● 先日の続き。徳保さんから簡略な反論が。
「応答」はしません。あとは読み比べていただければ。とあるのでこれで議論はおしまいなんだろうけど、ますます引っかかったのでツッコミ入れてみる。
1.碓井真史さんの発言は、「反社会的性向を持つ人間はイジメにあいやすい」という内容を含むが、これは決して「反社会的性向を持つ人間はイジメにあって当然だ」という意味ではない。畠山鈴香さんを主題とする文章ゆえに、イジメの加害者に対する批判は割愛されているが、いじめられる「理由」を「正当な理由」と読み替えるのは誤読だ。→原因と責任(2006-07-01)
2.多くのイジメには「理由」があり、それゆえに多くの加害者が、自分に罪はないと錯覚している。しかしイジメを正当化できる「理由」などないことを自覚し、みなが日々の行動を振り返って「嫌いなあいつ」との付き合い方を再考しなければ、イジメは撲滅できない。私(たち)はその難しさを知っているが、それでも諦めることは許されない。
1.について。
『いじめられる「理由」を「正当な理由」と読み替えるのは誤読』かもしれないけれど、その誤解が高い確率で起こる報道だったから問題だという話をしているんですけど。現に碓井氏のコメントは多くの人に反発されている。「いじめは正当だった」と印象づけられてしまったからだ。
「犯罪者」という、いわばあらかじめ人格否定された人間を主人公にして語れば、彼女の人格への攻撃は、どれだけ酷い罵倒でも正当な意味を持ってしまう。「文集に書いてある言葉は口汚いけれど、言われている内容は正しい」というように。
だから、「反社会的性向を持つ人間はイジメにあいやすい」という言説を一般論として語るのはありでも、今回のケースについてはふさわしいとは思えない。
何でも一般化して論点を曖昧にされるのは困る。
あの文集と同じような言葉を言われたり書かれたことがあるいじめられっ子は大勢いると思うが、「反社会性に対する同級生の反応のあらわれ」と専門家が語るのを見れば、どう感じるかは想像に難くない。
同時にいじめっ子もほくそ笑むはずだ。『ああいう言葉』はいじめなんかではない。あいつの反社会性に対する当然の制裁だ。将来の犯罪者をボコってやってるだけだ。・・・碓井氏の意図がどこにあろうと、そう解釈されそうな報道だということ。
短い時間で「犯罪者」と「いじめ」と「反社会性」をキーワードに単純化して語れば、そういった印象を与えるのも当然と言える。
「小さな子供を殺すような女なんて昔からどんな異常者だったんだろう?」という視聴者の詮索に応えて視聴率を稼ぐのがTVの仕事である。どの程度の根拠があるのかなど関係なくセンセーショナルに、犯罪者の「思春期からの異常性」を強調して注目を惹きつける。
よくあるやり口だし必ずしも否定はしないが、容疑者が陰湿ないじめの被害者だったため、「思春期からの異常性」を強調することが結果的に、「いじめられっ子の異常性(異端性)」に結びつけられてしまっているということだ。
2.には同意できるけれど、今回のわたしの記事からは論点が完全にずれる。専門家の発言の重要性、「いじめ」と「反社会性」と「犯罪者」の軸で語られた今回の報道についてのみ語りたかったので、いじめ一般の問題については言及しない。
id:muffdiving さん向けの、さらに簡明な説明
個々人の判断の集積がイジメの構造を作り出す。ふつうの人々が「自分の気持ちに素直になる」とイジメが生じる。イジメとの絶縁はあまりにも困難で、私は絶望的な気分になる。自分はイジメなんかしない、と自信満々の人が(ある意味で)うらやましい。
わたしはむしろ、徳保さんが「誤読なんだから誤読する方が悪い。碓井氏は何も悪くない」と言い切ってしまえることに疑問を感じる。誤読や誤解との絶縁はあまりにも困難で、わたしは絶望的な気分になる。自分は誤読なんかしない、と自信満々の人が(ある意味で)うらやましい。
ついでに言及。
徳保さんの「原因と責任」という記事は、「痴漢論議再び」という感じで失笑した。あまりにも昔と論点が同じだったので。結局ここに着地してしまうのか。
迫害や偏見に苦しんでいる人間が自分にも非(原因)があるかもしれないという思いに押しつぶされそうになりながらその迫害と闘っている時、「あんたにも原因があるよ」と指摘するのは、果たして単純に親切と言えるだろうか。
その「原因」を本人が重々承知していれば、それは単に追い打ちをかける言葉にしかならない。言われた側が「何故私を責めるのだ?」と怒っても仕方がない場合もあると思うが、徳保さんにはその、人間であればこその非合理的反応を認められないらしい。
(「期せずして“いじめ”に荷担してしまう人間の不完全さ」は認められるようなのに。)
わたしも無神経に誰かに(被害に遭う)「原因」を指摘してキレられたことはあるし、逆に「原因」を指摘されてキレたこともある。
そういう食い違いが生じるのも、やはりこの世にはまだまだ「原因=責任」という認識が色濃く根付いているからであり、徳保さんが単純に原因だけを指摘したつもりでも、その何倍もの数の人びとが、「原因を作ったやつが悪い」と被害者側の責任を追及し、責める。責めることで何かしら解決したような気分になっている。
そういう人々と徳保さんの見分けが付かなかったとして、果たしてそれは「見分けが付かない人」にだけ責任があるのだろうか?
(その「原因」からして単なる偏見で無根拠な場合もある。痴漢論議参照)
いじめ問題について言えば、教育の専門家たちが、「いじめられる側に問題があるという認識こそ間違っていた」と公式に認めてから、それほどの年月は経っていないと思う。
わたしが子どもの頃はまだまだ、「お前に悪いところがあるからいじめられる。なぜなら、いじめられていない子どもの方が圧倒的に多いからだ」という認識がまかり通っていた。
わたしが転校生だったせいでクラスにうまくとけ込めずいじめられた時、小学校の女担任はわたしと母に面と向かってそう言ってのけたのだ。
「原因を作った被害者が悪い」と思っている人々は、今だってそう珍しくはない。
被害者が最も恐れていることは、被害者側の原因ばかりがクローズアップされることにより、「だからお前が悪いと言ってるんだよ」としたり顔で決め付ける人々がしゃしゃり出てくることであり、過去にそういう偏見から逃れる術もなく苦しんできた歴史があればこそ、過敏にならざるを得ない部分もある。
だからといって「被害者側の原因」をタブー視しろとは言わないし、ちゃんと議論されるべきだとも思うが、その分発言は慎重にしないとやぶ蛇だということ。わたしだって言い方がまずくて失敗したことは何度もある。(*1)
ことほどさように、「自分は正しいことを言ったのだから正しい」と自信満々の人が(ある意味で)うらやましい。
というわけでTV報道の方は有害だったとわたしは思っているのだけど、では、TV用に単純化したコメントではなく、碓井氏が自分の文章で述べた主張はどうなのだろうか。本当に「誤読」と言い切れるのだろうか?
件の碓井氏のサイトにはこうある。
たしかにひどい言葉です。私も一読して気分が悪くなるほどでした。しかし、それでは言葉を書いた級友達が特別な悪人なのでしょうか。彼らが、加害者女性を心理的に追い詰めたのだと責めることができるでしょうか。
私は、そう簡単にはできません。現在の彼女を見ると、人格障害的な部分を感じますが、おそらく高校生のときからそのような言動が見られたのでしょう。
この言葉だけを見ると、ずいぶん冷たい言葉だと感じますが、級友達もずいぶん傷ついてきたことでしょう。彼女は大変なトラブルメイカーだったのではないでしょうか。
彼女が「反社会性人格障害」や「演技性人格障害」の傾向をもっていたとすると、平気でルールを破り、責任を果たさず、他者を傷つけ、同時に自分に危害が及ぶことにも無頓着で、そして芝居じみた大げさなウソをとても上手くついていたが想像できます。
仕事をすぐに辞めそう、自殺しそう、詐欺師、女優、といった文集に載っている言葉は、当時の彼女の様子をあらわしているようにも思えます。
これ全部、文集に書いてあるいじめっ子の罵倒が事実だったという前提での想像である。その想像が正しいと碓井氏が思う根拠は「現在の彼女が犯罪を犯したから」。(*2)
ここまで徹底的かつ一方的にいじめられている生徒が、「級友達を傷つける」ことなど考えられないと思うのだが(*3)現在彼女が犯罪者であることを根拠にすれば何でも想像し放題である。
「いじめられて強くなったべ。俺たちに感謝しろ」などと書いているのを見ても分かるように、いじめている自覚がしっかりとありながらあからさまに愉しんでいるいじめっ子たちの書いていること(*4) など、一方的すぎてそのまま信用はできないと思うのだが、碓井氏はそのまま受け取り、容疑者の性格分析の根拠にしているようだ。
しかも、どこをどう読んでも、「いじめられてもまあ仕方がない。今の彼女を見る限り、昔から人格障害だったんだろう。こんな異端者に振り回された級友たちも可哀想だから、いじめを責めることはできないね」という視点しか見えてこない。(「いじめられて当然」とまでは思っていないにしろ)
「いじめっ子たちの方が攻撃的で反社会的だった。畠山容疑者の人格形成の歪みも、この異常な同級生たちのいじめ、それを止めずに文集にまであんな罵倒を掲載する学校環境に依るところがあったのかもしれない」という可能性をきちんと示すべきではないのか。
しかし、いじめっ子は結果的に犯罪者にはならず、いじめられっ子の畠山容疑者が犯罪者になってしまったからなのか、その可能性については鼻から無視している。(*5)
氏に悪意はないのだろうけど、専門家(心理学者)としては一面的にすぎませんか?と言わざるを得ない。わたしやその辺の心理分析ごっこ大好きブロガーがコメンテイターになっても、これではあまり変わりがない気がする。
わたしは素人の無責任さでワイドショーとゴシップ誌を情報源にしたいい加減な妄想をダラダラと書きまくり、専門家のデータと明確な根拠に基づいた分析を叩きつけられて「参りました」と頭を下げたり、「結構当たってるじゃん」と悦に入ったりしたいのだ。専門家からして、その程度の情報源でいい加減な話をしてもらっては困るのだ。
これも専門家がTVで「わかりやすくインパクトがあって断定的で短い」コメントを求められることが多くなった弊害ではないかと思っている。
(関係ないけど徳保さんの紹介していた「小泉支持者はIQが低い」という国会資料(2005-09-04)は面白かった。ただ、「主婦、子供、シルバー層」ってのはどうなんだろうね? 2ちゃんねるとかの印象で見る限り、ニートや引き篭もりのネット右翼男も相当多そうなんだけど。)
blogランキング参加中極端な自己責任論者の俺は、いじめられるほう「も」悪いと考えます。もしその人にとっていじめが不快なものであれば、いかなる手段を使ってでもその不快な状況を脱するべきであって、それを怠った結果がいじめだからです。まあ正確には「いじめにあってつらいと思うことが悪い」ということでしょうか。
とはいえ、いじめられるほうが悪いからいじめるほうが悪くないのかというと、それはまったく別の問題であるのは明白です。いじめられる側の悪さが(俺にとっては)「弱さ」であって、いってみればその人だけの問題であるのに対し、いじめるほうは人間が自由な存在であるために根本的に必要な「人に迷惑をかけない」というのを守っていないからなお悪いです。他人の存在のしかたがどうであろうと、それが迷惑をかけていい理由にはなりえないです。つーか、それが人権の尊重の根本だと思うんだけど……なんでそんなに頭よさそうな人がまちがうんだろう。わからん。いじめを許容する=人権の侵害を認める、であって、それは犯罪を許容するのとなんら変わらないんじゃないでしょうか。
ちなみに上述のようにいじめられる側も悪いと考える俺は、小学校高学年ころは、直接的な暴力も含む(あとぱんつ下ろされて衆人環視のもとでちんちん晒されるとか鉄棒に吊されるとか)いじめの被害者でした。あの当時の自分は(憎悪は別として)「自分が存在するのがまちがいだからいじめられるのだ」と考えていたのですが、「そうではない。集団が一人の人間をスケープゴートにする権利は本来ないのだ」ということを知っていれば、なにかが違っていたのかもしれません。まあ希望的観測ですけど。
>級友達が特別な悪人
別にそうだったわけではないでしょう。みんなが等しく悪人だから問題なだけであって。そのエゴイズムを許容するのであれば、待っている結果は弱肉強食であって、そこでは犯罪も許容されるべきであって、反社会性もなにもまとめて許容されるべきだと思うわけですが。
長々とすんません。結局腹立ってるだけかもしれません(だめじゃん)。
そして
>自分に危害が及ぶことにも無頓着
そんな人間はこの世にいない。
こんにちは。
碓井氏の文章、「おそらく」、「でしょう」、「もっていたとすると」、「想像できます」、「思えます」等が頻出するのが興味深いところですね。
容疑者が「大変なトラブルメイカー」だったとするなら、これまでにもたくさんの前科があってもおかしくないと思うのですが、そんな報道はされてましたっけ?
それから、碓井氏が事件前にこの文集を読んでいたらどういう感想を抱いたか、とても気になります。
こんにちわ。
「いじめられる側に原因がある」
これって、昔はあまり前のように通っていたリクツです。
それが是正されたのは、イジメによる自殺が数多く出て初めてだったように思えます。
実際、私も子どもの頃、親にすらはっきりではないですが、そういった意味のことを言われました。
まず、原因についてですが、確かに原因がある場合もあります。けれど、その原因とは、その当人に責任がない場合、また、原因ではあるが、その当人が悪くない場合、というものあるのです。
「転校生」「家庭が貧困、または裕福」(実はどちらも周囲の平均とは違う点で共通)といった当人にはいかんともしがたい要因がある場合。
また、これは結構あると思うのですが、いじめに加わらなかったり、イジメを悪い事だと批判した場合。
どちらも原因ではありますが、いずれも悪い事ではありません。
が、「原因がある」と「お前が悪い」は何故か混同されがちなんですよね、特に、いじめられて孤立して心が弱くなっている時には。
●MK2さん
>極端な自己責任論者の俺は、いじめられるほう「も」悪いと考えます。もしその人にとっていじめが不快なものであれば、
>いかなる手段を使ってでもその不快な状況を脱するべきであって、それを怠った結果がいじめだからです。
>まあ正確には「いじめにあってつらいと思うことが悪い」ということでしょうか。
それはまた極論ですね。それには同意しませんが、言ってる意味は分かります。MK2さんは、自分にはそのルールを厳格に課すけれど他人にまで押しつけたりはしないでしょう。「自分が悪い」であって「お前が悪い」ではない。自己責任論って本来はそうあるべきなんですよね。
まあそういうわたしも、何でもかんでも見境なく、「自分は悪くない社会が悪い」と吠えている人には思わず「や、自己責任でしょ」と言ってしまいますが。
本当に救いが必要な「自分の責任を背負いながら、これ以上はどうにもならなくて苦しんでいる被害者」は黙っているから、なかなか救いの手がさしのべられないってのはあるな。昔のMK2さんもそういう子供だったのでしょうけど。
しかし、男の子同士のいじめってどうしてそう残酷なんだろ・・・女の子のいじめも心理的な追い込みは天下一品で陰湿なので、比べられるわけじゃないですが。
>いじめを許容する=人権の侵害を認める、であって、それは犯罪を許容するのとなんら変わらないんじゃないでしょうか。
そうですね。「相手が人格障害(?)という理由でいじめる」ことを「正当」だと認めていなくても「アリ」だと許容していれば同じことになってしまうんですよね。
過剰反応とか誤読と言われたので碓井氏の文章をじっくり読んでみましたが、やはり何度読んでもこの先生、おかしいです。しかし、ツッコミ所が多いというのか前提意識からして違うせいなのか、どうもうまく突っ込めませんでした。
>>自分に危害が及ぶことにも無頓着
>そんな人間はこの世にいない。
人格障害のひとつのパターンに、「自分が人間関係に於いて不利になったり追い込まれることも考えず行動する」というのがあります。無意識に自分を追い込んでいるというか、自殺衝動の軽いやつみたいな。これも自傷の一種なんでしょうが。
●Jonahさん
>容疑者が「大変なトラブルメイカー」だったとするなら、これまでにもたくさんの
>前科があってもおかしくないと思うのですが、そんな報道はされてましたっけ?
前科の情報は聞いていませんが、グレていたという話は聞きました。
例えば酒鬼薔薇少年は、「幼児期から動物虐待を繰り返していた」などの明確な奇行がありますが、親に隠れてタバコ吸うとか万引きとか夜遊びとか、そういう行動は人格障害じゃなくても思春期の子供にはありがちなはず。畠山容疑者はどっちのタイプだったのでしょうね。
前者なら人格障害と位置づけてもいいかもしれないけど、後者のレベルの非行なら、「反社会性人格障害のせいだ」とこじつけるのは無茶です。
まあ、「犯罪者だから」で済ますのがこの先生のやり方なら、もう何も言えませんが・・・。
彼女の人格を解析したいなら、容疑者自身が昔書いたもので判断すべきであって、いじめていた加害者の罵倒(文集)を元に類推するのはバイアスかかりすぎで無意味だと思います。
●イカフライさん
>「いじめられる側に原因がある」
わたしの場合、担任にはそう言われましたが、母がその教師に
「それはおかしい。いじめっ子の方がどう考えたって問題のはずだ。人をいじめて喜ぶような心が一番汚れているでしょう。それに比べればいじめられた子の問題なんてどうということはない」
と食ってかかってくれたのでまだ救われました。(恥ずかしいくらい直球の正論だな母ちゃん・・・)
親も教師も「いじめられるお前が悪い」論者だったら逃げ場がなかったでしょうけども。そういういじめられっ子も存在するのだと思うと胸が痛い。
>原因についてですが、確かに原因がある場合もあります。けれど、その原因とは、その当人に責任がない場合、
>また、原因ではあるが、その当人が悪くない場合、というものあるのです。
「転校生」・・・これはわたしの場合ですが、転校してすぐにクラスになじめないようなお前が悪い、という理屈を本気で言う人がいるんですよ。とけ込むように努力すればいいのに努力が足りない。人見知りするのが悪い。イヤなことを言われて言い返したから悪い。そのくらいスルーして、仲良くしてもらう努力をしろ。生意気そうな顔をするな。下でに出ろ。できないならお前が悪い。
小学校の担任の理屈はこんな感じだったと思います。
まあ人生の初期にいろんな大人の悪意に触れてひねくれたといえばひねくれました。
「家庭が貧困、または裕福」「イジメを悪い事だと批判」
これも、貧乏でも何でもいじめられない子もいるのだから、いじめられるには他にも原因があるのだ、という理屈を言う人がいます。
それもあながち間違いとは言い切れないのですが、こういう理屈でいじめられっ子を追いつめると、最終的には「いじめる側に回る」しか選択肢が無くなるんですよね。実際、「その位の気の強さを持て」という戸塚ヨットスクール系の人も存在します。要は、無茶な理屈をこね回せば「被害者が悪い」という結論に持って行ける、そういう人が確実に存在する、しかも本人は「無茶な理屈とは思っていない」ということです。
なんか碓井氏の話とはずれてきてますね。結局いじめ一般の話になっちゃった(笑)
自分語り失礼します。
私は小学校高学年頃から「嫌がらせ(いじめというほどではなかったので)」を受け始めて、結局高校まで続きました。
その途中で2種類の大人と出会っています。
私の場合、「嫌がらせ」が始まって3年ほどしてから原因に気付き、中学の時先生の同席する前で「心当たりはないが、もしかしたら自分の成績を鼻にかけたような悪い態度をとったかもしれないからそのことについては謝罪する」と言ったことがあります。
それでも「嫌がらせ」は続き、当時の先生は「『彼』は子供なんだから、あなたがおとなになってあげなさい」と言いました。
「彼」をおとなにしてあげるのが先生の役割なんじゃないかなあ、と当時も思いましたし、今でも思います。
高校に入ると先生が「彼」の「嫌がらせ」を重大視するようになり、逆に私は全く悪くない、どんな原因であれ(まあ原因が原因だったのもあるでしょうが)向こうが悪い、と言ってくれました。かなりきつくお灸を据えられたようで、それ以来5,6年ぶりにすっきり平和になりました。
というわけで私の場合「いじめ」とはちょっと違いますけれど、多分中学時代の先生は「いじめられる側が変わればいじめられなくなる」と思っているのでしょう。でも私は自分から謝罪してさえ何も解決しませんでした。ちなみに「彼」からの謝罪は1回もありませんでした。
高校時代の先生は「いじめる側が悪い」と徹底的に対処しました。「学校中の先生がお前の行動を見張っていると思え」と言ったそうです。するとぴたっとおさまりました。
私の場合の救いは他対1ではなかったことです。まあ中学時代までの「彼」は人気者だったので影響はありましたけど、高校ではそうでもなかったし。
こういう経験をしているせいか、どうしても「いじめられっこのもつ原因がなくなればいじめられなくなる」というのには納得がいきません。だってなくなりませんでしたから(笑)
もし原因が「私の成績」そのものにあったのだとしたら、何とも言えませんけれども。
Jonah氏の
>碓井氏の文章、「おそらく」、「でしょう」、「もっていたとすると」、「想像できます」、「思えます」等が頻出するのが興味深い
に同意です。つまり何の根拠もないってことですよね。論理の「ろ」の字もなく、何も証明できていません。これじゃただのおっさんの妄想にしか過ぎない。
肩書きに惑わされることなく、批判的にとらえないとうっかり騙されてしまうことがあるので、(特に報道を見る時には)注意しています。
はじめまして。イツカさんならびに他の皆様。
>中学の時先生の同席する前で「心当たりはないが、もしかしたら自分の成績を鼻にかけたような悪い態度をとったかもしれないからそのことについては謝罪する」と言ったことがあります。
下品で恐縮ですが、「うぜえんだよ。このマザコン野郎がぁ」とその時言ったほうが効果的なように私には思えます。が、そのいぢめっこが小中高と環境がかわっても、持続力が尽きない粘着質なタイプなようですので、下手に刺激してキレられると怖いという感も否めません。
義務教育のばあいは教師の責任を問われがちなので、逃げ腰になる不甲斐ない先生も多いと思われます。また妙なマニュアルにしたがっているのかもしれません。
そのいぢめっこの家庭環境にこそ問題ありそうですね。
ナツさんのコメントを読んでいろんなことを感じたり、考えさせられたりしました。
文章の意味を正確に読み取ることができているのかな、と何度も読み返したり。
で、以下はわたしなりの「いじめ」というものに対して感じてきたことです。
わたしはぼんやり空想にふけったり本を読んだりするのが好きで、ひとりでいるのが苦にならない子供でした。
トイレにもひとりで行ってました。
でも、「一緒に行って」と人から誘われると断れない性格、(おひとよしと言われる)孤立はしていませんでした。
小学校高学のとき、あるクラスメイトがいじめをうけているらしい、と気がついたのもかなり遅かったようです。(あまりまわりを気にしてなかったんですね・・。)
正直、わたしも彼女のことが好きではなかったです。性格的に合わなかったもんで・・・。
でも、わざとらしく「仲間はずれ」にしたり、彼女に聞こえるように悪口を言ったりする子たちが許せなかったんです。
ものすごく単純に、「そんなことされなければならないほど彼女は悪い事してないじゃない!」と言う「いじめをする子への怒り」が大きかった。
いじめがはじまる以前、彼女には仲良しグループがありました。
「○○ちゃん、変わっちゃったの。前は仲よかったけど、どんどん話があわなくなって・・・。もっとひどいのは仲良かったグループの子が積極的に○○ちゃんの悪口言ったりするようになったことなんだ。わたしはどちらとも一緒にいるのがつらくなって、両方から離れるしかなかったの。」と言っていた子がいました。
「でもわたしはひとりで居られない子だから、一緒にいさせてね」と(誰でも受け入れる)わたしのところへ来たのです。
いじめの始まった原因とかはその子が話してくれましたけど、わたしはいじめをする子たちへの怒りで「絶対にわたしはああはなるまい」と決意しました。
こんなふうに同じ子をめぐって、接し方が違うのはなぜでしょう?
そこにひとりひとりのありかたが出ているのではないでしょうか?
やはり、いじめをする子の方に問題があるのでは?と。
他者への優越感とか、自分と違うものへの排他性とかが、わたしにないとは言いません。
そんなにりっぱな人間じゃないんで。
でも自分にはプライドがある、いじめなどしない、と言う気持ちを持つきっかけになりました。
自分を貶めてはいけない。
どういう生き方をするにしてもとても大切なことだと思います。
すみません、まとまりない文章になってしまいましたね。言いたかったことが伝わるかどうか、不安です。失礼しました。
>これも専門家がTVで「わかりやすくインパクトがあって断定的で短い」コメントを求められることが多くなった弊害ではないかと思っている。
単に叩き易い方叩いてるようにしか見えませんよね。
声を大にして分かりやすく耳に気持ちいいことを言った者が席巻するみのもんた志向。
再び失礼します。
>とろろさん
>「うぜえんだよ。このマザコン野郎がぁ」
最初は口論になってはこてんぱんにのしていたのですが(早口で口が立つほうだったため)、駄目でしたねえ。
圧倒的に立場が上である人間(成績や受験を左右することもできるという意味で教師とか)に徹底的に抑え込まれてようやく、という感じでした。
家庭環境……そういえばお稽古事だらけでかなり厳しいお家だったようです。進学塾にも通っていましたっけ。他には特に問題を起こしたことはなかったように思うのですけれど。
よほど相性が悪かったんでしょうか(苦笑) 今でもちょっと思い出すと嫌な気分になります。
ナツさん>
トラバさせていただきました。リンク、引用など問題がありましたら(意図したところが伝わらないなど)、どうぞお知らせ下さいませ。
●イツカさん
記事を取り上げて頂きありがとうございました。
>「『彼』は子供なんだから、あなたがおとなになってあげなさい」
被害者の問題を云々することができなくなるとそれですか。(笑)まあ、教師として生徒を適切に指導する能力がないことを隠蔽するために、イツカさんに責任転嫁したんでしょうね。「先生が大人になれよ」と言いたい。
何でも教師の責任にする考え方にも反対ですが(親の責任が一番だと思うので)、少なくともイツカさんが加害者をどこまでも許容しなくてはならない理由は何もないですね。母親じゃないんだから。でもこういうどうしようもない教師っているんだよなあ・・・。
しかし、小学校から高校までの嫌がらせって、もういじめというよりストーカーですね。エスカレーター式の学校だったんですか? せめて高校は別の所に進学すればと思ってしまいましたが。
その男子はイツカさんのことが好きで、好きだからこそイツカさんに勉強で優越されるのは我慢ならない、イツカさんが自分より明確に劣っていなければ安心して好きでいることができない、自分の方が優秀になればイツカさんも振り向いてくれるだろうし、という心理だったんじゃないかなと妄想。ありきたりな分析ですが。
>「いじめられっこのもつ原因がなくなればいじめられなくなる」
ぶっちゃけ、こんな単純なことを言って済ませる教師ってのは何も考えていないんです。ゴタゴタが起きるのが嫌なだけで。いじめられっ子に同情するより、「私のクラスでいじめがあるなんてウザイ。お前さえ居なければこんな面倒なことは起きなかったのに」といじめられっ子を疎んじています。
ちゃんと問題に向き合って解決しようという気がないので、いじめっ子と同じに、一番弱いところをつついて何か対処したような気分になってるだけです。自己満足ですね。
●とろろさん
>義務教育のばあいは教師の責任を問われがちなので、逃げ腰になる不甲斐ない先生も多いと思われます。
>また妙なマニュアルにしたがっているのかもしれません。
いじめに関する教師の対処マニュアルってどういうのなんでしょうね。昔と今とではどこがどう違うのかとか、そもそもそんなものなかった時代もあったんでしょうが。現役先生とか詳しい人がいたら教えてほしい。
●ななこさん
>こんなふうに同じ子をめぐって、接し方が違うのはなぜでしょう?
>そこにひとりひとりのありかたが出ているのではないでしょうか?
>やはり、いじめをする子の方に問題があるのでは?と。
徳保さんも、そこは大前提として同じだと思います。いじめをする子、加害者側の方が問題なのはわかっているはずなんですよね。しかし、そこから先の考え方に差があるので、いつも平行線になってしまいます。そして碓井教授はと言えば、「いじめっ子を責めてもしょうがない」と言いつついじめられっ子の問題のみを言い募る人なので、もうどうしようもないです。
それから、ななこさんの経験についてですが、あるタイプの人の目から見ると、ななこさんのように基本的に他人にあまり興味がない子供より、他人に対して積極的に関わったり排除したりという活動的な子の方が好ましく見えるようです。
そういう子はいじめっ子にはなりやすいのですが、周囲の動向や人間関係をよく見ているし、リーダーシップもあるし、ある意味聡いです。空気が読めるというのかな。
わたしもななこさんと同じタイプなのですが、プラス方向にもマイナス方向にも積極的に動かない。そういう子より、心の動きがそのまま行動に出るハッキリした子の方が、好ましいと思う大人も多いということです。
そういう大人が教師だった場合、いじめにどう対処するかも、ある程度想像が付きますね。
●incentiveさん
あ〜みのもんた大嫌いなんですよわたし。面白そうな特番があっても司会がみのもんただと見る気なくします。あんな感じの悪いタイプのどこが受けてるのか理解できない。まあわかりやすいといえばわかりやすいんですかね。
どーでもいいけど、過密スケジュールのせいで時々死人みたいな顔になってますね。あれじゃいくら稼いでも金遣う暇もないだろうな。
>いじめに関する教師の対処マニュアルってどういうのなんでしょうね。昔と今とではどこがどう違うのかとか、そもそもそんなものなかった時代もあったんでしょうが。現役先生とか詳しい人がいたら教えてほしい。
と、言うわけで聞いてきました(中学教師の母に)。大前提として、地域や教育機関の種類によって差があるということを述べた上で。基本的に「いじめが起きたらこうしましょう」というマニュアルはないそうです。ただし、教育相談を設けて、教師と話をできる場は確保することになっています。また、スクールカウンセラーが来校して子供たちの相談にのってくれているそうです。クラス替えの際に考慮することも勿論ありますし、小学校から中学校に上がる際にそういった生徒の傾向等も報告します。
ふつーですね。
で、これも想像通りの凡回答ですが「教科書を切られたとか、叩かれたとか、集団が示し合わせて無視をしているという状況ならば対処できる。そういうことは加害者側も悪いことをやっていると言う自覚があるので、彼らには自らの攻撃性を抑えることの必要性も教えやすい。でも、"気が合わない人とあまり話さないだけ"という個人の好みや相性の問題になってしまうと対処が難しい」とのこと。
ふつーですね。
皆さんは被害者としての過去があったようですが、私はどちらかといえば加害者側の子供でした。殴ったり徒党を組んで無視したり物を盗ったりはしていません。が、私が「あまり話していても楽しくないなー」と思う女子生徒に対して、どうやらクラスの大多数がそう思っていたようで、結果として彼女と誰も必要以上の会話をしなかったのです。それをイジメだと教師に指摘されても、クラス中がクエスチョンマークを頭に浮かべていました。気が付けば加害者認定されていたんですね。
どちらかといえば内向的であったり消極的な子供がイジメにあう印象があると思います。
積極的な子供も、中庸な子供も、上記のような極端な話ではなくても、「大人しそうな子に気を使わなくてはいけない・そうじゃないと加害者扱いされる」という経験が多少なりともあるのかもしれません。そして、怖いから内向的な子からは更に人が離れ…繰り返し。
●鳩子さん
おお、現役先生がそんなところに。解説ありがとうございました。
スクールカウンセラーか・・・さすが最近は専門家が出て来るところが違う。昔は保健室が暫定的な受け皿になっていましたが。
>「大人しそうな子に気を使わなくてはいけない・そうじゃないと加害者扱いされる」
それも極端な話ですね。積極的にいじめているグループ以外までをも加害者扱いして「いじめ」認定の範囲を広げすぎるのも、いじめられっ子が敬遠される理由になり、新たないじめの火種になりそう。
わたし個人の経験から言うと、いじめっ子の嫌がらせには腹が立ったし傷つきましたが、一番絶望したのは担任の対応に対してであり、実際問題、担任がわたしに「お前が悪い」とプレッシャーをかけまくっている間に、仲良しの子もできたし、いじめっ子のリーダーとも自然に和解が成立しました。
担任は「あんたが努力しろ」と投げ出していたので、自力で解決したというか、状況の方が勝手に変化した感じです。
どうも担任はわたしが母子家庭だということが気に入らなかったようで、「母子家庭の子→異端者→いじめられて当然」という認識もあったようです。(いじめっ子自身は、子供なので特に意識していなかったらしい。単に転校生(新入り)が気に入らなかっただけ)
他にも母子家庭の子がいまして、その子の場合お母さんが水商売だかで、あからさまに差別していました。わたしの場合は母が看護婦だったのでいくらかマシだったようです。
こういう経験からも、先入観や偏見の激しい人間が被害者の責任を云々してもなにひとつ解決しない、という教訓を得ました。
>イツカさん
やりこめられてもシツコク食い下がってくるようなのいますね。
お稽古事をよくする?「彼」はイツカさんに自分を印象付けたかったのかもしれませんが、幼稚ですね。子どもはきっちり叱るべきですが、大人の巧妙さが見れ隠れしてそうな気配も。
いつからか恥という言葉が失われた気がします。
>ナツさん
いい悪いは別として、むかしは体罰があり、悪いことをすると痛い思いをしたはず。たとえば先生にゲンコツもらったりしても、親に泣きつく子どもは少なかったし、親も先生を信頼していたと思われますね。子どももひ弱じゃなかった。また教師もよく子どもを観察していたと思う。たぶん生徒を愛する先生も多かったんじゃないかな。懐古趣味的な話ですが。
> ナツさん
>せめて高校は別の所に進学すればと思ってしまいましたが。
高校、私は推薦受験しまして(進学コースみたいなところでクラスも分かれていました)、向こうは普通科を受験したんですね。しまったと思いましたが、まさか高校になってもやってるとは思わず……。
> その男子はイツカさんのことが好きで
それはないと思います。浴びせられていた罵声はそれっぽくなかったですし(笑) ブスとかデブはなかったけれど……。
彼は非常に明るくひょうきんで、モテる人気者でしたが、自分を好きになった女の子には意地悪をする、良く分からない面もありました。彼自身誰かを好きになったという話は記憶にありません。
>とろろさん
>大人の巧妙さが見れ隠れしてそうな気配も。
そうですね。実際、先生受けも割と良かったように思います。高校では「えっ、あいつが裏でそんなことを?!」みたいな感じでした。
女のいじめは陰湿だといいますけど、本当に怖いのは陰湿な男かなあとも思ったりします……。
それでも私は高校でしっかり対処してくれる先生に出会えてよかったです。
さもなければ「先生」という人種に不信感を抱いたままだったかもしれませんから。
「先生」への不信感は大人への第一歩かもしれませんが、高校卒業までにひとりくらいはいい先生に出会えるとしあわせですよね。
●とろろさん
うーん。わたしは体罰には反対ですね。アメリカの学校では体罰を与える時は、校長など第三者の大人の前で子供を叩く、という方法が取られているそうです。教師の激情にまかせて「教育的指導」の名を借りた鬱憤晴らしができないようにするためです。
どうしても必要な体罰なら、公正な第三者のいる前で、冷静に罰を与えればいいという考えなんですね。これならやりすぎるということはないし、理不尽な理由や、カッとなったあげくの暴力は絶対に不可能です。
わたしは基本的に教師というか、人間(の理性)を信用していませんので、体罰を完全に正当化させたら教室という密室で何が起きるかわからないと思っています。まさに「体罰の名を借りた教師から生徒へのいじめ」が発生するだけでしょう。
昔はうまくいっていたという話ですが、この目で見たわけではないので何とも言えません。例の「昔は良かった幻想」では?との疑いもあります。
体罰をふるわなければ生徒を指導できないような教師は無能だとも思っています。
また、体罰ごときで立ち直るような生徒なら、はなからたいしたことはないんです。本当に問題なのは拳骨食らったくらいでは髪の毛一筋も改心しないような生徒であり、そういう子はいくら殴っても憎悪を増幅させて自分より弱い者へのいじめに転化するだけなので、無意味どころか有害です。「力による支配」を教師が身を持って教えているわけですから。暴力(精神的暴力も含め)が連鎖するだけです。
奈良の放火殺人では、犯人の少年は父親にスパルタ教育を受けて育ちました。
「殴られて辛かった。家では気が休まらなかったから学校が息抜きの場所だった」と言っています。
これを、「今の子供は弱いから」と片づけてしまう気にはなれないんですよ。
●イツカさん
>自分を好きになった女の子には意地悪をする、良く分からない面もありました。
やっぱりひねくれ者のあまのじゃくって気がするけどなあ。(笑)まあ、たとえそうだとしてもそんな幼稚さをイツカさんが許容してやらなければならない義務はないわけですから、どんな屈折した男心だろうが関係ないんですけどね。
わたしも中学で転校した先の男性担任はいい先生だったので、卒業まで楽しかったです。ただし、それはたまたま運が良かったんだと。「あまり教師(大人)に期待しすぎないようにしよう」という強固な世界観は小学生の時分で構築されてしまいました。
>ナツさん
なるほど。体罰の是非についてのほうにきましたか。
健全なる第三者の監視のもとの行為は価値があります。
おっしゃるとおりです。
すべての権力者の行為がそういう状況下ならベストだと思います。
暴力は暴力を呼ぶ。いえると思います。
概ねそのとおりです。
夜回り先生という方がいますね。好感もてて支持できますよね。
救われた生徒も多いらしいですから。
>昔はうまくいっていたという話ですが、
それは短絡すぎます。
問題山積は変わらないでしょう。
>人間(の理性)を信用していませんので
それはそれでいいんじゃないですか。
ナツさんは将来、他人と密室で暮らすことがあるかもしれない。そのときには例外だといえば済むことだし。
>奈良の放火殺人では、犯人の少年は父親にスパルタ教育を受けて育ちました
事例としては不適合。この陰湿な事件をあてて反論の材料に使う。
性急すぎませんか。いきなり社会正義のようなものを後ろ盾にもってくる。
そういう手法は私は嫌いだな。
>とろろさん
あなたが言われる「昔」って、いつ頃の昔を想定されていますでしょうか?戦前?それとも、せいぜい昭和40年代(あの、80年代とかは言わないでね、私からするとつい最近だから(^^ゞ)
>たとえば先生にゲンコツもらったりしても、親に泣きつく子どもは少なかったし、親も先生を信頼していたと思われますね。
この例とは少々ずれるし、あまり自分の経験を喧伝するのもなんですが。
私が小学生の頃(昭和42-48年くらいだな、年から逆算すると)は、イジメにあっている生徒を「いじめられるほうが悪い」という教師が当たり前にいました、それどころか、担任教師自らがイジメを率先する図式もありました。
で、この当時、今以上に日本の大人は高度成長期で忙しかったし、女性の学歴や社会経験は今よりずっと低かったです。女性は従順でおとなしいのが一番、みたいな価値観もまだ根強かったしね。だから、父親は仕事、仕事で家庭は妻まかせ、母親は先生はいい大学も出ているし、みたいな感じで、教師の間違った事に毅然とした対応(ナツさんのお母さんのような)の出来る母親が少なかった。
先生への信頼の実態ってこんなもんです。
まあ、確かに今の子よりは強かったと言うのは結果論としては間違っていないかも知れないけれど。
誰も助けてくれないなら、自分で解決するしかないから。
でも、それが良いとは思えないんだな。
●とろろさん
>>昔はうまくいっていたという話ですが、
>それは短絡すぎます。
>問題山積は変わらないでしょう。
そうです。わたしも昔から問題は山積していたはずだと思ってるんです。
とろろさんが「(昔は)たぶん生徒を愛する先生も多かったんじゃないかな。」と書いていらっしゃったんで、「昔は良かった」とは一概に言えないんじゃないかなあと思ったんですよ。
>ナツさんは将来、他人と密室で暮らすことがあるかもしれない。そのときには例外だといえば済むことだし。
すみません。意味わかりません。
「人間の理性を信用してないなら他人と密室で暮らせないだろう→結婚はどうよ」
という意味かな?
信頼関係のない他人に暴力を振るう権限を与えた上で、密室で一緒に暮らすことはできませんわね。
信頼関係が構築された後なら他人とは言えないけど、どちらにしても暴力を自由な裁量で振るう権限は誰にも与える気はないです。
>事例としては不適合。この陰湿な事件をあてて反論の材料に使う。
>性急すぎませんか。いきなり社会正義のようなものを後ろ盾にもってくる。
>そういう手法は私は嫌いだな。
「わたしは」体罰を肯定できないという話をしてるだけです。べつに社会正義の話をしたいわけじゃないですよ。手法って???
たとえ教育熱心な親の愛情から発生した体罰であろうが、子供の側は「火を付けて逃げ出したい」と思うほど苦痛に感じていた。そういうことだってあるんだという一例です。
とろろさんが
>たとえば先生にゲンコツもらったりしても、親に泣きつく子どもは少なかったし、
>親も先生を信頼していたと思われますね。
>子どももひ弱じゃなかった。
>たぶん生徒を愛する先生も多かったんじゃないかな。
と書いていたので、その話には具体例はないけれど、体罰が悲劇につながった例ならあるな、と思い出して取り上げてみたんです。
まあ戸塚ヨットスクールでもよかったんですけども。
要するにわたしは、「お前のためを思って」「お前を愛してるからこそだ」ってのを言い訳にして体罰を振るうというのが嫌いなんです。体罰を振るう側の愛情の有無は、体罰を肯定しうる根拠にはならない、と思ってます。受けた側がどう感じるかが問題ですから。
そして、受けた側の子供が体罰をつらく感じたとしても、「子供がひ弱だからだ」とは言えないと思ってます。
●イカフライさん
>女性の学歴や社会経験は今よりずっと低かったです。女性は従順でおとなしいのが一番、
>みたいな価値観もまだ根強かったしね。だから、父親は仕事、仕事で家庭は妻まかせ、
>母親は先生はいい大学も出ているし、みたいな感じで、教師の間違った事に毅然とした対応
>(ナツさんのお母さんのような)の出来る母親が少なかった。
>先生への信頼の実態ってこんなもんです。
ああなるほど・・・。昔は「教職は聖職」なんて言われて、今よりもずっと教師の地位が高く、尊敬されていたみたいですもんね。
そっか、学歴か。それで引け目を感じて教師に強く出られない親も多かったと。
いまだに「女は結婚するなら学歴なんか必要ない」とか言ってる時代錯誤な人が存在しますが、こういうことを考えると、親になるにしてもある程度の学歴がないと、子供の立場にも関わってくるんじゃないかなーと思いますね。それもまあくだらない話ですが。
こんにちは。
いじめって、属する集団(環境とか年代とか)によってどういういじめが起こるかとかどういう対処をされるかは違うと思うので、世代も地域もばらばらな人が自分の体験をそれぞれ話すと発散しちゃう気がします。
個人的にはいじめは全ての人に何らかの原因・理由があると思います(本人にとっては理由にされるのは不条理だと思うような事象だとしても)が、ここでダメだったのは「碓井さんが専門家なのに、被害者についてしたり顔で正しさを検証できないことを原因だと言っていること、かつ、加害者の加害者たる原因への言及がないこと」という非対称性だったはずで。
「加害者の原因にはこのようなことが考えられる。
被害者の原因にはこのようなことが考えられる。
どちらがより悪いかについてはケースバイケースであり検証しようがない。
しかし倫理的・法的に抑えるとXXである。」
という落とし方しかないような気がするのですが、徳保さんは徹底的に倫理的・法的な話に持ち込みませんね。
お久しぶりです。更新休止中ということもあり、少しだけコメント欄にお邪魔します。
> ぽいんつさん
碓井さんは「誰に対して、どんな理由であれ、「いじめ」はゆるされません。」と書いています。全面的に加害者が悪い、ということです。
ではなぜ碓井さんは加害者攻撃キャンペーンに賛同しないのか。それは、キャンペーン参加者にいじめの加害者と共通する心理、すなわち異端者を排除して事足れりとする考え方が見て取れるからです。加害者攻撃も度が過ぎれば「他人の犯罪」を攻撃して自分の行動を顧みない結果にしかなりません。
碓井さんはふたつの結論を示しています。ひとつは社会が異端者と共存するため知恵を絞ること、もうひとつは異端者を善導していくことです。
……私には、碓井さんが畠山さんに対するいじめを肯定しているとは読めません。
> ナツさん
「様々な人格的なゆがみや、ある種の軽度発達障害などを抱えた人々が、イジメっ子になったり、イジメられっ子になったりすることがあります。そのためにさらに問題が悪化し、二次的障害をもつこともあります。」「小学校からイジメられてきた畠山容疑者は、内向的で、そしてウソつきになっていきます。」とあるように、碓井さんは「人格障害→いじめられる→障害が悪化→もっといじめられる」という悲劇の連鎖を指摘されています。
碓井さんは問題を抱えた人について「悪いことは悪いときちんと教え、その結果社会を恨むのではなく心から反省し、それでも自分が先生や友人から見捨てられてはいないとわかってもらう必要があります。」と述べています。いじめは被害者に社会への恨みを植え付け、孤独感を増幅する行為ですから、やはり碓井さんはいじめに否定的なのです。
碓井さんは読者の大半が加害者予備軍だと認識されているので、「責めずに気付かせる」方針を採用されているのでしょう。「加害者批判が足りない」としても、より多くの人に「自分の問題」として考えてもらうための必要悪かもしれません。私は碓井さんの文章を読んで実際に加害者が「誤解」した例を知りませんが、自分を見つめなおすきっかけとした例ならあります。
ところで、「原因の指摘は慎重に」とのご意見、年々身に沁みてきてます。難しいです、これは本当に。
横レス失礼します。
deztecさん>
はじめまして。重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、何点か指摘させてください。
碓井さんは精神科医ではありません(略歴は
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/sigoto/profile.html
で見られます)。また精神科医であったとしても、診察をしてもいない人を「人格障害」と診断することは間違っています。
つまり碓井さんには容疑者を「人格障害」と判断する根拠は何もないのです。
それなのに、
>現在の彼女を見ると、人格障害的な部分を感じます。
>彼女が「反社会性人格障害」や「演技性人格障害」の傾向をもっていたとすると、平気でルールを破り、責任を果たさず、他者を傷つけ、同時に自分に危害が及ぶことにも無頓着で、そして芝居じみた大げさなウソをとても上手くついていたが想像できます。
などという曖昧な言い方で、たくみに読者を「容疑者」=「人格障害」と思わせる方向に誘導しています。
そもそも、
>様々な人格的なゆがみや、ある種の軽度発達障害などを抱えた人々が、イジメっ子になったり、イジメられっ子になったりすることがあります。そのためにさらに問題が悪化し、二次的障害をもつこともあります。
この根拠は一体何なのでしょうか。
また、「軽度発達障害」とありますが、発達障害にはいろいろあります。精神的なもの、身体的なもの、どれとも分類せずに全てをひっくるめてこういう言い方をしては、真摯に発達障害と向き合って生きているお子さんやそのご両親に対して失礼ではないでしょうか。さらに、ここで述べられている「二次的障害」とは何なのでしょうか。
何故筆者は「ゆがみ」だけでは満足せずに「障害」という言葉を使いたがるのか、私には良く分かりません。
deztecさんの導かれている結論に関しては、全くその通りだと思います。けれど、この筆者の言葉からそのような結論に至るのは、私には非常に難しいと思うのです。
deztecさんのおっしゃっているような主旨を述べたいのなら、何故わざわざ容疑者を「人格障害」だと決め付ける必要があったのか。知りもしない高校時代の姿を推測してまで、医師でもない筆者が「診断」を下す必要があったのか。
私にはそのような必然性は感じられないのですが。
>イカフライさん
>先生への信頼の実態ってこんなもんです。
冷静なご意見です。
>でも、それが良いとは思えないんだな。
たしかに。
ザ・中学教師(1992)。こんな映画を思い出しました。なんとなくフレンドリーな教師像には抵抗あります。このくらいのことしか言えないOTZ
>なつさん
>信頼関係のない他人に暴力を振るう権限を与えた上で、密室で一緒に暮らすことはできませんわね。
信頼関係が構築された後なら他人とは言えないけど、どちらにしても暴力を自由な裁量で振るう権限は誰にも与える気はないです。
そのとおりです。まあ権限なくして振るわれるから暴力なんだし。
SMプレーは別として。
>戸塚ヨットスクールでもよかったんですけども。
先の事例と同レベルのものですね。
>要するにわたしは、「お前のためを思って」「お前を愛してるからこそだ」ってのを言い訳にして体罰を振るうというのが嫌いなんです。体罰を振るう側の愛情の有無は、体罰を肯定しうる根拠にはならない、と思ってます。受けた側がどう感じるかが問題ですから。
私もそういうのは嫌いですよ。同感です。
>受けた側の子供が体罰をつらく感じたとしても、「子供がひ弱だからだ」とは言えないと思ってます。
そのとおりです。
体罰といっても肉体的苦痛は皆無にちかく、精神的苦痛を指向というのもあったようですね。悪いことを悪いと認識できる能力が子どもにどれだけあるか、が肝要だと思われます。教師も人間なので、卑劣な行為には手厳しく対処していたみたいですね。もちろん教師によりますが。
いまの価値観のなかに暮らしている人を世代によって分けてもあまり意味がないので、そのつもりはないです。
いじめによる特に悲惨な事件などを考えてみると、教育現場だけで解決できるような問題ではないですよね。想像力の欠けた前頭葉をもつ人間がどのように出来上がるのか、というより想像できるがそれでもかまわないという未必の故意?または善悪の判断ができないのか。集団によるものなら責任の分散ができるので、おもに無責任な思考がもとにあるかな。ネットや携帯の普及で情報の伝達速度がますます伸びた昨今、弊害はあるでしょうね。
●ぽいんつさん
すみません。書き込みを見逃していてレスが遅れました。
>ここでダメだったのは「碓井さんが専門家なのに、被害者についてしたり顔で
>正しさを検証できないことを原因だと言っていること、かつ、加害者の加害者たる
>原因への言及がないこと」という非対称性だったはずで。
総括ありがとうございます。その通りなんですけど、閲覧者さんたちは専門家の発言問題についてより、いじめ問題そのものの方に興味があるようなので、まあそれはそれでいいかと流れにまかせてました。
わたし個人はどう読んでも碓井氏の言ってることがひっかかるので、色んな人の意見を聞いてみたいんですけども。
●徳保さん
どうもお久しぶりです。
>ではなぜ碓井さんは加害者攻撃キャンペーンに賛同しないのか。それは、キャンペーン参加者に
>いじめの加害者と共通する心理、すなわち異端者を排除して事足れりとする考え方が見て取れるからです。
わたしはむしろ碓井氏にその考え方を感じました。
碓井氏は確かに異端者を「排除しろ」とは言っていない。しかし、専門家の立場からいじめの被害者である畠山容疑者に、「この人間は異端者(人格障害者)だからいじめられた」とレッテルを貼るという、ある意味もっとも排他的な行為を行っています。ネットだけではなくTVでも。
影響力のある専門家として、こうした発言には確固たる根拠が要るのだということを考慮しないのもまた無意識の暴力では?
イツカさんも引用しておられたこの部分
>現在の彼女を見ると、人格障害的な部分を感じます。
>彼女が「反社会性人格障害」や「演技性人格障害」の傾向をもっていたとすると
>(中略)芝居じみた大げさなウソをとても上手くついていたが想像できます。
根拠なくこう決め付けてから「相手がこういう子でもいじめはダメですよ」と言うのは、端的に言って、「頭おかしい人だから可哀想だから優しくしてあげようね」と言っているのと変わりないわけです。
容疑者が昔からおかしかったとか、人格や発達に障害があったとか、他の生徒と決定的に違っていたという話には、何も根拠がない。「ああ、彼女は私達とはじめから違う生き物なんだ」と我々を安心させる以外には意味もないです。
それらの「噂」はワイドショーやせいぜい我々野次馬のレベルで語られるべきことじゃないでしょうかね。
専門家までが追随してワイドショー的な発言をすることに対しては懸念を覚えざるを得ません。
>いじめは被害者に社会への恨みを植え付け、孤独感を増幅する行為ですから、やはり碓井さんはいじめに否定的なのです。
「いじめ=人格障害者に振り回された周囲の人々が、異端者に対して起こした反応であり、やむを得ないことである。加害者も傷ついているのだ」と位置づけている以上は、結果的にいじめを「許容」しているのと同じです。
碓井氏自身はもしかしたら、徳保さんのおっしゃる通りいじめを力いっぱい否定しているつもりなのかも知れません。が、それが目的ならあの文章は完全に失敗だったと思います。
>「原因の指摘は慎重に」とのご意見、年々身に沁みてきてます。難しいです、これは本当に。
これはわたし自身も自戒してます。
立場によって見えたり、見えなかったりすることがあるのは当然と言えば当然なんですが、実際に被害者意識を持っている人に単純に「原因の指摘」をして有意義な結果が出るかと言えば・・・出ないんですよね大概は。余計相手を追いつめるだけで。
しかしそれとは別に、「被害者の名の下に無関係の人間までをも攻撃する」という被害者の暴力性も確かに存在するわけで、それを意識しない被害者に対しては意識させる必要性はあると思います。一方的に全世界から傷つけられてばかりで、自分が誰かを傷つけていないなんて、そんな人間は存在しないわけだし。
●とろろさん
>そのとおりです。まあ権限なくして振るわれるから暴力なんだし。
それが「体罰」という名目が付いただけで、正当性と権限が与えられるから恐ろしいんですよ。中身は結局のところ暴力なのにね。
「人間の理性を信用できない」と書きましたが、「あなたのやってることは正しい」という正当性を与えられると、歯止めがきかなくなるのが人間だという意味です。
>悪いことを悪いと認識できる能力が子どもにどれだけあるか、が肝要だと思われます。
>教師も人間なので、卑劣な行為には手厳しく対処していたみたいですね。もちろん教師によりますが。
「言って聞かせてもわからない」という子供がいたとして、どうしても体罰を振るわざるをえなくなったとしても、「この体罰だって暴力である」(悪いことは悪い)という認識の上で、一種の罪悪感をもって行使すべきだと思ってます。
これは邪道であり、安易に殴って済ませるようなことは本当は良くないという認識があれば、その罪悪感やプレッシャーこそが「やりすぎ」を防止する歯止めになるでしょうから。
殴った後で「愛の鞭でガキを調教してやった後は気持ちがいいな」などという満足感を感じるような、体罰に寛容な軍隊的風潮は御免なんですよね。
殴りたくなかったと己の手を見つめて苦々しい気持ちになり、もう二度と嫌だと後悔でいっぱいになるような人間でない限り、体罰を振るう資格なんかないです。
で、その罪悪感を個人倫理レベルでなく一般的にするためには、「体罰は正しい教育方針」なんて世論が確立しては困るな〜と。そんな風に考えてます。
>ナツさん
>あなたのやってることは正しい」という正当性を与えられると、歯止めがきかなくなるのが人間だという意味です。
権力の濫用ですね。ごもっともです。
>その罪悪感やプレッシャーこそが「やりすぎ」を防止する歯止めになるでしょうから。
教師自身の抑止力を求めるなら、異論はないですよ。
>体罰は正しい教育方針」なんて世論が確立しては困るな〜と。そんな風に考えてます。
世界規模で禁止な風潮のようですね。子どもの人権擁護の観点からか。
それにはもちろん賛成です。
プロ教師という言葉をよく見かけますが、求められる教師の素養ってなんなのでしょうね。
板の趣旨からはずれたようなので、撤退します。ありがとん
>徳保さん
>異端者と共存するため知恵を絞ること
>異端者を善導していくこと
この件では具体的にどうすればいいと仰ってましたっけ?
それはそうとして、そもそもは「『テレビでの発言の』非対称性」の話だったと思います、ということと、「○○であるが××である」という文章では、筆者が重みを置いているのは××である、ということだけを、とりあえず。
>ナツさん
自分で書いときながら後で思ったのですが、いじめの話では、ものすごく一般的な倫理とかで押さえると「ふつー」の話しかできないなーと。そうするとわかる情報からケースバイケースの議論をするしかないんでしょう。
私の感覚ではあの卒業文集のコメントは異様です。田舎だからああなのか、あの年代だからああなのか、あのクラスの人たちだけがああなのかはわかりませんが。あのコメントを書いた本人たちに「今公開されてどう思ってるか」を聞いてみたいです。
鳩子さんのお母様の、いじめへの対処や、いじめの加害者の話についてはすごい納得しました。
集団で「積極的に嫌がらせをする」か「積極的にコミュニケーションを取ることをしない」とざっくり2つに分けた(アクティブないじめとパッシブないじめ、とかの名前にしておきます)ときに、被害者以外から見たら前者だけがいじめに見える気がするのですが、本人からすると後者もいじめに見える可能性がある、ということなのでしょう。
セクハラは「本人がセクハラだと思ったらセクハラ」ですが、いじめはどうなんでしょうね。
「皆仲良くしましょう」が「皆仲良くせねばならない」なのか、「仲良く」のレベルがどのくらいなのか、それとも「皆が積極的に衝突しなければそれでいい」のか、なんかそのあたりが、パッシブないじめかどうかの判断になる気がします。
>イツカさん
>などという曖昧な言い方で、たくみに読者を「容疑者」=「人格障害」と思わせる方向に誘導しています。
>何故わざわざ容疑者を「人格障害」だと決め付ける必要があったのか。知りもしない高校時代の姿を推測してまで、医師でもない筆者が「診断」を下す必要があったのか。
私にはそのような必然性は感じられないのですが。
私は、ここで焦点になっている碓井氏の発言をろくに読まずに参加してました。失礼。
よく読んでみますと、たしかに、いっけん理性的だが、ある結果を求める方向にに誘導している、と取られ易い表現があるように思います。
つまり、「彼女は大変なトラブルメイカーだったのではないでしょうか」の発言はイツカさん言うように推測ですが、たとえば、”高校時代の彼女を大変なトラブルメイカーだったと仮定して話をすすめると・・・”のような表現ですと、同じ推測でも印象が違ってくるように思いました。
私は碓井氏についてナツさんのBLOGにきて初めて名前を知ったのですが、氏に限らず、犯罪や心理の専門家をメディアが重宝している昨今、メディア側からワイドショー的面白さ?から過剰な洞察を要求されるようなプレッシャーがあったりするのかもしれません。世間に多大な影響力をもつマスメディアと商業主義。矛盾は大きいです。
また、メディアといっても犯罪などは基本的に警察発表を記事にしているわけですし、私たちが目にする情報はいろいろな人を通過してぜい肉?がそぎ落とされたものなのかもしれません。
もちろん、それらの情報に疑義が生じたなら勇気ある発言をするのも大切なことです。言うまでもなく責任のもてる範囲でですが。
拙文ですが、エントリーにすこしは副ったかな
●とろろさん
>板の趣旨からはずれたようなので、撤退します。ありがとん
こちらこそどーも。体罰問題は何度か取り上げてるので熱くなっちゃいます。
コメント欄の話題がエントリの主旨からずれるのはいつものことなのでわたしはあまり気にしませんが。(管理人が率先してずらしてることもある・・・)
●ぽいんつさん
>あのコメントを書いた本人たちに「今公開されてどう思ってるか」を聞いてみたいです。
碓井氏からして、あの寄せ書きの異常性より、「あの寄せ書きを書かれた容疑者の異常性」しか念頭にないようなので、書いた本人も反省なんかしていないとわたしは思いますけどね。「俺たちは昔からあいつの異常性は分かっていた」と思ってるはず。
確かに連日報道されている畠山容疑者の供述は異常なんですけど、彼女の心理については「本当の」専門家がじっくり面談・診察して解明していってもらいたいです。テキトーなワイドショー向けのコメントはもう要らない。
>「皆仲良くしましょう」が「皆仲良くせねばならない」なのか、「仲良く」のレベルがどのくらいなのか
「皆仲良くせねばならない」なら、「いじめられっ子」の方も積極的に仲良くするよう「自分から」努力する義務が生じるわけで、被害者も加害者もないということになりますね。引っ込み思案だったり一人でいる方が良いという子には逆に圧力になる。
ケースバイケースなことが多すぎて、対症療法でやっていくしかないって話になりそうです。
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いじめられっ子は反社会的?いじめられっ子問題・追記この道はいつか来た道 以前から好きでROMってたナツさんのブログ、「電脳ポトラッチ」... [続きを読む]