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2006年12月 2日

無能者に世界は変えられない

載せ忘れていた昔のテキストをいくつか発掘したのでもったいないから順に転載。えーと、これは4年くらい前の文章です。何か、昔の文の方がまとまってるわ。


● ちょっと前に予備校の講師が、生徒に暴力をふるって重傷を負わせたor殺した、という事件があった。
なんでもその講師は元ヤンキーという異色の経歴を持ち、熱血教師で授業もおもしろく、生徒の受けも良かったという話なんだけど、そういうタイプのせいか日頃から暴力的で、それまでにも何度か問題はあったらしい。


暴力教師でも「熱血」という冠詞がつけば許されるような土壌があるのが日本社会。世間も大目に見るし、「それは熱心な証拠だし、生徒のことを真剣に考えているんだ」などと言い出すやつが必ずいる。この事件の場合も、匿名インタビューで予備校の生徒が「ちょっと頭に血が上りやすいけど、いい先生なんです〜」などと弁護していた。


こういう事件の際にわざわざこういうインタビューを流すマスコミの意図がどの辺にあるかと考えると、「熱心さが高じて体罰が行きすぎてしまったんだな。生徒に慕われるなら本物だ。これは不幸な事故だろう。今はこういうガツンと子どもを指導できる大人が減っているから貴重なのに」という感想を抱くことを視聴者に強制しているとしか思えず、いつも不愉快になる。
「目的が正当ならば手段はどうでもいい」という考え方がそもそも気に入らない。正当な手段に沿った上で目的を達成することもできないおのれの無能を棚に上げるやつを必要以上に評価するから馬鹿がいっこうに減らない。


熱心さや、「生徒のことを真剣に考えている」ということを暴力によらずして他人に証明できないやつは、無能。教師の権威や優位性を、生徒を力で抑えつけることによってしか保持できないやつも、無能。


生徒の心理や性格を理解して尊重する気もないくせに、自分の方は生徒に理解を求め、「おまえのためを思って殴りたくもないのに殴らなければならないこの俺の気持ちがなぜわからないんだ」というポーズを取りたがるやつも当然、無能。「殴りたくもないのに殴らなければならないこのオレの苦渋」を殴った相手にわかってもらわないと不安になるような教師は無能。暴力教師としても無能。


むしろわたしは、遠慮なく暴力を振るっていながら、「あの先生は熱心すぎてやりすぎることがあるし、誤解されやすいけどいい先生なんです」なんて、擁護してくれる生徒が複数存在することこそうさんくさいと思う。きっと日頃から有言無言で、「おまえたちのためを思ってオレは血の涙をーっ」とかアピールしまくっていたに違いないと思う。生徒に蛇蝎のごとく忌み嫌われてもかまわない、解ってもらえなくてもいい、というきっぱりした覚悟なんかなしで暴力を振るってるんだと思う。見苦しい。


えーとそれで何が言いたいかというと。「どんな理由があっても暴力はいけないから暴力教師はダメ」ってことじゃないです。だってそれを言うと自分で子どもをどうにかできない無能な親が、「こういう人がいてくれないと子どもを矯正できないしー。体罰も使い方次第では」とか逃げ道与えるようなこと言い出すから。


だからわたしはあえて、「暴力教師はとにかく無能だから何をやってもダメ」って全否定するね。
馬鹿の考え休むに似たりで、無能なやつが暴力に頼って人間一人を矯正しようとか更正させようとか考えたって無駄。それでなんとかなるような子どもはもともと更正する素質があったんであって、他の手段でもいずれは更正するだろう。つまり自力で立ち直ってるだけである。
暴力しか更生方法がなかったなんて、単なる思い込みだ。
逆に、暴力では立ち直れない子は、受けた暴力によって更に大人や社会への憎悪・不信感をつのらせるだろう。
そんなことも考えず漫画みたいな展開を夢見て脊髄反射で生徒に暴力を振るう教師は、無能。それで加減も分からず大けがさせたり殺したりしてるんだから、もうその無能は立派に罪悪である。


暴力で世界が変わるかどうかはおいといて。無能者に世界は変えられない。



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投稿者 : ナツ at 2006/12/02 | カテゴリー : 気になるニュース・ネタ
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