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2005年11月24日

森脇真末味「おんなのこ物語」

おんなのこ物語(1)
森脇 真末味
中央公論社 1996-03
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昔のテキストの整理をしてたら、すごく古いマンガの感想文が出て来たのでもったいないからUP。確か4〜5年くらい前に書いたものだと思う。

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久々に森脇真末味・著「おんなのこ物語」を引っぱり出してきて読んだ。ホントはこれより名作「Blue Moon」を先にお題にするべきなのだが、あっちは思い入れが強すぎてなかなか手が出せない。で、「おんなのこ物語」のほうが多少は与しやすいかなと。

舞台は70年代で、主人公の少年はインディーズ・ロックバンドのドラマー。つーことはこれ70年代くらいに描かれたもんなんだろうが、作者はべつにロックカルチャーを描きたかったわけじゃなくて人間ドラマに重点を置いているらしいので、今読んでもちっとも古くさくない。むしろ世代の違う人間から見ると新鮮な感じさえする。

まず、作者も書いているとおりちっとも「おんなのこ物語」じゃない。一応、主人公の八角京介を慕う尚子という女の子がひとり出てくる他は、「音楽的には天才肌だが生きるのに不器用」タイプの八角の、人間関係(周り中男ばっかだ)における葛藤がえんえんつづられる。
周りの凡人たちの思惑―――激しい妬みや羨望、などを理解できずに、ただ、バンドの解体だけを恐れて、ひとに合わせて生きることに慣れてしまった少年の現状脱出ストーリー・・・と、まとめてしまうといかにもありがちだなあ。
でも、ラストは「ひとつ大人になりました」的明るい未来への展望を感じさせる終わり方じゃなく、とりあえず「何もかも放り投げてまずひとりになる」的な、自己完結型ラストなんである。だから成長じゃなくて脱出と言うしかないのだ。

 
一見優しくて人当たりもいいくせに、心の奥底には他人を一歩も踏み込ませない」的な男は、この人のマンガによく登場する。それにからむヒロインは、感情的にストレートで、未成熟な割に勘だけは鋭くて、逃げないで相手の核心に触れる、それで相手の痛烈な拒絶を食らって傷ついてもすぐに立ち直って「でも好き!」と言い続けるような元気で潔いタイプ、というのもお約束。
あまりに自分の行動パターンと違うヒロインなのでぜんぜん感情移入できないのだが、こういうウザいほど直球勝負の女の子でないと、自己完結型の男の核心には近づけないだろーなーと思いつつ読んでしまう。そういうわたしが感情移入しているのは完全に自己完結型の主人公のほうだ。こいつの思考パターンのほうがどう考えても自分に近い。
 

ぼくは人間が嫌いなんだ。だけどひとりでは耐えられない」とか人を拒絶してるんだか甘えたいんだか自分でも混乱しているようなセリフを吐いた後で、「ぼくはいままで嘘はつかなかったけど、本当のことも言わなかった。初めて尚子の前でだけそれが言葉になったんだ」と言う。めんどくさくて重たいものを中のほうにたくさん抱え込んでいる男なのが丸わかりですね。

ここで「うわっ、めんどくせえ」とびびって逃げようとしないで、「わたし京介が好きよ。京介はわたしを好き?」と言ってしまえる尚子の強さと潔さってのは、わたしから見ると神話に匹敵するほどありえないキャラクターである。要するにわたしの中にはない種類の強さなのだ。


そんでもって逆に、「友だちなんかいません。みんないつも・・・遠くにいて、手を振ったり名前を呼んだり。時には側に来て肩を叩いたりするけれど、本当はいつもぼくより大切な仲間がいて、時が経てば戻っていく。友だちなんていません!みんな遠くから手を振ってるだけだ!

とかいう八角のセリフなんかに、あー厭だイヤだこの幼稚な被害者イズムどうにかしろよ、と思いつつ感情移入してしまう。

大友克洋の「童夢」に、女の子と、知恵遅れの大男と、父子家庭の男の子が三人で遊んでいて、夕暮れ時になって「晩御飯の時間だから帰るね」と、女の子だけが先に帰ってしまうシーンがある。
「灯りのついた家と、そこで『確実に自分だけを』待っている人がいない二人の子供」は取り残されて、黄昏時の公園に影だけが長く伸びている。

あの「取り残された子供」の、心臓につき通るような孤独の感覚はなじみ深いもので、つーことはわたしのメンタリティも完全に子供だということだあ〜やだやだ。とにかく主人公がそーやって、「取り残された子供ごっこ」やって勝手に不幸に浸っていても、「わたし京介が好きよ。京介はわたしを好き?」と、拒絶されることすら恐れずに核心に触れ、「面倒くさいあんたととことん関わり合うと決めた」宣言をしてしまえる少女の強靱さに救われる物語・・・と言えるのかな。あ、だったらやっぱタイトルは「おんなのこ物語」でピッタリじゃん。

 
最後に。森脇真末味の独特のセリフ回しも好きだ。

必要のなくなったものはいくらでもあるさ。たとえばおれがおまえに二度と会うまいと思った意地とか・・・」という、バンドのリーダーの仲尾の気障なセリフとか、
わたしこのあいだ友だちに、京介みたいに男は車道側歩けって言ったのよ。そしたら、そいつ『理由がわからない』っていうのよね。だからわたし教えてやったわ。車が飛び込んできたとき、男が先に轢かれて死ぬためだって。するとそいつ怒っちゃってもーたいへん
なんていう尚子のセリフとか、好きな言葉がたくさんある。
ところがこれ残念なことに、古いマンガだから絶版なんだよ。わたし自身リアルタイム読者じゃないから古本屋で購入したし。というわけで古本屋で見かけたら即ゲットすべし。
(少女マンガだけど作者は美大出身の超絶絵のうまい人だから、青年誌みたいな絵柄。男性にも抵抗ないと思う。むしろ大昔の少女マンガとしては異色すぎる。)



投稿者 : ナツ at 2005/11/24 | カテゴリー : コミックス
コメント

投稿者 : えむけーつー at 2005年11月24日 23:51

またすんごい懐かしい……。
タイトルに期待して「どんな思春期のせつないおんなのこの物語が?」と意馬心猿状態になりながら読んだら、どん底まで叩き落とされた記憶があります。期待してたここちよい逃避と正反対のものを真正面からぶつけられて。
あいたたたぼくはこんなの見たくないよ?とか思っても、おもしろいからやめられない、という……。

自分の年齢のせいもあるかもしれませんが、最近は、ずしーんと重たい手応えがあったり、切られるような痛さを感じさせてくれるマンガが減ったなあと思いました。


投稿者 : ナツ at 2005年11月28日 00:09

>最近は、ずしーんと重たい手応えがあったり、切られるような痛さを感じさせてくれるマンガが減ったなあと思いました。

わたしも森脇真末味とか、昔の吉田秋生とか、内田善美とか、あの手の重厚な人間ドラマを描く少女漫画家は絶滅したんだとずっと思ってました。
わたしは母や叔母の買い集めた24年組系少女マンガを小学生から読んで育ったので、刷り込みが深すぎて「最近の少女マンガはどうなってんだよ!」とグチグチ文句垂れていたわけですが、あのあたりの才能を持つ漫画家は、ボーイズラブ系に集まっちゃってるようなんですよ昨今は。そんな特殊ジャンル、ごく一部の女性しか読まないから才能を知られずじまいで本当にもったいないと思う人が何人もいます。森脇真末味自体も数年前にボーイズラブ系レーベルからコミックスを出してたし。
無理に男同士の恋愛話にしなくても、緻密な心理描写の人間ドラマだけでわたしは充分楽しめるんですが、そういうのは今は売れないんでしょうね。(森脇真末味も無理してBL描いてるみたいでかわいそうだった。)ただの少女マンガ誌掲載だったらさらに浮いちゃうし。
今市子も百鬼夜行抄でブレイクする前はボーイズラブ雑誌にしか仕事がなかったなあ。

あ、青年誌にも時々そういう才能の人が出たりしますね(アフタヌーン系?)。だから今注目してるのはボーイズラブと青年誌です。どっちも大半は無意味なエロだらけで、ゴミの山から宝石を見つけるのが大変なんですけど。


投稿者 : えむけーつー at 2005年11月29日 05:28

BLですかー。
無精ヒゲ剃り忘れたまま「愛してるぜ☆ベイベ」とか平気で買える俺ですら敷居高いっすね……。しかもどこから手をつけたらいいのやら。
感想サイトでも探してみるかなー。
最近は「ハチミツとクローバー」がケタ違いにおもしろかったのが最後かな。あのユルさと痛々しさがたまりません。


投稿者 : 石井 at 2006年4月16日 14:13

私も会社員になりたての頃は愛読していました。
その頃はロックミュージックが好きで結構聞いていたというのもあります。

ところで仲尾がリーダーだったステッカーってどんな音楽だったのかな、と想像します。
XTCみたいな完成度の高いポップロックだと勝手に想像していますが。

あとスランの薫はフリージャズの阿部薫がモデルだったんだろうな、とかとも想像しています。



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Tracked on 2007年1月24日 11:41