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2005年11月 9日

価値観の多様化について

アクセスログのリファラからリンクをあちこち辿ってるうちに、興味深い文章を書いている人を見つけた。


AERA10月17日号『電車男の嫌オンナ論』

「男として生まれたからには」惚れた女を養ってこそ一人前との意識は強く持っているわけで.
それが男も女も,能力のある人間もない人間も,それぞれ自分ひとりで自立した生活を送るべき,という考え方がいつの間にか刷り込まれてしまった.確かに甘えはよくないけど,どうも今の風潮というのはあらゆる「共同体」をぶっ壊しにかかっているような気がしてならない.まさに,今の世の中は他人とつながるには恋愛を媒体とすることしか認められないような窮屈さを感じずにはいられない.

もちろん,生活の保証を盾にした暴力や身勝手な振る舞いというのは断じて許されるものではない.だけどどうも僕が「僕には生活を保証する力があります」とか言うと,女性からは「いまどき女性だって暮らしていく能力くらいあります.あなたの助けなんて要りませんよ.あなたのような人間が横暴なDV夫になるのです.熟年離婚されて然るべきです.」などと反論されそうな予感.いったい女性はどういう男と接しているのかと溜息がでる.まあ,これも全部頭の中のシミュレーションなんで偏見入りまくりなのだけれど.


「惚れた女を養いたい」「生活を保障する力がある」と言われて女性が反発するのは、「俺には経済力がある→だから結婚したら女には家にいてもらいたい→家事と育児しかするな→なまじ女に経済力があると発言力が強くなって俺が優位に立てなくなる→俺が優位に立てない夫婦関係なんて嫌だ→家事育児の分担もまっぴらだ」という心の声が聞こえるようで反射的に、「てめー、もう一度言ってみろ」という気分になるからだと思われます。
そういう意味で女性の経済力を苦々しく思っている男性というのは、現実に大勢存在していることは確かなので、(自立している女性ほど)日々神経を逆なでされているんですね。「おのれが優位に立ちたいが為の」生活の保障、「養ってやる」宣言ならば要らない、と。


だからそういうつもりは全くなく、誤解されるのを避けたいのであれば、「この力はあなたと私、二人の生活を守る方向にしか使いません。あなたを抑圧する方向に振るうことはあり得ないのです」ってことをハッキリさせればいいんじゃないかと。
そうすれば、「生活を保障するがある」という主張は単純な長所のアピールでしかなくなる。その力を使って優位に立とうとか、相手の生き方を自分の思い通りにしようという意志の表明だと誤解されることもない。


経済力があるということは(親の遺産などは別として)単純に金銭問題だけでなく、一人前に仕事ができて、しかも同じ仕事を長く続けられるという意味にもなる。つまり能力も社会性も忍耐強さもある、ということだから、特に今の世の中では、ものすごい美点であることは確かだしね


こういうことをいちいち言わなければ誤解されるというのも不幸なことだけども、今までの歴史を鑑みれば仕方のないことだと女の一人として言っておきたい。
(やたら力だけを誇示する男性には男権主義者が多いので、拒否反応があるというのも一因だよなー。その“力”というのは、腕力だったり権力だったり経済力だったりするわけですが)


どうも今の風潮というのはあらゆる「共同体」をぶっ壊しにかかっているような気がしてならない.まさに,今の世の中は他人とつながるには恋愛を媒体とすることしか認められないような窮屈さを感じずにはいられない.

あーなるほど。そういった感覚が一因となって憲法24条改憲というのを提唱する人が現れたんだろうなあ、とちょっと納得した。
生活するために、「人に食べさせてもらうために」無理に気に入らない相手と「共同体」を形成しなくてもいいということは、生き方の選択肢が拡がったということだとしかわたしは考えたことがなかったので、「窮屈」と考える人がいるのには軽いカルチャーショックを覚えた。


「他人とつながるには恋愛を媒体とすることしか認められない」とKammy+さんは書いているけど、日本には「見合い」という便利なシステムがまだ残っていて、釣書で結婚する人たちもいまだに存在している。(無論、ある程度は気が合わなければ婚姻は成立しないだろうけど)
そういう結婚の方法を選ぶ女性にとっては、「生活を保障できる力」は十分な魅力だろう。「結婚して家庭に入りたい」と愚痴りつつ仕方なく働いている女性だって、身近に存在する。


「〜しか認められない」というと価値観が一元化してしまったかのようだけど、実際には多様化しすぎて、そのたくさんの価値観の中から自分と同じ価値観の人を見つけ出すのが困難になっただけである。この場合の「同じ価値観の人」とは、「恋愛という媒体がなくても、生活の保障さえされれば結婚してもいいと考える女性」のことね。
男性の方に至っては、「女はどうせ結婚して家庭に入るんだから自立しなくてもいい」的なタイプの人は、女性よりまだまだずっと多いだろう。


まあ、一昔前とは逆に、今はそういう考えの人たちが少数派になり「いつの時代の人?(プッ)」と笑われる時代になったわけだけど、だからといってそういう時代錯誤な人が生きていけないというわけでもなし。少数派は少数派同士固まって価値観を貫くこともできる。
だけど逆に昔の少数派、「自立して生きていきたい」と考える女性の方は、そんなことは(一部の幸運な人を除いて)事実上不可能だったんだから、えらい違いだと思う。
こうして誰も彼もが好きな価値観で生きていけるというのは、価値観が多様化した証拠であり、わたしは窮屈どころか開放感を感じる。(他人の権利を侵害しない範囲内で、という常套句を付け加えておくが)


もっとも、価値観が多様化しすぎると、どんな考えを持っていても誰かしらに反論され、「あんたの価値観は認めない」と叩かれる事態が生ずるわけで、そういう世の中が窮屈だという意味ならばそうかもしれない。わたしは「うるせー馬鹿!あんたがわたしを気に入らないのと同じくらいわたしもあんたを気に入らないんだよ!」としか思わない性格だから「窮屈」と感じたことはないけど。単にムカつくだけで。


で。こういう「勝手にほざいてろ」的な性格の人間が増えてしまったことを窮屈に思ってる時代遅れな人がいて、物理的に「他の価値観は認めない」という枷をはめようとしたのが24条改憲問題なんだろうな。
こういう風に法律で「共同体(家族)を優先しろ。個人の権利も自立も恋愛もどうでもいい共同体が一番重要だ」みたいに規定されると、さすがのわたしも窮屈だと感じるので、これにはとことん反対するけどね。


※ここの記事には他にも興味深い内容が多いです。被害者意識からの脱出も面白かった。



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投稿者 : ナツ at 2005/11/09 | カテゴリー : ジェンダー
コメント

投稿者 : Kammy+ at 2005年11月 9日 16:59

はじめまして.TBしていただいたうえ,興味深い記事にしていただき,ありがとうございました.

私は憲法24条改憲問題についてはよくわかりません.私の記事で「共同体」という言葉を使いましたが,それは家族を示唆するものではありませんでした.ぶっ壊されるという表現になったのは,「人間はすべて他人か完全に自立すべきであり,相互扶助的な弱者連合的共同体はすべて破壊すべき」というような社会からのプレッシャーを感じずにはいられないからです.私としてはその潮流の先にあるのは孤独でしかないと思っているのですが….

見合い結婚については昨今の見合い結婚率の急激な減少をみると,もう風前の灯の様相を呈しています.特に私の年代にとってはまだまだドラマの中の出来事でしかないんですよ,見合いなんて.
結婚しない男女が増えたのは情報量が多くなりすぎて優柔不断になってるからだと思っています.昔は村でなにかで一番になればよかったものが,今じゃ世界基準での競争ですからね.いい加減いやにもなりますよ.


投稿者 : イカフライ at 2005年11月 9日 23:07

Kammy+ さん、はじめまして。

年寄りが横から失礼いたします。

最初、ナツさんの文章を読んで、共同体うんぬんのくだりに私もナツさんと近いようなことを感じました。家族、家庭、というよりもっと家精度に近い共同体ですね。
 恋愛が共同体と相反するという主張は、いわゆる保守派(というよりネット右翼に近いかな)からよく出ています。これについては反論が山ほどあるのですが、まあ、つまりは
「女が経済力を持たず、したがって行動の自由を侵害されている時代は、「家の嫁」になるしかなかった。そういう時代には、結婚できない男もいなかったし(条件的な問題が無い限り、でこの場合条件と言うのは多くを経済力が占めます)女には選択権が無かった(嫁に行かないと文字通り生きて行けなかったら)」
 だから、そういう時代の方がいいのかよ、みたいな。
 一部のもてない男のためになんで多くの男女が犠牲にならなくてはならんのだ、いい加減にせい、って感じなんですが。
 どうもKammy+ さんのいう共同体っていうのは、違うみたいですね。

 ただ、元の文章を読ませていただくと、全体的に恋愛観が失礼ながら表層的だな、と感じました。イケメンでバスケが上手でアソビにたけていて、といった条件が恋愛スキル、というのは一方では確かに言えることだし、これは別に昔も今も実は変わっていません。
 これはまさにさっき、70歳になる母親と話してのですが、母が10代の頃(昭和20年代)でも、もてる男性はルックスが良く、スポーツが得意で服装がおしゃれ、だったそうです。実際、高校時代に母が好きだった男性もそういうタイプで(佐田啓二という昔の二枚目俳優に似ていたそうな)一度デートはしたけれど、ずっと美人で有名女子大に通っている女性と恋人になってしまった(つまりふられたのね)なんて思いで話をしていました。
 私の若い頃(ああ、イヤだねこの言い方)は80年代真っ盛りで、Kammy+ さんが言われる「ねるとん紅鯨団」や「私をスキーに」の最初の世代です。

 で、私ももてない女として暗い青春時代を過ごしてきたんですが、もてないなりに学んだことは、カレカノがいる人が、みんながみんな美男美女で遊びなれているわけではない。というか、いつの時代でもそういう人は希少価値で、だからこそもてる。クラスのアイドルは、いつの時代もクラスに一人か、二人じゃないかなあ。

 で、そういうとこからこぼれた平凡な男女が、それでも恋が出来る人とできない人にわかれるその分岐点は何か?いわゆる適齢期を恋愛に縁が無く私語してしまった人は、ここに原因があるように思えます。原因って、個人的には「自意識過剰」だと思うんですよね。

>だけどどうも僕が「僕には生活を保証する力があります」とか言うと,女性からは「いまどき女性だって暮らしていく能力くらいあります.あなたの助けなんて要りませんよ.あなたのような人間が横暴なDV夫になるのです.熟年離婚されて然るべきです.」などと反論されそうな予感.

 この辺、なんだかなあ、とか思うんです。
実際にいわれたわけでもないんですよね?
 ただ、こんなシュミレーションが出るのは、Kammy+ さん自身が、僕は女性には経済的なこと以外は出来ない、自信が無い、と思われているからではないでしょうか?

 現実問題として、結婚にはまだまだ男性の場合、経済力は大きなウエイトを占めます。ナツさんも書かれていますが、今女性がかつてより経済力を持ったとはいえ「働くのがイヤ」「仕事なんかしたくない」という女性はいます。
むしろ、かつての嫁と違って主婦の権利が大きく認められた今は、逆に専業主婦志向も高まっているようにすら感じることもあります。
 それじゃあ、なんで結婚できない男が多いの?って言われるかもしれません。
 それは、経済力だけじゃイヤ、なんですよ。
これを「女のわがままだ」と言う男性もいるでしょうが、でもね、好きでもない男と金のために結婚する、なんて売春とどこが違うの?しかも売春はそのときだけだけど、結婚は一生だよ、と返されたら、どうでしょう?

 「結婚願望もある、さどのの自立志向があるわけではない、でも好きな男性と結婚したい」
というのは、今も昔もさほど変わらない女性の意識だと思います。
 ただ、「結婚しなくても生きていける」という選択肢がひとつ増えたことによって、結果、独身者が増えた、だけのことのように思えますが。


投稿者 : イカフライ at 2005年11月 9日 23:25

 またまた連投失礼。

ナツさんのご意見とまたもダブる部分もありますが。

>今の世の中は他人とつながるには恋愛を媒体とすることしか認められないような窮屈さを感じずにはいられない.

 恋愛が窮屈、というのは、私もカルチャーショックです。
これは私より一世代古い段階の世代が青春期、「性の開放」ということが若者の間で言われました。当時の大人はそれを聞いて無軌道な若者の乱交と誤解したのですが、その根本にあったのは、それまでの戦前的価値観に基づいた「家の継ぐための子作りとしての結婚制度の中での性」から「関係する男女同士が愛し合って自分の意思で性行為をしよう」という、今では当たり前のことを謳ったに過ぎないのですね。(恋愛結婚が主流を占めるようになってのも、この頃からでしょうか?)
 そういう時代を経て、まあ私の若い頃は、その前の世代よりは恋愛に対しての抑圧も無く(個々の事情においてはありましたが、特に古いタイプの親だと、いまだに恋愛はけしからん的な家庭もあった)いい時代になったなあ、と。それこそ開放されたとしみじみ思うのですが。

 ただ、最近感じるのは、「非もて男」というのがひとつの弱者的ヒエラルキーとしてやたらとクローズアップされている気がしてならない。
確かに自由恋愛の時代においては恋愛勝者と恋愛弱者というのは当然発生するヒエラルキーですし、言ってしまえば、これこそ永遠に埋まらない階級闘争なのかも知れません。
 
 とは言え、かつての弱者・被差別者のように己のせいではない出自などによる抑圧や人権侵害を受けているわけではないんですよね。
この辺、やはり自意識過剰な甘えと私は一蹴しちゃうんですよ。

 あと、これだけ非モテ男がクローズアップさえるわりに非モテ女はクローズアップされないんだよね、もてない男がいる限り、もてない女も存在する。
 実際、「お見合い」っていうのは、もてない男女の最後の手段(と言うと、お見合い結婚した人に失礼だろうし、そうでないカップルもいないことないだろうが)としてかつては残されていたように思えます。

 結局、Kammy+ さんはどういう世界を望んでいるのでしょうか?


投稿者 : ナツ at 2005年11月10日 01:15

● kammy+さん
はじめまして。いきなりの引用&TBに対して、素早いコメントありがとうございました。

>「人間はすべて他人か完全に自立すべきであり,相互扶助的な弱者連合的共同体はすべて破壊すべき」
>というような社会からのプレッシャーを感じずにはいられないからです.
>私としてはその潮流の先にあるのは孤独でしかないと思っているのですが….

昔の村社会的な共同体を是とする人はkammy+さんと同じことを主張するのですが、それは共同体の良い面しか見ていない、暗黒面を無視しているか忘れているのではないかと思うんです。「どこにもない共同体幻想」とでも言いますか。
(「共同体というのは家族を示唆するものではない」とのことなので、村社会とか組合的システムについてのお話だと想定して書いてます。)

共同体の結束が強かった時代というのは、ひとたびそこからはみ出した人間にとっては容赦のない世界でした。また、共同体の内部でも当然順列がありましたから、カーストの底辺、弱者というのも存在するわけです。しかし底辺扱いされても、その共同体を離れては生きられないので、一生弱者の立場に甘んずるしかない。
「村八分」という言葉が残っている事実が共同体の暗黒面を如実に表しています。

共同体が崩壊し、個人主義が確立すれば、あるいは共同体の束縛がゆるくて流動的である世の中ならば、自分の生き易い場所を探すことが可能です。別の共同体でならば弱者どころか逆に強者になれるかもしれないし、事実上どこにも属さず自立することもできる(田舎の共同体から追い出された者が、かつて都会を目指したように)。
そういう可能性が、共同体の結束が強かった時代にはほとんどありませんでした。その「村」の中でアイデンティティを全否定されたら終わりです。
(「昔は村でなにかで一番になればよかったものが,今じゃ世界基準での競争ですからね.」とおっしゃってますが、逆に、基準がひとつである共同体の中で最低ランクの烙印を捺されても、今なら世界は広いし基準もバラバラなのだから、挽回のチャンスはあるってわけです)

というわけで、「相互扶助的な弱者連合的共同体」というものがかつて本当に存在したか、ということ自体にわたしは懐疑的なんですよ。弱者同士寄り集まってもその中で順列をつけて弱者を生み出し、少しでも違う者を差別するのが人間ですから。そんな共同体の中でこそ孤独を感じ、逃げ場がなかった人もいるのではないかと思うのですが。
ユートピアのような弱者の共同体が存在するとしたら、それは過去の中にではなく未来にではないかと。総合的に考えて、昔よりは今の方が生き易い世の中だとわたしが判断してるのは、そういうわけなんですけども。

>見合い結婚については昨今の見合い結婚率の急激な減少をみると,もう風前の灯の様相を呈しています.

わたしは見合いしろと親や親戚につつかれたことがありますし、実際に見合いした友人も身近にいます。めでたく婚姻が成立する確率は確かに減少し続けてるんでしょうが、「見合い文化」そのものはまだまだ続いているんだなあ、という実感がありますね。(たまたま親戚がお節介だったということもあるかも。)
だからむしろ、「とっとと共同体(家族)を作れ」というプレッシャーの方が、この社会にはまだまだ根強いという気がしてます。


投稿者 : Kammy+ at 2005年11月11日 02:09

まず管理人様へ,もしコメント欄でのやりとりを望まない場合は撤退して自分のところに誘導いたしますのでお知らせください.

>イカフライさん
はじめまして.コメントありがとうございます,いろいろ考えるきっかけになりました.
以下のコメントについては,イカフライさんもナツさんも,私より年上の女性と認識したうえでお答えするものです.

>全体的に恋愛観が失礼ながら表層的だな、と感じました。
そりゃあイカフライさんからみたら,私の恋愛観なんて薄っぺらくて当然だと思います.一般的に男は単純ですよ…などとごねるつもりはありません.それは素直に認めます.ただ,それをヨシとするかどうかは個人的な判断にゆだねられるべきでしょうね.恋愛観が豊かなら人間として立派か,というとそれは別な問題でしょうから.

>恋が出来る人とできない人にわかれるその分岐点は何か?(中略)原因って、個人的には「自意識過剰」だと思うんですよね。
含蓄のある推察ですね,なるほど私もたしかに自意識のカタマリみたいな人間ですし.そういう人間と付き合うのは男であれ女であれあんまり気持ちよくないのでしょうね.

>Kammy+ さん自身が、僕は女性には経済的なこと以外は出来ない、自信が無い、と思われているからではないでしょうか?
と,私が自分に自信がないことまでお見通しですね.恋愛に必要なのは「自信」とはもはや言い古された感もありますが,女性はホント,自信が大好きですね.「自信がないからダメなのよ」ってのは私にとっては死人に鞭打つような言葉です.聞かなかったことにしたいくらいですよ.

>(自由恋愛においては)かつての弱者・被差別者のように己のせいではない出自などによる抑圧や人権侵害を受けているわけではないんですよね。
>この辺、やはり自意識過剰な甘えと私は一蹴しちゃうんですよ。
このへん読んでると私とイカフライさんの立ち居地の違いが鮮明になってきました.
ただあまり鮮明にすると私が仮想敵になってしまいそうなので嫌なのですが,問題を端的に言ってしまえば,私は自由恋愛で損をする人間であり,イカフライさんは得をする人間だということです.

恋愛だって,能力のひとつです.先ほどのべたように,自信を持ちたくたってもてない人間だってたくさんいます.むしろ私は人間の「実力」と「自信」はまったく相関しないものだと考えています.それをイカフライさんは「己のせいではない出自などによる抑圧や人権侵害を受けているわけではない」「自意識過剰な甘えと私は一蹴しちゃう」とおっしゃるのは,あまりに迂闊じゃありませんか?

>もてない男がいる限り、もてない女も存在する。
昨今の非モテ関連のブログのなかでも指摘されていますが,もてない男ともてない女というのは同じ形容詞で語られているのにもかかわらずその実態はかなり異なると考えております.私はそのあたりは考察できていない現状ですし,する気もあまり起きません.

>結局、Kammy+ さんはどういう世界を望んでいるのでしょうか?
自分の望みを書き連ねるとわがままになってしまいそうなので明言しませんが,大雑把にいって現代の女性は今の流れによって解放されたので,今はスッキリしているのでしょう.私は,雲行きが怪しくなってきて怪訝な感じです.もちろん女性を犠牲にしたくはないけれど,それはあくまで自分の平穏があってこそですからね.
女性と男性では,恋愛において女性のほうがアドバンテージがあると思います.その女性が「とりあえず結婚する」という行動パターンを「とりあえず結婚しない」へとシフトチェンジすることは,男にとっては笑ってみていられることではありません.ものすごく悲しいんです.過去の男と一緒に連帯責任を負わされている気分です.特に年上の女性と会話すると「今までの男が悪かったんだから今の流れは当然.」と平然とその下の世代の男性性まで否定しかねない勢いなので,せめてそのような窮屈さからは解放されたいです.


投稿者 : Kammy+ at 2005年11月11日 02:57

>ナツさんへ

先のコメントで全力出し切ってふらふらです,補足としましては…

今の30-40代の女性の共同体に対する嫌悪感は,私から見れば異様なほどです.
自分自身が体験してきたことなのか,親世代からインプットされてきたことなのか,わかりません.

逆に,私自身が共同体にいて得をする人間だからこそ,その犠牲となっている人間の痛みに気づかないということなのでしょう.結局は,自分もまた冷酷な人間ということなのでしょう.
このままいくと自由恋愛に勝ち残れない人間があらたな差別の対象となっていくのでしょう.共同体に対する考え方は,男女で明らかに異なります.男性が目的解決のために共同体を形成するのに対し,女性は問題解決は個々で行い,共同体はコミュニケーションが目的なことが多いように思えます.ナツさんの視点には今の流れに困惑する層が見えていないのでしょうが,それは存外あなたの身近にいるのだということを十分に意識してもらいたいものです.女性にとって共同体に魅力がなくなろうが,男性にとっては生命線ともいえるものになりうるのです.繰り返しますが,共同体とは家族ではなく,まさに文字通りの団体のことです.

男である私には女性の思考に合わせがたい部分もあるのです.女性が男の思考に理解できない部分があるように.
男と女も歴史的にみればパワーゲームをくりひろげてるわけで,多くの女性が「生き易い」と感じるということは….


投稿者 : Piro at 2005年11月11日 03:31

初めまして。
「非モテは保守反動か、それとも革新か」というエントリからトラックバックさせていただいた者ですが、誤って、異なるサイト名でトラックバックを送信してしまいました。「from Motohikoの日記」となっている方が誤りです。
エントリを汚してしまい申し訳ありません。お手間を取らせて恐縮ですが、誤ったトラックバックの方を削除していただけましたら幸いです。


投稿者 : イカフライ at 2005年11月11日 21:43

 Kammy+ さんに反論は山ほどあるけど、ここでやっても仕方ないな、と思うのでここではやめます。
 
 本題からは多少ずれるかも知れませんが、トラックバック先を読んで、少々感じたことを。
 ネットでもリアルでもそうですが、私たちは対話をしている時、同じ単語は同じ意味合いを持つ、と思いがちですが、実は、まったく違う意味を持つことが往々にしてあります。これは最近の話ですが、ある人と「コンサート」ということを話していました。私はその時、アイドルやロックグループのコンサートをイメージして、まあ、日比谷野音とか西武球場とか、いや野外でなくても良いのですが、で、歓声をあげたりスタンディングオベーションで盛り上がるような光景ですね。で、この年になると体力的に自信無いから、そうなると年寄りがが行くのはさだまさしとか高橋真梨子とかになるのかなあ、なんて頭にあったんですが、どうもなんか話が違う。というのは、その相手はクラシックのコンサートの話をしていたんだよね。
 ま、コンサートはどうでも良いのですが、どうも、この話の食い違いは「共同体」という言葉の解釈がはなはだしく違っているように思えるんです。
 多分、ナツさんと私の使っている「共同体」はさほど意味合いが異なっていないと思う。古くからあったそして今でも部分的には存在する地縁血縁を中心とする共同体ですね。で、Kammy+ さんのいう共同体と言うのは、多分、Kammy+ さんの頭の中にある多分に自分にとって都合の良いユートピアに近いのではないでしょうか?
 一応年齢を言いますと、私は43歳ですから、ナツさんより推測では一回りくらい上です。で、Kammy+ さんは20代ですか?くしくも、3世代がそろっているわけですね。多分、年が若くなるにつれてかつての日本的共同体の実態は薄れていく。Kammy+ さん位の年齢では、具体的にどういうものだったかは、体験されていないのではないでしょうか?

 実際、「被モテ男」が阻害される、というのも、実は共同体と言うもののなしてる暴力なんですよね、ただ、それがかつてほどひどい抑圧や暴力は生まない。具体的には人間の生死にかかわるようなことはない、精神的苦痛に過ぎず、生存権をおびやかすものではないということでしょうか?(実際、かつての「共同体」が真の弱者、たとえば障害者や異民族、部落民(と、あえて書きます)に行ってきた暴力の凄惨さは、もうやりきれないものです)
 いや、弱者だけではありません。かつて日本の男が強要された「あるべき男の姿」というのは、非常に重く辛いものだったと思いますよ(それこの、星飛雄馬並に)。
 封建時代は、もてない男のユートピアではありません。


投稿者 : Kammy+ at 2005年11月11日 22:34

>イカフライさん
すいません.どうも流れが険悪な方向にいってしまいそうなので….

私はイカフライさんが思い起こして不快になるような「共同体」の話を続けるつもりはありませんし,封建時代がもてない男のユートピアだとも思っていません.

ただひとつだけ.私が「頭の中にある多分に自分にとって都合の良いユートピア」と思っている「共同体」の概念は,封建時代のそれの繰り返しではありません.そして,今の時代が昔と比べて良くなったとも思いません.以上です.不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした.


投稿者 : ナツ at 2005年11月11日 22:57

● kammy+さん
>もしコメント欄でのやりとりを望まない場合は撤退して自分のところに誘導いたしますのでお知らせください.

いえ、そのままどうぞ。返事を書こうとしたんですが長くなりそうなので、わたしの方は次のエントリに持っていくことにしますね。まとまってないのでまた後日、ということになりますけど。

● Piroさん
TBありがとうございました。記事も興味深く拝見しました。「今現在「非モテ」で悩んでいる人の多くは〜」のあたりには同意です。

● イカフライさん
> Kammy+ さんに反論は山ほどあるけど、ここでやっても仕方ないな、と思うのでここではやめます。

あれ、やめちゃうんですか? わたしはおもしろく読んでますので、今のところは荒れてるわけじゃないし、続けていただいても問題ないですよ。(つーか、こういう話題って荒れるんですかね?非モテ関連問題?に首突っ込んだのははじめてなので、よくわかんないんですけど)
でもわたしもイカフライさんも長文派だから、お互いなるべくまとめて書くようにしましょう(笑)でないとエントリが読み込めなくなる予感。

いま出先から書き込んでるので、これにて。


投稿者 : Shuji Author Profile Page at 2005年11月11日 23:36

はじめまして。コメント欄も含め、興味ぶかく拝見していましたが、少し発言してみたくなりました。

共同体のよしあしはどうあれ、アイデンティティの土台がそこに根ざしたものかそうでないかが問題になってくるのではないでしょうか。

属性や肩書きでもって自分を語るという態度では、個性を尊重することも多様性を肯定することもできないように思います。

無国籍であることが世界市民の一員であることの証明になるような、逆説もそこには生まれるわけですが。


投稿者 : イカフライ at 2005年11月11日 23:59

>ナツさん

 うーん、荒れると言うよりは、言葉が通じないな、ってところでしょうか?

 だってさ、Kammy+ さんって、人の話し、全然読んでないなんだもん。

>私は自由恋愛で損をする人間であり,イカフライさんは得をする人間だということです.
>私はイカフライさんが思い起こして不快になるような「共同体」の話を続けるつもりはありませんし,

 こういう風に個人レベルに矮小化されてしまうとさあ。まあ、単に「僕はもてない」って愚痴を書きつづったブログに私が口を出してしまっただけだから、悪いのは私なんだけれど。

 これが「反戦平和」とか「飢餓撲滅」とか、それこそ私たち一人一人が無縁ではいられない問題について具体的に語るならば、たとえ考えが180度相容れなくても、言葉すら違っても熱く語るのだけれど。

 ナツさんと「非もて」について語ることは非常に楽しく有意義な対話がもてると期待してるんですが、ネットで個人の愚痴聞くのは、私は嫌いなんですよ。リアルでも愚痴はいいたくない人間だから。

 ただ、共同体論という総論になっていけば面白いと思えます、個人的には。(だから、shujiさんの発言>属性や肩書きでもって自分を語るという態度では、個性を尊重することも多様性を肯定することもできないように思います。
 この辺はもう少しつっこんで聞いてみたいです。


投稿者 : Shuji Author Profile Page at 2005年11月12日 11:37

>この辺はもう少しつっこんで聞いてみたいです。

僕も書きながら考えてるところですが、「閉じた集合」と「開いた集合」とがあるのではないか? と思いました。

日本人であることに固執しすぎると世界を見落してしまうし、人間中心に考えすぎると自然を見落してしまうとか。

属性がなくなるってことはなさそうですが、少なくともこの二つの立場に足をおかなければならないような気がします。

それは結局は、意識と無意識の関係に似ているようにも思えますが・・・。再帰的に自分を規定しているだけでは、その可能性の範囲内におさまってしまうような。

相手に身を任せてしまうような受動性も、ときには必要ではないかと思います。


投稿者 : ナツ at 2005年11月13日 23:57

● shujiさん
はじめまして。ちょっと抽象的すぎてわかりにくいんですが、

>日本人であることに固執しすぎると世界を見落してしまうし、人間中心に考えすぎると自然を見落してしまうとか。

個人主義に徹しすぎると身勝手になり、日本人であることにこだわりすぎると民族主義的になる、というような話でいいんでしょうか。
日本で批判的に語られる「個人主義」というのはいわゆる「私的個人主義」ですが、厳密にはもうひとつ「individualism」という概念がありますね。「国家や社会、共同体や、君主でも領主でもない、自分と自分の内なる戒律、道徳律に従う」という考え方です。
信仰心や道徳心の篤い人間一人一人がその道徳律に従って生きれば、結果的に属する共同体も安定する、という、この状態が究極のあるべき社会の姿ではないかというのが私的見解です。
ただ、今の人類はそこまで進化しておらず、外的な規律に縛られないと社会がカオス化してしまう。だけどそれは人間が未成熟なだけであって、個人主義が極まれば、「人間としてどう生きるか」という、共同体や国家を突き抜けた感覚にシフトできる。つまり「悟り」を開けるんじゃないかと思っていますが・・・まだまだ全然ダメですけどね(笑)



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