● しばらく放置してるうちにサーバーの広告免除サービスの期限が切れてしまっていた。日曜日に久しぶりにアクセスしてみてビックリしたよ。
「おしゃれなマリー」の画像をUPしようとしたら、広告とどっかが干渉し合ってるのか、正常に表示されなくて更新できませんでした。
あわててネットバンクからサーバー利用料を振り込んだら、今日になってあっさり広告が消えたのでホッとしたけどね。ホント便利になったもんだ。
● というわけで、今さらですがお約束の100円ショップ人形「おしゃれなマリー」です。(すまん最近忙しいのだ。)
どれだけおしゃれなのかとくとご覧下さい。
ジェニーより軽く20歳は年取ってるだろ?というツラでありながら、
かたくなに「あたくしは主役」という態度でいるマリー
誰かに似てると思ったらどことなくうつみ宮○理風味。
う○み宮土理は悪くない。人形がうつみ○土理似なのが悪いのだ。
50代くらいの玩具製造業の社長(ファッションドールのことはよくわかってない)が、「今度かわいい人形を作ろうと思うんだ。ボクにとって世界でいちばんかわいい女は君だから君をモデルにした人形にするよ!」とか言い出して、奥さんも、「本当?うれしい!!」とか言って老いらくのラブラブ夫婦の絆を深めたはいいものの、余計なことに本当にそっくりな人形を作ってしまった。
奥さん「・・・ねえ・・・私って本当にこんな顔・・・?あなたから見てこんな顔なの??」
旦那「・・・・・・。」(脂汗)
奥さん「しかもこれ、100円ショップで投げ売りするって本当?・・・あなた本当に私のこと愛してるの?」
旦那「あ、当たり前だろう!ボクは君のうつみ宮○理顔が好きなんだから!!」(滝のような脂汗)
奥さんはセルフイメージと人形によって描写されたリアルな自分の造形との乖離に激しく納得がいかず、早くも離婚の危機。
わたしの脳内劇場ではマリーを見た瞬間からそんな裏エピソードが絶賛上演中なんですが。どうするよ。
(そっくりということは造形上の欠点をデフォルメして拡散させず忠実に描写してしまうことであり、そういう人形なり美人画なりは得てして醜い。素人が陥る罠である。人形だの美少女イラストなりに写実主義は無用の長物なんだよね。)
● 最近人形をいじりながら、大昔、親に人形を買ってもらっていた時代を思い起こしてるんですが。
わたしは以前にも書いたけどはさみとかのりとか、文房具類はなぜかよくなくす子どもで、「何度買ってやってもキリがない」と母にはしょっちゅう怒られたものだ。
しかし不思議と人形や人形の付属品だけは大事にしていた。服や髪飾りや、お皿やコップなどの細かい部品を缶や箱に分別して入れて、子どもにしてはわりとこまめに管理していたと思う。要は人形に対しては執着があったからなんだな。
しかし、はさみだののりだのという道具自体には執着心などない。必要な時以外はどうでもいいものだし、使ったその瞬間から放置して、あとはどうなろうが知ったこっちゃないと思っていた。大事でなくてもなくしたら不便だということが頭の良い子ならわかるはずなんだけど、わたしは頭が悪かったので、「自分にとって大事なものか・そうでないものか」でしか物事を判断できない。
この根性は今に至るまで健在で、相手がものでも人でも、「なくしたら不便だ(困る)」という感覚ではいまだに判断できない。「自分にとって『今』大事なものか・そうでないものか」としか考えられないので、あとで色々と困ったことになる。馬鹿は死ななきゃ治らないな〜と自嘲してみたりするのだった。(今でもはさみは時々なくします)
で、徹底的に管理して大事に遊んできた子ども時代の人形や小物やミニチュア家具類はどうしたのかというと、妹の代になってから一瞬のうちに顔にらくがきされ、小物は紛失され、家具は破壊されてしまいました。
あの頃のがそのまま残ってりゃオークションで高値が付いてたのもあったろうに・・・。
まあ妹はわたしと違い人形やらミニチュアにはまるで執着のない性格だもんで、あらかた破壊し尽くした頃にはとっとと人形遊びを卒業してしまったわけですが。
わたしの方は、妹に譲った時点で卒業したと思っていたはずが、欲求不満が残っていたのかして大人になってから再び人形にハマり現在に至る。
こうなると大人の経済力でどこまでも買いあさってしまうから歯止めがきかないんだよね。
憶測だけど、幼児期に「もういらない」ってくらいふんだんに欲しい物を与えられて育った子どもはコレクターになる確率が低いと思う。
「欲しい」と思う気持ちだけが亡霊のように残っていてこうなってるだけで、本当は、対象は人形でなくてもよかったんじゃないか?と思うことすらあるな。
関係ないけど中年親父が援交女子高生にハマるのもこんな感じなんだろうな。高校時代にセーラー服の同級生を指をくわえて見ていて、「欲しい」と思う気持ちだけが亡霊のように残ったまま中年に。金だけは自由になる年齢になっても、気分的には好きな女の子に声もかけられなかった童貞男子高生のまま。
その頃の恨みと欲求不満を今現在の女子高生に性欲としてぶつけて解消するってわけだ。
仕事に追いまくられて情緒的に成長できなかった人間の末路ってどうにも惨めったらしいな〜と、いくばくかの同族嫌悪を感じつつ思うのだった。
まあわたしの場合は欲求不満の対象が無機物(人形)であり、自由に好きな物が買える現在の方があきらかに楽しい。いまさら幼児期に幻想なんか抱いてないし、あの頃に戻りたいとも思わない。
しかし援交親父ってのは、「どこにも存在しない幻の美しき青春時代」を、生きてる女の子を使って取り戻そうとしているわけで、そういう中年の執念って死ぬほどキモいんですけど。性欲だけの方がまだましだな。それなら耐えられる。
そんなゾッとする執念や執着心に巻き込まれるなんて他人のドロドロブヨブヨに腐ってこごった自我に素手で触れるようなもんだ。いくら金をもらっても割に合いそうもない気がするな。
(かわいい人形で遊んでいても癒されるどころか悪口雑言は一生治らないのであった。)
blogランキング参加中うわ-、出た!!「おしゃれなマリー」ホント、強烈ですね。
ところで援助交際について。
ある男性ライターの方がご自身のサイトで、ナツさんと共通するような考察を書かれていました。
若い女性に対する性欲ならまだ理解出来るが、中には女子高生にお金を払ってカラオケに行ったり食事をしたりというまるで10代のデートのようなことをしたがる中年男(その後、性行為をするかどうかはともかくも)あれは一体なんなんだろう、と。
昔「ゆうぐれ族」という愛人バンクが話題になったことがあったが、あの当時愛人バンクを利用していた中高年の男性は10代の頃戦争で青春や恋愛どころではなかった、だから、あわい初恋の相手に似た若い女性を相手に失われた青春を取り戻そうとした人もいたらしく、まだそれなら理解出来なくも無いが、戦争も無かった今の中年男が全く、みたいな。
受験勉強ばかりしておしきせの見合いとかで一応家庭もっても、結局、成熟していないんだろうか、と。
でもさあ、私なんかも中学高校時代、ボーイフレンドのいない寂しい青春を送りましたが、今更男子高校生とデートしたいとは思わないなあ。ていうか、私がその位の年頃のオトコノコと渋谷とか歩いていたら、どっからみても親子ですよ。
「アンタが、学校でタバコなんか吸うから、お母さん呼び出されておかげでパート休む羽目になっちゃたじゃないの、今日の日給分、来月のお小遣いから引くからね」
とか、おしゃれなマリーとよろしく口うるさく説教してそうな。
おのれのセルフイメージをつかめないヤツって、そういうのないんだろうか?
> 「アンタが、学校でタバコなんか吸うから、お母さん呼び出されておかげでパート休む羽目になっちゃたじゃないの、今日の日給分、来月のお小遣いから引くからね」
イカフライさんリアルすぎ。生活感がにじみ出る台詞です(笑)
自分の娘くらいの女子中高生と疑似恋愛したがるオヤジの何に腹立つかって、なんつーのかな。結局のところは性欲なのに、「きれいな思い出を取り戻す」という精神的目的も同時に満たそうとする欲の深さが耐え難いというか、どこまで行っても金で小娘の体を自由にしてるエロジジイであることに変わりはないのに、そのエロジジイと純粋な(疑似)恋愛をしてほしいと、金で買ってる相手である当の女子高生に要求するのは高望みだろっつーか、体だけで満足しろよって思いますね。
「金で子どもを買っている犯罪的中年男である醜い自分」を直視し、その醜さを自覚すれば、ろくでもない青春ごっこにまで他人を巻き込むのはとてもじゃないが恥ずかしくてできっこないわけで。
何にそんなにイライラするかと分析したらそんな感じでした。図々しいんだよつまりは。自分の醜さをまったくわかってないところが幼稚。むしろ、「年を取っても少年のような心を失えない男」ぐらいのつもりでいやがる。妻子すら裏切ってる買春男の分際で。そしてそのナイーヴさを女子高生に理解して欲しいとまで望んでいる。
金で少女を買ってる時点でもうあの頃のままの少年ではないのに、何を都合よく夢見てんだか。(ドス黒い嗤い)
買春男は「金づるのエロジジイ」としか見てもらえないのが当然、その覚悟もないくせに性欲と恋愛欲を同時に満たそうとするなんて幼稚なんだよ。若々しいんじゃなくて幼稚なの。
やっぱりこれも「セルフイメージと現実の自分との乖離」の問題ではあるのかな。
完全にセックス抜きで、お茶したり映画観たりするつきあいだけで莫大な金を払う援交オヤジも「ごくたまに」存在するようですが。まあそれなら許す。そこまで志を貫けば、「幻の青春取り戻しごっこ」も本物だと認めてやる。
でもそんなことにならんように、好きな子がいたら今のうちにとっとと告って付き合っておくのがベストでしょうね。思い残すことがないように。んで、それでも若い子が恋しくなったら、人形でも買えばいいんですよ。小さいのから大きいのまでいろいろあるし(笑)
(あ、でも、年を取ってまで若い娘に執着して青春を取り戻そうとするおのれの妄執を自嘲しつつ、女子高生に嘲られながら利用されてもそれは当然だと甘受しつつ、妻子への罪悪感で夜も眠れず、それでもなおかつ少女の若い心と身体への執着が消えない業の深さを自分でもどうしようもできない・・・という自虐的なまでに自覚的なおじさんなら、ちょっと萌えるかもしんない。
「俺はこの娘の幼稚な自我につけ込んで体を貪っているだけの醜悪な大人だ。
何でこんなことになってしまったんだろう。少年時代、自分がこんなことをするなんて考えもしなかった。むしろそんな大人を軽蔑していたのに。
気が付けば自分もこんな風になっている。どこで何を間違ったんだろう。」
とかえんえんと自己嫌悪して、しまいにはむなしくなって援交なんか続けられなくなる。
こういう不器用さこそ、真に少年の心を捨てられない男の純情と言えるわけで、自己正当化に成功してる買春野郎が「俺は純粋な気持ちで若い子と恋愛してるんだー」と言い張っても「プッ」と嗤うもんね。)
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