前回記事への反論に対する反論。
自信を持って「正論」を言うことが、ある人にとっては暴力になるということは、ただの事実です。僕は一条さんを「批判」したのではなく「事実」を指摘したつもりです。
はしごたんと、友達になりたい:世界のはて
あなたがやったのは本当に「単純な事実の指摘」ですか? そこに価値判断は入っていないでしょうか。
「心の底から吐き気がする」「正論だけど、無意味な正論。はしごたんにこの言葉は届かないだろうね。届ける気もないんだろうけどさ。気持ち悪いエントリーだった。/読まなくて正解>id:hashigotan」
これはMasaoさんの一条さんに対する言葉です。
わたしには一条さんの罪悪感を煽っているようにしか見えなかった。批判どころか断罪です。
それとわたしは、「正論」が暴力になること自体はまったく否定していません。というより、どんな発言でも常に誰かにとっての暴力になりうることは周知の事実であって、いまさら言うまでもないこと。(*1)Masaoさんの言葉は一条さんに対する暴力だったしね。弱者を「正論」でいたぶる強者であるという決め付けをしたわけですから。
問題は、「誰かを傷つける牙になりうる」という自覚の有無なわけですが、一条さんはその覚悟があって発言している人だと思います。わたしが「自覚がないのではないか」と感じるのはむしろ自称被害者の方です。「自分は常に傷つけられる被害者の立場であって逆はない」という自己認識は、自分の言葉・存在の暴力性に無自覚だからこそ生じるものなので。
今回の場合は、hashigotanさんと一条さんがそれぞれ「自分に正直に」言いたいことをぶつけ合っただけ。立場的には対等なはずなのに、そこにどっちが正しいだの説教だのという価値判断を持ち込んでいるのは、一条さんではなく他ならぬMasaoさんなのでは?という話をしています。一条さんの発言がほんとうに「正論」なのかどうかという価値判断すらしていません。
だから註釈で「正論=その人にとってぐうの音も出ない、反論できないから悔しい言論。実際に正しいかどうかは無関係」と書いたんです。
でも、みんなが納得できるような「正論」を言ったって、もうはしごたんには届かないでしょ。じゃあどうすんのよ?
という話です。結局「見守るしかない」とか言って結論は出ていないんでアレなんですが。
どーもならんでしょ。それはMasaoさん個人の目的意識でしかないし、「はしごたんに届く(=彼女が変わる)ような言説でなければ、すべて無意味なオナニーだから黙って見てるだけにしろ」と他人に押しつける権利はないと思います。
もっと言えば、わたしにはMasaoさんの言葉もhashigotanさんに「真の意味で」届いているようには見えない。証拠は彼女の一条さんに対する発言です。
2007年11月14日 hashigotan 被言及*, 非モテ,その通り! あの女は起きてる間中セックスしか考えてない単細胞だからまあ頭弱いのねって感じで哀れんでやるのが一番イイかもね。セックスしすぎると人の痛みがわからなくなるんだよ
自分で変わろうとか回復しようという「意志」のない人間には、どんな素晴らしい言葉だって、共感さえも届きません。一条さんの記事がオナニーならばMasaoさんの言葉もただのオナニーです。「はしごたんを理解しようと努力している正しい俺」をギャラリーにアピールする共感ごっこです。(御自分でも認識してるようですが)
さらにあなたは「見守って」さえいない。この言行不一致には首を傾げざるを得ません。
要は、僕は今回一般論的な「言説の正しさ」よりも「はしごたん」個人を優先した。そういうことです。
自分の感情優先。つまり、hashigotanさんと一条さんとわたしと同じってことですよね。
じっさい誰も「言説の正しさ」を優先してる人なんていない。ただ、誰しも意見を表明するときに、それが少なくとも自分にとっては正しいことだと信じるから発言するのではないでしょうか?
Masaoさんだってわたしだってそうです。それが他人にとってまで正しいかどうかなど知りようがない。ひとが自己主張するときに、そこまでの相対化はできません。
いちいち「この言葉が正しいかどうかわからないしわたしには自信がないし世の中には絶対的に正しいことなど何もないのだが云々」という前置きなしには何ひとつ主張できないとしたら、その方が卑怯です。
一条さんは潔く自分が信ずるところを主張した。その「自信」がある種の人間にとって「鼻につく」ことはわかりますが、それは単なる好き嫌いの問題です。
ようするに、「一条さんが鼻につく優等生だから嫌いだ」で済むところを、正論の暴力だとか配慮しろとか言いだして、飽きもせず「強者と弱者」の対立構造問題にすりかえようとする人が「鼻についた」ので、こうして突っ込んでるわけです。(*2)
それだけではなく、こんなことで誰かを哀れな被害者と定義して、その人がどんな理不尽なことを言おうが誰も突っ込めなくなり、腫れ物に触るようになってしまう―――いわゆる「弱者特権」が生じることに疑問を覚えます。前の記事で述べたように、わたしは自分のブログで暴言を吐く自由もあると考えていますが、それを暴言だと感じた人に批判されることは覚悟してやるべきだと思っています。その発言責任をうやむやにするような言説には与しません。
ついでに反応。
2007年11月19日 welldefined オマエモナー, ポジ"暴言を吐かれてもこちらこそ被害者であると訴えることすら禁じられる。"まさにそれをポジがやっているということになぜ気づかない?
hashigotanさんにとって、彼女に「暴力」を振るった真の意味での「加害者」とはいったい誰なんでしょうか。「幼い彼女を虐待した男」ではないのでしょうか。
その根本的な「加害者」がそもそも存在しなければ、性行為がトラウマになることもなかった。既婚女性が子供の話をしようと、彼女にとって「加害者」になることもなかった。その大元の事実から目を背けて、そこら辺でたまたま目についた叩きやすい「幸福な人」に感情を叩きつけているだけ。
それが「加害者に対する正当な復讐」でしょうか。たまたま目をつけられた人にとってはいい迷惑です。
「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
これは、池田小・児童殺傷事件の犯人、宅間守の言葉です。
池田小学校の児童達は幸せそうな金持ちの家の子供だった。不幸な生い立ちの宅間にとっては、「幸福を見せつける加害者」だった。たまたま宅間の目につき、たまたま歩いて殺しに行ける距離にいたので、「幸福な金持ち代表」として生け贄の羊にされました。
こんなものが「加害者に対する正当な復讐」であるわけがない。ただの逆ギレのやつあたりです。
幼児虐待は昔からのテーマのひとつでもあるので、hashigotanさんの記事の中には正直、痛々しくて正視できない話もありました。(興味がある方は心理カテゴリあたりを読んで下さい)
彼女が過去、被害者だったことは間違いありません。しかしその経験を今現在の暴言の正当化に用いることについては、わたしは反対です。ネットにおける今の彼女が、被害者なのか加害者なのかと言えば、加害者だと思っています。
blogランキング参加中強姦した女にそれを許してもらい、すべてを母親のように受け入れてもらうことで、やっと他人が信用できるようになり立ち直ったという幼児の極致のメンタリティでしたな。<紫苑
あそこまでの犠牲を他人に一方的に払わせなければ真人間になれないような人間には近づきたくないなーと思いながら読んでました。
逆に紫苑に感情移入すれば非常に気分の良い展開でしたけど。
ギョクがかわいそうです><
と思いながら読みました。私。
みなしごのシオンの前で家族団らんを見せつけられて「こいつはおれの身になってない」って、そこはさらっと流して嫌なら近寄らなきゃあいいのにっていう。
そんで逆恨みしてちょいちょい嫌がらせするし(生まれ変わっても)。
他人をうらやんだらきりがないし、誰も助けてなんかくれませんもんね。
その辺の割り切りって生きてく上でほんと大事ですし、それでも割り切れない部分が残るのはわかるとしても、逆恨みして嫌がらせ、って論外ですよ。
まあ、ポジがネガにとってシャクに障るのは非常に良く理解できるっつーかわたしも実はネガですから。一部誤解されてるようだけど。
でもネガって同じネガを同族嫌悪するでしょ。わたしもそうだけど(笑) そして、自分にないものを持っているポジに惹かれ、少しでもいいから振り向いて欲しい、かまって欲しいと願うんですよ。
その「かまって欲しい」欲望が常に相手を傷つける攻撃性のかたちでしか発揮されない、そういうネガが嫌いなんです。そして傷つけた相手に、無償の愛と赦しによる救いを求めること自体が醜悪な幼児性だと思います。
ブコメが続きそうな様子だったので、こちらで書きます。
どうも「正論」や「強者弱者」といった部分がナツさんの議論の的になっていますが、正直言ってこの辺りは僕にとって枝葉末節の話で、議論するつもりがありません。今回僕は、一般論ではなく、「今回のはしごたんとその周辺」に限定した話をしているつもりなので。
ナツさんのほうで納得いかないようであればお相手しますが、僕としては一般論的な議論には乗り気でないことを、まず断っておきます。ここらへん、迂闊に反論して長引かせた僕にも責任があると思うので、その点謝罪します。申し訳ありません。
仕切りなおして、僕にとっての今回の件の本質を書きます。
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20071119/1195449187
>ただ、僕は今回のはしごたんの件に関して言えば、いま彼女に必要なのは少なくとも「説教」ではなく「共感」だと感じました。
僕はここに書いたように、今のはしごたんにとっては、まずは共感による承認が必要だろう、という立場でやっています。「暴力はよくない」という前に、それを聞き入れる準備が彼女には必要だろう、と。
そう考えたとき、一条さんの書いた記事とそのブクマの「圧倒的賛同の空気」は、はしごたんに良い影響を与えるとは僕には思えなかった。はしごたんに「味方もいる」ことをアピールする必要があると思った。
ナツさんは「元被害者だろうとなんだろうと、暴力は暴力。元被害者から理不尽な暴力を振るわれた第3者はそこらへんを配慮する必要はないし、元被害者も今回は加害者として裁かれるべきだ」という考えなのだと思います。これも、「第3者」側の立場に立てば、理解はできるんですけどね……今回の件に関していえば、あの空気ははしごたんがあまりにも忍びないと思いました。完全に「情」ですね。
その「情」からとった行動がはしごたんに「届いた」か、「正しかったのか」なんていうことは、僕にも分かりません。ただ、あくまで今回の場合はその方がはしごたんにとってベターだと僕自身は感じたから、自分の気持ちに従い、はしごたん援護の立場をとりました。その行動が、「鼻についた」などという感想を持たれることは、覚悟のうえです。
要は、僕も自分の感情に従って言いたいことを言っただけです。これは、ナツさんが指摘するとおりです。そこに「正論」などを持ち出したことは、一条さんに共感するナツさんにとっては小賢しく、なおさら「鼻につく」部分だったかも知れません。
最後に、
http://b.hatena.ne.jp/NATSU2007/20071121#bookmark-6551141
のブコメの↓の部分にお返事します。
>「それは本当に"報復行為"なのか?」という妥当性からして議論の必要がある。hashigotanさんの行為は報復されるべきでない相手に対する八つ当たりの自爆テロにしか見えない。彼女自身も傷つくだけで回復しない↓
>はしごたんが「伝わりました」と言いながらまた暴言を吐いていても伝わったと思うの?
これは、判断するにはまだ早すぎるでしょう。彼女の行動が自爆テロなのはその通りだと思いますが、では今の彼女の回復にベターなのは「説教」なのか「共感」なのか?
僕は「共感」だと判断したのでああいう行動をとった。実際にそれがはしごたんの回復に繋がるのかなど、僕にも分かりません。ただ、僕はそれがベターだと思った。もしかしたら、「説教」した一条さんが正しく、僕の共感はただの出すぎた真似でオナニーになるのかも知れません。
この辺りはあくまでも結果論であり、今の時点では誰にも分からないことだと思います。
擁護派を見ていて突然「共依存」って言葉を思い出したよ。意味を調べたが、恐ろしいくらいぴったりだ。「あいつは強く言ってもだめなんだよ、暖かく俺達が見守ってやらずにどうするんだよ」という暖かい手が、回復をずるずると遅らせている。なにしろ、回復したら最後、あいつは誰からも相手にされなくなるんだから。
回復しないから擁護する、擁護して欲しいから回復しない。傍から見ていると、「噛み付かれた犠牲者ばかりがいつの間にかあら捜しされて、噛み付いた奴が擁護される」という気味の悪いエコシステムが出来上がっている。
>増田さん
横レス、失礼します。
「共存症」成程ね、なんか、すごっくストーンとはまりました。
この一連については、私自身が最近自分のブログに書いたこととどこか共通したような気がしたのですが(ですから、自分のとこにも書きました)。
その時点では、私は「弱者認定」だと思っていたのですが、それよりは「共存症」のほうが正確なのかもしれません。
●Masaoさん
>一般論ではなく、「今回のはしごたんとその周辺」に限定した話をしているつもりなので。
>正直言ってこの辺りは僕にとって枝葉末節の話で、議論するつもりがありません。
あのー。むしろこちらの方が、「正論だの説教だの枝葉末節でしょ。"はしごたんの暴言"が妥当か否かを問題にしてるんでしょ」と言いたいくらいなんですが。
それならなんで「正論は暴力」という話を持ち出したんですか? これを言いだしたのはMasaoさんの方であり、間違いなく一般論です。
こういう決め付けで他の議論をも狭めることになったら大変だ、弱者(と認定された人)に何も言えなくなってしまう、人ごとではないと思ったので首を突っ込みました。個別論だというなら、ブクマでwhite_cakeさんが書いているように、「おれの友達のはしごたんにみんな優しくしてあげようよ」とストレートに言えばいいはずです。
わたしの立場は「ネットにおける表現の妥当性についての話」をしたいということです。書き手がどんな過去を持っていようと、それは自己申告にすぎないので無関係。言説の内容のみで妥当か不適切か判断されるべき。
でなければ、被害者申告していない人間だけが表現を規制され、自称被害者有利なルールの世界ができあがってしまう。プロとアマですらほぼ区別されず、文章のみで判断されるウェブにおいて、こんなバカげた話はありません。
言説の内容を判断すれば、hashigotanさんの、「お前ら子連れの夫婦全部死ねって事なんだよ!!!」に代表される暴言は正当な報復ではなく、加害であるということです。それは単なる「事実の指摘」です。
一条さんに「事実を指摘」することは躊躇しないMasaoさんが、hashigotanさんには「配慮」した。そしてその「不公正さ」が「弱者だから(病人だから)配慮されるべき」という「俺理論」に基づいていたので、待ったをかけてるわけです。
>これは、判断するにはまだ早すぎるでしょう。
>僕は「共感」だと判断したのでああいう行動をとった。
Masaoさんは他人が何か意見を言うと、「判断するのは早すぎる」といって判断を規制するのに、自分自身は色々なことを前もって判断してますよね。で、それに反対されるとまた「そう判断するのは早すぎる」と言う。自分でも矛盾してるなあと思いませんか。
そういう話はともかく、結論を申し上げますと。
Masaoさんの目的が御自分で仰るとおり「はしごたんとお友達になること」だけであり、強者と弱者の対立構造問題に持ち込む気などさらさら無かったというのであれば、それを明言すべきではないか、と思います。
Masaoさんとはしごさんに共感する側に「一般論=弱者対強者の戦い」と捉えている人もいるのです。つまり、弱者を盾にして発言責任を免れる環境をMasaoさんが整えてくれるのを待っている人がいるんですね。hashigotanさんもその一人です。↓
>2007年11月20日 hashigotan 被言及*
>一条さんのような人間が多数派の大多数なんですよおそらく。とても悲しい事実ですが
>強者が弱者の痛みに感知しないことで世の中が上手く回っているんでしょうね一条さんのブクマ※欄で多数派の冷たさが顕著に解ります
これはMasaoさんの目的ではないのでしょう。それならそれを明言すべきではないでしょうか。hashigotanさんは決して弱者ではなく、一条さんも強者ではない。ネットの上では「自分の主張を他人に文章で伝えられる能力を持ったブロガー」としてみんな対等なんです。
そのことがMasaoさんには本当にわかっているのか、まだhashigotanさんを「正論で一方的にボコにされた被害者であり配慮すべき弱者」と見ているのではないか。今のままではその疑念がぬぐえません。
●増田さん
リンク先の文章、まさに思っていたとおりのことが書いてあってうなずきながら読みました。
>「回線切って病院行け」という話が一番の暖かい態度なんだけどな。
>素人が普通に考える「思いやり」とかそういうので改善されるならそもそも病気ではないとも言えるし。
鬱病や統失などはネットもドクターストップがかかるそうですね。悪化するだけなので良くないらしい。以前、覗いていた女性のメンヘルサイトも、鬱なのにずっとサイトを続けた結果、閲覧者とトラブルを起こして持病が悪化し、入院→閉鎖してしまいました。
>彼女の回復にベターなのは「説教」なのか「共感」なのか?
とMasaoさんが書いていましたが、わたしの記事の主眼ではなかったのでスルーしました。本来の目的を離れて言わせてもらえば、自爆テロをくり返し、専門医にかかることをすすめられても拒む彼女に、顔も知らない他人が何ができるのかと思います。なし崩しの肯定はまさに「共依存」であり、事態を悪化させているだけとしか思えません。
「それは今の時点ではわからないのだから判断するな」というなら、Masaoさんも、何が回復にベターかなどと、「今の時点で」うかつに判断しない方が良いと思うし。素人判断の危険性を知らなすぎると思います。
・ナツさん
論点が噛み合いませんね。しかし、ナツさんが論点としたい部分は理解できたつもりなので、僕の考えを書きます。
【「ネットにおける表現の妥当性」について】
>「”はしごたんの暴言"が妥当か否かを問題にしてるんでしょ」と言いたいくらいなんですが。
>「ネットにおける表現の妥当性についての話」をしたいということです。
僕は、この点については記事でハッキリと「否」だと書いています。ここに議論の余地はないと思っています。「否」であるが、それでもなお存在するはしごたんにどう接するか、という話だと思います。そしてナツさんは「公正」の立場をとり、僕は「配慮」の立場をとった。
ナツさんは、はしごたんの行動が「ネットにおける表現の妥当性」において「否」であれば、例外なく裁かれるべきだと原則論的にお考えですか?僕はそうは思いません。「情状酌量」は認められるべきだと思っています。どの程度の情状酌量が「妥当」なのかはケースバイケースだと思いますが、今回も自分の中の「妥当」に従ってネットでいろいろ発言してきました。
そもそもネット上でそのような「何が妥当か」という厳密なルールは作れないと思います。ネットには司法はないし(強いていえばプロバイダの強制退会ルールが法律かも知れません)「妥当」の感覚は、人によって違うわけですから。
強いていえば、各個人が考える「俺ルール」に従うことが、「ネットにおける表現の妥当性」でしょう。今回の話でいえば、僕は「配慮」が妥当だと思い、ナツさんは「公正」が妥当だと思った。それに従い、意見を言い合えば良いと思います。
そのうえで、「公共の妥当性」は論争や炎上の度に、はてブ等で「ギャラリー」が決めるでしょう。しかしそれはその議論1回限りのもので、法律のような絶対のルールにはなり得ないと思います。
【「正論は暴力」について】
>それならなんで「正論は暴力」という話を持ち出したんですか?これを言いだしたのはMasaoさんの方であり、間違いなく一般論です。
一条さんが僕に「正論」と言われたことに納得できない様子だったので、僕にあの発言が正論に見えた理由を説明するために書いた、と何度も書いています。一条さんのhttp://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20071116/p1がなければ、あの一文は書きませんでした。ナツさんは、一条さんには暴力の自覚があると思う、と書いていますが、僕は自覚していないと思ったから書いたのです(ただ、今は自覚していたのだろうと思っていますが)。それ以上の理由はありません。
また、記事本文でhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20071115/p1のブコメを取り出し「価値判断は入っていないでしょうか」と書いていますが、まず「正論だけど、気持ち悪いエントリだった」と価値判断をし、その説明のために「正論は暴力」だと思うからそう感じたのだと理由を書いているのです。文脈を無視しないでください。
【「言論規制」について】
>こういう決め付けで他の議論をも狭めることになったら大変だ、弱者(と認定された人)に何も言えなくなってしまう、人ごとではないと思ったので首を突っ込みました。
なぜ、「何も言えなくなってしまう」のでしょうか?「言いづらくなってしまう」というのなら、とてもよく理解できるのですが。記事でも書きましたが、僕が「正論は暴力だ」と言ったところで、「暴力だと知りつつ言う」ことはできます。僕にも誰にも、それを止める権限はありません。
「批判」「意見」と「規制」「禁止」を混同していると思います。現にナツさんの批判により、僕はいま「正論は暴力だ」という意見を言いづらくされていますが、これもナツさんによる言論の「規制」なのですか?そうは思いませんが。
僕もナツさんもやっているのは「ネット界隈に流れる空気により、自分が贔屓する立場からモノを言いづらくなったら大変だ」という単純な政治ゲームでしょう。誰も「規制」「禁止」などしていないし、その権限も持っていません。
【「判断するのは早すぎる」について】
>Masaoさんは他人が何か意見を言うと、「判断するのは早すぎる」といって判断を規制するのに、自分自身は色々なことを前もって判断してますよね。
「行動の判断」と「結果の判断」を混同していると思います。僕は「行動の判断」をして、はしごたん援護の立場を取りました。その結果が出るのはまだ先です。僕にもまだ「結果の判断」はできません。ナツさんは、あの発言で「結果」を判断されていますよね。だから「早すぎる」と言ったのです(ちなみにここでもナツさんは僕が『規制している』と言っていますね。この辺、なぜナツさんがこういう感覚を持つのか、やっぱりよくわかりません)。
ひとまずここまで。共依存については、ナツさんの主題とは違うようなので別に書きます。
【共依存について】
知っています。何冊か、境界性人格障害や自己愛性人格障害に関する本も読んでいます。僕の今回の行動がそれに当てはまる危険性が高いことも、自覚してやっています。
ただ僕は、身近にいる長年の付き合いのメンヘルの友人との関係から、「依存できる相手」が居ること自体は、患者にとってプラスに働くと考えています。「共依存」はその名の通り、「承認を与える側」までが患者の側に依存してしまうことで発生するのです。この点について充分気をつける必要があり、気をつけていても回避することが難しいことは、僕も認識しています。
「精神科に通え」という意見もあり、それはその通りだと思うのですが、精神科に通ったところで、実際に治療を受ける時間は週にほんの数時間であるとか、そういったレベルです。それだけで、患者が回復できるのでしょうか?僕はそうは思えません。精神科の治療にプラスして周囲の人間の理解と配慮が必要でしょう。
ただ、リアルならまだしも、ネットでまでそうした配慮を求めることの妥当性については、僕もハッキリした答えは持っていません。前のコメントで書いたように、「俺ルール」で各自が判断すべきことだと思います。少なくとも、今回の件に関していえば、僕は配慮するべきだと思ったので、そう主張した(もちろん、これに強制力を持たせることは誰にもできない)。そういうことです。
ついでに確認しておきたいんですけど、ナツさん、僕のこの記事って読んでますか?
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/11/post_d19a.html
一条さんが出てくる前に、はしごたんの件への僕の基本スタンスとして書いた文章なんですが。今ナツさんの記事読み返してたら、この記事読んでないんじゃないかって気がしたので置いておきます。
はしごたん(や宅間守)がしているのは、「加害者に対する正当な復讐」ではないことは承知のうえで、それでもなお残る被害者の「恨み」をどう処理するのが妥当なのかという話を僕はしていて(そして僕は、主に被害者が『我慢』することによって処理されている現状のシステムは、好ましくないと思っている)、ナツさんが論点としているはしごたんの「正当性」は僕の中では議論の余地なく「正当性はない」と思っています。
突然失礼します。Masaoさんへの返信になりますので、ナツさん申し訳ありません。
身近にメンヘラがいる立場のものとして、Masaoさんのとられた「配慮」という立位置はよくわかります。そして「配慮」する人と非難する人がいるというバランスが存在することで、hashigotan自身のバランスが保たれているということもよくわかります。
が、怖いのは「そのバランスをよしとされる」事で、それこそが共依存と言われる状態でしょう。
おっしゃるとおり
>精神科にプラスして
が重要です。そしてリアルの環境ではたぶんそのプラスは得られないのだと思います。
ですから、Masaoさんの立ち位置はとても重要です。とても高度な立ち回りが要求されるところでもあります。
しかしながらもっとも重要なのは「精神科にプラスする」という事ですよね。つまり周囲の環境や配慮だけじゃ回復しないこと、それを本人にどう自覚させるのか。その立ち位置を選んだMasaoさんに対して、他者から求められるのはその姿勢でしょう。
そこまでできない、私は彼女がネットに存在できる場所を確保するためだけに配慮をする立ち位置だ、と言うのであれば今すぐかかわるのをやめるべきでしょう。
私は今メンヘラのパートナーと生きています。彼女は今必死で生きています。私も彼女と生きるために試行錯誤を繰り返しながら必死に生きていると思います。
今あなたはhashigotanに「世の中を救える」とまで思われています。世の中は言い過ぎとしても少なくともhashigotanが貴方に救いを見いだしていることは確かだと思います。それに答える覚悟がおありですか?今ここで「Yes/No」でお答えする必要はありません。返信も不要です。結論を見せることはあまりいい影響を与えないと思いますので。
ただし、少なくともekkenさんはこの問いに正面切って「No」と答えるぐらいの覚悟はもってると思います。
・fjskさん
おっしゃること、よく分かります。ここでは、「自分の立場の難しさは理解しているし、それなりの覚悟をもって試行錯誤していくつもりです」とだけ、曖昧にお答えしておきます。これは、すぐに結論を出せる話ではないし、僕もはしごたんも流動的な存在ですから……お察しください。
>Masaoさん
>【「言論規制」について】
おっしゃる通りネットで何言おうがそれは個人の自由だと思うし規制されるべきだとは思いませんがナツさんが警戒してるのは現状ではなくて将来的な危惧ではないでしょうか。
ろくにお互いを知りえない人間同士が文字だけを使ってやりとりする以上発言になんらかの客観的な裏づけがなければ(それが裏付けたり得てるかは個々人が判断するものですが)それこそ主観と主観のぶつけ合いで議論にすらなりえない訳です。
仮にこの先特定の理由付けを以って(この場合は弱者認定ですが)感情論が正当化され論理的な意見を圧するようになったら「言いづらくなる」どころか議論が「立ち行かなくなる」のは明白なわけで考察系サイト運営者としてこの手の意見に警戒感を強めるのは自然な反応だと思いますが。
●Masaoさん
>なぜ、「何も言えなくなってしまう」のでしょうか?
>「言いづらくなってしまう」というのなら、とてもよく理解できるのですが。
「お前は正論の暴力で弱者いじめをするいじめっ子だ」とレッテル貼りされた人間が、言いたいことを言ったところで、その言葉はすべて「いじめ」とされてしまうだけです。
言葉の本質があらかじめゆがめられてしまうのに、「自由に発言」していることになりますか? 「自由にいじめている・自由に説教している」ということになるだけです。だから前のコメントで「言説の内容のみで判断されるべき」と書いたんです。
今回の場合、hashigotanさんに「弱者」というレッテル貼りをせず、一条さんに「強者」というレッテル貼りをしなければ、「正論の暴力」「説教」などという言葉は出て来ないはずなんです。互いに自分の正しいと思うことを言ってるだけなんだから。
そこを認識していないと、Masaoさんはまた同じことを繰り返すだけだと思います。単なる事実を指摘するつもりで、「お前は強者だ」と、他人にレッテルを貼ることになってしまいますよ。
>僕は「配慮」が妥当だと思い、ナツさんは「公正」が妥当だと思った。
>例外なく裁かれるべきだと原則論的にお考えですか?
なんだかまだ前提条件がズレてる気がするなあ。わたしは「強者も弱者も公正に裁け」などと言っているわけではありません。「ネットの発言においては強者も弱者もない。対等だ」という話をしています。ブロガーとして格差はないんです。ギャラリーに賛同者が多いから「強者」に見えて「まいのりしい」を感じるって、それは発言者の責任ではありません。
Masaoさんも後で、自分の「配慮」が「完全な情」によるものだということを認めていましたよね。それなら納得できるんですよ。配慮の論拠としてhashigotanさんを弱者・被害者と位置づけ、一条さんや他人にまで認めさせようとするからこじれたのだと思います。
hashigotanさんが「情状酌量」されるべき「弱者」だというのはMasaoさんの主観では自明なのでしょうが、他の人にとってはそうではない。そこからして議論が紛糾するのは当然です。それを「枝葉末節」と切り捨てる方がおかしいのです。
>「批判」「意見」と「規制」「禁止」を混同していると思います。
Masaoさんの言葉が「規制」ではないというなら、わたしや一条さんの意見も「裁き」や「説教」ではありえませんよ。どちらもそんな権威はないのだから。「そういう風に聞こえる」というレベルの話でしょ?
つまり、そういう言い方をするならば、あなたも「批判」「意見」と「裁き」「説教」を混同していると言えます。自分を棚に上げないでください。
>「行動の判断」と「結果の判断」を混同していると思います。
詭弁だなあ。「共感と説教のどちらがベターか」というのは、どちらが結果的に彼女の心を癒すのか、判断しているということでしょう。その判断なしに、何が「ベター」なんですか? その行動が「結果的に」何をもたらすものかを「判断」しなければ、良いか悪いかなどわかるわけがないじゃないですか。
>「俺ルール」で各自が判断すべきことだと思います。
そうですね。他人にまで俺ルールを強制することはできない。でも「じゃ、どーすんの?」と他人に「目的意識の共有」を迫っている時点で結果的に強制していたから突っ込まれてるんじゃないでしょうか。
「"俺は"配慮する」「"俺は"はしごたんと友達になる」という決意表明だけで、いいじゃないですか。
「厳密なルールを作れ」などと、言ってもいない話を勝手に作ってそれに反論されても困りますので、このへんは省略。妥当性を論じ合うことはルール作りとは無関係です。
上記の問題については、正直ごちゃごちゃした詭弁としか思えませんが、Masaoさんの立ち位置についてだけはストレートに書かれているので理解しました。「はしごたんを自分の力で救う」、それはそれで立派なスタンスだと思います。
ただ、それならやはり、おかしな方向から一条さんに石を投げる前に、サクッと「はしごたんとお友達」になれば良かったと思うのです。「情による哀れみ」だというのなら、わたしもしゃしゃり出てきたりしませんでした。
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