、あれなら理解できました。でも天皇崇拝や国粋主義に傾倒してからはノンポリとは言えないばかりか、パンピーの視点も見失ってる気がします。


>右翼思想を民族主義的な面から考えれば、当然反米に行きつくと思うんですよね。

米国憎しのあまりテロリストを褒め称えるとは、オウムのテロに遭った時「いかなる団体でもテロは許せない」と叫んだ自分を忘れている。米国のやってることはどんなお題目唱えようと侵略戦争だ、という主張は分かるんですけど、だからって民間人を殺傷する無差別テロを肯定したらかつて自分が批判した「純粋まっすぐ君」と同じ、「思想のためには手段を選ばない」馬鹿になっちゃいますよ。

ゴー宣の面白い所は「権威や硬直化した思想を笑い飛ばす」所だったのに、今は自分が笑い飛ばされる側になってるなあと思いますね。
でも元からゴー宣は、すべてを茶化し知識・情報として平均化するバランス感覚の上で成り立ってる漫画じゃなかったので(いわゆる唐沢兄弟の本みたいな)、こうなるのも時間の問題だったな、と思います。


投稿者 : なす at 2005年3月 2日 21:03

こんにちは〜。憲法改正なんですって?日本の事に疎くなっていたと思ったら、そんなことまで起こっていたのですね。久しぶりにこちらに寄らせていただいたら、びっくりしました

憲法改正(改定?)の良し悪しは別として、実現可能なんでしょうか?男は働いて、女は家でって、終身雇用があったから実現できたことだと思うんですけど。今はそうでもなくなっているし、共働きがマストって家族も以前に比べたら多いだろうし。生まれる前から地位が保証されている二世議員先生様たちを除いては、ハッキリ言って夢物語だと思います。それともまた完全な終身雇用を実現できる社会に戻るとでも思ってるんでしょうか?

わたしはカナダ在住なんですが、終身雇用なんて「あればいいなぁ」くらいにしか思えない社会なので、「女は家にいれば?」なんて、絵に描いた餅以外の何物でもありません。終身雇用どころか、オーナーが隠居したければ会社を直ぐ潰すなどまったく遠慮のないところですから、ゆめゆめ油断できません。私自身今後一人で家を支えなければならないので(旦那は主夫)、一人で終身雇用の保証もない社会で稼ぎを確保するストレスは、かなりでかいです。もしそんな風になったら、日本ではもっと自殺とか増えるんじゃないかしら。カナダは社会保障がしっかりしていて、生活保護をもらうことにあんまり罪悪感がない人が多いので、それほど職を失うことに抵抗がない人が多かったりする(もちろん不便な事の方が多いから、職があったほうがマシと私は思いますが)

今後日本もそうなっていくだろうし、もっと共働きをせざるを得ない雇用状態になっていくと思います。と言うわけで万が一憲法が変わったとしても、それを期待通り実現できる社会情勢になってくれるかどうかは、大変疑問です。そこら辺、議員先生さまはちゃんと失業率とかご存知でいらっしゃるのかしら。たとえ職があっても、収入がちゃんとあるとは限らないし

ちなみに家族は最小単位の社会ですが、それを「絶対」にするなんて恐ろしいですね。子供を虐待しても、これを許すとでも言うのでしょうか。


投稿者 : ナツ at 2005年3月 2日 21:03

なすさんこんにちは。お久しぶりです。

>もっと共働きをせざるを得ない雇用状態になっていくと思います。

ところが、失業率が高いのは女性の社会進出が一因であり、女が外で働かなければ男の雇用はもっと増えるはずだ、という無茶苦茶な論理を本気で信じてる人がいるわけです。で、外で働かない女はどうやって生きていけばいいのかというと、結婚しろと。生き延びるために無理に結婚して誰が幸せになれるのか教えて欲しいものですが、「国家」にだけは都合がいいんでしょう。
でもそうまでしたところで、共働きなしで家庭が立ちゆくかはおおいに疑問です。パートで搾取される女性が増えるだけでしょう。

終身雇用は日本でも崩壊しています。崩壊してるのに、転職者や再就職を求める人にとっては依然厳しい社会のままであるわけで、身動き取れない状態に陥っていますね。(会社を辞める人は侍の「浪人」と同じで、次の就職先を見つけるのが非常に困難だとよく言われます)それを考えるとカナダの方がまだ回転率が早くて暮らしやすいような気がします。
なすさんの旦那さんはカナダの方ですか?「ジェンダーフリー」という言葉が中身を伴わないお題目である日本では専業主夫なんて夢物語ですが。万が一憲法が「家父長制」に改悪されたら、日本を見捨てて出ていく女性が増えるかもしれませんね。わたしも英会話を真剣に習うべきかもしれない。



コメントする


トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL: