● イカフライさんのブログのコメント欄で非モテ話が盛り上がっているので、ROMしていたわけなのですが。
そういう理屈って、ありなのか?と思ったので反応してみる。
furukatsuさんwrote:
青丸さんを含めた恋愛ブルジョワ階級の抑圧というのは存在しています。これは、歴史的には実際にあった話ではないのですが、マリー・アントワネットはパンの食べられない庶民に対して「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったという話が残っています。ここでの、マリー・アントワネットは非常に無邪気です。しかし、それでも庶民の怒りを買った。恋愛をしている、または出来る恋愛ブルジョワジーの言葉もそうです。時に彼、または彼女は無邪気に恋愛の話をします。それが、如何に非モテを苦しめているか。そして、彼らが如何に無意識に非モテを排除しようとしているか。今はクリスマスシーズンですから、特にそういった大いなる人間疎外が街を飾っているのです。
そしてまた、彼らが悪意が無かったとしても、暴力的に我々を抑圧するのであれば、我々もまた暴力的に戦わねばなりません。これは闘争であり、善悪は関係ありません。むしろ、ここで恋愛ブルジョワジーの正義を持ち出すならば、それこそまさに抑圧でありましょう。
青丸さんも、彼氏をもった事がある、つまり、恋愛をしたことはあるわけでしょう。そこの優越感が無意識ににじみ出てはいませんか?
つまり、「恋人を持ったことがある」だけで、非モテの人に対して我々は自動的に加害者としての負い目を持って存在させられることになるわけですか。
「わたしは彼氏が居たことがある」
「そして、この人には彼女が居たことがない」
という事実を常に意識し、非モテ男性の劣等感に触れないよう、腫れ物に触るようにビクビクと会話をし、何かの拍子に「そういえば昔の彼が」と言いそうになったものなら、相手の顔色が変わる前に、「・・・じゃなくて、ある男性が言っていたことなんだけど」と言い直し、恋愛関係を想起せしめる話題は脳内でフィルターにかけてことごとく払い落とし、全神経を集中させて非モテ男性の地雷に触れないように努力せよと。
そこまで気を遣えるかと言おうものなら、「それは強者の暴力であり、抑圧だ。抑圧には戦いあるのみ」ということでありましょうか。
正直、そこまでして一般人と非モテ男性とが会話することのメリットが何も思いつかないのですが。
こちらもうんざりするけれど、非モテの人だって同じこと。傷つけられ、被害者になる危険を冒してまで、「彼氏・彼女が居たことのある(今もいる)」人々と私的に会話したり、親しく付き合うメリットは何もないだろう。
それとも、自分に気を遣わせ、相手を申し訳ない気持ちにさせることで一種倒錯的な復讐欲が満たされるとでも言うのだろうか?
わたしが非モテの立場であれば、そこまで気を遣われることこそ屈辱だと考える。恋人がいないくらいで、悲愴な弱者、哀れむべき被害者の地位に堕せられるのはまっぴらごめんなのですが。非モテの人々はそうじゃないんですかね?
「たかが恋人がいないくらいで蔑むな」というのが、非モテの最大の主張であったはずだ。
それはわたしももっともだと思う。たかがそんなことだけで、人間の価値を決め付けるのは間違っている。その通りだ。
しかし一方で非モテは、「お前は恋人がいるのだから、いない非モテに気を遣わねばならない。でなければ、非モテを苦しめる加害者だ」と言う。
恋愛を「たかが」というレベルの話にしたいのなら、恋愛経験のある人もない人も、そのことを「どうでもいいこと」と認識しなければならない。恋愛経験のある人が優越感を感じていなくても、恋愛経験のない人が劣等感を抱いていれば、その二人の間で恋愛問題は「たかが」というレベルにはならない。
永久に、経験のある者が、経験のない者より優越し続けることになる。
恋人のいないことを重大問題にしてしまっているのは非モテ自身ではないのだろうか。
たまたま恋人がいたことのある人と、たまたまできなかった人が、親しく対等に会話をする、という牧歌的風景はここにはない。
「この人は可哀想な弱者だ」と意識し“気を遣う"。その時点で、ある種の優越意識が発生し、二人の間に階級構造が生まれてしまう。
無邪気に恋愛の話をすることが非モテに対する抑圧ならば、意識的に「しないようにする」こともまた抑圧だ。
それならばどうするか。行き着くところは、関係の断絶しかないのである。
「私は非モテなので恋愛経験のある人とは友人になれないし話もしません」とでも看板をぶら下げて生活すればいいと思う。
自分の周りの人を常に加害者にしてしまうこと。それもまた“暴力”なのだから。
わたしの両親は子どもの頃に離婚しているため、わたしは母子家庭で育った。
お父さんがああしてくれた、こうしてくれたという一般家庭の話は、父のいない小学生の子どもにとっては辛いものである。
そして、父親がいる家庭を当たり前だと思っている子どもたちは、実に無邪気にお父さんの話をする。
「お父さんの顔」を描く図画の授業や、「お父さん」をテーマにした作文などにはいつも苦労したし、参観日や運動会など学校行事にも来るのは母一人だ。
その度に「お父さんいないの?」と驚かれ、居心地の悪い思いをし、自分の家庭が普通ではないことを繰り返し思い知らされる。
だけどそれを暴力とは思わなかったし、友達に父親の話をされたからといって逆ギレしたことはない。
そんなことを言い始めたら、わたしは母子家庭の子としか友達になれなかっただろう。
両親のそろった普通の家庭。それに比べて、わたしの家庭は欠損家庭であり、それを自分ではどうすることもできなかった。
非モテの抱えている問題もこれに似ている。個人で努力してどうにかなる部分もあったろうけれど、どうにもならないことも確かにある。
どうにもならないことはどうにもならないと、運命を受け入れること。
そして、自分の力でどうにかなる問題を、1つずつ片付けていくよりほかはない。
戦うべきことがあるとすれば、「父親がいない」(恋人がいない)ことによって被る具体的差別だけだろう。
(父親がいないことに対する偏見は、子どもより大人の方がずっと強い。そしてそれは時に暴力となった)
では、普通の人々が「父親の話をする」(恋人の話をする)ことが、父を持たない、恋人を持たない人間にとっての差別と言えるのか。
問題はそこだ。
「父親の話をすることは許せない。あなたは、父親の存在する家庭に育ったと言うだけでわたしより恵まれた強者なのだ。それを常に意識し、母子家庭に育った弱者であるわたしに対して負い目を感じなければならない。
わたしがどれだけ苦しんで生きてきたか。それを知らずに無邪気に父親に愛された話をすることは弱者に対する暴力である」
と、わたしが主張したとして、果たして人々に受け入れられるのか。
受け入れてほしいとも思わないけどね。母子家庭ごときで「かわいそう」がられちゃたまったもんじゃないんだよ。「たかが父親」くらいの問題で。
母子家庭が「かわいそうな欠損家庭」「機能不全の異常な家庭」であるという差別観を潜在させるだけの話ではないか。
わたしはかわいそうなんかではない。どうぞ、ご自由にお父さんの話をしてください。たまたまあなたには両親がいて、たまたまわたしの両親は離婚した。それだけの話だ。
憐れみと蔑みはしばしばリンクしているものだ。非モテは、(ないしfurukatsuさんは)蔑みは要らないが憐れみは寄こせと言っているように見える。
なぜ憐れみを? 恋愛経験がないことが苦しいから。恋愛にはとてつもない価値があり、それを持たぬ者は世界中から憐れまれるべき弱者だから。
「対等」や「平等」を求めているのではなかったのだろうか?
非モテが恋愛をこの社会に於いて無価値なものとすることが最終目的ならば、まず何よりも、おのれにとって無価値なものにしなければならない。革命を起こすのは、社会ではなく自分の内面が先でしょう。
(何度も言われている「差別の内面化」ってやつですね。)
で、ここまで書いておいて何だけど、furukatsuさんの目的がどこにあるのかと考えると。
「リアルでは不可視になっている非モテを日の当たる場所に引きずり出す」
「非モテ問題の社会化・顕在化」(個人的問題と片付けられることへの反発)
あたりなのだろうと思う。
が、いくらネタだからと言ってもこういうアプローチ方法は逆効果ではないかと思わざるを得ない。
つまり、「非モテ革命だ!」とアジるのは面白いし、多少ラジカルに気勢を上げるのも問題提起の方法としてアリだとは思うけども、被害者だの加害者だのとやり出すとマジネタに見えるから有効ではないと思う。
「あ〜また被害者意識の強い人が“せかいじゅうのみんなに謝罪と賠償を要求する"って言ってるよ〜」と、見る者をうんざりさせるだけです。
万が一ガチで書いてるならば、前述の通り、「恋愛をおのれ(非モテ)にとって無価値なものにしろ」としか言えません。
ちなみに、ここで「非モテに対する攻撃か否か」と問題になっている青丸さんのエピソードというのがまた酷い話で、(エントリを書かれたときにわたしはトラックバックをもらっていたのだけど、忙しくて反応できなかった。)これで加害者と断罪されてしまう青丸さんには心底同情する。
恋愛経験のない非モテ男性(?)に恋愛相談を持ちかけられて、
上手くいってるみたいですね、私なぞは先月殿方とお別れして(いい人だったんですが結局好きにはなれず、、)以来浮いた話も無いので羨ましい限りです。
ところで彼女へのプレゼントは何を選んだんですか?彼女さんには喜んでもらえましたか?
と返信したら、「俺を馬鹿にしてる」と逆ギレされ、「遊びで男と付き合う軽い女」扱いされたのだそうだ。
「いいかげんにして、あたしあなたのママじゃない〜♪」という懐メロが心を吹き抜けました。
※イカフライさんとこにも青丸さんとこにもTBが送れない・・・。何故かエラーになってしまう。困った。
blogランキング参加中愛とは要求や見返りではなく与えるものである。って誰が言ったんだっけ?
と思いました。
青丸さんのエピソードですが、優しい人だなぁ。
私だったらもうめんどくさいから適当に無難なコメントしか出しません。関わりたくないから。
これに対して、どこに断罪する要素があるのか。。
モテないって自薦他薦問わず、そういう言い方(言われ方)する人を見て本人からも話を聞いてみるといつも思うのですが、
もったいないなぁ。
もっと自分に目を向ければいいのに優しくなればいいのに
って思います。
完璧を求め過ぎて空想はとめどなく、ありえない範囲まで伸びるものだろうけど。
あ、頼まれてもないのにこういう格好似合うよー絶対かっこいいからやってみなよーとか言って
五月蝿いなーとか言われますが。。。
このクセ、やめた方が良いんだろうか。。。
だってほんと、もったいないなぁって思う人がいっぱいいて
たかが髪型や服一つで印象は変わるし、そこで新たな発見もあるし、
なにより笑顔が素晴らしかったりするので。って本題からそれてますゴメン。
自分が非モテだと自覚してるならば、まず自分を変えてみようとは何故しないのか?
非モテ、の自覚があるなら自己分析はすんでるはずで。
わかっていながらそれを自分では努力せず、あえてそうなんだと言うなら、それを他人に押しつけられても困ります。
変えたい、ってんなら助言はしますが。
こういう↑言い方がもうムカつくんだろうな。
>しかし、それでも庶民の怒りを買った
だからこそ、じゃーないの?
>今はクリスマスシーズンですから
ここには、羨ましいという気持ちしか見えません。
>我々もまた暴力的に戦わねばなりません。
我々、って。。。
自分一人で戦えばいいじゃん。
それができないから同意を求めるんでしょうか??
イカフライさんちの盛り上がり状況がわからず、ナツさんち読んだだけなんですが
ムカついたんでコメント。
そして、ほんとにもったいないと思います。
>彼氏をもった事がある、つまり、恋愛をしたことはあるわけでしょう。
恋愛って、やろうと思えば一人でもできますよ。
好きな人ができて(興味持つからでも良くて)その人の好きな事ってなんだろうとか、趣味ってなんだろうとか
そこを考える事から始まって行くんじゃないのかな?
一人称でも良いと思う。
最後独りよがりでも、辛い別れでも、絶対に出会う前より自分は前進してるから。
ネットで、人とうまく関われない人って昔から多いと思うんですが、
<これ、偏見かなぁ。。。>
自己中になりがちなのかなぁ。
周りが見えてないというか、自分が見えない。
昔オフ会やった時も、大人数でカラオケ続けざまに自分ばかり入れる人に、
他の人もいるんだから聞こうよ。一緒に歌えば楽しいし。と言った事があります。
あまりにひどかったので言ったんですが、自分一人じゃないという事をわかって欲しくて。
本題からそれまくりですが、もっと自分に興味もって欲しいな。
>彼らが如何に無意識に非モテを排除しようとしているか。
そんな無意識はなく、そう自分が思ってるだけだって再認識しなきゃダメだよー。
母が、中学の時の私の友達との会話に入って来た時、
お父さんの話になり、部屋を急いで出て彼女の前ではやめていないから。
といったら関係ないやんか。あんたアホか。と言われました。
母の両親は離婚しててなおかつ、母を養えないという理由から
おばあちゃんちに預けられ、(以来伯母にいじめられ)という環境で育ってきたんですが、
あんたアホか。という言葉にすごく恥ずかしかった事を思い出しました。
ウチの両親は離婚するしないの殴り合い議論を繰り返し、ウダウダと
現在い至るという感じですが(もう父は亡くなりましたが
そんな話し合いに小学生の頃から参加させられる子供の身にもなってみろ!と言いたい。
別れたいなら二人で決めて。結果に従うしか子供にはすべはなく、
私をダシに使うな。と何度力説した事か。
おかげで結婚がトラウマになって今も独り身じゃーないか。
って、それは言い訳でしかないんですけど。私に問題があるので。
つまり、そんな事はどうでも良い事なんですよ。
>そこの優越感が無意識ににじみ出てはいませんか?
優越感という事は、劣等感を持った、って事ですよね。
そこを考えなきゃだめだよ。もったいないよ。
ベルばらファンだから言うわけではないですが、この話にマリーアントワネットを引き合いに出すのは違うと思います。
マリーは知らなかった、から、そこに意味を置いてるんだろうけど、
この話を持ってくる事が、恋愛したいモテになりたいという
欲求に思えてほかなりません。
なら、まず自分を見てみようよ。他人好みに合わせる必要はまったく無いが、
一か所変えるだけで、そこから広がってく世界があるから。
大きなお世話ですが、もてない同士で固まってるだけでもダメですよ。
まず、違う人とも接してみるってとこから始めないと。
やばい、長い。すみませんでした<自己中丸出し
差別を内面化してる人は、正に内面化のゆえにそれを正視する事は不可能なんだなぁ、とつくづく思いますよ。
それは自由だけど、やたらに被害者意識ばっかり募らせて自分は気を使われて当然と思い込まれるのは迷惑っすよね。
で、横レスなんですけど…
>えみさん
>頼まれてもないのにこういう格好似合うよー絶対かっこいいからやってみなよーとか言って
失礼ながらそれはちょっとおせっかいかも(^^;)
私は女ですが、善意でも友達からそういう扱い受けるのイヤでした。
>自分が非モテだと自覚してるならば、まず自分を変えてみようとは何故しないのか?
「モテない」のと「非モテ」は違うんだそうですよ。
まあ、本人がモテたくもなくモテる努力もしたくないなら別にそれはそれでいいと思う訳で、別にそれを「他人に押しつけて」いる訳ではないと思います。
ナツさんも以前、普通に話のできる非モテの人とできない非モテの人がいるって書いておられたし、私もそれに賛成です。
問題は「非モテ」そのものではないと思うんですよ。
●えみさん
非モテの人にとって、「自分(の外見)を変えろ」という意見こそ無意味なものはないそうです。昨年あたりはわたしもそれを知らなくて、なんでいちばん簡単な方法を試してみようともしないんだ?って思っていたな。社会を変えるより自分を変える方がどう考えても早いのに。
しかし、「社会の方をどうにかする」ことを選択し、社会をどうすれば俺は生きづらくなくなるのか?を模索するのが「非モテ言説」の多くを占めることは確かです。
自分を説得できもしない人間が他人を説得できるか、机上の空論だな〜と思うんだけど(革命とかね)、実効性はさておくと、中には社会心理学的に面白い考え方もあります。
そもそも言葉遊びの嫌いな非モテはブログやってないでおしゃれなりナンパなりサクッと実行してますから、基本的に「外見を変える」ことを望んでいない人が声を上げているのだ、と考えておけば良いみたい。
まあ、予備知識までに。
●しぎこさん
>差別を内面化してる人は、正に内面化のゆえにそれを正視する事は不可能なんだなぁ、とつくづく思いますよ。
イカフライさんの所を読んでいて、Kammy+さんは多分本気で書いてるんだろうなと思ってグッタリしましたが、furukatsuさんの方はその「差別の内面化」には自覚的なんじゃないかと思われる節がありました。
で、自覚があるのに、あえて非モテを被害者と位置づけることに何の意味があるのかわからなかったので、横からツッコミ入れてみたんです。
ただイカフライさんと遊びたいだけなら失礼しましたって感じですが。
お久しぶりでございます、TB打っておいて何ですがビックリしました(笑)
想定の斜め上を次々にすっ飛んでゆく相手の返信に混乱メダパニ状態でアタマ抱えてる間にイカフライさんやナツさんが整然とまとめた文章を書かれるのでもう、、(苦笑)
頭に血が上って泣きの入った文を打ちかけてはちょっとまてよと思いとどまり、他の方の文章読んでようやく状況を理解して追っかけてるような私はつくづく議論下手です(溜息)
furukatsuさんとかは正直胸倉つかんで「何がブルジョワジーだ何も知らんクセにフギャー!!」な所でしたが御本人のブログとか見てると「私、ネタニマジレスカコワルイ人??」
って感じも。(Kammy+さんはガチですね;)
非モテ男性に悪い子はいない、他人を攻撃したんならソイツが意地悪なブルジョワ野郎で非モテをいじめたんだ、って。
ネタならネタで返せ?
「彼女がいなければモデルと付き合えばいいじゃない」
これで良いんでしょうか;もーやです;
こんばんわ、ナツさん、読んでいてくれたんですね。
私もグッタリ来てます(笑)。ただ、Kammy+さんのガチぶりを見るにつけ、furukatsuさんはネタとしか思えないですけれどね。
自分のとこにも書きましたが、結局、恋愛に一番こだわり、大いなる価値をおいているのは非モテリアンだと思います。
「恋愛弱者」への社会的差別(蔑視?)ってものが存在しない、とは思わないんですけどね。
一部の人はそれに敏感すぎる印象が。
「差別の内面化」って言うと、「じゃあ社会的差別・蔑視がないと言うのか」って反発されたりもするんだよな。
そんな一面的な話じゃあないんですけどね…。
どーも、話題の人furukatsuです。
個人の意識改革で解決するというのは、一面では正しいと思います。これは、本田透流の二次元美少女に逃避するとかの方法が代表的ですね。しかし、それは誰もが出来る問題ではありません。
そなると「寝た子を起こすな」というような、問題を潜在化させ時間と共に個人的解決を狙うというのは、ちょっと違うのではないかと思います。
あと、極論してしまえば、恋愛経験そのものよりも、問題は階級意識だと思います。過去恋愛していても、今階級意識に目覚めているのであれば、それは階級的に正しいでしょう。
たとえば、マルクスは貧乏人の子供なんかではなく弁護士の倅で、高等教育を受け、貴族の娘と結婚している訳ですが、それでも共産主義者はマルクスを吊し上げることはありません。
「差別の内面化」のポイントは、「差別の内面化」を「している」のではなく「差別の内面化」を「させれれている」という部分になるでしょう。
まぁ、認知療法でも投薬でもなんでもすれば改善するかもしれませんが… シロクマ氏にでも非モテは治療してもらうべきでしょうか。
あと、私はキモイ非モテなので、人を好きになる事が論理的に不可能です。
cf. http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20061120/1163956574
>furukatsuさん
>恋愛経験そのものよりも、問題は階級意識だと思います
その階級意識のある・なしはあなたが判断しているんですよねえ。
面と向かって言いがかりをつけられて侮辱された青丸さんが本当にお気の毒です。
>「差別の内面化」のポイントは、「差別の内面化」を「している」のではなく「差別の内面化」を「させられている」という部分
>まぁ、認知療法でも投薬でもなんでもすれば改善するかもしれませんが…
要するに、自分の物の考え方や言動に責任を持つ・取る気があんまりないって事ですか?;;
「させられて」いるのだから自分には責任がないしどうにもできない、とおっしゃっているんですよね?
●青丸さん
お疲れさまです。TBもらっていながらスルーしていてすみませんでした。あの話は一読して、「これはひどい」と呆れていたんだけど。
しかし、どうして非モテネタになるとすぐに被害者だの加害者だのという話になるのだろう。昨年とまるっきり同じです。
●イカフライさん
最近やっと落ち着いて他人様のブログも見て回るようになったので、ひそかにROMしてました。
furukatsuさんはイカフライさんや青丸さんを恋愛ブルジョワジーの走狗に仕立てて糾弾対象にしてるんだと見ました。毎日カレカノ日記や出会い系体験記書いてる本当の恋愛至上主義者たちはスルー、という事実を考えると、糾弾対象まで手近で済ますなよ・・・(笑)と脱力するわけですが。
●しぎこさん
>「恋愛弱者」への社会的差別(蔑視?)ってものが存在しない、とは思わないんですけどね。
>一部の人はそれに敏感すぎる印象が。
「社会的抑圧」というから、「童貞キモイ死ね」レベルの差別かと思ったら、青丸さんがちょっと昔の彼の話をしたことすら「非モテへの暴力」「無意識の優越感を自己批判せよ」と糾弾されてるじゃありませんか。ネタにしてもこれはひどい。というか、つまんないです。
●furukatsuさん
あ、話題の人が来た。はじめまして。
>「寝た子を起こすな」というような、問題を潜在化させ時間と共に個人的解決を狙うというのは、ちょっと違うのではないかと思います。
や、逆でしょ。「いつまでも寝てないで起きろ」って話です。問題はあなたの主観にある。他人があなたのあずかり知らぬ「恋愛」で幸せになっている限り、その幸せな人が「非モテはかわいそうだから差別しないわ」と言ったとしても、あなたの劣等感は永遠に癒されないんじゃないでしょうか。
>過去恋愛していても、今階級意識に目覚めているのであれば、それは階級的に正しいでしょう。
イケメンヤリチン男でも「俺は本命にはモテないんだよ。本命をゲットしまくってるイケメンだっているのに不公平だ。俺はこの恋愛に於ける社会的不公平を糾弾する!」と言っていれば非モテ階級なんですかー?
逆恨みでも何でもルサンチマンがたまってさえいれば、今幸せな人々を糾弾する資格がある「弱者」ってことになりませんか。
「俺たちは弱者だから被害者だから」という主張は、恋愛至上主義の価値観を温存するだけの愚行ですよ。恋愛してる者が強者で勝利者という価値観に乗っからなければ成立しないもの。この価値観があるかぎりいつまでも幸せにはなれない。
共産主義ならブルジョワジーが強者という観点に立っても、「富の公平な分配」を求めることで決着が付いたけれど、非モテ闘争の場合は「愛情の公平な分配」を求めるわけにはいかないじゃないすか。「俺たちの前で恋愛の話をするなよ!」と逆ギレするくらいしかない。「女の国有化(私物化禁止)」も無理ですよね。
そのへんはどう考えてらっしゃるんでしょ?furukatsuさんのブログを全部拝見したわけではないので、もしかしたら書いてらっしゃるのかもですが。いまいち、どういう社会をブチ建てたいのかが見えてこないのですが。
>>しぎこさん
階級意識は、積極的な恋愛至上主義への反対という形で表れると思います。いわゆる、非モテ、もしくは喪男を自称する人々は多少のブレはあるとはいえ、積極的に恋愛至上主義、もしくは恋愛資本主義に対して反対の意をとなえています。一言で言えば、恋愛について現状打破的である事がポイントでしょう。
>「させられて」いるのだから自分には責任がないしどうにもできない、とおっしゃっているんですよね?
「差別の内面化」についてはその通りでしょう。
もちろん、努力によりそれを変える事は不可能ではありませんが、誰しもが努力出来るわけではありません。また、もし全ての人が努力をしだしたら過当競争になり、階級構造はさらに深化し状況はさらに絶望的になっていくでしょう。自由主義の市場経済と同じです。
>>ナツさん
>問題はあなたの主観にある。
そこが、階級的な抑圧構造ではないでしょうか。全てが私の責任である。もちろん、そうとも言えるでしょう。ニート・フリーター問題だって個人の責任に帰する事は出来ます。近代主義の失敗は「努力すれば誰でも出来る、それは個人の問題だ」という部分にあったのですから、それを肯定していけば、階級による大いなる抑圧構造は生まれて然るべきです。
イケメンヤリチン男についていえば、彼が如何に言おうとも現状において恋愛至上主義の尻馬に乗っているという時点で許しがたい反革命と言えるでしょう。恋愛至上主義を批判するのであれば、現状で恋愛をしていないというのは論理的整合性の為には最低限の条件になります。
もちろん、最終的には単なる弱者であるという主張では解決しません。それはその通り。一つの過程にしか過ぎません。で、最終的な局面はどうなるか、という問題提起をされているわけですが、これについては、正直言ってしまえば、まだはっきりとしたビジョンはありません。残念ながら、概念の霞に指をかすめた程度にしか私は至っていないのです。これは、恋愛至上主義に反旗を翻しながらも、恋愛至上主義に精神がどっぷりと浸かってしまっている以上、仕方ないと言えるでしょう。
とりあえず、現状の考えで、最終的局面は恋愛の否定・コミュニケーションの否定にあるように見えます。恋人も諸詮他人だ、というレベルに落とし込んでからの議論になる気がします。つまり、恋愛のフィクション性を引き剥がしていくところにあるわけです。
まぁ、ともかくこれは理論的には近代批判ですから、恐らく、ポスト・モダンの理論を使っていく形になると思います。
そして、とりあえず現状打破的に闘争していくというのが暫定方針になります。
furukatsuさん
とりあえず上のコメントのURLのテキストだけ読んでみました。論旨そのものは「そういう考えかたもあるのかな」くらいにしか思わないんですが(ただ、イカフライさんの「ネタっぽい」っていう印象は私も受けました)、ただよくわからないのは、たとえネタ半分であるにしても「暴力革命」という考えに着地できるだけの人が(この考えかたには驚きました。なるほど、理屈でいえばこれは正しい)「キモい」という、自己規定にかかわる部分に関しては「スクールカーストの最底辺にさらされ」などという表現を使うことです。
俺には恋愛至上主義というものがこの世界に存在するかどうかはわからんのですけど(少なくとも俺はそれを感じたことはない)、というかそもそも階級闘争とか難しいことよくわからないのですけれども、どっちかっていうと、否定すべきは自分を「キモい」と判断する世界であるような気がしました。というより「キモい」という価値判断そのものが真っ先に否定されるべきものではないかと。furukatsuさんがなにをもって自分を「キモい」と規定されるのかはわかりません。外見かもしれん、内面かもしれんのですが、恋愛の可否と「キモい」が密接に関連している概念であることはわかります。
もし「キモい」という概念が明確な社会的差別として存在しているのであれば、そしてその差別に客観的なものさしが存在しているのであれば、差別される人にできるのは、ものさしを破壊すべく活動するか、その差別を受容するかです。受容した時点で、その人は「自分はキモい」と考えながら生きていくことになります。つまり自分は弱者であるという絶望です。そして弱者は敗者ですから、声もなく殺されるでしょう。これは、差別される側が少数派である以上、どうしようもないことです。私が「暴力革命」にいたく感心したのは、実行に多大なリスクがともなううえに実効性に多大な疑問符が付くとはいえ、確かにそれは闘争方法の一つだと思ったからです。
そしてもし「キモい」という判断を下しているのが、社会に優先して自分自身だとすれば、これは単にその状態が好きだとしか思えません。好きでその状態にあるのであれば、キモいことに誇りを持って昂然と頭を上げるべきだと私は思います。そこに劣等感はある「べきではない」。
まあ実際、物事に白と黒という完全な切り分けは存在しないわけで、現実的には両者が複雑に絡み合っているのは想像に難くないです。
ただ私としては、なんで「キモい」という価値基準を容認しなければならないのかが理解できないので、こんなこと書いてみました。私にしてみれば、成人男性が同年代の女性とまともに恋愛できるほうがキモいという概念も充分に成立するんですけど。
自分にとっての正しさ、理想というのものがあるのであれば、そうでないものはすべてまちがいだと思います。暴力革命というものが、たとえ理念のうえだけでも成立するとしたら、少なくとも、自分と同等の権利をもって生きている他者を攻撃してもかまわないくらい、自分は正しく他者はまちがっている、ということになると思います(皮肉ではなく、理屈としてそうあるべきだ、という話)。ルサンチマンは個人の事情ですから、社会的活動にあたっては斟酌すべきではないし。
まあ、最終的にはfurukatsuさんにとって、この恋愛周辺の問題に関して、「正しさ」というのはなんなんだろう、って疑問になりますね。
ちなみに私自身は「恋愛感情は幻想である」というのがそもそもの前提で、その前提に沿って生きています。だからこの世界には何十億かの幻想に突き動かされている人々がいるだけです。
>furukatsuさん
>階級意識は、積極的な恋愛至上主義への反対という形で表れると思います。
「(恋愛における)階級意識」って概念自体あなただか誰なんだかが勝手に考えだした思想ですからね。
「非モテ、もしくは喪男を自称する人々は…」って、連帯してるつもりになるのもいいですけど、いい加減にしとかないと周りドン引きですよ。
まあ、こんな事いっても無駄なんでしょうね。98%ぐらいの確率であなた、「そんな事はわかってる、かまわない」とか「それくらい最初から織り込み済み」とおっしゃるんでしょうから。
そうじゃなきゃ友達でもない青丸さんにあんな失礼な事ズケズケ言えませんよね。
「キャラ」として許されると思っている確信犯なんでしょう。
>>「させられて」いるのだから自分には責任がないしどうにもできない、とおっしゃっているんですよね?
>「差別の内面化」についてはその通りでしょう。もちろん、努力によりそれを変える事は不可能ではありませんが、誰しもが努力出来るわけではありません。
あれ、「認知療法でも投薬でもなんでもすれば改善するかもしれない」んでしょ?
本気でそう思うのなら、実際にそうなさってみればいかがでしょうか。
ナツさんや読んでいる人を当惑させようとして言ってみただけ、ではないんなら。
>恋人も諸詮他人だ
恋人のいる人の方が、その事はよく知っていると思いますけど。
「連帯してるつもりになるのもいいですけど、いい加減にしとかないと周りドン引きですよ」については、撤回いたしますm(_ _)m
いえ、私はドン引きなんですけど(笑)非モテ、もしくは喪男を自称する人々の一員ではありませんので、その方たちがどう思うかまでは私にはわかりませんね。
失礼をいたしました。
●furukatsuさん
>まだはっきりとしたビジョンはありません。
>これは、恋愛至上主義に反旗を翻しながらも、恋愛至上主義に精神がどっぷり
>と浸かってしまっている以上、仕方ないと言えるでしょう。
これって敗北宣言じゃ・・・。もちろん、これから誰も見たことのないぶっとんだものすごいビジョンが構築される可能性が0とは言えませんが。今の意識のままのfurukatsuさんにはそれは無理に思えます。
クリスマスの秋葉原ビラ配りイベントにしても、なぜ秋葉原を選んで道行く人に非モテ闘争を訴えるのかといえば、「アキバのオタクがモテなくてキモくて恋愛から疎外されている」という前提に立ってるわけでしょ。そんな前提がないのだとしたら、原宿でも渋谷でもどこでもいいわけですし。
さらには、「オタクは恋愛できない=恋愛できないことは苦しみであろう」と規定して、団結せよ!立ち上がれ!とアジるに至っては、「オタクのままで幸福ですが。恋愛に興味ありませんが何か?」と考えているオタクの人にとっては大きなお世話ではないかと。
「本田透流の二次元美少女に新しい価値を求める」方法が有効だとfurukatsuさんもおっしゃっている。その「新しい価値」を獲得した人がオタクなのでは? むしろ二次元に興味のない、オタクじゃない人が啓蒙の対象であるはずです。
というわけで、「なぜ秋葉原なのか」の必然性が曖昧だし、ここでこうしたビラを配ることこそモテの価値観(スクールカースト含む)への迎合ではないかと思うと趣味の悪い冗談にしか見えないです。だからネタなんだろうと思うけど手が込みすぎなんだよなあ。
長くなったので、ポストモダンについてはエントリの方に回します。
>>MK2さん
なぜ暴力によって闘争せねばならないかについては以下をご参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20061108/1162915829
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20061112/1163341907
さて、もちろん、我々非モテが「自分がキモい」という意識を持つ必要性はありません。そして、普通の人間は「自分がキモい」とは思いたいはずがない。では、なぜ「自分がキモい」、より一般化するならば「モテないという事を内面化している」という状況に至っているのかというのが問題になってくるでしょう。
まず一つあるのは、自分自身が無意識に自らを「キモい」と定義している場合です。自らが恋愛出来ない理由を、オタク趣味や外見に求め、その部分をしてキモいと評価し、決定的な人格の否定を避けるという理由で、自らを「キモい」と定義する場合があるでしょう。ただしこれは普遍的な意味での「キモい」ではなく、特殊な意味での「キモい」という意味です。これは、私の言う意味での「キモい」ではありません。
もう一つは「キモい」と信じ込まされている場合です。時に人はこういった事を信じ込まされる場合があります。歴史的な例としては、原罪といった概念でしょう。ピューリタニズムやカルヴィニズムの考えに則れば、神の命に逆らい知恵の実を食べたアダムの子孫である我々人間にはすべからく原罪があり、それは神によって ―我々にははかり知れない神の意志によってのみ赦されるとなっています。
もちろん、これらは植えつけられた幻想に過ぎないと切って捨てる事は出来ます。しかしながら、カルヴィニストに原罪意識を捨てよと言っても捨てないように、モテないことの内面化も捨てがたいものになるでしょう。
そして、このような意識を捨てる為には、つきつめれば、神に赦してもらうか、神が赦す存在であると確信するか、もしくは神を殺すしかありません。ウェーバーのプロ倫によれば、自らが神が赦す存在であることを確信するために職業生活に人々は専心したとされています。もちろん、カソリックであれば、免罪符を買うわけです。恋愛にあてはめれば、異性に認めてもらう(モテになる)ことにより赦しを得るという方法もありますが、現実的にそれが困難であれば、神を殺すという方法にならざるをえません。
ここでの神とは、恋愛至上主義という一つのイデオロギーになります。つまり、そこでは自らを正義として戦いこの恋愛至上主義を打ち倒すという形で自らの「原罪=キモい」を無化していくという行動になるでしょう。そして、神とは信者が存在してはじめて存在しうるものですので、最終的にそれは信者への攻撃とならざるをえないでしょう。
>>しぎこさん
そりゃあ、おおよそこの世に存在する思想は「誰かが勝手に考えだした思想」でしょう。
あと、認知療法なり薬物療法なりを実施するということは、つまり私が精神病という事ですかね?
正直、しぎこさんがどのような反論をしているのかうまく読み取れません。
>>ナツさん
もちろん、本田透の言うような状態にまで至ったオタクというのは存在します。しかしながら、中には、スクールカーストの低位に置かれる中で否応なしにオタク趣味にアイディンティティを求めざるをえなかった人や、萌えはするが現実の恋愛に未練があるというオタクは存在しますし、その数は少なくないでしょう。
効率的にオルグをするという考えに立てば、秋葉原という選択肢は妥当であると思います。プラグマティックに集客率等を考えての選択です。いわゆる、自らを非モテ、もしくは喪男と定義する人々でオタクは非常に多いと言えましょう。であれば、オタクの多そうな地域でアジるのが確率論的には合理的ではないでしょうか。
もちろん、運動を拡大していく中で、動員可能な人員が増えれば渋谷や新宿、六本木等で街頭行動を行い、モテ階級に示威をしていくという選択肢は存在しますし、それは近い将来へ向けての目標として考えています。
あと、本田透の最大の弱点は、完全に萌えに埋没して現実の恋愛を拒否していくことが出来るのは、やはり一部の人間である、という部分にあります。端的に言えばオタク選民思想です。私の議論は、本田透は一つの解決方法であるが、それでは不完全であるという、いわば本田透批判ですので…
あ、闘争の理論については
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20061119/1163876299
こっちのほうがいいかも。
futukatsuさんへ
うーん。すみません。あんまりレベルの高くない高卒なので、カルヴィニストとかよくわかんないです……。
で、わからないなりにいろいろ考えて書いてみたんですが、やっぱわかんなかったです。すみません。俺にしてみれば、なぜ「信じ込ませられなければならないのか」がわからないのです。自分を抑圧する恋愛至上主義がまかりとおるこの世界の価値基準を、なぜ容認してやらなければならないのか。なぜわざわざ内面化してやる必要があるのか。恋愛ブルジョワジーを糾弾するのであれば、その根幹にある「恋愛」という現象を無価値なものに貶めるのがより決定的な方策だと思うんです。人を物と思う。なるほど戦略としては正しい。しかしそれはあくまで自分の側の対症療法的な戦略でしかない。恋愛に鉄槌を下すには、furukatsuさん自身の恋愛という現象に対する明確な定義と態度が必要だと思うんですけど、そのへんがよくわからなかったです。俺の読解力の不足です。
議論の相手になれなくて申し訳ないです。
以下は蛇足です。本来こういう発言をすることは自分の主義に反しますし、よくない結果を招くかもしれないとも思いますが、どうしても他人ごととは思えず、あえて書いてみます。端的にいえば、余計なおせっかいってやつです。不快に思われたらナツさんに依頼して削除してもらいます。
人を物と思う戦略は、理屈としては実に有効な戦略ですが、成功したときに、どうしようもないくらいの透明な悲しみが襲ってきます。人が物であれば自分も物です。このくびきを乗り越えることは非常に難しい。たとえば、シンバルを無心に打ち続ける猿のおもちゃのようなものに、慟哭に近い悲しみを覚えることになります。「そのようであるしかないもの」に対しての病的な感受性を抱いたまま生きることになります。
そのとき見える風景は、確かに異常なくらいの切実さをもって美しいとはいえます。ただ、自分の肉体を分子レベルに分解してまで、そうした美しい光景に自分を同化したいと願った日々に、俺は二度と戻りたくないです。
少なくとも、俺はニーチェにはなれませんでした。
ものの感じかたは人それぞれですが、こと限界領域に差し掛かったときには、ある程度は似た傾向を示すのではないか、というのが俺の持論です。
まあ、挫折の一例です。furukatsuさんがその方向に進むのであれば、あの絶対零度の孤独を乗り切るだけの精神の強さを持っていることを祈ってやみません。報酬は、ただ悲しくて美しい世界だけです。
ナツさんへ。
本題からずれた私信めいたコメント、失礼いたしました(しかもすげえ長え……)。
>そりゃあ、おおよそこの世に存在する思想は「誰かが勝手に考えだした思想」でしょう。
そりゃそうですね(笑)
結局あなた、その思想を振りまいている自分の「イタさ」と(←「振りまいている」がポイントです)押し付けられる人(今回の場合は主に青丸さん)がこうむっている迷惑に気づいていないし気づこうともしませんからね。
確信犯(あなたは一応これだろうと私は思っているのですが)でも、本当にはわかっていない。
>認知療法なり薬物療法なりを実施するということは、つまり私が精神病という事ですかね?
いや、あなたがおっしゃったんじゃないですか、「認知療法でも投薬でもなんでもすれば改善するかもしれませんが…非モテは治療してもらうべきでしょうか」って。
あなたが精神病かどうかなんて知りませんよ、それを判断するのは医者でしょう?
「実際にやってみようかな、それで改善する可能性があるならやってみたい」と思って言ったのか、「別にそんな気はさらさらない、あるいは診断や治療なんて非モテには必要ない、言ってみただけ〜」なのか、どちらでしょうか?という質問と提案ですよ。
>>恋人も諸詮他人だ
>恋人のいる人の方が、その事はよく知っていると思いますけど。
これについてはいかがでしょうか。このような意見への返答が次のエントリにつけられたコメントの中の
>「王様は裸だ」と言っても聞いてもらえない、ってのは重要な問題で、結局、そこの解決は今のところ暴力しか思いつかない
になるのでしょうか。
あ、
>その思想を振りまいている自分の「イタさ」と
と書きましたが、その「思想」の中身がイタいと思っている事ももちろんです。
でも、それだけなら個人の自由だからなあ。
>それならばどうするか。行き着くところは、関係の断絶しかないのである。
「私は非モテなので恋愛経験のある人とは友人になれないし話もしません」とでも看板をぶら下げて生活すればいいと思う。
自分の周りの人を常に加害者にしてしまうこと。それもまた“暴力”なのだから
看板ぶらさげるまでもなく見てわかるから非モテなんでしょうね。たぶん。
被害者意識の強い人って一人じゃ行動しないでしょう。自称弱者なんだから集団で責任の分散をはかる。姑息かもw
いちばん容易で効果的なことは周りに甘えることではなく、自分を変えることかな。
基本的に自分で自分を変えることはできても、他人を変えることはできないと考えるべき。自分自身一人分のことしかできないのだから。
余談ですが、他人を変えようとか考える人ほど自分に甘い人間のような気がしますね。それって自分が好きでたまらないって人なのかなw
もしくは人の話を聞くことができないゆえに自分が絶対正しいと考えている臆病な人か。狭量かもw
>ナツさん
私の発言が差しさわりのあるまたはサイトの意向に沿わないものなら削除お願いします。裁量権は管理人に委ねます。
furukatsuさん
>イケメンヤリチン男についていえば、彼が如何に言おうとも現状において恋愛至上主義の尻馬に乗っているという時点で許しがたい反革命と言えるでしょう。恋愛至上主義を批判するのであれば、現状で恋愛をしていないというのは論理的整合性の為には最低限の条件になります。
えと。私ともめる事になったメール男性ですが、彼のメール内容によると「お互いのクリスマスプレゼントを買いに一緒に出掛ける一回り年下の彼女」がいらっしゃるとの事、つまり「現状で恋愛をしている」人の訳だから貴方にとっては恋愛至上主義の尻馬に乗っている許しがたい人、に当たるのでは?
そうすると何故私とこの方が「ブルジョワジーと弱者」に当たるのか解りません;
私は「ロンリー独女」で彼は私宛のメールのみならずメル友募集サイト(出会い系とも言う)のプロフィールでも「僕はここに登録している皆さんとは違うんです」と、恋愛中である事を強調し、WEB日記でも意中の女性がいる事や女性のメル友に不自由していないらしい事を繰り返し書いていたような方なのですが、、
(、、とは言えどうも片っ端から女性を怒らせて回っているようにも見えましたが;)
●furukatsuさん
>自らを非モテ、もしくは喪男と定義する人々でオタクは非常に多いと言えましょう。
>であれば、オタクの多そうな地域でアジるのが確率論的には合理的ではないでしょうか。
だから論理破綻来してますってば。ご自分でこう書いていたのをお忘れですか?
>オタクである事と非モテである事は関連性はあるものの直接につながっているというわけではない。
>問題の本質は趣味ではない。極端な例で言えばGacktのような例も存在するし、
>既婚のオタクというのも珍しくはない。問題は、このようなオタクと非モテを
>ごっちゃにして叩くというモテの連中の行為なのである。
「オタクと非モテをごっちゃにして叩く」のをモテの悪しき差別観だと断罪しているのに、自分もそのオタクの集まる場所こそ、非モテだらけだろうと見当を付けてアジってるわけですよね。これはつまり「オタク=非モテ」という、モテ連中の思い込みと同様ではないでしょうか。
わたしも確かにfurukatsuさんのコメントと同じで、「非モテにはオタクが多い(オタクには非モテが多い)」と、何となく思っています。偏見かも知れませんがネットを見る限り、そういう結論に達しざるを得なかったので。
しかし、わたしがこの前提の上で語れば、furukatsuさんは、「オタクと非モテをごっちゃにしているモテブルジョワジーの偏見だ」と糾弾するのでしょう。で、そういうfurukatsuさん本人はと言えば、「お前らどうせ非モテだろ?なら一緒に闘おうぜ!」といってアキバでオタク相手にビラを配るわけです。
これってひどい矛盾じゃないですか?とお訊きしてるわけです。実際に確率として(非モテ率が)高いか低いかの問題ではありません。観念の問題です。
自分が糾弾すべきモテの差別観の罠に自分で陥っているのに、誰を説得できると言うんでしょうか。
まあfurukatsuさん自身も「オタクメディアに依存する人が(非モテの中に)ある程度存在するが、多いか少ないかはわからない」と以前に述べておられるんだから、どっちにしろ矛盾だと思いますけども。
●furukatsuさんへ続き
「キモい」という自己規定をキリスト教の原罪に見立てている話は、悲しくなりました。ここまで自己肯定できなければ、それは確かに苦しい人生だろうと思います。
この場合の「神の赦し」とは、「異性(女性)からの承認」を指すとおっしゃっていますが、女は神ではないし、女に承認されなければ生きていけないと考えたことがそもそも間違いなのです。「赦されないのなら、神を殺すしかない」というのは、勝手に女に期待してその期待が満たされなかったことによる逆ギレでしかない。
女性にはあなたを承認する義務などもとからなかった。だから、承認されなかったからといって、生きるか死ぬかのアイデンティティ・クライシスに陥るのはお門違いです。女性はあなたの自意識を補完するために存在しているわけではありません。承認されたら「儲けもの・ラッキー」程度の意識でいいのです。そこにレーゾンデートルの下駄を預けては終わりです。
「女に認めてもらわなくても俺は幸福に満足して生きていける。大きなお世話だぜ」と言えるくらいであって欲しい。まず自分の足(価値観)で立っていてもらいたいです。
MK2さんも似たようなことを書いてますが。
そうは言っても、何らかの原因で自己承認が出来ない以上、誰か他者の承認を求めてしまう気持ちはよく解ります。そこに落ち込んだときに這い上がるのがどれだけ大変かってことも。
解るけど要求が満たされないからって逆ギレはだめでしょ。革命にしろ何にしろ何ら建設的な結果をもたらしませんよ。だって、furukatsuさん自身が認めてるとおり、何のビジョンもなく破壊衝動にまかせて暴れてるだけだもの。ネタと思われておしまいです。
(実際わたしは半分以上そう思ってるし。たとえ釣りでもこんな悲しい釣りはないからマジレスするしかないと思って書いてます。)
●tororoさん
>看板ぶらさげるまでもなく見てわかるから非モテなんでしょうね。たぶん。
や、わたしが「看板ぶら下げろ」と言ったのは、人の恋愛話を聞くたびに逆ギレする自覚があるなら、「恋愛経験のある人とは友人にならない」と明示して下さい、という意味です。「非モテの看板」ではありません。
恋愛談のひとつやふたつ聞き流せるよ、という非モテだってちゃんといます。自分の価値観(恋愛以外)をちゃんと確立している人、自分の劣等感とうまく折り合いを付けている人ですね。
そういう人となら友人になれるし、非モテか否かは関係なくなる。
青丸さんのエピソードにおいては、より傷つけられたのは青丸さんだと思います。たかが恋愛経験があるだけで、「軽い女」と侮辱されてるわけですから。ああいう人だと知っていたら、青丸さんも最初からメル友になんかならなかったでしょうから、前もって言えよってことです。お互い気分が悪くなるだけで時間の無駄もいいところです。
>基本的に自分で自分を変えることはできても、他人を変えることはできないと考えるべき。
これには同意です。
>>MK2さん
すいません… こちらこそ分かりづらい説明で。
凄く簡単に言ってしまえば、お前はダメな人間だと言われ続けると、本当にダメではない人も時にダメだと思ってしまう。そして、そういう考えは、人を縛ってどんどん悪い方向へ考えをもってかれてしまう。そういう場合がある。また、実際我々は気づかない間に色々な観念(良いものも悪いものもある)に縛られてしまっている。そういう事を言いたかったんです。
キリスト教の原罪意識を持ち出したのは、誰しも自分が罪人であるとは思いたくないにも関わらず、多くのキリスト者(特に初期のプロテスタント)は自らが罪人であるという意識を強く持っていたということを、一つの例として出したというわけです。
もちろん、多くの非モテは恋愛が価値がない、と考えていると思います。ただ、周りの人が裸の王様に賞賛を送っているとすれば「もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない」と思ってしまう事は十分に考えられます。皆は本当に服が見えていて、バカな自分は見えていないのかもしれない。そういう風に思ってしまう人がほとんどだからこそ、裸の王様という話は成立するわけです。
私はあくまで、恋愛には価値がないと考えます。しかし、同時に、恋愛が出来ない自分にこそ価値がないのではないか、という不安と劣等感にも苛まれています。このような葛藤の中で、恋愛に価値がない事を確信するのであれば、かなりアクロバティックな理論を構築しないと難しいでしょう。
恋愛というのは、お互いに性的欲求の対象となる二者間における、相互承認、相互欲求の関係といったところに落とし込めます。この構造を破壊していくには、この特別な二者関係を人間を物化していくことが必要であると考えると、そこは全ての人を物扱いせよ、という話になると考えるのです。
そして、おっしゃる通り、それは、悲しい道であろうと思います。ニーチェ発狂しましたし。確かに、私だって暴力をふるいたいわけでもなければ、他人や自分を物扱いしたいわけでもない。理屈を積み上げていくとそうせざるをえないのではないかと考えるのです。
>>しぎこさん
青丸さんには申し訳なかったと思います。その辺は青丸さんへのレスという事で直接彼女に謝罪します。
さて、非モテを治療すべきか否かという問題ですが、先日のオフ会で精神科医のシロクマ氏に聞いたところ、認知療法やSSRIじゃ治療出来るようなものではないと言われました。恐らく「非モテ」やその背後にある「過剰な劣等感」その裏返しの「ゆがんだ自尊心」そのものは病気とは言えないのかもしれません。いや、私医者じゃないんで、なんともわからんのですがね。
恋人も他人であるという問題は、恋愛をしている人がそれを良くわかっているのかは、私にはわからないのですが、ただ恋愛というフィクションを強化する方向へ恋愛をしている人が活動している状況では、これを打破する為には暴力を含めた闘争というのが必要になってくるのではないでしょうか。
>>tororo atさん
自分を変える。これは二つの方法論があります。一つはカーストを昇る、典型的には脱ヲタというような方法論ですが、これは他のモテない連中を踏みつけていく事です。少なくとも、これでは全ての非モテを救う事は出来ないし、恐らくほんの一部の非モテしか救う事が出来ない。その他のモテになるソリューションについても同様です。
第二の方法はカーストから脱して、カーストを気にしないという方法ですが、典型的には本田透の言うような、オタクになり妄想を強化し二次元に「真実の愛」を見つけるという方法論です。これは、第一の方法に比べれば難易度は低くないですし、また他人を踏みつける性質でもありません。しかし、これも結局、強力な妄想力を持つエリート・オタクでないと出来ません。
そうなると、カーストを破壊するという方法論が、一番多くの、いや全ての非モテを救う道ではないでしょうか。
時に、モテ階級の人は非モテを甘えている、我慢や努力の出来ないダメなヤツだと言います。もちろん、そういう人間は存在するでしょう。しかし、お前はダメだと言い続けられた、キモイオタクだと言われ続けた我々に、そのような仕打ちをするというのは、まさに自らの階級にあぐらをかいて非モテを見下し優越感を得たいという意図が見え隠れします。
そしてまた、カーストを破壊される事は、既得権益層にとっての不利益ですから、自らの権益を失いたくないという、資本家的な意識でもあるのではないでしょうか。
>>青丸さん
一言で申し上げれば、青丸さんと彼に対する判断は私が間違っていました。
青丸さんと彼の問題は、非モテVSモテの文脈で捉えるべきではなかったですし、その意味で青丸さんを罵倒してしまったのは私の間違いです。申し訳ありません。
さて、うーん、確かに私が以前言っていた事と矛盾してますね。オタク=非モテとは限らないが、オタクに非モテが多いのは(恐らく)事実であると訂正します。少なくとも非モテに対する脱カーストソリューションとしてのオタク化というのが大きな有効性を持っているというのは事実でしょうし、またそうである以上、オタクに非モテが多くなるというのは事実でしょうね。
以前書いた物が間違っていました。
多分、アドホックな仮説だらけのアクロバティックな言説なので他にも矛盾点はあるかと思いますが、そこはちょこちょこ直していきます。
>>ナツさん
恋愛のなかで重要な要素として「相互承認」というのがあるのではないか、と私は考えるのですがいかがでしょうか? 今、オタク論壇で流行りの文脈から言えば、セカイ系という言葉に落とし込めると思うのですが、そういった側面は通常の恋愛にも存在するでしょう。
そして、女性に承認する義務はないというのもその通りです。だから、私は女性に承認を強制するような、一部の喪男と言われる人達が言うようなアナクロニズムには迎合しません。
さて、もちろん、何かしらの形で自己承認をすればよいというのは、正論です。しかし、それでは救えない人々というのは常に存在してきてしまいます。
逆にお聞きしたいのは、現状で大量に居るであろう非モテに対して、ナツさんがいかなる自己承認ソリューションを示す事ができるかという部分です。現状でさまざまな自己承認ソリューションはありますが、どれも決定打にはならないと思われるのですが。
あと、蛇足的ですが、この自己承認ソリューションという観点からは、ジェンダーバイアスによるハンディキャップを持つ女性の方がソリューションの少なさ、実現性の低さでは致命的な感があります。男性の方が仕事によるアイディンティティの確立や、オタク化によるアイディンティティの確立はしやすいと思われるのですが。
自己承認が出来ない、他者承認は強制出来ない。こういう八方塞がりを想定しての議論をするというのは、非常に難しいわけなのですが、そこを求めていくというのが抜本的解決への道ではないでしょうか。そして、それは革命だというわけなのですが。
>furukatsuさん
青丸さんの件、誤解が解けたみたいで良かったです。(って、かなり私も余計な口出しをしてしまった気がします;皆様ごめんなさい)
それにしても、どうしても「打破」したいし、闘争したいんですね…。
「闘争」で何とかできるんならとっくの昔に誰かがやってるんじゃないかと思うんですが、その点についてはお考えになりました?
>青丸さんと彼に対する判断は私が間違っていました。(略)申し訳ありません。
私がfurukatsuさんをネタだと思うのはこのあたりからもなんですよね。
これ以外にも、furukatsuさんはご自身のミスら矛盾を言われると、非常に素直に認め、謝っています。
非もての人って、それが出来にくい人が多いように思うんですが。まあ、非もてに限らずネットの議論厨はそうですが(ネウヨなんどその典型ばかり)、なぜ、そうなるか?というと、自己承認の問題じゃないでしょうか?
非もては誰からも承認されていない、だから自分を承認して欲しくて欲しくて仕方ない、だからこそ、自分をちょっとでも批判されると逆キレする。自己を承認して欲しいなら、他者も同じように本当は承認しないといけないのに、自分が承認されたことがないから、人を承認する方法がわからない。
だから、人に対して非礼なふるまい(青丸さんのメール男なんか典型ですね)をして、それに気がつかないで、自分が承認されなかったことばかりにこだわり、被害者面をする、かくして人は余計に離れていくの悪循環ですね。
自分ではきもい非もてとか書いているけれど、furukatsuさんにはそれが感じられないのですよ。彼女いない歴=年齢はうそではないのかも知れませんが(まあ、これも疑っていますが^^;)、非モテリアンではないような気がして仕方ないんですよねえ。
●furukatsuさん
>以前書いた物が間違っていました。
非モテのオタク率に関しての問題は了解しました。
本当は、ここで「オタクはモテないという思い込みこそスクールカースト的差別観だったのだ!」という方向にシフトしてくれたらおもしろいなと思って突っ込んだんですけど。やっぱ無理か。
しかし、この問題(オタクに非モテが多い)に限らず、非モテの人は「自分でも解っているのに他人に言われると逆ギレする」ことが往々にしてあると思います。コミュニケーション能力の問題でも、昨年すごい糾弾されましたよ。
「非モテはコミュニケーションが不得手な人が多い」みたいなことを書いたら、決め付けるな、モテの方が非モテとコミュニケーションする能力がないだけだ、非モテは普通にコミュ能力があるのに、モテが俺たちに合わせられないからおかしいのだ、と言われました。
でもfurukatsuさんだって「非モテはコミュニケーション能力が低い」ということは書いておられますよね。
わたし自身もコミュ能力は低いし友達少ないしオタクだしモテないので人のことは言えませんが、非モテに「恋愛向きのコミュ能力は欠けている」ということは事実で、そこからすべての苦悩が始まってるんだと思います。人に言われて腹が立つのは解るけど、あんまり何でもかんでも糾弾しないでね。
>何かしらの形で自己承認をすればよいというのは、正論です。
>しかし、それでは救えない人々というのは常に存在してきてしまいます。
>逆にお聞きしたいのは、現状で大量に居るであろう非モテに対して、
>ナツさんがいかなる自己承認ソリューションを示す事ができるかという部分です。
この世の全ての人間が救われるなんて不可能ですよ。何を言っても空論です。周りから見れば恵まれているように見えても疎外感を感じている人は大勢いるし、それこそそれぞれの主観の領域でしょ。
尊敬する師に認めてもらって自己承認できる人もいれば、金と地位で自分の価値を確かめて満足する人もいる。自分の欲しいものは何かってことでしょう。そこを「他人に下駄を預けるな」って言ってるわけです。
わたしが「こういう手段で自己承認しなさい」と示したとしても、あなたが欲しいものとは違っていれば意味はないんだもの。
●furukatsuさんへ続き
>この自己承認ソリューションという観点からは、ジェンダーバイアスによる
>ハンディキャップを持つ女性の方がソリューションの少なさ、実現性の低さでは致命的な感があります。
社会的承認を得なければ自己承認が得られない、という女性に関してはおっしゃるとおりだと思います。日本はまだまだ男性社会ですから。
furukatsuさんがここで女性の話を出したのは、ジェンダー差別に悩む女性と非モテが共闘できないだろうか?という発想からだと思うんですが、ジェンダーバイアスによるハンデとは、要するに機会の不均等なので、機会が平等に与えられてもそれを生かせない人間までは救えない、という限界があります。性差はともかく個人の資質はどこまでいっても平等にはならない。そしてこの考え方は資本主義社会においては正しいでしょう。(資質を性差で決め付けレッテルを貼る、という問題はまだまだ解決されませんが)
そしてfurukatsuさんは、自分が女性から承認されない理由を社会に求め、「そもそも恋愛の機会が不均等なのだ」という観点に立って闘争している、と考えていいですか? 仕事やオタク趣味じゃダメ、恋愛が問題なんだって言ってるんだから、そういうことになりますよね。
わたしは非モテに機会がないとは思わないんですが、それを抜きにしても、「恋愛」という不確定要素ばかりの問題においては、機会があれば必ずしも異性を好きになり好かれるとは限りません。どうしようもない人の心の問題です。
あと、「非モテ女性との共闘」なんて話も出て来てますよね。
んで、考えたんですけど、たとえば「恋愛資本主義反対!外見差別反対!」と、非モテ男性・女性が声を揃えたとします。
そこで、「だったら、あなた方二人がくっつけばお互い幸せになれるのでは? 恋愛資本主義的でない、新たな価値観に沿った男女関係。外見至上主義ではない内面を深く理解し合う、全く新しい愛情関係が、同じ価値観を有したあなた方二人なら築けるし、うまく相互承認できるじゃないですか」と言われたとしたら・・・。
非モテ男性と非モテ女性は、お互いに困った顔をしてそっぽを向くような気がします。
恋愛ってのはイデオロギーとは別の位相に存在しますから。
そして、恋愛がそういう種類のものである以上、社会がどんなに変わろうと愛される人は愛される、愛されない人は愛されないだけです。
●イカフライさん
>自分ではきもい非もてとか書いているけれど、furukatsuさんにはそれが感じられないのですよ。
うん。わたしもfurukatsuさんは別にキモくない。意見が違ってもちゃんとコミュニケーションできるもん。
青丸さんのメール相手みたいなのは本気でキモイですけど。友達に話しても、「うわなにその男キモっ!」と激しく拒否反応・生理的嫌悪感を示してました。女性に何か色々期待しすぎて、自分の思い込みと違っていたら逆ギレってのは無条件で拒絶される要素です。
同性相手なら、相手に彼女が居ようが非童貞だろうがそこまで逆ギレしないと思うんですよね。理性が働いて。ところが女性相手にだと駄々っ子のようになってしまう。その自分の心理を少し分析してみればいいのに。
やっぱりキモいかキモくないかというのは自意識の問題だと思う。
本来なら
>一言で申し上げれば、青丸さんと彼に対する判断は私が間違っていました。
>青丸さんと彼の問題は、非モテVSモテの文脈で捉えるべきではなかったですし、その意味で青丸さんを罵倒してしまったのは私の間違いです。申し訳ありません。
このコメントを頂けた時点で了解しました、で終わるべきなのだろうなと思います。
私は余程ヒネクレ者なのか粘着質なのか;まだ少しスッキリしていません;
もうほんの少しだけ粘着させて頂いていいですか?
(こちらのコメント欄の流れを見ていれば本来理解出来て然るべきなのでしょうが情報量が多いと整理出来なくなる私の頭;)
私の「恋愛(または性経験)の有無など人間の判断基準にならない、恋愛をするもしないも普通の事と思う」
という考えは、、認めて頂けたのでしょうか?
結局kammy+さんとのやり取りが「言い分に納得して頂いた」のではなく「明らかな矛盾点を突いたら話が強制終了した」みたいな感じだったからでしょうか?
(終了した、のかどうかもよく分からないのですが;)
上のfurukatsuさんの謝罪コメントの意味もつい『メールの彼が自分と同じ純粋な非モテに区分出来ないのならブルジョワジー同士の喧嘩でしかないし非モテVSモテにはなりませんねえ?』みたいな意味合いなのかもとどこかで穿った見方をしてしまう部分が(ヒネクレ過ぎでしょうか;)
furukatsuさんの基準において彼が非モテと定義出来る基準をクリアしていたらやはり私の発言(過去の交際経験を相手に伝える)は悪いことで、そして私は『自分をアリより立派な動物だと信じて疑っていない傲慢なゾウ』であり(ああいかんループしちゃうのかな?;;)
元々「この記事内容に置いて私は被害者に見えるか加害者に見えるか?」という質問は実の所純粋に「質問」のつもりはありませんでした。
『貴方がたは時にこういう形で逆に暴力を振るう事になってはいませんか?」という次の質問をする為の前フリのつもりでしたがまさか「どっちが加害者か」の定義の段階で揉める事になるとは予想外でした;
私の周囲では(私も含め)「ふつー男(女)の一人や二人いるだろー?」とよく言われる年齢になっても恋人を持った事が一度もない、という男女は結構いました(類友というのでしょうか?)し男女共に奥手っぽい人が多いというか。
そして私が会った男性陣も友人達の旦那や彼氏も割とそんな感じで。(30代、40代の男性達ですが)
(不当に抑圧されている!と誰かを恨んでいるようなキャラにはあまり会った事が無いですが)
「女性と出掛けるのは初めてなので緊張しちゃって」とか「親戚中で俺だけ嫁が来ないから肩身が狭いよ」とか笑顔でおっしゃるだけで。
いや、別に貴方にこうなれとか言ってるわけじゃなくって;その、、
「男性に接する度に交際経験の有無ごときで【 私 が 】いちいち優越感なんか抱くかっての下らねぇ;」
って事です。
「私にとっては」恋愛経験の無い男女の存在なんてフツーなんだよ!って。
高齢独女で「交際経験」はあっても相手をちゃんと受け入れて愛し返す「恋愛経験」が出来ていない私にとって恋愛や結婚で人間の価値を判断するような風潮があるなら無くなって欲しいとそれこそ貴方と同じように考えている、つもりなのにな、と。
(ループしそうな話を何度も何度も済みませんが)
でも貴方は私の言葉なんぞ一切聞いてくれませんでした;
記事の中でもイカフライさんのブログのコメントにもそう書いた筈なのに;
私は貴方に「誤解」されたんじゃないです。
例えば、私のブログの過去記事や今までのコメント欄での議論において非モテ男性への差別的に見える表現があった、とか。
そういう根拠ならば「発言が誤解された」という事になるかと思います。
いや、誤解でなくそれこそ実は「無自覚な優越感」とかがあったんだろう、という指摘もアリです。
でも貴方が示した根拠は私自身の発言でも行動でもなくただ「過去に異性との交際経験があるらしい」という一点だけ。
それだけでレッテルを貼り付け、貴方が勝手に貼ったレッテルを指差して延々と訳のわからない糾弾をされるって;
それは誤解じゃなくて差別では?、、と。
ネタでも釣りでもいいけど私はちっとも面白くありませんでした(あ、でも釣りはサカナじゃなくてギャラリーが楽しむものか;)
あ、後、イカフライさんナツさんえみさんしぎこさん他の皆様。
一人で議論してたら混乱&ヒス起こしてパソコンを破壊してるトコでした;
(私が固まってる間にはるかに整然とレスを付けられる方々の文章でようやくある程度状況を飲み込んで追ってたので;)
14万のパソコンが無事なのは他の方々のおかげです。
長文失礼致しましたです;
>>ナツさん
そうです、恋愛が一義的に感情の問題であり、問題が魂の救済というとらえようの無いものであるというのが、非モテを救済する上で最大のネックになる部分です。外形的な解決というのは
恋愛が階級問題であると同時に感情の問題でもある。そこはポイントです。
私は問題は「機会の不均等」ではないと考えます。むしろ、機会が均等になれば、換言すれば自由になればなるほど、結果的には不平等、不均等は拡大します。「モテる者はますますモテ、モテない者はますますモテない」となるでしょう。自由主義経済が経済格差を産み出すように、自由恋愛も恋愛格差を産み出します。
愛される人は愛され、愛されない人は愛されない。確かにその通りです。しかし、それは恋愛が自由だからこそ生まれる問題ではないでしょうか。
>>青丸さん
確かに、おっしゃる通り「恋愛(または性経験)の有無など人間の判断基準にならない、恋愛をするもしないも普通の事と思う」というのは正しいと思いますし、正論です。皆が真に平等であれば、そのスローガンは正しい。私だって最終的にはそういう世界になれば良いと思います。しかし、自由主義は反面、不自由を産み出すというのは事実でもあるのです。
現実としては、恋愛が出来る人間は価値が高いと判断され、恋愛が出来ない人間は価値が低いと判断されます。なぜならば、恋愛をする人間、恋愛に価値があると考える人間が多く存在するからです。ここで、恋愛をする人間を差別しない事では、恋愛をしない人間に対する差別は止められないのです。
もちろん、相手に暴言を吐く事は悪です。殴り飛ばす事も悪でしょう。しかし、彼らの良心に期待できない、若しくはゾウがアリに気付く事が出来ないならば、暴言を吐き、殴り飛ばし、闘う必要性が出てきます。そうせざるを得ないのです。もし闘わないならば、我々は彼らの思想を受け入れ、自らを最低のゴミみたいな生き物と定義しなければならないのです。それが闘争の原理というものなのです。
確かにレッテル張りでしょう。その意味では、私は青丸さんに対してレッテルの張り間違いをしたと思います。
しかし、モテないキモいやつとレッテル張りをされた我々には、レッテルを張返す権利はあると思います。
追記
>>しぎこさん
闘争せざるをえないんですよ(笑)
>>ナツさん
上のコメントですが「外形的な解決というのは」の部分は誤記です。
失礼
>自由主義経済が経済格差を産み出すように、自由恋愛も恋愛格差を産み出します。
>愛される人は愛され、愛されない人は愛されない。確かにその通りです。
>しかし、それは恋愛が自由だからこそ生まれる問題ではないでしょうか。
「だから不自由になるべきだ!勝手に人を愛してはならない!」と唱えるわけですか?わけわかりません。
わたしはモテないですが、モテまくってる女性がうらやましいからって、こんな恋愛格差があるのはおかしい、平等になるべきだ、誰も自由に恋愛できない方がいい、なんて考えたこともないですね。どれだけモテなくても、好きな人に好きと言えない社会よりはましです。経済を統制するのも愚行ですが心を統制するのは愚行というより不可能です。
そして、「機会の不均等」が問題ではないなら、furukatsuさんがここで女性の社会的差別を持ち出すことは無意味であると考えます。
>非モテ男性と非モテ女性は、お互いに困った顔をしてそっぽを向くような気がします。
これについてコメントを頂けませんでしたが、どう思われます?重要な問題だと思いますが。
>モテないキモいやつとレッテル張りをされた我々には、レッテルを張返す権利はあると思います。
無差別攻撃宣言ですか。青丸さんがあなたに「モテないキモイやつ」と言ったわけではないでしょうに。
そうやって、本来ならば敵に回るはずのない人々まで無用に敵に回している愚については考えられませんか。
labluesさんも「こういう話を聞くたびに非モテに対する悪感情が膨らんで困っている」とおっしゃっていますが、似たようなことをメールで言っていた人もいました。
青丸さんは、あなたにレッテルを張られた以上、「furukatsuさんはモテないキモイやつ」とレッテルを貼る権利が生じたってことになります。レッテル貼りの泥仕合になれば最終的に勝つのは多数派ですよ。
マルコムXを気取るのもいいですが、石を投げる相手を間違っている以上、思想家ではなく単なる加害者でしかないです。レッテル貼りを批判するのであれば、「自分はレッテル貼りをしない」と示す姿勢が必要でしょう。
>>ナツさん
>「だから不自由になるべきだ!勝手に人を愛してはならない!」と唱えるわけですか?わけわかりません。
自分でもわけわかりません。こんなのが良くない事だというのもよく分かります。
しかしながら、女性差別、女性蔑視に陥らず、かつ非モテを解放するためには、こうせざるをえないでしょう。
もちろん、他の自己承認ソリューションや他者承認ソリューションを呈示するというやりかたも成立はするでしょう。しかしながら、その「がんばれば出来るよ」とか「あなたはいい人だよ」とか、そういった言葉の持つ残酷性、そうやって死んでいった人々の慟哭、そういうものを見てきた者としてはそんな言葉は吐けません。
自分を変えろ(認識や外見、内面等)、たしかにそれは正論です。ですが、それは正論であるがゆえに、非モテの逃げ場を無くすのです。自分を変えられない自分は悪なのではないか、最低の人間ではないか、人間ですらないのではないか。そう思ってしまうのです。その意味では認識を変えろというイカフライさんの言葉は残酷であると私は思います。
自分を変えられない私は死ぬべきか、慟哭の中で壁に頭をうちつけ、鏡に向かって「俺はキモイ」と言い続ければいいのか。もしナツさんがそう言うならばそれでも良いのかもしれません。しかし、私はそのような事は認められない。そして、女性蔑視、女性差別も認められない、であれば恋愛を否定するしかないのです。
さて、吠えてしまいましたが、女性の社会的差別についてですが、これは重要な問題ではあると思いますが、最初に書いた通り蛇足(この議論では本題ではない)ですので。
>非モテ男性と非モテ女性は、お互いに困った顔をしてそっぽを向くような気がします。
確かに、まぁ、そうなりますね、恐らく。
私としては妥協する余地もありますが、しかし、彼女らが嫌がるでしょう。私はキモイですからね。そして多くの非モテもそうでしょう。キモイという事を内面化している以上、その意識はぬぐえずに、彼女らの「好き」という言葉も、キモイ私を好きだという事は何かしらの策略の上に他ならないと考えられますし、またキモイ自分を真に好きになる異性なぞ存在しないと言えるでしょう。そして、コミュニケーションは常に完全にならない以上その疑念は拭えないことになります。
つまり、論理的に異性に好かれる事も出来ず、異性を好きになることも出来ません。
>無差別攻撃宣言ですか。青丸さんがあなたに「モテないキモイやつ」と言ったわけではないでしょうに。
レッテル張りの誤爆については明らかに私のミスでした。それについては謝罪します。無用に敵に回す愚というのも注意します。明らかに私の間違いです。
>マルコムXを気取るのもいいですが、石を投げる相手を間違っている以上、思想家ではなく単なる加害者でしかないです。レッテル貼りを批判するのであれば、「自分はレッテル貼りをしない」と示す姿勢が必要でしょう。
多数派に圧殺されるであろうというのは、もちろん理解します。しかしながら、どうせ圧殺されるならば、戦ってから圧殺されたほうがいくぶんマシです。そしてまた「自分はレッテル貼りをしない」と言ってきた人々は顧みられる事もなく恋愛至上主義の下に圧殺されてきました。であれば、その戦略はとりえないでしょう。
ポル・ポトはガンジーは幸運だったと言っています。
えーと。横レスになっちゃうのかな。
furukatsuさんへ
うーん……その「自分を変えられない」というのがわからなかったりするんですよね。俺にいわせれば「そんなことはありえない」としか思えないんですが。
なぜならば、物理的に不可能なこと以外、人間は必ずなんでもできるはずだからです。できない理由はないはずなんです。なにしろ物理的に可能なんですから。
これ、金とか絡むと致命的なダメージを被る可能性があるのでうかつなことはいえないですけど、こと「自分を変える」という一点については、ミスったときの被害は、せいぜい自分が傷ついたり恥かいたりするくらいです。まあ、周囲に被害がある可能性は絶無ではないですけど、それだって被害は暴力革命よりはだいぶマシです。まかりまちがうと傷つきすぎて死んじゃうかもしれませんが、これもなあ、よほど積極的に死にに行こうとしない限り、なかなか死ぬのも大変です。ぼんやりしてるとうかつに生きてたりしますし。
だから「自分を変えたくない」「変えるのが怖い」というのはありえても「変えられない」というのはちょっとわからないのです。もっとも「変える」ことにはエネルギーが必要で、そんなエネルギーをどこから持ってくりゃいーんだ、というのならありえますけど。
あと、人間には最初から逃げ場は存在しないと思います。これは、だれにとっても平等に、逃げ場はないはずです。
私事ですが、俺は都合29年ばかり、ほぼ完全にフィクションの世界を逃避先として利用することに成功していました。二次元に没入して生きるっていうと本田透って人が引き合いに出されますけど、著作読んだ限り、あの人は本物じゃないです。代償としての二次元というのがすでにまがい物である証明で、本当に二次元の世界を愛するのであれば「二次元の世界があるから俺は存在する」が正しいです。つまり、この現実に存在する自分が「虚」であるべきで、そこでは非モテであるとかそういうことは「本当にどうでもいいこと」になってしまうはずなんです。三次の世界にいるものが、男であっても女であっても、どうでもいいんです。この世界が滅んでも、アニメとエロゲとラノベと食べ物とエアコンあればそれで充分なはずです。他人なんか(同じ非モテとカテゴライズされる人間を含めて)いないほうがいいくらいなんです。それが人を「物」と思う、ということです。その後遺症でしょうけど、現在でも俺は自分にとっての「他人」が、生きてても死んでても、怒ってても自分のことを嫌っていてもなんの興味ももてません。「ああ、なんかこの人動いてるなあ。ああ、俺のこと嫌いなんだ。人を嫌うエネルギーなんてムダだなあ」くらいの感じ。
なんでこんなこと長々と書いてるかというと、それほど完成された逃避モデルだったにもかかわらず、やっぱり破綻はする、ということです。なにしろ自分が肉体を持った「生きた人間」である事実だけは、どうやったって消せないからです。
死なないだけなら、ごはん食べてれば充分です。死にません。しかし生きていくとなると、それだけでは厳しい。じゃあどうする。革命か。しかし非モテの革命は、実現しません。なせならば、それは多くの人にとって「幸福なこと」ではないからです。自分を幸福にしない革命に賛同する人はいない。ならば少数派を圧殺したほうが賢明です。
戦ってから圧殺される。それもまたいいでしょう。しかし結果を伴わないのであれば、単なる自己満足です。そこには非モテの死骸が累々と横たわっているだけです。死体の数だけの自己満足があるだけで、そうするとそもそも戦う意味はどこにもありません。
あれもだめ。これもだめ。じゃあどうすればいいのか。
どうにもならないわけです。
非モテの人たちの言説が一部の人間を過剰に攻撃的にさせるのは、つまり攻撃的になる人ほどこの「どうにもならん」という絶望を知っているからで、そこから歩き始めた人なわけです。「自分だって歩かざるを得なかったのに、立ち止まって嘆いていられるその理由は、権利の源泉はどこにある」というのが、その手の人たちの言い分でしょう。要するに、非モテの人たちだけが「特権的に救済されるべき不幸である」なんて事実はどこにもない、というわけです。
もっとも不幸なんて主観的なもので、比較のしようはありませんけど。「その事実はあるんだ」と当人がいえばあるでしょうし、反対側の人が「ない」といえば、それはないんです。
多くの人が結局非モテの人に言いたいのは「それで君は恋愛をしたいのか?」「幸福になりたいのか?」ということで、もしその回答がイエスであるとして、実現にあたって、現実的な方策は限られておりブレイクスルーなんぞ存在しないってことでしょう。もし「ノー」であるのならば、それは本人のお好きにどーぞってことになります。
非モテの人の言説に必ず「ねじれ」のようなものがあるのは「本当は自分だって恋愛したかったさ」という感情が見えるのに「現実的に可能な選択肢を否定し、不可能な選択肢ばかり提示する」というあたりにあるんだと思います。たぶん、恋愛や人とのつながりによらず幸福になることは、ごく一部の天才だけに許された道なんでしょう(それだって主観的に幸福かどうかは疑問です)。
もっとも、個人的には「逃避の果てのさらに果てに、なにかとてつもなく美しいものがある」という夢想は永遠に捨てる気はないですけど。
>>MK2さん
もちろん、各個人について言うならば、その人が自分を変えられるか否かという意味では「変えられる(可能性はある)」と言えるでしょう。人間には無限の可能性があるというナイーブな信仰は確かにナイーブであるがゆえに一定の正しさを持っています。しかし、常にある一定の割合で変わらない人、救われない人は存在しているのも事実です。これを個人にあてはめれば、「変えられる」可能性があるという事は「変わらない」可能性もあるということに他ならないでしょう。
そしてまた、くり返しになりますが、常に「変わらない」人は一定数存在し続けるのです。そして、自分は未来においてその中の一人になるかもしれないですし、またそれは未来になってみないとわからない問題です。つまり現時点では変わる変わらないという問題は確率の問題であるとしか言えなくなります。私が変わっても別の変わらない人が存在し続ける以上、変わることが出来ない人はどうするのだ、という問題は提起する意義があります。
そして、そのなかで「自分を変えられる」と言うことは誰の利益になるのかというのが問題になってくるでしょう。
さて、本田透ですが、私は彼を評価しますが、彼の考えは解決策としては不十分だと考えています。それは、MK2さんの指摘の通り、自らが肉体を持つゆえに普通の人々はそこまでの境地に至れないのです。私もオタクの端くれですから、萌えも感じますし、キャラクターに入れ込みもします。しかしながら、私では悟りの境地に至る事は出来ない。仏教がインドでカースト制度を破壊出来なかったのと同じ理由で、一部の選ばれた人間しか解脱できなかったというのは問題としてあります。
蛇足ですが、私は本田透は「二次元の世界があるから俺は存在する」の境地に限りなく近づいていると思います。ただ、そこは彼に対する評価の違いですので横に置きましょう。
さて、少数派の圧殺の方が簡単であるというのは、確かにその通りです。しかしながら、私はいつまでも非モテが少数派であるとは思えないのです。資本主義の発展が巨大なプロレタリアートを産み出していったように、恋愛至上主義が、自由恋愛が恋愛プロレタリアートたる非モテを徐々に増やしている社会状況が存在します。これは端的には結婚率の低下、恋愛しない男女の増加といった形で現れているでしょう。であれば恋愛革命の気運はひましに高まっていると言えます。
だから、どうにでもなるのです。
どうにもならないという意識こそブルジョワ階級に植えつけられた固定観念なのです。現在の体制において利益を得ている既得権益層は必ず今の体制は変わらない、今のシステムは変わらない、だから文句を言わずに今の体制に従って、今の体制の為に自分を捨てて尽くせと言うのです。なぜならば、それは彼らの利益になるからなのです。
そのような中で我々非モテに対して攻撃し、恋愛ブルジョワジーの既得権にすがりつくというのは、騙されている不幸と同時に反革命的な所業に手を染めていると言えるでしょう。
「現実的に可能な選択肢を否定し、不可能な選択肢ばかり提示する」
その現実とは何でしょうか。ブルジョワ的な意識の下にある、電通によって植えつけられた「現実」ではないでしょうか。保守派の人々はこの現実的という言葉を使って選択肢を意図的に狭めようとしています。その「現実的」な考えが誰の利益になるのか、そこを見定めなければならないでしょう。
furukatsuさん
言い残したことや、聞き漏らしたことがあるような気がして残念なんですが、俺にはこれ以上反論する能力かないようなので、この件に関する俺のコメントは終了します。お付き合いありがとうございました。
●furukatsuさん
>端的には結婚率の低下、恋愛しない男女の増加といった形で現れているでしょう。
>であれば恋愛革命の気運はひましに高まっていると言えます。
それほど恋愛しない男女が増えているのなら、「恋愛至上主義による抑圧」なんてのもなくなってるはずですけどね。まあ、わたしはそんな抑圧がさほどあるとは実感できませんが。
結婚率の低下は恋愛とは別に考えるべきでしょう。結婚しなくても経済的に支障のない女性が増えたことがひとつ。それと、女性の貞操観念が一昔前(処女でなければ結婚に不都合が生じる)とは変化した、男性側も「責任を取って結婚」というプレッシャーから逃れられるようになったので、恋愛が結婚に直結しない構造になった為だと思います。
>(非モテ女性との恋愛)私としては妥協する余地もありますが、しかし、彼女らが嫌がるでしょう。私はキモイですからね。
「妥協」と言っている時点で、相手を受け容れてないってことなんですよ。自分が誰か他人を「その欠点ごと承認する」ということが不可能だから、誰かが自分を欠点ごと受け容れてくれる、そんな関係性が存在することも信じられない。「キモイ」を内面化している人というのはそういう種類の人たちだと思います。
団結を訴えていても、同じ劣等感に凝り固まった非モテに、furukatsuさんは同族嫌悪を抱いているように見える(同情はしても)。それは他の「ルサンチマン型非モテ」も同じです。自分を「キモイ」と自己否定しているその同じ価値観で、同類の非モテを「キモイ」と認識しているから。お互いがそうである以上、そこに真の友情や愛情が生まれるわけがない。だから非モテ女性との(恋愛とは言わないまでも)情緒的関係も成立しない。互いに自分の欠点、嫌な部分を見せつけられるだけの相手と、心から愛し合って一緒にいたいとは思えませんからね。
ここから同志愛や団結心が育つとは、わたしには到底思えないんですが。
>だから、どうにでもなるのです。
>どうにもならないという意識こそブルジョワ階級に植えつけられた固定観念なのです。
最大の問題は「俺はキモイ」という固定観念じゃないんですか?
これこそ「ブルジョワ階級に植えつけられた」最悪の固定観念だったのでは?
「どうにでもなる」のなら、まず「俺はキモイ・非モテはキモイ」という自己否定をどうにかすべきです。「どうにもならないという意識」は捨てられる、つまりあなたは自分の意識を変えられるし、他人にも「意識を改革せよ」と訴えているじゃないですか。なのに「キモイ」という意識は捨てられないのですか。自分に不可能なことを他人に要求しているわけですか?
言ってることがあまりにも矛盾しすぎです。
んで、そろそろ話がループになりそうなので勝手にまとめに入ります。
「自分は生きているに値しない人間ではないか」という苦悩や疎外感は、何も非モテの専売特許ではないです。表に出すか出さないかの違いでしかない。
「そんなわけない。お前らはキモくないじゃないか」と言うのは無しですよ。これは自己承認の問題なので、自分で自分を肯定できず苦しんでいるなら同じこと。まあ大概は思春期前後で乗り越えていくんですが、こじらせている大人も大勢いて、カウンセリングにかかったりしてますよね。
つまり「そんな苦しい思い、わたくしは一度も経験がないわホホホ」と言えるような人間(真のブルジョワ?)はこの世にごく少数しか存在しない。あとはみんな自分でその時期を乗り越えてきている。だから同情はできても、みんな自分の人生だけでいっぱいいっぱいなのがデフォだと思ってください。
それを「残酷だ」と思うなら、この世はそういうものであり、あなたもわたしも残酷な人間なんだから仕方がないと答えるしかないです。
ここで今更、「だからもっと他人の気持ちも考えろ」とか言っても無駄なことは解っています。
なので言いたいことは、「他人に気持ちなんかあると思わなくていい。他人はモノだと思っていい。そのかわり、自分に気持ちがあることを人に分かってもらおうとするな。人にとっても自分はモノだと思え。自分にとって他人が石ころなら、他人から見た自分もただの石ころだ」ってことです。
他人がモノで自分もモノ。レッテルを貼ることで罪のない人を傷つけ、これからも他人に「お前は強者(ブルジョワ)だ」と石を投げることをやめないと決心したなら、それ相応の覚悟を持って下さい。他人に一切の同情と共感を求めない覚悟です。「暴力闘争」とはそういったものだと思います。
他人の痛みを考慮しないということは、あなたも痛みを訴える権利を失っているということです(イカフライさんを「残酷だ」とかね)。訴えても誰も聞き入れる義務はないことを本心から納得しなければならない。ポーズだけではだめなのです。
当然わたしもfurukatsuさんにとってただの「モノ」、石ころに過ぎないのでしょう。「モノ」に同情を求めるのは空しいし、無理というものです。
ただ拗ねて見せていただけで本心ではないというなら、今のうちにその方法論は止めたほうがいいです。
同情や共感が欲しいなら「お前らは強者なんだから痛みなんか知ったこっちゃない」とは間違っても言うべきじゃない。人間を「モノ」と定義するのもやめておきましょう。
わたしは「絶望するならとことん絶望しろ」と思っている人間です。中途半端が一番始末に負えない。
今のところ、furukatsuさんは(ネタでかまってちゃんをやってるのでないなら)どこを切っても中途半端です。
「男も女もモノ」と定義し、ニーチェのように狂気の死を迎えるのも、それはそれでひとつの生き方だと思う。それを止める権利も力も誰にもない。個人の自由ですからね。
ただ、モノと言ったからには自分の苦悩や人間性も切り捨てる覚悟はしてください。そこまで自分にも他人にも厳しく同じ定義を科すことができないなら無意味です。ただの期待に満ちた甘えでしかありません。
それと、ポル・ポトが大量殺戮者としてしか語られないのに比べ、ガンジーやキング牧師の教えは今も人の心を動かす力があることも、無視出来ない事実だと思います。
>>MK2さん
うーん、残念です。私の説明も悪いのだと思います。
また機会があれば是非よろしくお願いいたします。
>>ナツさん
むしろその抑圧は恋愛をしない人々が増えれば増えるほど強まると思います。強者がその地位を維持するために策動を繰り返すというのは十分にありえる話です。たとえば「電車男」の登場に代表されるような事例が物語っていると言えるでしょう。
あと、たしかに非婚の問題は経済的な問題や女性の解放の問題に還元出来る部分はありますね。とはいえ、その中には非モテの問題という要素も存在するでしょう。
>自分が誰か他人を「その欠点ごと承認する」ということが不可能だから、誰かが自分を欠点ごと受け容れてくれる、そんな関係性が存在することも信じられない。「キモイ」を内面化している人というのはそういう種類の人たちだと思います。
この理論は逆転させれば「誰かが自分を欠点ごと受け容れてくれる」事が信じられないから「他人を「その欠点ごと承認する」ということが不可能」とも言えるでしょう。
どんなに奇麗事を言っても、最終的には内面を含むパラメーターの差し引きによる妥協や、自らのパラメーターと相手のパラメーターのバーターになるでしょう。それは愛やらなんやらの綺麗な言葉でデコレーションをしたところで、最終的には欲望、もしくは功利の概念によって帰着されうる問題です。某個人との情緒的な関係においては正義の概念は成立しません。もし正義の概念が成立するとすれば、それは公共的な善、例えばボランティアや制度設計のレベルの問題になります。もし某個人との情緒的な関係において正義を実現させるならば、美しい女性が浮浪者と恋愛するような事態になるでしょう。しかし、そのような事態は発生しない。なぜならば、その個人の間の情緒的な関係は欲望と功利の概念に基づいているからです。なぜ金持ちで外見が美しく、性格が良いと言われる人間がモテ、そうでない人間がモテないのか。それは人々が取捨選択を自由意志で功利に基づいて行っているからに他ならないでしょう。
また、非モテの間に団結心が芽生えがたいというのはあると思います。しかしながら、利害関係の共有によって連帯をしていく事はできるでしょう。
>最大の問題は「俺はキモイ」という固定観念じゃないんですか?
>これこそ「ブルジョワ階級に植えつけられた」最悪の固定観念だったのでは?
その通りです。
もちろん私はこの「俺はキモイ」という固定観念を絶対に捨てられないというわけではないという事は認めます。しかしながら、それでも全ての人がその固定観念を捨てられるわけではないことを問題にしているのです。そしてそうであれば結果的に他の非モテを足蹴にしてカースト上位に昇るという形にならざるをえないでしょう。いわゆる脱オタという行為はこの自らはキモくないという確信を得るための行為であるという事は重要な点です。(cf.http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20061216/1166207204)
対して「社会は変えられない」という固定観念は全ての人にこの固定観念を捨てさせなければならないという性質のものではありません。世の中の半分が「社会は変えられない」という固定観念を捨てれば十分に変革を産み出しうる、いや革命になるでしょうし、また1割、数パーセントの人間ですら威力を誇示し運動をくりひろげていけば、その他多くの人間はこれに耳を傾けざるをえなくなります。
認識により苦しみから解放されるのは事実です。カースト最下層に居ようとも、来世の事を考えれば人は希望を失うことはないでしょう。他国で捕囚の憂き目にあっても神の意志であり最後に我々は救われると信じれは人は耐えられます。しかしながら、現実的に抑圧の憂き目に合っている人に対して必ずしも救済されるわけではない希望を吹き込み、それでよしとしろと言うのは正義でしょうか?
>「他人に気持ちなんかあると思わなくていい。他人はモノだと思っていい。そのかわり、自分に気持ちがあることを人に分かってもらおうとするな。人にとっても自分はモノだと思え。自分にとって他人が石ころなら、他人から見た自分もただの石ころだ」
その通りです。
確かに同情を求める発言は控えましょう。
しかしながら、論理を積み重ねていけばかかる結論に至らざるをえません。拗ねるもなにも、ミソジニーやアナクロニズムに陥ることなく、かつ矛盾せずに、非モテの問題を解決する理論は今のところ、こういう方法論しかないのです。
でも歴史を作ったのはロベスピエール(童貞)でありポル・ポトでありスターリンではないでしょうか。
ナツさま
ずーっと以前にお邪魔してコメントさせていただいたことがあります。おひさしぶりです。
更新、いつも楽しみにしております。ナツさんの文章、めちゃめちゃ好きです。
>furukatsuさん
すみません、はじめまして、本題からちょっとずれてしまいそうなのですが、ひとつ質問をさせてください。
たぶんすげー根本的な事柄が、私には理解できていないようですので、もし余裕があったら教えてください。
「非モテによる革命」というのがもしも完全に、furukatsuさんの満足のいくかたちで達成された場合は、社会はどうなっているのですか?
「恋愛は尊い、美しい」という概念自体が、非モテの方を傷つけるから、「最終的局面は恋愛の否定・コミュニケーションの否定」という方向に社会を進めるのが革命なんですよね? 私の理解これであってます?
つーことは、人間同士が楽しみを持ってコミュニケーションをすることや、我知らずひとを好きになってしまうことが否定される世の中が、furukatsuさんの理想の社会ってことですか?
私はそれがどういう社会なのか、一生懸命考えたのですけど、それで思い描けた社会って、大体以下のようなかんじなんですよ。
■社会全体で恋愛が禁止されていて、パートナーがどうしても欲しい人は政府に申し出て、統一教会の集団結婚式的な方法で、無作為抽出されたパートナーと婚姻関係を結ばれることのみが許される。
■ひとを好きになってしまった人間は、犯罪者として処罰される。
■コミュニケーション自体が否定される以上、恋愛にとどまらず、友人関係や親子の情愛等も否定される。ゆえに、他人と一定以上の親しさ(そんなもんどう計測するのか全然わかりませんけど)を持った人間は犯罪者として処罰される。
そんでまあ、そういう社会はちょっと私には生存するにはきつすぎるのですよ。
それがきついというのが恋愛ブルジョア?側の理論で、プロレタリアート側(非モテ?)はこれを望んでいるのだから従えー、というハナシになるんでしょうか?
でももしもこういう社会を目指されちゃうと、私はそれは、
>彼らが悪意が無かったとしても、暴力的に我々を抑圧するのであれば、我々もまた暴力的に戦わねばなりません。
受けた暴力が10だとすると、100以上で殴り返していないって気がしちゃうのですけど……気のせいですかね?
あと、コミュニケーション自体を否定していく方向に社会をすすめるのなら、団結とか同志愛ってのも、コミュニケーションの一種だと思うので、それ自体否定されるのでは、と思ってしまったんですがー。
すみません、私の理解だと、なんかあまりにも極端なことになっちゃっている気がするので、きっと間違ってるんですよね?
そのへん、どこがどう間違っているのか、わかりやすく教えていただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
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