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2005年12月 5日

普遍なものは何か

前回のエントリ内のMK2さんのエピソードにはたくさんの反響があった。リンクしていただいたブログでも「共感した」という感想が多かったので、やっぱりあの話は心に響くよなーと他人のフンドシで相撲を取った者としても再認識。
ついでにARTIFACT@ハテナ系 さんが、MK2さんの正体について推測されてますが・・・そこは、ご本人から一言どうぞ。
sociologicさんでも、

昔から心を動かす魅力的な文章を書かれる方ですが、何でしょうね…多分他者への強い想いとか深い共感とかいうものがある点が違う気がします。たまたま対象が2次元か3次元かというだけだったのかもと。

というコメント付きで紹介してくださってます。同感。


んで本題。
Leiermannさんから前回のエントリに反論が寄せられたので、わたしもそれに対して反論したいと思います。半分くらいは意味不明だったんだけど、とりあえず「普遍性or普遍的」という言葉に関して誤解があるのは理解できたので。


「恋愛は普遍」だなどと誰が言ったのか

ここまで言ってしまえばもはや単なる他者切り捨てとしか言いようがない。一個人の体験を理解できなかったくらいで「欠落」と言われてはとても堪らないし、ましてそれを「普遍」だと断定して「普遍」の外にある者を「愛情が得られるわけもない」と断罪するのでは、もはや「あなたは何様なのか」と言うほかないであろう*9。

 あなたが「普遍」の側にいるなどと、どうしてそこまで自信を持って断言できるのか。よしんば、仮にあなたが「普遍」の側にいたとしても、あらゆる被差別者は「普遍」の名の下に排除されてきたという事実を忘れてはならない。あなたの言う「普遍」は、単なる他者の論理・強者の論理ではないのか。そうでないとしたら、どこに「普遍」を称する根拠があるのであろうか?


恋愛は普遍だ」・・・誰が言ったんでしょうね本当に。わたしもそんなこと言った覚えは全くないのだが。以前のコメント騒動と同じでひどい曲解をされているとしか思えない。
先に結論から書いてしまうと、


(1)普遍性があるもの→他者とのつながりを欲する気持ち・それを持たなくてさみしい気持ち・孤独感・好きな相手のために何かしたいという気持ち

(2)普遍性がないもの→自分が非モテになったのは社会のせい・女のせい・モテてる男のせい・恋愛資本主義的価値観のせいとどんどん責任転嫁し、自意識の安泰をはかるための理論構築


これだけの話でしかない。追記で「恋愛に関係なく一人の人間の感情として普遍的」とちゃんと書いているのに、「お前は“恋愛は普遍”と言っている!」などと責められる理由が分からない。

非モテ諸氏にはまったく無意味なものと映る可能性の方が高いと思いつつ転載させていただきました。


と書いたのも、「(2)の理論武装系非モテには、(1)の感情がわからなかったりMK2さんの話そのものが無意味だと映る可能性が高い」という話である。別に非モテ全体がそうだと言っているわけではないのだけど、話の流れで理解されるだろうと思っていた。ここは誤解を招く表現だったので、はっきり限定すべきだったと思っている。
だが「普遍」云々の問題については納得がいかない。
前回のエントリの追記で、

「必要とされているのは俺の機能でしかない」というMK2さんの強固な価値観が崩れ、「相手の言うことに逆らうのが面倒だから」という理由からではなく、自然発生的に「相手のために何かしたい」「幸福にしたい」という気持ちになった最初の瞬間だと思うのですが。
相手が欲するものを与えることができれば自分も幸福。そんな理屈ではない他者とのつながりを欲していたこと、それを持たなくてどんなにかさみしかったこと、そのさみしさに気付けないほど芯から冷え切って孤独だったこと。そういった感情の諸々が「普遍的」であると思いました。恋愛に関係なく、一人の人間の感情としてということです。


という話はしたけれど、これのどこが「恋愛は普遍だ」という話になるのか。
MK2さんの焼き肉エピソードから強く感じられるものはそういった「人間的感情・感覚」なわけであって、それが恋愛につながることもあればつながらないこともあるが、そんなことはささいな問題だ。
それとは関係なしに、人間にとっては他者とつながりたいと願うことも、それが得られないがゆえのさみしさも孤独感も、普遍的なものだと思う。なぜなら非モテの人が書いているブログの多くにだって、その思いがあふれているからだ。
「相手が欲するものを与えることができれば自分も幸福」という感情だって、恋人にだけではなく、母親や父親が子供に対して抱く、古今東西に存在する普遍的な思いだろう。
そんな人のさみしさ(普遍的な感情)に共感したり、愛する相手の欲するものを与えることで幸福になれる人の気持ちを理解できるとしたら、その人の中には「他者に対する受容や共感応力」が存在するわけだから、問題解決(精神的に人とつながること)には近い位置にいる。少なくとも心理的な準備は出来ていると思う、と書いたわけだ。
これらを「普遍的な感情」と呼ぶのは、間違っているだろうか?


もうひとつ誤解を受けているわたしの記述、

でもぶっちゃけた話、「外見や容姿にこだわらずお互いの内面だけを理解し合って純愛を育む関係」なんてものを求めているのだとすれば、この程度の普遍的な感情すら理解できないような人間にそんな愛情が得られるわけもないと思いますが。


これはkammy+さんへの返答で書いたとおり、「人の気持ちに共感できない人間には、人と“精神的に深くつながる”ことはできない」という話をしているだけである。
しかしこれも、非モテが「人の気持ちになど共感できなくても生きていける」「精神的に深くつながることなど必要ない」と思っているならば、その人には全く必要のない能力なので、「あ、そうですか。だったら前提とする価値観が違うってことで」とあっさり引き下がるつもりでいる。
ただ、「恋愛資本主義」とか言いつつ男女のライトな恋愛関係を否定し、もっと高尚な精神的純愛を望むのだ、というのが非モテの人の価値観だと思っていたので、それならば人の気持ちに共感する能力は重要な要素だろう、ということだ。


容姿や話術や外ヅラやファッションやセックスでつながりあう「恋愛資本主義的恋愛」なんて邪道。それは本当の恋愛ではない。精神的・心理的理解と共感によって愛と信頼を育み、心でつながることこそ真の恋愛だ。


と多くの非モテは主張している。そこには、ライトな恋愛をしている男女に対する明確な蔑視が見える。(自分は他人を蔑視していながら、他人に蔑視されたと思った時は「蔑視それ自体が悪」とことさらに責め立てるのは自分棚上げだなー思うけどね)
「そんな恋愛が理想なら、共感能力がないのは欠落だよね。だってそれがなくちゃ願望は達成できないもの」と指摘すると、差別的だと怒り出すのは勘弁して欲しい。誰にとって欠落かというと、わたしにとってではなく、まずあなた(非モテ)にとって欠落だろうと言っているのだ。わたしにとっては、実のところ他人に共感能力があろうがなかろうが、どうでもいい。
だいたい、前回のエントリでも書いたとおり、「ライトな恋愛」をしている男女だって共感能力が発達しているとは言い切れない。だけど、「精神的に深くつながる恋愛を求めている非モテにとっては必要な能力ですよね?」と言っているのだ。
わたしの言葉に差別意識が見えるとしたら、それは共感能力のない人や非モテに対するものではない。「今の自分のスキルも考えず努力する気もないのに無茶な要求をする人」に常日頃から呆れているので、その点についての蔑視だろう。別に非モテに限った話ではなくて、そういう人間全般を「アホか」と思っているだけの話である。
恋愛資本主義を軽蔑し精神論的純愛を求めている以上、人の気持ちはよーくわかる人なんですよね、それもわからないのに巷のカップルをただ軽蔑して純愛純愛言ってるとすれば、みっともないと思いますという話。


あなたのその価値観を貫くなら、
外見や容姿にこだわらずお互いの内面だけを理解し合って純愛を育む関係」なんてものを求めているのだとすれば


○○を持たないことはその価値観内で欠落を意味します
この程度の普遍的な感情すら理解できないような人間にそんな愛情が得られるわけもないと思います


上記で重要な点は、わたし自身は、その価値観そのものについて善悪の判断はしていないということ。恋愛するしない、精神的純愛を貫く貫かない、すべて人それぞれなんだからお好きなように、と思うだけだ。
非モテの人(でも誰でも)に必要なことは、その元になる価値観をさっぱり捨て去って、
「○○を持たないことは欠落ではなく個性だ。なぜなら、○○がなくて困るような価値観を自分は持っていないからである」
と言い切るか、
「価値観は捨て去れない。だったら、○○を持たないことは自分にとって欠落である」
と認識するか、ふたつにひとつである。
(今回の場合、「価値観=人と精神的に深くつながる恋愛をよしとする価値観」であり、「○○=共感能力」に相当する。)


その価値観から導き出される「おまえには何か足りない」という結論に非モテは苦悩する。そこで非モテが闘わなければならないのは、自らの内部に巣くう「価値観」とであるはずだ。だけどなぜか「世の中の価値観が悪い」と自分の外部に原因を求め始めたり、「これが欠落しているのは人間として失格だとでも言うのか。そんな指摘をすることは差別だ。」という方向に話を持っていったりする。(後者の方はLeiermannさんがまさに書いていることだ)


そんな価値観を捨てて生きていく道はいくらでもあるはずで、価値観が多様化した現在、実際にそうして生きている人々は大勢いる。その人々は何らかのスキルを持たないことを欠落などと認識せず、自らを「人間失格」などとも思っていない。たとえ誰かにそう言われたとしても、「それがどうした。あんたに迷惑はかけていない。あんたの生き方を押しつけるな」とバッサリ斬ることが可能なのだ。
自分の内部にあるべつの「価値観」が強固だからこそ、他人の「価値観」で判断されても単なる大きなお世話としか感じず、「差別」などとは思ってもみない。
そこで「差別」と感じるとしたら、「差別」する側の価値観に自分ががんじがらめにされているからだ。自分を一番差別しているのは、実は自分自身なのである。


(上記で「わたし自身は、その価値観について善悪の判断はしていない」と書いたけど、もしもわたしが善悪の判断をつけたとしても、それはあくまで「わたしの価値観」である。違う価値観の人間に「あんたの考えはおかしい」と言われることがあったとしても、それはあなたの価値観なんだから押しつけないで下さい、と答えるだけ。「差別された」などとは思わない。)


実際の話、「自分はどこからどこまで完全なマジョリティ」と言い切れる人間は少なく、人はみなどこかしらマイノリティな部分を持っているものだ。
つまり「この価値観は人(多数派)と合う」「この価値観は人と合わない」という部分を各々が把握しつつ生きているわけで、それを全部多数派の価値観に合わせて生きていきましょう、と考えるような人はあまりいない。(第一そんなこと不可能である)


とはいうものの、多数派が意識的・無意識的に使う正論的暴力というものが現実に存在することも確かである。「これが普通なんだよ」「世間一般ではこれが正しい」というアレね。
わたし自身も多かれ少なかれやってるわけだが、どう考えてもわたしもマイノリティに属する一員なので、逆にその「これが普通」攻撃にコテンパンにされることもよくある。この野郎と悔しがりつつ、わたしを攻撃してきた相手(その時点での多数派)にリベンジをかますこともある。別の場面ではその人の方が「マイノリティ」であることもあるからだ。
そうやって、わたしも含め人間はみな違う価値観の人間と衝突し合いながら生きている。
(蛇足だがわたしのどの辺がマイノリティなのかというと、母子家庭で育ってきたことがあげられる。生い立ちから来る価値観というのはなかなか変えがたいもので、両親そろってる家庭の子とは考え方や感じ方が違うなーと思うことはよくあったな〜)


多数派の正論に常にコテンパンにされるばかりで、誰かをコテンパンにしてやったことがない、と断言できる人がこの世にどれだけ存在するのか知らない。非モテだって、非モテである前に人間であり男であり若者であり健常者であり両親そろった家庭の出であり日本人である以上(ある程度の学歴や経済力を持った人もいるな)、自分が多数派および強者の立場に立てる場面では無意識のうちにやってきたに違いない、自分が加害者になった時はわからないだけだ、とわたしは想像するが、それはまあいいとして。
※また揚げ足取りされると困るから先に言っておくけど、非モテはみんな上記の特徴全部を備えている、などとは一言も言ってませんからね。でも最低一個以上は備えてるでしょう。
問題は非モテ自身が「いつも一方的に多数派の正論の暴力に晒されている。逆の立場になったことなど一度もない」と認識していることだろう。これが主観である限りは、やはり非モテは常に(主観的な)弱者であり、被害者なのだ。


その状況から脱出するためには、前述したように、「他人の価値観にとらわれない」こと、「自分の価値観」を強固に持つことである。今回の話で言えば、「人と共感し合うことは不要。精神的に深くつながるような恋愛をしなくても満足して幸福に生きていける」という価値観を持ちさえすれば、欠落は欠落ではなくなり、「共感能力は重要」という前提自体が無効になる。価値観が違うだけだ、という話になり、差別だといちいち怒る必要もなくなるのだ。


事実、わたし自身、実は恋愛を重要だとは思っていない。(人を好きになることや信頼することは重要だと思っているけど、それは恋愛でなくて友情でもいいわけだし)
だから恋愛信者の、「やっぱ女は常に恋愛してないとダメよ〜。磨かれないし男を見る目も養えないし。世間から取り残されるよ」とかいう話を聞いても、「ふーん」と思うだけ。「価値観が違うなあ。つか、そんなホイホイ惚れられませんて。あんたホント元気だな〜」でいつも終わる。
必死で反論する必要性を感じたことはないし、「常に恋してないと女はダメ?彼氏のいない期間があったら女失格?つまりわたしがダメな女だと言ってるのか!差別された!!」と騒ぐ気にもならない。
「常時恋愛してないと女はダメ」というのはその人の価値観であり、わたしの価値観とは違うから、ダメと言われても自分でダメだとは思えないのだ。だから多少ムッとはしてもプライドは傷つかないというわけだ。


満ドリルさんがコメントしてくれたように、

「モテ⇔非モテ」の軸にとらわれているうちは、どっちに転んでも心穏やかにはなれないなあというのが今の私の考えです。モテにしろ収入にしろ学歴にしろ、他人から与えられた規準で自分の価値を決めているうちは幸せにはなれないよな、と。

こういうことであるともいえる。


(って話を途中までつらつら書いていたら、リファラから辿りついたブログ「ラブラブドキュンパックリコ」で、似たようなことを書いてあるのを発見。こっちの方がまとまってるなあ。)


上記で「人の気持ちが解らない人間には人と“精神的に深くつながる”ことは不可能」と書いたが、この場合の「人」とは誰かというと、非モテがいうところの漠然とした一般人、特に「モテたい」という相手である女性一般を指す。
わたしは非モテの多くの人は、その漠然とした他者や女性に受け入れてもらいたい、理解してもらいたいという願望を持ち、それが満たされないからこそ今の自分の状況に苦悩しているのだと解釈している。
そしてわたしが現在(一応)苦悩していないのは、わたしが非モテとかモテとかいう定義の中に自分を押し込めていないことと、自分が理解して欲しい、受け入れてほしいと思った相手には(ある程度は)受け入れてもらっている状況があるからだと言える。


だから、人間は自分が受け入れてほしいとロックオンしている対象のことのみを考えれば良いのであって、世の中全体に賛同や共感や好意を得ることが不可能な以上、そうやって生きていくしか術はないとわたしは思っている。
大昔からわたしの文章を読んでくれてる人には分かっていると思うが、わたしは元来懐疑的な人間なので、すべての人間と解り合えるとは最初から信じてもいないし、そんな努力はするだけ虚しいと思っている。理論武装さえすれば万人に通用するかというと理屈で割り切れないものがこの世には沢山あるし、感覚的・直感的な話をしたところで、それを感じたことのない人には全く通じない。「ソース寄こせ」と喚くだけである。
そんなわたしが言うところの「共感能力」とは何かというと、「共感したい、されたいと思っている相手」と共感し合える能力のことでしかない。(ここ重要ね)
それさえ身につければあとはどうでもいいのだ。つか、全人類と共感できる能力なんてあるわけもないのだから当然である。
またしつこく書くが前述したように、「誰とも共感しなくても困らない。共感し合いたい相手もいない」と思っている人に、「あんたにはここが欠落している」という気もない。その人は満足して生きているのだから、まったく必要ないのだ。


というわけで、「人はみな自分が受け入れてほしいとロックオンしている対象のことのみを考えれば良い」という観点から見ていくと、いったい誰を「受け入れてほしい相手」としてロックオンしているのか、甚だ理解に苦しむ攻撃的非モテブログが数多くある。「おれはおまえのパパじゃない」さんが言うところの「俺と友達にならないとぶん殴るぞ!」とわめいているとしか思えない人々だ。


さらに問題だと思うのは、「非モテとしての自己主張」を繰り返すことによって、非モテというグループに自分で自分を縛りつけてしまっていること。わたしにはそれこそが「普遍性を失う」最大の要因だと思える。なぜなら、自分で自分を隔離して、「一般人と違う特殊な存在」と位置づけてしまっているからだ。
だけど自分で自分を特殊化していながら、「非モテによる非モテのための」ロジックには普遍性がないとこちらが言うと、「あんたが理解できないだけでどうしてそう断定できるんだ」と返される。理解不能である。


「非モテによる非モテのための」ロジックとは、何度も書いているが、自分が非モテになったのは社会のせい・女のせい・モテてる男のせい・恋愛資本主義的価値観のせいとどんどん責任転嫁し、自意識の安泰をはかるための理論のことである。この理論に普遍性、つまり非モテ以外の一般人の多くにも理解され共感されるだけの力があるとは、どう考えてもわたしには信じられない。非モテ内部にだって反対者がいるということはコメント欄でも分かってることだと思うんだけど。


非モテ以外の大勢の一般人に自分の本当の気持ち(苦悩)を伝えるための文章ではなく、自分を納得させるため、護身するために鎧を纏って外部を攻撃する。その理屈は自分と「今の苦しみを誰かのせいにして楽になりたい非モテ」を心地よくはするが、その他大勢の人間を不快にすることで得られる満足だ。「その他大勢」に理解され、共感してもらうための文章ではない。
もし「お前のせいだ」と世間に向かって吠えることで世間の人に自分の苦しみが伝わると考えているのだとしたら、自分の苦しみには敏感らしいけど人の気持ちは全然わからないのだろうとしか思えない。
少数派・多数派という言葉に反感を抱いた人がいたようだが、こうした理論を掲げる「非モテグループ」に自らこもることは自分で少数派の道を選んでいることになる。強者の論理と言われようとも、こういう特殊な理論で自らを護身しているうちは一般人(多数派)と感情は共有できない。
そこに怒りや苦しみや憎しみという感情があるのはわかるし、抱えている問題そのものは普遍的なものである。しかし、その怒りが責任転嫁により世間一般に向かっている以上、世間一般の人と共有することはできない。歪んだ理論武装により、問題の普遍化を自ら妨げているのである。
もし非モテであることの苦しみを世間に理解してもらいたいと考えているなら、そんな方法ではだめなのだ。


というわけで、

わたしは「一人の人間」と話がしたいんです。「非モテ」という自ら定義した殻から解き放たれて、世界に自分一人で相対することで、普遍性を獲得した人間とです。
「非モテとしての俺を受け入れろ」と言ってくる人とは、そんなことは不可能だと思う。


と書いたのは、「非モテとしての自分にとらわれながら生きるより、“非モテ”と強調しないで、ただ、一人の不器用な人間として人に受け入れてもらう方が簡単だと思います」という意味。オフラインでは難しかったことでもネットでならできるはずだ。
実際に、非モテと自称してもおかしくない、恋愛やコミュニケーションに苦悩している人が、「非モテ」と自らを定義することなく、普通にネットで友人を得ている例は多くあるだろうと思っている。そこから恋に発展することだってないとは言えない。容姿やファッションからくる先入観なく自分を理解してもらい、好意を得ようと思うなら、オフラインよりオンラインの方がずっとたやすい。
(「非モテ」という先入観だって、ない方が人と親しくなりやすいはずだ。なぜなら、「自分は恋愛面で苦悩を抱えている」という看板を、誰も訊いていないのにわざわざぶら下げて存在しているのと同じだからである。多くの人間はあらかじめそんなことを言わないで生きているのだし、そんな中であえて最初からそこを強調してしまう人は普通の人より取っつきにくいものだ。)
非モテ・ロジックにすがらないで生きている「一人の不器用な人間」。これならば巷にあふれかえっている。その「不器用さ」には程度や種類の差はあるだろうが、多かれ少なかれ人間関係(恋愛含む)や生き方で悩みを抱えているという点で同じだ。性別も関係ない。不器用さで言えばわたしだって自信がある。
これが普遍性の獲得である。
非モテという言葉がなかった時代は、みんなそうして生きていたはずなのだ。


(「よくいる不器用な人間の一人」として扱われるのは嫌だ、非モテというのはもっとまったく違った存在なのだ、こんな風に普遍化される(できる)ようなものではない、というのならば、やはり非モテは特殊な存在であり、普遍的な存在ではないということになってしまう。そして、その特殊な非モテの論ずる非モテ・ロジックに普遍性があるか否かといえば・・・(以下無限ループ))


「“苦悩”の本質は同じなのに、“非モテ”を名乗らないだけで何が変わるんだ」という向きもあるだろうが、実際問題として非モテを名乗って現代社会の価値観全否定およびカップル叩きなどをやってる人たちは、ネットの「非モテ勢力」を背景にしているところがないとは言えないだろう。はてなブックマークのコメント「死ねばいいのに」の問題でも、「攻撃的な非モテの人たちがブログ閉鎖の主原因になった」と見られている。
こういった話題で「非モテ」が一般レベルに浸透してくると(悪い噂の方が浸透しやすいのはどこでも同じ)、「特殊な集団・攻撃的な人が多い・社会やら女性に憎しみを抱いている」という印象が付与されるわけで、そんな中で「非モテ」を自ら名乗ること、「非モテの定義」に縛られることに、どんな長所があるのだろうと思わずにはいられない。
わたしが推測できる理由は、「非モテ仲間を得て団結できれば他のことはかまわない」くらいなものである。


(穏健派非モテに関してはこの限りではない。その人たちは「非モテ」を背景にして世間を攻撃しているわけではない以上、非モテを名乗ることである種の力を得ようとはしていないからだ。
非モテを名乗っていても、非モテとしての自己主張とかにそれほど熱心でなく、普通に非モテブログから一般ブログにまでつきあいがある、というタイプね。別の活動に熱心だったりとか。そういう人には非モテというしばりはあまり関係ないのだろう。・・・でも、だからこそ非モテを名乗ることの意味もそれほどない気がするんだけど)


とはいえ、「非モテとしてのアイデンティティを確立している人」に、そこにすがらず独り立ちせよと言っても無茶なんだろうな。こればっかりは難しいだろうと自分で言ってて思う。ただ外側から見ていると、ネットでくらいモテとか非モテとか言わずに女の子とチャットでもした方が楽しいだろうと思うのに、なぜそういう方向にはいかないのかというのが非常に不思議なもので。


それはともかく。
恋愛を放棄し女性を排除し社会に毒を吐き、「非モテ以外の人間との相互理解など不要」といわんばかりの非モテは多い。それはそれでひとつの生き方だと思っている。とはいえわたしには共感できないし理解もできないので、相互不干渉しかないだろう。お互いに相手の理解や共感を求めてはいないから。


そういうわたしの態度に、「もはや単なる他者切り捨てとしか言いようがない。」とLeiermannさんは書いているが、ご自分だって話が合わないと判断した相手にはそういう態度を取ってきたでしょう、としか言いようがない。
わたしは一連の非モテ系ブログを読み、kammy+さんがコメント欄で表現したところの、それこそまともにとりあうのも馬鹿らしいひとりよがりな理屈で成り立っているものも多くありますというブログ、S.タニムラさんがいうところの「護身」に終始し、「女はこんなに醜い」「女が見ているのは男の顔と金だけだ」という論理をあたかも全ての女性がそうであるかのように主張するわけです。という人々とだけは相容れないと思ったので「そういうタイプとは話をする気がないし、理解・共感を得られなくても困らない」と言明した。スタンスを明らかにしただけである。あっちも女を嫌っているのだからわたしなどに関わられたくはないだろうし。
(前回のエントリを書いた時、ちょうど立て続けに読んだ直後だったせいで、うんざりした感がなきにしもあらず)


でも、恋愛を諦めていない非モテとか、非モテ以外の一般人に受け入れてもらいたいと考えている非モテとか、モテないので一応非モテを名乗っている的穏健派非モテ氏とは、話をすることができるんじゃないか、という気持ちがあって文章を書いているわけです。(まあそれが自分の生き方とか価値観を再認識する作業にもなっているからやってるってのもあるけど)
大方の非モテさん達は遅れて青春体験してるな」とコメント欄でbyoonさんが書いていたけどその通り。苦悩それ自体から逃げてない、「俺以外の人間や社会が悪い」と責任転嫁したり理論武装しないで真摯に向き合っている非モテの文章には共感させられるわけ。自分も以前感じたことのある苦悩だから。
それが非モテに興味を持った最大の理由と言えるかもしれない。


そしてここで再びハッキリさせておく。わたしは恋愛を人生における至上のものと思ってはいないし、そういう恋愛の仕方もしてこなかったし、恋愛するもしないも人それぞれだと思っている。
だけど、恋愛を次から次へと楽しんでいる「恋愛資本主義的」カップルの生き方を間違ってるとも思わないし、それはそれで人生楽しいかもしれないと思う。純愛にこだわる非モテ諸氏にも良い悪いを言うつもりはない。そういう恋愛が一生に一度でもできたら幸せなのだから。
しかしそもそもそこまで他人の恋愛に興味はない。みんなそれぞれ好きに生きればいいじゃん、何でことさらに他人の恋愛を叩くんだ、としか思えないのだ。


ただ、「モテ・非モテ」にこだわる人々にとっては恋愛(=異性に愛され、承認されること)が重要なのだろう、恋愛問題が解決しないことには人生一歩も進めないみたいだな〜と見ていて思ったから、彼らの価値観に即し、彼らがしたいと考えている種類の恋愛をするにはどうすればいいのかと考えているだけだ。
恋愛や女性を「現実」と言ったのも、女性とつきあいたいと思っている非モテにとっては、今モテてない原因を延々書き連ねるより、生身の女性という現実を見つめたほうが彼女できる可能性高いですよ、という意味でしかない。
(なんてのも自分でよく分かってるんだろうな本当は。ついツッコミ入れてしまうけど)


だから、「恋愛なんかそれほど大事か?!」というコメント含む一部反論に実はものすごくビックリしてるわけ。非モテにとってはふつーに重要なんだとかたく信じ込んでいたから。
たとえば、Leiermannさんの「非モテ」概念の混乱を見ていると、非モテにとって恋愛やその挫折がものすごく重大な問題だという話がされている。こういうのを読んでいる限りはそう思ってしまう。
それに、本当に恋愛がその人にとって重大な問題ではないとすれば、「恋愛は大事よ。もっと恋愛しなくちゃ」などという人を見つけるたびに強く反論する必要もないと思うのだけど。それは、上記の価値観の話で書いたとおりだ。


だけどこれがわたしの勘違いで、非モテにとっては恋愛など重要じゃないとすればコミュニケーションしやすいですよ。恋愛なんかしてもしなくても人それぞれだよね、という共通の大前提の元で、恋愛話なんか擲っちゃって、例えば漫画とか映画とか本とか、趣味の話で親しくなることも可能じゃないですか。(その趣味が合えばだけども)
わたしはネットの友達に恋愛経験があろうがなかろうがいちいち気にしてないので、ふつーに趣味や話の合う人と仲良くしてますよ男女問わず。そういう風に非モテの人と親しくなることに関しては全然問題ない。


「非モテ」という言葉からはどうしても、「モテたい」「恋愛がしたい」「女性に『男』として見られたい」「いつも恋愛で悩んでます」という無言の主張を感じさるを得なかったので、そこに引いていたのと同時に、「何とかして彼らがモテる(恋愛できる)ようになる方法を考えることでしかコミュニケーション取れないんだろうなあ」と思って、こちら側からすれば逆にそこがプレッシャーだった。「非モテとしての俺を受け入れろ」という要求をされているように感じるというのは、そういうことである。
だけど、「恋愛なんか重要じゃないし別に誰ともする気もないよ。ご心配なく」というのであれば、楽にネット友達になれるという人は多いと思う。
実際にこのブログにも「非モテです」とか「元非モテです」って人のコメントをもらったけど、相互理解できそうな人はちゃんといるとわかってるわけだしね。
というわけで、「非モテ」でも、「モテてはいないけど別に恋愛する気はないし、このままでも充分満足して楽しく生きてますよ。」という人となら、いくらでも楽しくコミュニケーションできると思います。
(ただし恋愛至上主義者がたまたま現れて、「恋愛って素晴らしいわよーあなたもしてみなさいよ」とか言ったとしても、「いや、俺興味ないから。恋愛なんてどうでもいいし」と軽くスルーできるくらいの強固な価値観がないと、「なんでそんなことが言えるんだ。差別だ。おまえに何がわかる」とか、即コメントバトルになって荒れるだろうなーと思うけど。)



最後に。わたしとLeiermannさんとは多分決定的に合わない。前の騒動でも思ったけど、2回も続けば相互理解は不可能と判断します。何を書いても曲解されたり攻撃されるんじゃ疲れるだけです。



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投稿者 : ナツ at 2005/12/05 | カテゴリー : ジェンダー
コメント

投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 5日 02:56

以前は突然の不躾なコメントで失礼しました。

>「恋愛なんかそれほど大事か?!」というコメント含む一部反論に実はものすごくビックリしてるわけ。

あ、これってそんなに理解されにくいことなのか、とちょっと思いました。私としては「非モテ」の当然の帰結くらいに思ってたので。(考えてみれば、非モテblog界で総攻撃を受けたMasao氏なんかも、この辺が食い違いの原因だったのかもしれません。)

ほとんどの非モテにとって恋愛は確かに重大なんだけど、それは「なくてはならないもの」という意味でではなく、「生きる上での重荷」なんだと思うんですよ。「恋愛していない人間はまともに扱われない」「恋愛できない=コミュニケーション不全=人間失格」というプレッシャーを何らかの理由で通常以上に感じてしまっているのが「非モテ」なのだと思われます。
もっと言えば、非モテにとっての恋愛は「世間的承認」の象徴であるわけで、恋愛の重荷とは世間の重荷でもあります。「軽く」恋愛できる人は「恋愛してて当り前の世間」に容易に順応できる人であり、そのような「世間」に順応できないのが非モテ、というわけですね。

このように捉えれば、「恋愛がうまくいくにはこうすればいいよ」というアドバイスに対して「そんなことしてもうまくいくわけないじゃん」と返す非モテが多いのにも納得されるのではないでしょうか?(もちろん例外もありますが)


投稿者 : Leiermann at 2005年12月 5日 04:02

 正直、曲解と言いたいのはこちらの方です。真面目に反論するのも疲れるので要点のみ。
・人の書いたことを理解できなかったのに「曲解」などとどうして言えるのか?態度自体が疑問。
・「非モテ」の全てが「恋愛」に囚われているのだと思っていたのだとしたら余りにも調査不足。私の「非モテ」定義関連の記事にも「恋愛に絶望した者」のことを触れているはずである。
・少なくとも「恋愛放棄」を標榜している者もいるのだから、それらに何らかの疑問を明示しておかない限り「恋愛や女性という現実」という書き方が「恋愛」に「現実=普遍」性を前提としたと読まれても当然。
・そもそも、私の記事の本旨は「恋愛」が本質であるか否かではなく「普遍」という言葉を使ったことにある。
・「共感能力」が「普遍」であるとすると、「共感能力」の欠けた者を想定している時点で、それらの者を普遍から排除している、というその問題点に一切触れられていない。
・逆に、自分が「普遍」から排除されている可能性を想定せずに、「非モテ」に「普遍性はない」と言える理由はどこにあるのか。
・そもそも「非モテ」が徒党を組んでいる事実はない。「攻撃的非モテ」なる概念が登場するようになった以前から私は「非モテ」を名乗っていたのである。
・本記事においても、一部「非モテ」の主張として、責任を社会など他者に求めることを「責任転嫁」と決めつけているが、その根拠が示されていない。
 以上。


投稿者 : Leiermann at 2005年12月 5日 04:04

 訂正。
・そもそも、私の記事の本旨は「恋愛」が本質であるか否かではなく「普遍」という言葉を使ったことにある。

・そもそも、私の記事の本旨は「恋愛」が「普遍」であるか否かではなく、「普遍」という言葉を使ったことそれ自体である。


投稿者 : kiya2014 at 2005年12月 5日 11:39

>相互理解不可能
それこそオフ会でもしてみたらいかがでしょうか。
(まあ、ヘタレLeiermannさんは誘っても参加されないかもしれませんが)
ネット上で理解不可能と言ってもそれは所詮ネット上の話で、日常生活とはかけ離れている場合も多々ありますからね。

ヘタレ非モテキチガイLeiermannさんがオフラインで接してみても本当にヘタレ非モテキチガイで
基本的な他者共感能力に欠落した人間だったなら、ナツさんのエントリの説得力はより増しますし、
逆にそうでなかったらそれはそれで相互理解のチャンスがあるということで精神衛生上よいことです。


投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 5日 11:46

うーん。。両者とも、そんなに読みづらい文章とは思えないんですが…
これ以上すれ違うのもアレなんで、横槍ですが一応論点を整理してみます。

枝葉を無視するなら、Leiermann氏の批判の骨子は「多数派であること(数)=普遍的(質)という論理の飛躍」が「少数派を断罪している結果になっている」ということです。これに対してナツ氏は回答せず、「普遍的な感情」「他者に理解されうる=普遍性の獲得」という概念を自明としています。
要はこれは「他者からの承認」に対する考え方の違いでしょう。ナツ氏はこれをほとんど自明の前提としており、Leiermann氏はそうでないわけです。

私としては、「多数派であること」「多くの他者に理解されること」が普遍的であるという考えには賛同しません(この点ではLeiermann氏に同意)。
ただし、元となったMK2氏のエピソードには、やはりある種の普遍性があると考えています。

太宰治のある小説に「人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また『絶望』という観念にも同様にあざむかれる事がある。」という一節があります。MK2氏のエピソードはまさに「絶望に欺かれた」ものと言っていいでしょう。いくら深い「絶望」であっても、それは「希望」と同じように本人の願望でしかなく、現実を写しているとは言えない。故に絶望は時として現実によって裏切られる、という普遍的事実を氏のエピソードは示していると私は思います。


投稿者 : nanashi at 2005年12月 5日 19:57

非モテという自らの立場は被害者であり被差別者であること、
そしてその「正しさ」を訴えたいんじゃないかと。
孤独の中(自分のせい)、日々を耐え忍び(非モテの特権にあらず)、
巨悪である「恋愛資本主義」(他人のうけうり概念)と戦っている
スーパー戦士・非モテ!みたいな。カッコいー。

実体は嫁イビリくらいのスケールの揚げ足取りと
たまった精子が合体して出来た怨念のガス抜きが主な活動。
ネットだからそれくらい許して欲しい。
非モテは「紳士」だから現実ではおとなしいのだ。

で軽い気持ちで非モテとはなんぞや、と他者が接してくると
猜疑心と被害者意識という重いヨロイを身に着けたスーパー戦士は
「貴様に何がわかる!これは攻撃か!?悪の手先なら容赦しないぞ!!」とエナジー炸裂。

ただ、彼らの攻撃の中身は実は「防御」で、
「我々は正しい、だって被害者だから!いけないのは加害者!」という一点のみを
言い聞かせているだけ。(一般人に背を向けて、非モテ戦士たちに拡声器で)
他者の文章の内容もそれを言いたいがためにガンガン曲解。
彼らがなぜ"被害者が正しい"と信じているのか、そのあたりをつついても
長文ターボが爆裂して仮想加害者の仮想罪を列挙して自己完結するだけ。

非モテじゃなくてデンパなのか、と一般人は納得し
同様の恋愛にコンプレックスと被害者意識を持つ人はLeiermann文で溜飲を下げる。
自分は悪くない、と確認するために。


投稿者 : rangelife at 2005年12月 5日 20:14

お邪魔します。
TB2重に打ってしまいました。申し訳ありませんが、削除をお願いします。お手数お掛けします。


投稿者 : イカフライ at 2005年12月 5日 21:15

>>「恋愛なんかそれほど大事か?!」というコメント含む一部反論に実はものすごくビックリしてるわけ。

私としても、これは「二階にあがってはしごをおろされた」気分です。

 それなら、なんで
http://blog.goo.ne.jp/ikafurai007/
こんなブログまで立ち上げたんだろうと。
 そもそも、もともとはKAMMYさんの文章について「共同体とはなんぞや?」という話しだった筈で、それがいつのまには「非もて」論になっちゃっているんだよね。

 >「恋愛していない人間はまともに扱われない」「恋愛できない=コミュニケーション不全=人間失格」というプレッシャー

 これは、素朴に質問なのですが、そもそもそんな現実が今の若い人達の間ではあるのですか?確かに、渡井時代は、恋愛と言うのはつきものであることはいつの時代にもありますが、実際にはカレカノのいない人もたくさんいたし、まあ、私はオタ歴が長い分、パンピーとも少々ずれているのかもしれないけれど、いちいちいち人とせっする時に恋愛経験の有無や現在恋人がいるかどうか、そこまで拘るのですか、今の若者は?
 私は20年前の若者ですので、推測するしかないのですが、例えば30年くらい前は「酒が飲めない男は男じゃない」とか「結婚しないと出世できない」なんてことがありました(偏見以外何モンでもないけれど)。でも、今は先を飲まない管理職も独身の管理職もいますよね。(そもそも共同体が崩れたということをそういう部分も指して発言したのですが。)

 


投稿者 : イカフライ at 2005年12月 5日 21:31

>先を飲まない

酒を飲まない、と間違いです、ども。


投稿者 : 満ドリル at 2005年12月 5日 21:52

烏蛇さんのおっしゃっていることとあまり変わらないかもしれませんが、「承認欲求」に加えてそれを満足させるための「共感能力」までが「普遍的なもの」だというのがナツさんの立場。一方で、多数派に対する共感能力をもって「普遍性」を語るのは少数派への理不尽な断罪であるというのがLeiermannさんの立場。ということでよろしいでしょうか。

正直、「MK2さんの気持ちに共感するのは普遍的」と言われてしまうのは私もちょっと引っかかりました。どんな人のどんな経験や気持ちに共感できるかは人それぞれですし、個別の事例に対する共感の度合いで普遍性は測れないかと。全米が泣いた映画で泣けない奴は人間として欠落してる、とか言われたらたまらんわけです(笑)。ただ、今回のエントリを読む限り、ナツさんも「MK2さんの(個別の)事例に対して共感できない人は人として欠落している」という意味合いで「共感能力」を考えていたわけではないんですよね?なら、根っこのところではお二人の間に深刻な意見の対立は無いように思えます。

多数派に受容されたければまず多数派を受容して共感しろという話は、現実的にはそれしかないかなと思うものの、承認欲求が満たされてこなかった人達に一方的にそれを求めるのは酷かなと思います。いじめっ子に対する恨みで一杯のいじめられっ子に向かって、「いじめられたくなかったら、まず自分の欠点を反省していじめっ子を好きになることから始めなさい」と言うようなものです。それができれば素晴らしいですけど、感情的にはなかなか難しいんじゃないでしょうか。

最近は「非モテ」も非「非モテ」も、お互いに「他者切り捨てとしか言いようがない」態度を取る悪循環にはまっているような気がします。そういうときこそ、お互いに共感力を発揮して「君の気持ちは分かるよ」と言い合えたら良いのにと思うんですが。


投稿者 : Piro at 2005年12月 5日 22:07

Leiermannさんは「普遍」という言葉の字面にツッコんでるだけなんですよね、要するに。
文章が長く、他の話題も織り交ぜられていて、焦点がぼやけてしまっていますけれども。

このエントリの内容を読み取る限り、私は、これは単純にナツさんの言葉の選択の誤りだと思います。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C9%E1%CA%D7&kind=jn&mode=0&base=1&row=9
普遍的:すべてのものに共通しているさま。すべてのものにあてはまるさま。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C9%E1%C4%CC&jn.x=20&jn.y=12&jn=%B9%F1%B8%EC&kind=jn&kwassist=0&mode=0
普通:たいてい。一般に。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BF%A4%A4%A4%C6%A4%A4&kind=jn&mode=0&base=1&row=1
たいてい:(1)全部ではないがほとんど。おおよそ。大体。


投稿者 : 桂 at 2005年12月 5日 22:48

はじめまして。非モテネタを追っているうちにこちらのブログにたどりつきました。
ナツさんへの疑問では無いのですが一点不思議なこと。
非モテの人たちはナツさん含め一般人には噛み付くのに、
どうして非モテ仲間からの糾弾は無視するんでしょうか。
こちらにも名前の見えるkiya2014さんのブログでは
もっと非モテに対してひどいことがかかれていますよ。被害者ぶっているとか。
こちらの議論相手である方も名指しで批判・中傷されています。あれも蔑視だと思うのですけど…。
同じ非モテであれば無視で一般人が非モテを語れば即差別なんでしょうか?
非モテ以外の人が非モテを全面肯定しなければ差別者。
でも非モテが非モテを叩いても個人の意見としてスルー。これは理不尽な事ですね。
非モテ以外の人の言葉だって個人的意見であるはずです。
それを容認できないのは感情的問題なんだと思います。
何だか非常に疑問でしたので発言させていただきました。
ナツさんへの質問ではないし、お忙しければレスはけっこうです。
よけいな事でしたら済みません。

>piroさん
横レス失礼します。「普遍」がこちらの意味であれば、何ら問題ないのでは。

ふへん 0 【普遍】
(名)スル
(1)広く行き渡ること。
「火山の到る処に―するを/日本風景論(重昂)」
(2)すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。
⇔特殊
「―の原理」
(3)〔哲・論〕〔universal〕(ア)宇宙や存在の全体にかかわっていること。
(イ)複数の個物について共通に述べられ得る事柄。普通名詞に対応する項辞ないし概念。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C9%E1%CA%D7&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

(1)広く行き渡ること。か、
(3)の(イ)複数の個物について共通に述べられ得る事柄。普通名詞に対応する項辞ないし概念。
なら特におかしくはないと思えます。


投稿者 : もーもも・もーも at 2005年12月 5日 23:18

非モテにも共感能力ありますぜ。
俺らにも、人を思って涙を流す時ぐらいある…。

…エロゲーだけどな ('A`)
みさきせんぱーい! ああーっああああああああああーーっ!∩( ・ω・)∩

…人じゃないですかそうですか。
…エロゲー熱く語るオタキモイですかそうですか。


ではおとついの出来事など。

(一足早い忘年会)
イケメン同僚「おまえインポ?」
('A`)「?」
イケ「だって女に興味ないみたいに振舞うべいっつも」
('A`)「もういいの恋愛は。あきらめたの。」
イケ「あきらめることねえってまだまだおまえだってイケルぜ。まずマユ剃れ。美容院行けって。」
('A`)「…それでイケル?」
(横から突然)
女1「あとキョドらないこと」
女2「目をしっかり見れ」
女3「ニキビキモイ」

一同「ひでー! 言い過ぎー!」と盛り上がる。
('A`)「…。」

ようするにさ、みんな俺をコロがして遊んでるんだよね。
最近は自分が笑われても「楽しそうだな」って他人事のように思えるようになったよ。

新年会が鬱。('A`)


投稿者 : 牛心 at 2005年12月 5日 23:31

私は非モテというのは要は孤独感、疎外感が強い人のことだと思っていましたが…
タクシードライバーのトラヴィスのような。
恋愛は大事な要因ではあるがそれが問題の全てではないよ、みたいな。
そういう気持ちだったら理解できるのですよ。
私も他者への共感能力が低いことで悩んだ時期もありましたので。
それは努力によって改善するとは限らないですし。
だから共感性は普遍だと言われてムっとする気持ちも分からないでもないかな、と。

まあ推測が前提になってるんで的外れかもしれませんが…


投稿者 : しぎこ at 2005年12月 5日 23:37

>Piroさん、桂さん

横レスですけど、Leiermannさんはたとえ「普遍」という言葉を「普通」と言い換えても納得されないだろうと思うんですよね・・・。
私がコメントで「『あんたは普通の人間じゃない』と言われたのだとお感じになるのですか?」と質問したら、「そうだ」とお答えになりましたから。


投稿者 : Shuji Author Profile Page at 2005年12月 5日 23:49

「普遍」という言葉には絶対性の要素があるのではないかと・・・。

そして、共感することは一緒に地獄に落ちるという側面があること・・・。


この二つの視点を補足しておこうかと感じました。


投稿者 : nanasisan at 2005年12月 6日 00:04

>>満ドリル殿

>「共感能力」までが「普遍的なもの」だというのがナツさんの立場。

じゃなくって、

「共感能力」までが、誰かと「つながるためには」「普遍的なもの」だというのがナツさんの立場じゃないですか?

で、「つながる」ことを放棄するのであれば、それはそれでひとつの生き方だからご随意に、と書いてあるように読めましたが。


投稿者 : doidoi at 2005年12月 6日 00:21

普遍という言葉の定義よりも、「共感能力」へのコンプレックスをより感じました。
とはいえこれは非モテに限定されたものではなく、共感能力を要求されるとギクリとくる人はかなりいるのではないかと。


投稿者 : Piro at 2005年12月 6日 00:37

>しぎこ さん

>横レスですけど、Leiermannさんはたとえ「普遍」という言葉を「普通」と言い換えても納得されないだろうと思うんですよね・・・。

では、「多数派」あたりで。


投稿者 : なお at 2005年12月 6日 00:51

初めてコメントさせていただきます。なおと申します。

いつもナツさんの記事を楽しみに読ませていただいてます。今回の非モテに関する記事も、とても興味深く読ませていただきました。

私もナツさんの記事を読んで、nanasisanと同じ意見を持ちました。
誰かと「つながりたい」と思ったら、共感能力は普遍的なものだと思います。でも「つながりたい」と思わなければ、別に普遍ではない。
その人が「どうなりたいのか」という自分自身の意志によって異なるものなんだ、と思いました。

私自身、「つながりたい」と思う気持ちに波があります。「つながりたい」と思う時と、「1人でいいや」って時と。

『非モテ』と一言で言っても、色んな方がいらっしゃるようなのですが、皆さん一体「どうなりたい」のでしょうか?
それによって、話や意見も変わってくると思いました。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 6日 01:06

月曜日からものすごいコメントの数で気が遠くなりそうです(笑)反響をいただけること自体は嬉しいんですが。
えーと、とりあえず時間も限られてますので目についたところだけ。後日またレス追加するかもしれませんが、ご容赦を。

●Leiermannさん
もうあなたとは関わりたくないという意思を表明したつもりですが、こちらも要点のみ。

・わたしの書いたことも理解されているとは到底思えない。それなのに「自分は分かっている」と思えるのは何故なのか。その態度はこちらも同様に不快である。
・恋愛に絶望したあとでそのことにいつまでも拘泥し、他に生き甲斐を見つけ前向きに生きられないとしたら、やはり恋愛に「負の意味で」囚われているのである。
・攻撃的非モテ以外で恋愛放棄している非モテについては基本的に想定していなかったが、以前からどんな非モテを相手に文章を書いているのかについては明言している。(「女なんてもう要らないと思ってる非モテには関係ない話しかできないと思う。」)
・わたしが何を「普遍」と考えているのかについては説明したはず。それに反論するならば、わたしが「普遍である」と主張したことについて「普遍ではない」という反証をすべき。それもせず「言葉自体が問題だ」というのは論理のすり替えである。(もし本当に普遍であるとしたら「普遍」という言葉を使うことに問題はないからだ)
・「共感能力」が普遍だなどとは一言も言っていない。人間のある種の感情が普遍であるという話である。その普遍的感情に共感する者もいればしない者もいる以上、共感能力自体を普遍であるとは論じていない。
・「自分が普遍の側である」などとも言っていないが、「自分の立つ側が常に多数派であるとは思っていない」ということは、マイノリティ・マジョリティの論で明らかにしたはずである。
非モテは元々は我々と何ら変わらない存在である。自分たちを特殊化しているのは非モテ自身であり、我々ではない。普遍性を獲得する手段はいくらでもあるのだという話も理解されているとは思えない。
・「非モテ」が徒党を組んでいる事実がないことはともかく、はてなブックマークのコメント事件などで「集団から攻撃されている」と感じる人がいるということを関係者であるあなたも理解し、反省したはずではなかったか。「非モテ」というグループが存在すると見られていることは確かだという話をしているのである。
・あなたは社会や女性や非モテ以外の男性に「非モテが非モテになった責任がある」と思っているのか。それが非モテ以外の人にも納得のいく理論であれば責任転嫁などとは言わない。非モテ内部にさえ「それはおかしい」という声がある。因果関係を明確にし客観的に見ても納得のいく理論を構築しなければ、「本当に責任がある」という証明にはならず、主観的な主張にしかなり得ないことは理系学部のあなたもご存知のはず。「体験は一般化できない」というあなたの言葉はこの問題にこそ相応しい。

話にならないことがよくわかりました。自分はこちらを蔑むような攻撃的表現を次から次へと用いながら、こちらにはいかなる差別的表現も許さないと言葉尻を捉え礼儀を強制するダブルスタンダードはひどすぎます。礼儀正しく誰も見下さない穏やかな人に言われるのならば説得力はありますけども。
「お互いに」解り合えないってことで今後は関わらないで下さい。わたしも関わりませんから。以上。

●kiya2014さん
>それこそオフ会でもしてみたらいかがでしょうか。

すみませんがそこまでして相互理解したいと思える人ではないです。というかこれ以上関わりたくないです。わたしにとって精神衛生上よいことは、好きな人あるいは共感したいと思える人と共感し合うことであり、攻撃的で理解できない人と嫌な思いをして対話し続けてまで自説の正しさを証明することではないからです。自説の正当性なんてしょせんネットの中の自己満足ですし。
自己満足も人間には必要ですが、そこを満足させたいあまり感情的になっても自分にとって重要なものを失ったら本末転倒です。昔はよくやりましたから多少は学習してるんです。つまり理解できないような嫌な人と長いこと関わり合って時間を無駄にしたくないんです。
例えばの話、烏蛇さんのような方とならば普通に議論ができそうなので、価値観なり認識なりが違っても、何か面白い結論が出て来るかもしれないという期待がありますが、Leiermannさんの攻撃的文章からはそういう期待が得られません。
Leiermannさんも本当は賢くて理性的な方のはずですから気づいていると思いますよ。わたしと関わり合うのは無駄だと。

他者共感能力の有無についてもわたし自身は重視していないのはエントリで述べたとおりです。「その人の価値観で共感能力が重要ならば、その人にとっては共感能力が必要なので、無いことは欠落である」としか思ってないし。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 6日 01:20

●烏蛇さん
>Leiermann氏の批判の骨子は「多数派であること(数)=普遍的(質)という論理の飛躍」が
>「少数派を断罪している結果になっている」ということです。これに対してナツ氏は回答せず、
>「普遍的な感情」「他者に理解されうる=普遍性の獲得」という概念を自明としています。

それには誤解があります。記事中で書いたとおり、本来ならば普遍的であるはずの非モテの抱える問題および感情を、普遍的でなくしているのは非モテ自身なのです。(「非モテ・ロジックに支配されている非モテ」と再び定義しますが)
非モテが自分のさみしさや孤独感、他者に向けたくて向けられない愛情を直視し、他者とつながりたいという欲求を率直に表現する時、それはMK2さんの文章と同じだけの普遍性を獲得します。
なぜなら非モテも本来ならば普遍的な存在、「生きることに不器用な一個の人間」でしかないからです。我々みんなと共感することのできる人々です。「非モテが少数派だから理解・共感されない」という意味ではないのです。少数派でも多数派でも、その感情、気持ち、切望自体は同じなのですから。
烏蛇さんがおっしゃるとおり、この意味では「普遍性」という質の問題に数は関係ないわけです。

ですが、一部非モテはそのせっかくの普遍性を自ら放棄し、非モテ・ロジックに縛られることで少数派の道を選んでいます。わたしの論理を「少数派の断罪」と烏蛇さんは表現しましたが、逆に非モテ・ロジックとは「多数派の断罪」であると言えます。自分たちを少数派であると自ら規定した少数派からの、漠然とした多数派への糾弾なのです。「多数派を勝手な理屈で断罪するのはやめろ」という言葉に、「それを禁止するのは少数派の断罪である」と返されているのが今の状態なわけです。
であればこそ、そこで非モテが自ら規定した「非モテ」というグループに属さない人間すべてが、「自分は断罪されている」と感じ、反感を抱くわけです。「おれと友達にならないとぶん殴るぞ」「お前たちが悪いから俺たちが女にモテないし差別されている。悪いから悪いと事実を言ったまで。それを理解し謝罪と賠償(略)」などと言われていると感じるわけです。

そのロジックに正当性と説得力がない限り普遍にはなりません。つまり、ロジックの「質的問題」が普遍性を消し去っているということです。
また、「多数の人に共感されるから普遍的真理である」というのが真であるとはいえないが、ある程度の共通概念(共通認識)を踏まえた論理でない限り真理であるとは認識されないのも事実ですから、共通概念といえるのかどうかをこの場合普遍性のひとつの論拠にしていると考えて下さい。とにかく何もかもを相対化してもらちがあきませんから。

わたしが想像するに、非モテ・ロジックを必要としている非モテというのは、さみしさや孤独感や他者とつながりたいという欲求(普遍的感情)を率直に表現し、だからこそ受け入れてほしいのだと主張したりしたら、「多数派」に攻撃されるに違いない、「敵」に弱味を見せたくないという恐怖心があると思われます。その未然の恐怖により「論理」で自らを護身するわけです。
その理由のひとつに、その感情が「普遍的なものである」とはどうしても信じられないということがあるのではないかと推察します。他者と共有できるものだと信じることができないから、「自分個人の弱点」だと判断し、隠してしまうわけです。その意味で、他者の中にも普遍的に存在するさみしさや苦悩に気づいていない、人の気持ちを理解しにくいのだと言えます。これはとても不幸なことです。
ですが本当に受け入れてほしい相手は誰か、その相手を「敵」と認識してはいないかをもう一度考え直してほしいものです。

MK2さんのエピソードにあらゆる普遍的なファクターが内包されていることには同意です。わたしが感じとった「普遍的感情」も、烏蛇さんが感じた普遍的事実も同様に正しいのでしょう。
ですがそれらの要素にひとつも気がつかない人にとっては、あの文章は何の意味も持たない代物なのでしょう。

●満ドリルさん
>「承認欲求」に加えてそれを満足させるための「共感能力」までが「普遍的なもの」だというのがナツさんの立場。

全然違います。人間のある種の感情(孤独・さみしさetc)そのものが普遍である、という話しかしていません。あなたの中にもわたしの中にもあるという意味。
その普遍的感情に共感できるかどうかはまた別の問題です。共感できなければ普遍の側じゃない!などとは一言も言ってません。共感できる人とできない人がいるのが世の中です。人間は様々なのだから。

ただ、何度も説明しているように、他者に共感できない人間が、他者との精神的に深いつながりを要求することは無茶です。恋愛資本主義を断罪する非モテの人は恋愛に強い精神性を求めているらしいので、そのためには深い共感能力は必要です。容姿やファッションやセックスで相手を選ぶわけにはいかないので、心だけを深く理解し共感し合う能力が必要なのです。
つまり、恋愛資本主義的な一般男女、非モテより多数派であるところのカップルよりも共感能力が高くなければ目的は達成できないということ。そこまで高い共感能力なんて普遍とは言えませんよね。ですから普遍とはわたしも言っていないわけです。
だけどそれを理解せず一足飛びに精神論的純愛を求める非モテ氏がいるのは確かなことです。その高望みに対しては記事中で皮肉っていますが、共感能力の有無に関しては何ら判断を下していません。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 6日 01:25

●piroさん
「普遍」は必ずしも「すべてのものに共通」していなければ使えないという用語ではありません。そこの辞書ではそう定義してありますが、例えば哲学用語ではその限りではない。「共通概念」と烏蛇さんへのレスでは表現しましたが、「例外なくあらゆるものに共通」という意味は付与されていません。ネットにはソースがあると思いますが。(時間がなくて今は探せない)
まあ、わたしとLeiermannさんの「普遍」の解釈が違うことによる認識のズレがあることはわかりました。でもそれがわかっても彼とは議論にならないと判断してますので、他の冷静な方と対話できたらいいと思っています。

●しぎこさん
>Leiermannさんはたとえ「普遍」という言葉を「普通」と言い換えても納得されないだろうと思うんですよね・・・。

同感です。「多数派」でも多分無理。

●nanasisanさん、なおさん
普遍と言うより、「つながるためには必要だ」ってことですね。でもわかっていただけてるみたいでよかった。
非モテの人たちの多くにはなぜか誤解ばかり受けています。コミュニケーションスキルの問題がどこかで論争になっていたようで、その論争ではコミュスキルや共感能力がないのは普通じゃない、という文脈で語られることが多いらしいんです。それで、「だからお前もそう言ってるんだろう」と先入観で思い込まれている気がします。
そんなこと全然言ってませんて・・・。わたし自身だって鈍いところがあるんだし。


投稿者 : 通りすがり at 2005年12月 6日 01:42

rangelife氏の、拒食症に例えた記事を読み、ひとこと書きたくなりました。
“普遍”という言葉に反発されてる方々も、ナツ氏と同じく
『』に書かれていることが“普遍的”だと思っているような気がします。
つまり、両者にそんなに差はないように、わたくしには見えるのですが。

「人間関係を忌避する人」というのも、いくら忌避していても、根底に、
『他者とのつながりを欲する気持ち・それを持たなくてさみしい気持ち・孤独感・好きな相手のために何かしたいという気持ち』があるんですよね?
あるからこそ、“普遍的ではない者”(そういう気持ちがない)と言われると、
怒りを覚えるんじゃないでしょうか。
拒食症の方が、「食物」や「食べること」に直面した時に苦しくなるのと同じように。
(「食べなきゃ生命の危機だ」という事がわかっているからこそ、
よけいに苦しいんではないのかと思うんですよ)
もしも、そうならば、
彼らは根本的に“普遍的ではない者”でも少数派でも被差別者でもないわけで、
ナツ氏が差別しただの貶めただのというのは、あてはまらないんじゃないでしょうか??
一時的に、そういう気持ちが持てないだけだとしても、やっぱりあてはまらないと、
わたくしは思いますが。

非モテの方が自分に対して何かを考えたいなら、
こうした言葉の使い方に拘るよりも、
自分の中にある、『』に書かれている気持ちと向き合ってみるのが先決であるように
思います。

根本的に『』に書かれている気持ちなど持っていない、ということなら、
話は違ってきそうですが・・・


投稿者 : 簾 at 2005年12月 6日 02:20

うーん…。
本文を読んでからコメント欄を見ると、様々な意見が大氾濫していて自分が本当にナツさんの意図を汲めているかどうか自信がなくなってきます。

そもそも非モテというカテゴリ自体、無理のある概念かもしれませんね。色々な派生種があり、語るにあたってどの種類が対象かをいちいち特定しなければならないのなら、こんなメンド臭いカテゴリ名無意味な気がします。
でもなくならないんですよね。
ナツさんはモテない男を嫌いだとか変だとか言っているわけじゃなくて、単に責任転嫁して保身に走るにとどまらず、攻撃に転ずる人が嫌いなんですよね…。
攻撃型非モテの人は自分の痛いところを付かれると差別と受け取るのでしょうか。非モテの中に色々な人種がいるのをわかっているのなら、ムッとする文章読んでも「自分のことじゃねーや」とスルーすれば精神の健全が保たれていいのに。
あーでも、攻撃性非モテの人が些細なことで目くじら立てる気持ちが少し理解できる自分がイヤだ。


投稿者 : Piro at 2005年12月 6日 02:42

あ。
「普遍的」に拘泥したコメントしかしてなかったので誤解されたかもしれませんけど、私は
「誰かとつながるためには共感能力が必要だ(100%とは言わないまでも、非常に高い確率で)」
という話には概ね同意で、客観的な分析として有意なエントリだと思っています。

ナツさんは「まあ、そこまで面倒は見ないけど」的な、割と「突き放した」スタンスで非モテの話題に接されているものと推察します。
そこには好意も悪意も無いと思うのですが、非モテにとっては、自分に対して非・非モテから向けられるものは、「あからさまな好意」以外はすべて「やんわりとしたものからはっきりしたものまで、様々な悪意」に見えてしまうんですよね。「単に機能だけを必要としての関心」すらも。
だから、ただ関心を向けられただけでも、「叩かれた」と感じて非モテ側が反感を持ってしまう。

こう言ってしまうのも何ですけれども、非・非モテの人が非モテの話題を扱う以上、どう書いてもこういう反感はつきまとうものだと割り切るしかないと思います。


投稿者 : ぽいんつ at 2005年12月 6日 04:05

すごい数のコメントが。大変でしょうからこのコメントはノーレスポンスで構わないです。>ナツさん

私が前のエントリのえむけーつーさんの文章から読み取ったことは2つでした。

1つ目(多分ここで「普遍」といわれているもの)は、
「人は他人との関係を持つ」
です。恋愛かどうかに関わらず。えむけーつーさんご自身も「世にいう恋愛とはだいぶ違うケースだと思います」と書いてらっしゃるし。

もう1とつは、
「関係を持つためにはチャネルが開いていることが必要である」
です。そんで、えむけーつーさんのエピソードに「共感」できる人はとりあえずチャネルは開いている可能性はあります、というのがナツさんの話であったかと。

ここから派生したとはいえ、
「人の気持ちに共感できない人間には、人と“精神的に深くつながる”ことはできない」
というナツさんのご主張は多少上2つと毛色が違うように見えるので、切り分けて考えた方がいいような気がします。


投稿者 : 鳩子 at 2005年12月 6日 08:44

>ナツさま
わーい終了宣言だ♪(体をくねくねさせて)
もう非モテって単語を出すのは止めて、またお人形の話や、名作漫画の紹介などをっ。実はイラストはめちゃくちゃ楽しみにしています。気分転換に一枚如何でしょうか…(猫目少女とか猫っぽい美女とか猫みたいな美少年とか)。


投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 6日 11:16

>わーい終了宣言だ♪(体をくねくねさせて)
このセリフの後に長文コメント入れるのはなんか気がひけるなぁ…

>イカフライ氏
>これは、素朴に質問なのですが、そもそもそんな現実が今の若い人達の間ではあるのですか?

これは微妙な問題ではあります。実際、私自身はそのような「圧力」を感じることはあまりないのですが、そのような圧力を強く感じる人(非モテ)が少なからず存在することは確かです。もーもも氏のコメントにあるような光景を想像すれば分かりやすいかと。

こういったことは周囲の人間的環境の如何によって全く違うので、一概に言えないんですよ。ただ、自分の周りの人間関係のみを基準にして考えると誤謬を生じやすいとは言えるでしょう。

>ナツ氏
丁寧なレスをありがとうございます。

普遍性=数の問題であるとは思っておられないことは了解しました。この点は私の誤読です。しかし、感情や気持ちを「みな根本は同じ」とみなすことに対しては注意が必要だと思います。「自分のモノサシで他者をはかる」という愚を犯しかねないからです(もっとも、非モテの人はこの点に過敏すぎるきらいはありますが)。

私が疑問に思うのは「なぜ普遍性を獲得すること、普遍的感情を表現することが無条件に是とされるのか?」という点です。「他者と共有できるものだと信じることができないから〜隠してしまう」といった言葉からは、暗に「普遍的感情ならば他者と何らかの共有が可能である」という前提が感じられます。しかし、個人的感情とは「率直に表現し、受け入れてほしいと主張」すれば受け入れてもらえるようなものとは必ずしも言えません。
その上で、「他者から受け入れられない自分」を客観的に捉えようとするあり方が本来の「非モテ・ロジック」ではないかと思います(うまくいってるかどうかはともかく)。「人は他人との関係を持つ」は確かに普遍ですが、関係の持ち方は一様ではないし、「チャネルが開かれて」いなくともそれは可能でしょう。

まぁでも、ぶっちゃけた話、喪男道のようなサイトを見たら「非生産的な理屈に凝り固まった人達」のような印象を持たれるのは仕方ないとも思うんですよ。また、非モテ同士の安易な連帯にはあまり意味がないとも思います。けれども、とにかく感情を率直に表現できれば(心を開けば)話が解決するってわけでもありません。また、「率直な感情」を受け入れてもらえなくとも、人間は矜持を保って生きていくことができるし、不幸と言い切れるものでもないと考えています。「受け入れられるに越したことはない」かもしれませんけどね。


投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 6日 12:46

気がひけるとか言いつつ追加コメントです。

>簾氏
非モテが自分の置かれる状況に対し「どのように考えるか」はもちろん人それぞれですが、置かれた状況そのものは否定できません。イカフライ氏宛のコメントでも書きましたが、もーもも氏のような状況に置かれている人は決して少なくないんです。自分の周囲の人間関係から相手のそれをすぐさま帰納するのは誤りです。

ナツ氏自身も、記事の中で「非モテというカテゴリ」を事実上否定しておられます。このことがLeiermann氏との決裂の決定的要因であり、普遍という語の解釈のみの問題ではないと思われます(そのため、前のコメントでは敢えて「普遍」の語に拘るのを避けました)。

Leiermann氏が自身のblogにて非モテ差別の実例を挙げておられるので、それをひとつの参考にされるといいかもしれません。ただし、Leiermann氏が「非モテ・ロジックが多数者への断罪となる」危険性を捨象してしまっているのはおおいに問題だと思います(覚悟氏のように明確に「断罪」してしまっている事例が存在する以上)。しかしながら、それと「非モテ」の存在自体を否認することとはまた別の問題です。


投稿者 : イカフライ at 2005年12月 6日 19:23

>烏蛇さん

 その程度で?
って言い方はあんなは人の気持ちをわからないとか、攻撃的だとか反論されるかもしれませんが、その位、いくらでもある日常のひとこまですよ。
 20年前にもありましたし、今の私の世代にも良くあることです(もしかして、ないと思うが私をなんの挫折も無く華やかな青春を送ってきたと思ってる?んじゃなんで、40過ぎた今まで「受けだ攻めだといってるんだとコ一時間)
 実際、私も場が読めないと言うか要領が悪いんで、今日の恋愛関係のことではありませんが、職場でその程度にイジラレました。

 宣伝するわけではないですが、私のブログは読まれたでしょうか? 
 どうも今の人(がすべてとは言いませんが「非もては差別」とか行っている人は少なくとも)は弱くなっているのではないか?という最初の直感はそう的外れでもないのですね。
 なんというか、「傷つけちゃいけない」とか「あrたりさわりなく」とか遠慮しすぎて、それこそ一歩間違えば殴り合いになって喧嘩別れするような議論とかしなくなって久しい(80年代からこのかた)分、自分が守られすぎていることに安住しすぎているのかな、と。

>鳩子さん
>わーい終了宣言だ♪(体をくねくねさせて)

 ですね。
 このコメントの後にうざいレス書いてゴメンナサイ。
 
 私も非もての人(少なくとも自分がそうだと思いこんでいる人は)は結局何を言っても、自分で気がつくまではどうしようもないなと思うんです。

 実際、わしもぼちぼち自分のブログにオタ話しも加え始めようか、と思っていたのでね。


投稿者 : jack at 2005年12月 7日 01:05

世の中にはスポーツ好きな人が遍く存在するからスポーツ好きなのが普遍的であって運動音痴は普遍的ではない。普遍性を獲得したければ努力して特訓すれば良い。とか。
ちょっと違うか。
スポーツをした後の爽やかな気分は普遍的なものだ。非スポーツ愛好家は普遍的ではない特殊な人なのだから、そんな人とは私は分かり合えないし、分かり合いたくない。とか。
そんな感じ?
大学に入学することは普遍的であって、みんな受験に失敗して浪人したりして努力して普遍性を獲得したんだ、それを乗り越えられずに高卒という特殊な枠の中に閉じこもっているあなたのことなんか知りません、とかかな。
そういわれたかのような違和感を覚えました。

多分、『普遍』という言葉をとても特殊なニュアンスで使ってらっしゃるんだと思いましたが、そんな特殊な業界の用語を普通のように使われても理解できませんよねぇ。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 7日 01:20

●通りすがりさん
『他者とのつながりを欲する気持ち・それを持たなくてさみしい気持ち・孤独感・好きな相手のために何かしたいという気持ち』が「普遍」であるという解釈はその通りです。そこがわかっていながらなぜ怒っている非モテ氏がいるのだろうとわたしも不思議です。
“普遍的ではない者”(そういう気持ちがない)などとは一言も書いていないのに。「そういう気持ちがあるはずなのに、どうしてそのさみしさを直視せず、“非モテ・ロジック”にすがって一般人を攻撃する不毛な闘いを続けるのか」という話なんですけどね。
通りすがりさんにはわかっていただけているようなので安心。(どーも今回非モテ諸氏には誤解されるので凹んでるんです。まあダラダラ長文だったことも一因なんでしょうが)

●簾さん
>ナツさんはモテない男を嫌いだとか変だとか言っているわけじゃなくて、
>単に責任転嫁して保身に走るにとどまらず、攻撃に転ずる人が嫌いなんですよね…。

正解です。非モテじゃなくて誰であろうがこういう人は嫌いだという話なんです。人間みな平等。性別も関係なし。モテる人でも責任転嫁して逃避する人は軽蔑する。
つか、非モテという言葉を知る何年も前から「こういう奴が嫌いだー!!」という話しかしてないんで、昔からの読者さんはみんなわかってるらしい。

●Piroさん
>「誰かとつながるためには共感能力が必要だ(100%とは言わないまでも、非常に高い確率で)」

精神的につながるためには、ですけどね。賛同いただけてよかったです。ここを「非モテは誰ともつながってない→つまり共感能力がないと言うんだな!」と誤解された気がします。A⇒Bであっても、B⇒Aが真なりとは言えないことは理系の方が多いならわか(略)
まあいいや。ちなみにわたしは生粋の文系です。

>ナツさんは「まあ、そこまで面倒は見ないけど」的な、割と「突き放した」スタンスで非モテの話題に
>接されているものと推察します。そこには好意も悪意も無いと思うのですが

非モテという漠然としたグループ全体には好意も悪意もないですね。いろんな人がいるんだし。うちのブログに遊びに来る非モテ氏それぞれと対話して判断するしかない。(闇雲に責任転嫁する非モテ氏とは相容れないということはブログを回って気づきましたが)
Piroさんはちゃんとお話しできそうな方だと思ってますよ。「逃げ場」のエントリは正直だなと思ったし。正直と言えばKammy+さんはものすごく正直で最新エントリには思わず感情移入を。
非モテとかモテとかに関わらず、神ではない以上誰も他人を救うことはできないんですよね。救えると思ったらそれこそおこがましい。人は自分で自分を救うしかない。これ、経験論ですが。
面倒見てあげるわ!なんてわたしが言ったとしたらそれこそ「何様のつもりだ」と断罪されても仕方がないくらいです。

●ぽいんつさん
>「関係を持つためにはチャネルが開いていることが必要である」

チャネルか。わかりやすくて簡潔ですね。その通りだ。
チャネル自体は非モテでも誰でも持っている。でも、開いているか閉じているかは人それぞれで違うって話ですもんね。

●鳩子さん
>わーい終了宣言だ♪(体をくねくねさせて)

あー、Leiermannさんとの議論は強制終了しましたが、他の非モテの人に御意見があれば、差し止めようという気はないです。ただし、冷静に和やかにお願いします。悪意でつっかかってこられても相手しませんと。
あともうちょっと書くことがないでもないし。
イラストはFF7ACを観た直後はクラウドとかカダージュとか書いて遊ぼうと思っていたのに、すっかり頭が非モテモードに。やる気になったらぼちぼちと。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 7日 01:28

●烏蛇さん
ちょっとお返事書いていたら長くなったので、エントリに持っていくか、後日コメント欄でUPします。
なお「普遍」の問題ですが、リファラから飛んだまりねこさんのブログで、ちょうどいいページが紹介されてましたのでご参考にどうぞ。
http://www.bleakground.com/kant/judgement.htm
これでもまだ難解だなあ。

●イカフライさん
>わしもぼちぼち自分のブログにオタ話しも加え始めようか、と思っていたのでね。

楽しみにしてます。わたしよりずっと濃そうだから面白そう。

●jackさん
だからー。「人間の感情」そのものが普遍的だという話しかしてないと何度言ったら分かるんですか?
「共感能力はみんなが持ってるはず。努力して身につけろ」なんてことは一言も言ってないんですよ。ここのエントリとコメントを全部読んでから来て下さい。
もう何度も何度も何度も(略)同じことを言うのに疲れました。

>多分、『普遍』という言葉をとても特殊なニュアンスで使ってらっしゃるんだと思いましたが、
>そんな特殊な業界の用語を普通のように使われても理解できませんよねぇ。

「普遍」については特殊なニュアンスでも何でもありません。烏蛇さんへのコメントで紹介したサイト読んで下さい。「普遍妥当性」のあたりをじっくりと。
人間の生き方について話してるんだから哲学用語が混じるくらい当然でしょう。Leiermannさんだってカントの思想から反論を拡げているくらいなんだから。
まったく理解できない方とは議論しても多分無駄です。

もう、同じ質問をしてくる人とは話しません。エントリもコメントも読んでないものと判断して無視します。

つーか眠いよー。


投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 7日 01:51

>イカフライ氏
うーん。。
非モテ差別とはいっても、「この程度の差別」は社会の至る所にあるのはもちろん当然の話で、「耐えられない奴が悪い」という感覚が分からないわけではないんです。また、非モテの人達もなんだかんだ言いつつ耐えてもいるわけです。だからまぁ「微妙な問題」なんですけどね。

しかし、それでもそのことで強い疎外感を受ける「非モテ」は確実に存在します。彼らを「精神的に弱い」と評するのは一面の真実ではあると思いますが(実際、非モテの何割かにはメンヘラーが含まれていると思われる)、彼らは単に弱いのみならず、「恋愛という関係性に合わない」のではないか、というのが私の考えです。

要は、恋愛に向いていないにも関わらず「恋愛しなければ疎外される」という恐怖を抱いているから強い疎外感を被ってしまうわけです。
もちろん貴方の言われる通り、これを全て社会の問題に帰するのは誤りで、本人の資質によるところが大です。しかし、本人にとって必要なのは「恋愛できるようになる」ことではなく、むしろ「恋愛しなければならないという強迫観念を取り除く」ことなんですね。もちろん、一度恋愛してみれば「やっぱり合ってた」となる非モテもいるでしょうが、いずれにしても「恋愛しなければ〜」という強迫観念から脱しないことにはそれも叶いません。

…こういう決め付け気味な言い方するとむしろ非モテの人から抗議がくるかもしれないですが、反論が来た時にまた反応することにします、ということで。

>ナツ氏
丁寧にありがとうございます。お返事をお待ちしております。


投稿者 : toris at 2005年12月 7日 01:54

ここ数日の両者のエントリを何度も読み返しましたが、

>自分はこちらを蔑むような攻撃的表現を次から次へと用いながら、こちらにはいかなる差別的表現も許さないと言葉尻を捉え礼儀を強制するダブルスタンダードはひどすぎます。

Leiermannさんのどの部分がこれにあたるのかさっぱりわかりませんでした。


投稿者 : jack at 2005年12月 7日 02:24

>『他者とのつながりを欲する気持ち・それを持たなくてさみしい気持ち・孤独感・好きな相手のために何かしたいという気持ち』が「普遍」>「そういう気持ちがあるはずなのに、どうしてそのさみしさを直視せず、“非モテ・ロジック”にすがって一般人を攻撃する不毛な闘いを続けるのか」
……ええっと、つまり、そういう気持ちがない人は普遍ではないとお考えなんですよね。人間の感情のうちでもある感情は普遍的である感情は普遍的ではない、と。その辺に違和感があるんです、どっちも誰にでも有るかもしれないけどないかも知れないんじゃないのかな、と。
っていうか「あるはず」って。それじゃまるでテレパスみたいですよ(笑)
と言うか、私も『共感能力』についてなんて一言も書いてません、「よく読んでください」(笑)
哲学的意味での『普遍』については勉強してきます。
こちらがエクスキューズなしに哲学的用語を使われるようなblogだということに気付きませんで、申し訳ありませんでした。(aboutに哲学について書かれてありましたね、記事そのものしか読んでませんでした、すみません)
取り敢えず、哲学用語に疎い人間からは『そのように読めた』と言うことで。「普遍」って、とても価値判断を含む言葉に思えましたもので。
でもコメント欄では『哲学用語です』と仰ってたようですので、やはり私の見落としですね、申し訳ないです。


投稿者 : 通りすがり at 2005年12月 7日 02:34

>ナツさん

>(どーも今回非モテ諸氏には誤解されるので凹んでるんです。
>まあダラダラ長文だったことも一因なんでしょうが)

あたくしが思うに、彼らは視野が狭いのだろうと。
人の気持ちは変化するものですよね。
今現在「他人とつながる必要性」を感じていなくても、
明日か1年後か10年後にはどうなってるかわからない。
逆も同じです。
今「他人と繋がりたい」と強く欲していても、将来のことはわからない。
視野が狭い人は、こうした連続性を考えず、
今現在の気持ちだけで「こうだ」と決めつけがちのように思います。

あたくし個人的には、烏蛇さんの
>恋愛に向いていないにも関わらず
>「恋愛しなければ疎外される」という恐怖を抱いているから
>強い疎外感を被ってしまう
に興味があります。
「恋愛経験がない者を疎外する社会」って何なんだろうと考えてしまうのですよ。
「疎外される」って、
彼ら非モテの単なる思い込みかも知れないし、そうでないかも知れない。
思い込みかそうでないのかを明らかにする為には、非モテ側の協力が必要です。
なので、まずは、彼ら自身の
被害者意識や脅迫観念といったものを捨てて頂きたいと思います。
でも、「なぜ俺らが先に折れなければいけないのか」なんて怒りそうね、彼らw
負けを認めるも同然と受け止めるでしょうから。
それをしなければ何も始まらないと、
あたくしは思うんですがねえ・・・。


投稿者 : ぽいんつ at 2005年12月 7日 09:37

いろんなところで「普遍」という言葉に引っかかってる人がいるっぽいですが、そもそも普遍という言葉の定義に終始する前に、文脈とかからナツさんの言いたいことを読みましょーよ、と思いました。

なぜなら、ここで、
「○○は普遍だ」(=100%)
と言っても、
「○○はおよそ普遍だ」(<100%)
と言ってたとしても論旨にたいした違いはないと思うので。

「普遍と言う言葉には引っかかるがおよそ普遍(例えば)だと仰っていると解釈すればこの話については…」
って流して先に進めばいいのに、
「普遍という言葉の定義は」
「そもそも普遍なんてものはあるのか」
とか言いだすと、
「えー何言葉遊び始めてるんですか!? もともとの問題そこじゃないじゃん!! ていうか元の話は言葉遊びがしたいための釣り!?」
と思います。

そんで、辞書片手に持つか丸暗記して一語一語チェックするよーな人とはコミュニケーションとるの面倒ですから、そんな人といちいちコミュニケーション取ろうとしなくて良いと思います。>ナツさん
「辞書片手に持つか丸暗記して一語一語チェック」しない人、というのが普通の人だと私は思いますので。

そもそも言葉なんてとても曖昧なんだからより、厳密性を求めたい人は数学的表記とかで会話すればいいのになぁと思います。

ていうか小難しくて抽象的な言葉って、自然言語だというだけで「みんな知ってて当然」みたいな言い方しちゃってずるいー。
そんなの知ってる人しかわかんないよー。
わかろうと思えばわかるかもしんないけど頑張んないとわかんないよー。
そんな面倒なことするなら別にコミュニケーションとらなくていいよー、他の人と取るからー。
ていうかそっちがそうならこっちも式とかプログラミング言語とかで書いて『わからないのはお前が悪い』とか言っちゃうよー。

みたいな。


投稿者 : イカフライ at 2005年12月 7日 20:50

>楽しみにしてます。わたしよりずっと濃そうだから面白そう。

いや、単に年食ってる分、オタ歴が長いだけだから。
 実は今、最近実写化された30年前の某野球マンガにはまりまくっていて(わかる人、いる?)あちこちで書きまくっているから、それについても触れたいなと思っているんですが。
あまりに非もて陣営につっこみどころが多すぎてね(^^ゞ

  あ、これは戯言なんでレスはいいです。


投稿者 : 簾 at 2005年12月 8日 00:00

>烏蛇さん
あ…確かに軽率でした。
被差別者がいる事実は私が何と言おうと変わりないのは確かです。
こういうのを共感能力が欠けて(以下略)。

ただ、非モテというカテゴリに意味が無いと言ったのは、対象が広すぎて言及する際に使いづらい、というのが理由であり、状態そのものを否定するつもりはありませんでした。
そして、実際に非モテの範囲や対象を掘り下げ細分化して、語りづらいものにしているのは非モテ者自身である現状が不毛だなぁと思うわけであります。

また、いじめや過去のトラウマのせいで対人関係を築けなくなっている人も非モテに入れてしまうと、そもそも語るべきことは何もなくなってしまう気がします。
そういう人たちは絶対的被害者なので、何も責めるところがないので。
もともとナツさんは、例えば母親の愛情を受けずに育ち、女性不信に陥っているような人は始めから全く対象にしていなかったはずです。
だから意見が食い違い泥沼化したのですよね。

また、いわゆる「いじめられっこ体質」ゆえに人から排除されやすい人は、恋愛経験があっても必ずある一定の数の人間に嫌われます。
この場合、恋愛経験が原因で受けている差別とは微妙に違う気がしていたので、これまでの流れを見るまではそういう人も非モテになると思っていませんでした。

もちろんそんな差別を受け続けている人に向かって甘いだの弱いだの言うつもりは全く無く、彼らを積極的に傷つけようとする人間を心底嫌悪します。
ただ、一種受け入れがたい雰囲気を持つ人間というのは確かに存在していて、それは彼ら自身の問題ではないのですが、彼らを好きになれないで遠巻きに眺めている人を断罪することも不可能です。
非差別者を救ってくれる第三者はいないので、自己救済するしかないのですから、この世は地獄ですね。
救われるには、「お前と同じ空気を吸うのも嫌だ」と言われても「じゃあアンタの分も吸ってやろうか」と答えられるくらいの強力な開き直りと自己肯定が必要なんですよね……って、何の話か。

とにかく確かに言えることは、ナツさんからすると、トラウマと怨念を抱えて生きている人は、微妙に対象から外れていることが文章から読み取れる、ということです。

長くてすみません。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 8日 01:07

●通りすがりさん
>被害者意識や脅迫観念といったものを捨てて頂きたいと思います。
>でも、「なぜ俺らが先に折れなければいけないのか」なんて怒りそうね、彼らw

いや多分、「そんな物は持っていないのに決めつけるな」と怒りそうな気がします。
もちろん、持っていない非モテもいるんですが(たとえば烏蛇さんやPiroさんはその発言から非モテ?と思われますが、被害者意識も脅迫観念も感じない。人間として多少は持ってるとしても、わたしと同程度のものではないかと。)、逆に被害者意識全開だなあ、と思われる非モテもいます。人によって違いますね。持っている人がまずはっきりと自覚しない限りは「捨てる」ことも無理なのかもしれません。

●jackさん
>と言うか、私も『共感能力』についてなんて一言も書いてません、「よく読んでください」(笑)

すみません。同じところで何度も誤読されるんで、てっきり今回もそうだと思って早とちりしてました。ただ、それでも喩え話が何を指しているのかが曖昧すぎるのですが。

>……ええっと、つまり、そういう気持ちがない人は普遍ではないとお考えなんですよね。
>人間の感情のうちでもある感情は普遍的である感情は普遍的ではない、と。その辺に違和感があるんです

「ある感情は普遍的である感情は普遍的ではない」とも言ってません。MK2さんのエピソードがそもそもの発端だということを忘れてます。
「あのエピソードから感じられるところの人間的感情は普遍に存在するものだ」という話です。
他の感情については論じてませんが、基本的な感情ならば普遍でしょう。

>どっちも誰にでも有るかもしれないけどないかも知れないんじゃないのかな、と。
>っていうか「あるはず」って。それじゃまるでテレパスみたいですよ(笑)

わたし言葉遊びとかディベートとかが大嫌いなんです。不毛なだけだし、机上の空論を弄んだあげく勝ち負けの問題になるだけだから。
Leiermannさんも「感情が普遍だという根拠がどこにある。それを証明するのはそちらの責任だ」などと言ってきましたが、今までの議論でも、そういう風に何でも相対化に持ち込んで言葉遊びする人だと気づいたら、話をすぐにやめました。無駄な話はしたくないんです。
昔、徳保さんとの議論でもそういうことがあったので話を本筋に戻すのに苦労しました。
釣りではなくて何が言葉遊びなのか本当に分かっていないとしたらここを読んで下さい。コラム: 価値相対主義 http://iwatam-server.dyndns.org/column/18/

んで一応、釣りではなくて真面目にコメントしてるんだ、として返答。
もともと色々な感情を人間は持っていますが、それに自分で気づくか気づかないかの違い、表現形態の違いなどはあります。表に全く出ない人もいるし、その感情を誰とも通わせられない人もいる。
でも、「全然さみしくない」という人が、「さみしさ」という感情を全く知らないのかと言えば、そんなことは言えないですね。「さみしさ」を知っているからこそ、「さみしくない」と言えるんです。
だからこそ物語や映画に人は感情移入し、他人のことを我がことのように感じたりもする。共通する感情やそれを根本とした認識能力がなければ人は誰もわかりあえないし、人が何かを見て「美しい」と感じたとしてもその判断すら理解できないでしょう。人間に「感情」がないとすれば、動物と同じだということになってしまう。

ここで「例外はいる。例えば精神疾患者は・・・」などと返されることも予測されますのであらかじめ言っておきますが、(手の不自由な人だっている、だの次々と例外を持ち出して無意味な言葉遊びをする人が多いので)
「人間は感情のある生き物だ」という話の時、「一人一人調べたのか。精神疾患者はどうなんだ。お前テレパスかよソース出せ」とか責めたら馬鹿でしょ? 
jackさんが言われてることはぶっちゃけそういう話ですよ。
(カントの「普遍妥当性」の部分でもそういったことが論じられていますけど。)
・・・ってことは烏蛇さんへの返事に書こうと思ってたんですけどね。まあいいや。烏蛇さんにもまず一部回答ってことでお願いします。

>「普遍」って、とても価値判断を含む言葉に思えましたもので。

そのへんの認識のズレが問題だったのかなあとは思ってるんですけどね。
ただ哲学用語と考えなくても、「すべての物にあまねく」という意味で使うのは非常に特殊だと思います。辞書に書かれていても実際に日常で使う時、どういう意味で使われているのかをよく考えて下さい。
テレビ等のメディアで「これは普遍的な考えですね〜」などという時、厳密に全部に当て嵌まるなんて意味で使っているのかどうか。それこそソースなんて誰も出せないでしょう。本当にすべてに共通しないと使えないというなら、普遍という言葉自体誰一人使えなくなってしまう。
そのあたりを常識で判断してください。言葉遊びにはおつきあいしません。

てか、「共感能力」を普遍と言ってるんでない以上、「感情が普遍」であるとしても、非モテ差別にはならないじゃないですか。非モテも同じ感情を持つ同じ人間だ、という話をしているだけだということをご理解いただきたいです。


投稿者 : ナツ at 2005年12月 8日 01:09

●torisさん
うーん。まあ感じ方は人それぞれだし、別にいいんじゃないですか。
もしわたししか「攻撃的」と言ってる人がいないのならばわたし個人の思い込みという可能性もありますが、他の人にも同じことを言われていると思うのです。Leiermannさんのブログのコメントでも、他のブログでも。
つまり、わたしだけでなく人にそう思わせる文章であるのは確かだと思います。
torisさんはそう思われないようですが、わたしは彼の文章が攻撃的すぎるので、それこそ「頭を冷やして欲しい」と思っただけです。ひとつひとつ言葉尻を取り上げるために彼の文章を読み直すのも無意味なのでそういうことはしません。
torisさんはLeiermannさんと親しく対話されればいいと思いますよ。

●ぽいんつさん
>「えー何言葉遊び始めてるんですか!? もともとの問題そこじゃないじゃん!! ていうか元の話は言葉遊びがしたいための釣り!?」
>そんで、辞書片手に持つか丸暗記して一語一語チェックするよーな人とはコミュニケーションとるの面倒ですから、
>そんな人といちいちコミュニケーション取ろうとしなくて良いと思います。>ナツさん
>「辞書片手に持つか丸暗記して一語一語チェック」しない人、というのが普通の人だと私は思いますので。

わたしもそう思います。(こういうところで認識が一致するのが、ぽいんつさんとわたしの「噛みつかれ癖」という共通点を表してる)
でも哲学知らないと話さないっつーのは乱暴だったですね。普遍の話をしてる時に本で読んだ内容が頭にあったことは確かですが、jackさんへのレスで書いたとおりマスメディアなどで使われる「普遍」の意味の範囲内でもあまり変わりないし。


投稿者 : izu at 2005年12月 8日 03:33

>「そういう気持ちがあるはずなのに、どうしてそのさみしさを直視せず、“非モテ・ロジック”にすがって一般人を攻撃する不毛な闘いを続けるのか」という話なんですけどね。

自己肯定のためです。
↓理由

直視をしています。
でも直視するだけじゃダメなんです。
例えば外面が悪いと評価されません。
 外面がいい→クール、おもしろい、活動的
 醜い→無口、つまらない、粘着的
こういった具合に評価されません。
そして努力をしても結果が出ないので、回りからは努力をしてないと評価されます(結果は外面に関係します)。
外面が悪いだけなのに、内面をけなされるわけです。
また、内面が恋愛向きでないという人もいます。
感性が巷の人間と合わないなどです。感動のポイントが一般と違ったり(親子の愛情劇よりも爺さん同士の友情劇のがいい、とか)、沸点が一般と違ったりすれば恋愛は難しくなります。
でも別に恋愛ができないだけでそれ以外の点において劣っているとはいえません。
それでも、恋愛をしていないというだけで内面をけなされます。
そういった部分を指摘しているのが非モテなのだと思ってます。
一般人が内面を見ないで内面を攻撃してくるので、そんなヤツはクズだと反撃するのです。
そうすることによって、自己を肯定しているわけです。
反撃がモテ側に効果がないとしても(不毛だとしても)、反撃をしないと自己否定になってしまうのです。

一般人の価値観では自分に価値がなく、そのストレスを解消するには自分に価値を持たせるか別の価値観を持ち出すかだと思います。
自分に価値を持たせるのは無理だと思っているので(あるいは自分を究極に大改造しなくてはいけない、それは自己の否定だ)、別の価値観を持ち出しているのだと思います。

直視して、自分に価値を持たせられないと思うからこそ、一般人の価値観を持つことをやめ、一般人の価値観を否定し、新たな価値観のために闘うのだと思います。

そんなことないよ(価値を持たせられるよ)という意見もあるでしょうが、それが適用されるのは一般人に近い人間であって、遠い人間には当てはまらないと思います。


投稿者 : izu at 2005年12月 8日 03:55

恋愛の能力は外面に関係、
「コミュニケーション能力」は外面に関係。
と思っています。両者は似ています。
恋愛しない人がいてもいいじゃんというスタンスの人はほとんどいませんし、
「コミュニケーション能力」が劣っていてもいいじゃんという人もほとんどいないので、
非モテ(「コミュニケーション能力」の劣っている人に近い)は闘いをします。

おまえは努力をしない怠けものだ、っていう扱いなんか認められない。
まわりからの、オマエはネタにされたりピエロにされて当然だ、なんてのはストレスがたまりまくる。


投稿者 : jack at 2005年12月 8日 04:05

丁寧なお答えありがとうございました。
いろいろと思うところはあったのですが(主に自省や自戒的なことなので、ナツさんに申し上げることはないかも知れません)、とりあえず……。

言葉遊びのつもりはありませんでした。ただ、自分でも何が言いたいのかよく分かっていないまま、多分「普遍」という言葉に違和感を覚えているのだろうと思いこんでしまった為、言いがかりのような書き込みになってしまいました。そのことは本当に申し訳ありません。
そもそも非モテについても割とどうでも良くて(私自身は恋愛とは縁遠いのですが、幸いなことに周囲の人間に恵まれた為、差し迫ったプレッシャーは感じずにすんでいる、と言う意味で。ただ、社会に出ると特に、周りの多くの人があまりに屈託なく恋愛についてとか合コンしたとか彼氏が欲しいとか眼鏡やめてコンタクトにした方がもてるよとか言うので、恋愛したいと思ったこともないと言うことが、どうも多数派ではないのを通り越して何か間違っているんじゃないかという不安、どなたかは「認知的不協和」だとか仰ってましたが、そういうストレスは感じております。そういう意味では私は確かに非モテ状態にある人間だと自覚しています)、単にどうしても違和感がぬぐえなくて……。その違和感がどのような違和感なのかを表現してみようとしたのが、最初の書き込みでした。

で、よくよく考えてみますと、私が違和感を覚えたのは、ナツさんが「これは普遍的だ」と仰ったことよりも、「それは普遍的じゃない」と仰ったことのほうだったようです。

つまり、ナツさんが「非モテは特殊だ」と書いてらっしゃると読んでしまい、それじゃ「運動が嫌いなのは普遍性がない?そんなことないでしょ?」「高卒は普遍的じゃない?そんなバカな!」「非モテは普遍性がない?本当に?」と、言いたかった……のだと思います。それにしたって読み返すとかなり感情的ですね、お恥ずかしい。

>「自分が非モテになったのは社会のせい・女のせい・モテてる男のせい・恋愛資本主義的価値観のせいとどんどん責任転嫁し、自意識の安泰をはかるための理論構築」

ここに「非モテ」という言葉が入っているから珍しいことのようにも思えますけれど、「他人や社会に責任転嫁をしようとする」こと自体はそんなに特殊なものには思えなかったです(あ、いえ、今は、そこじゃなくて「自意識の安泰を図る為の理論構築」のあたりが「普遍ではない」と仰りたかったのかな、というように理解しております。というかナツさんは「非モテ」の側が自分たちは特殊だと自称していると書いてらっしゃったのですね)。
ええっと、私の中には多分そのどちらの感情(?)もあって、それの片方を「普遍性がない」と言われてしまったから、それはちょっとおかしい……と、思ったのではないかな、と。
あー、あと、ナツさんが普遍だと仰ったことのが私の感覚では「良いこと」「望ましいこと」で、普遍じゃないと仰ったことが「悪いこと」「望ましくないこと」で、ナツさんもそれを嫌悪しているらしいことが、価値判断が入っているかのように誤読(ナツさんの本意ではない受け止め方)してしまった原因ではないかな、と。

あと……
辞書片手に持っていなかったから(辞書じゃなくて自分の頭の中のボキャブラリとかニュアンスとかに振り回され、自分の価値判断の文脈でもって読解しようとしてしまったから)、ナツさんの仰ることがあまりにも差別的で違和感のあるものに思えてしまったのですよね……。
結局、自分が言葉を知っていると思って他人の言葉を見聞きすると、誤解してしまうから気を付けなければ、と思うのですが、そう思って用心するとやっぱり辞書が欲しくなってしまうわけで……うーん、やっぱり難しいです……。


投稿者 : izu at 2005年12月 8日 04:12

喪男道さんのサイトが共感できないとは相容れないといいうセリフがありましたが、あそこのサイトに惹かれる者としては、
自己肯定のためだけでなく、求めるだけの価値のある異性なぞいない、異性を求めるのをやめよう、さびしいだとかの気持ちを減らそう(解脱)。
という目的もあると思います。
信頼性があると思われるデータを元にしているので、間違った攻撃とはあまり思えません。

そのことに対して、間違ってるとか悪というのは変だと思いますが、不快だというのは変だとは思いません


投稿者 : 満ドリル at 2005年12月 8日 07:14

>ナツさん
解釈に誤解があったようで、失礼しました。

「普遍」という言葉の定義で紛糾してしまったようですが、私個人の感じたことをよく思い返してみると、「普遍」という言葉そのものより、「この程度の普遍的な感情すら理解できないような人間」という言い回しに引っかかるものを感じていました。誇張した言い方になりますが、「MK2さんという個人の体験した特定のエピソードに感情移入して、その焼肉でもらい泣きすることすらできない程度の人間」みたいに言われたような気がしたのです。

>人間のある種の感情(孤独・さみしさetc)そのものが普遍である

という話であれば納得です。確かにそれはそうでしょうね。非モテ諸氏(私を含む)も、それを感じるからこそ色々と吐き出したいものも出てくるんだと思います。表現方法は屈折してるかもしれませんが。

共感できなければ精神的に深く繋がれないというのは、確かにそうでしょうね。ただ、一連の議論の流れを見ていると、非モテの側も非「非モテ」の側も、お互いに「俺に共感しろ。俺はお前に共感できないけど」と言い合ってるような感じがして辛いです。お互いの意見の相違点ばかりをことさらに主張しあって溝を深めるより、「とりあえずここまでは合意できる」ということを積み上げていく方が建設的で皆がハッピーになれると思うんですけど。

偉そうなこと言ってすみません。


投稿者 : 烏蛇 at 2005年12月 8日 17:48

>簾氏
>例えば母親の愛情を受けずに育ち、女性不信に陥っているような人

非モテの話がややこしい理由の一つは、このようなタイプか否かの区別が付けづらいところにあります。愛情を受けずに育っても疎外感を抱かない人もいますし、その逆もあり、一概に言えないところなんですよね。

間違ってはいけないのは、被差別者が差別側にまわる場合です。例えば、母親の愛情を受けずに育った男性がそれが原因で女性差別をするような場合、「愛情を受けられなかったから」とか「トラウマがあるから」などの理由で彼の差別を許容すべきではありません。
そういう意味も含めて、ナツ氏の論は「トラウマと怨念を抱えて生きている人」を排除したものではないと私は解釈しました。

>ナツ氏
普遍という言葉については了解です。

>被害者意識や強迫観念

私自身、ある種の強迫観念を持っていますが、自覚さえしていれば「この認識は自分の強迫観念から来ているもので現実とは違う」と内省することもある程度は可能です。強迫観念やトラウマといった類のものはなかなか簡単には抜けないので、そうやってうまく付き合っていくのが大事になります。持病と一緒ですね。


投稿者 : ぽいんつ at 2005年12月 8日 21:12

「噛みつかれ癖」……いやな癖だなぁ(笑)

で、すみません、横レスなんですが、
>izuさん
私正直、読めば読むほど「喪男道」さんはネタにしか見えません。「信頼性があると思われるデータを元にしている」と仰る話については、元の信頼性はさておき、その解釈や導く結論がしばしば偏ってると思います。他人の先入観に良いように踊らされないように気をつけたほうが思います。まぁ踊りたいなら別にいいんですけど。

そんで、
>非モテの側も非「非モテ」の側も、お互いに「俺に共感しろ。俺はお前に共感できないけど」と言い合ってる
については、「『「俺と友達にならないとぶん殴るぞ!」とわめいている』奴キモい」と思うようになった私はさておくとしても、ナツさんの場合は、理解しようと考察してみたら「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな反応を受けて「袈裟の話をするんだったら降りる」って思ってらっしゃるのではないか、と。勝手に想像。

ちなみに「理解しようと考察」せずに「共感」するのはたぶん無理です。立場が違うから。


投稿者 : ぽいんつ at 2005年12月 8日 21:22

あれ、気をつけたほうが「良いように」思いますですね。すみません。(←誤字脱字の多い子)

そんであれです、ご自身が踊るのは勝手ですが、踊りたくない他人を巻き込まないように踊ってくださいね。(izuさんが他人を巻き込んでるかどうかはしりませんが)


投稿者 : 鳩子 at 2005年12月 9日 00:24

満ドリルさんの「「普遍」という言葉そのものより、「この程度の普遍的な感情すら理解できないような人間」という言い回しに引っかかるものを感じていました。」というのがえらくツボでした。

私も当初MK2さまのお話が出た時、「咀嚼しきれていない」と書いたのですが、エピソード自体云々よりも、言い回しにちょっとした違和感を抱えてしまってたんです(逆に言えば、言い回しだけ)。且つ、ブラウザのお陰でどこまでが引用か判別し難い状態だったので。

今まで普遍という言葉のどこが問題になっているのか理解が追いつかなかったんですが、「自分が何処に違和感を感じたか」を明確にしてくれる方のお陰で、ちょっとこの先の議論に光が見えてきそうな予感。

前回は、勝手にくねくねして終了だ〜と嬉しそうにして申し訳ありませんでした。あの時点では「ナツさま、もうやめよーよ」な投げやり気分だったので;(でもイラストの件はマジです)。


投稿者 : 空 at 2005年12月 9日 00:26

今回の非モテ話、興味深く拝見させていただいておりました・・・が、途中で何がなんだかわからなくなってまいりました。
えーとえーと、恋愛したくてたまらないけど相手がいない、寂しいよーとかいうオチで括ってはいけない話なんでしょうか?コレって(汗)。

非モテの方々が何を目指して何処に行こうとしてらっしゃるのか、私には頭が足りなくて解りません。
何かの修行か苦行なのか??寺とか修道院とかに篭って仏様か神様かどっちかと対話しほうが格好もつくし見栄えも良いし恋愛できない言い訳とかもしやすくないかとか思ったり。真理を探究するために女人との接触を避けるのだ、とかなんとか。


投稿者 : 通りすがり at 2005年12月 9日 00:59

落ち着いてきたみたいですね。

>ナツさん
あたくしは、人は誰しも、なんらかの「被害者意識」や「脅迫観念」は持っているものだろうと
思うのですよ。
そして、それは特に恥じることでもないだろうと。
恥ずべきことだ、イケナイことだ、
そういう思い込みは、えてして、手かせ足かせになりがちですね。
(恥ずべきことだから何とかしなきゃ!)と
いたずらに自分自身を追い込んだり、
(恥ずべきことだから持ってないことにしよう!)と
自分自身を欺いたり。

マイナス部分や醜い部分、あってもいいんですよね。
あって当然。そこから、さてどうしようか、という話になるのではないでしょうかね。

>共感できなければ精神的に深く繋がれない
最初にどういう文脈で書かれていた一文なのか
わからなくなってしまいましたが、
あたくし。
必ずしも、「共感」からスタートしなければ
「精神的に深く繋がれない」とは思いません。
よくあるじゃないですか。↓
殴り合いの激しい喧嘩をした後に、
「おまえ、なかなかやるじゃねぇか」
「ケッ、そっちこそ」
というやつ。

ですから、
ここのところの諍い(あえて、論争とは申しませんわw)も
何かのスタートになりうるのではないか?
などと考えたりしております。

これは誰かに向けたコメントではありませんので、
どうぞこのまま放置を。
あたくしも、このまま通りすがっていきますので・・・


投稿者 : ナツ at 2005年12月 9日 01:16

●izuさん
>直視して、自分に価値を持たせられないと思うからこそ、一般人の価値観を持つことをやめ、
>一般人の価値観を否定し、新たな価値観のために闘うのだと思います。

いや、ですからこのエントリでも書いたとおり、「他人の価値観を必死で叩いて否定する間は、その価値観に囚われている」んですよ。
新たな価値観を得た者は、その価値観に沿って生きているので、自分をダメとは思いません。わたしも恋愛至上主義じゃないけど、恋愛至上主義者と話しても自己嫌悪に苛まれたりしない。たとえ自分の価値観が少数派であっても気にしない。
そのへんはもう一度エントリの価値観の部分を読んで下さい。

自分の価値観で満足して生きている者こそが、「自己肯定できた者」と言えるのです。いちいち他人の価値観に惑わされて、差別と感じたりはしないんです。
自己肯定のために他人の価値観を変えさせることを目的とするのだとしたら、身勝手もいいところです。というか、そんなことが可能だとはとても思えませんが。
「他人の価値観は変わらないのだから自分の価値観を変える」しかないんです。それに必要なのは自分の内面と闘うことであって、他人の価値観を攻撃することではないはずです。

>喪男道さんのサイトが共感できないとは相容れないといいうセリフがありましたが
>信頼性があると思われるデータを元にしているので、間違った攻撃とはあまり思えません。
>そのことに対して、間違ってるとか悪というのは変だと思いますが、不快だというのは変だとは思いません

データというのも種類によっては正反対の結果が出るようなものもありますし、自説に都合のいいデータだけ拾ってきて我田引水をやろうと思えばできるものです。新聞だってなんだってそういうことくらいやっている。(朝○を含め)
ぽいんつさんと同じでそこは眉につばつけて客観的に見ないと惑わされてしまうと考えています。
覚悟さんの目的は結構分かります(笑)。あの人は「一人で生きていく」と決意していると見えるので、言ってることはともかく首尾一貫していると思います。つまり、恋愛に未練たらたらだから社会や女を叩いてる人よりは好感が持てると。思想・発言内容は最悪だけど。ってことですね。
(非処女は汚いとかよくまー言えるな〜と。それを間違ってないとか悪くないとかいうのも人それぞれですが、そういうことを公言していたら、たとえば「童貞はキモイ」と言われても仕方がないことになりますよ。お互いさまってことで。)

●jackさん
>「他人や社会に責任転嫁をしようとする」こと自体はそんなに特殊なものには思えなかったです(あ、いえ、今は、そこじゃなくて
>「自意識の安泰を図る為の理論構築」のあたりが「普遍ではない」と仰りたかったのかな、というように理解しております。

「考え方としては珍しくない」という意味ではそう特殊でもありませんね。でもそういう意味ではないので。
自意識の安泰をはかるってことは、自己満足を優先する論理ってことなので、客観的論理性より主観的論理性を優先して構築されます。つまり自分から見て「キモチイイ」と思うような論理になっちゃうので、客観的に見ると歪んでいて妥当性に欠けるんです。「共通認識(概念)」に依拠しておらず、「非モテ」の主観のみに依拠しているとあれば、普遍的な理屈にはなりません。

「共通認識」というのは、たとえば「黒人は差別されてきた歴史があり、今もされている」と黒人が主張したとする。奴隷だった歴史があり、現在も米国におけるマイノリティだという「共通認識」がありますから、「嘘をつけ差別なんか一度もされてないだろ」という声は上がらないわけです。少なくとも大っぴらには。「肌の色で人を差別する」ことも悪いこ