loading ...

2007年12月26日

許されざるもの

● 一日遅れだけど季節モノの写真公開。


もらいもののフラワーアレンジメントと冬毛のマイスイートハニー。昼間なので目つきが悪いが、夜はもっと目がまん丸で可愛いんだ!(と力説)
この花は造花じゃないです。こういう飾りの毛糸の帽子みたいに見えるけど、ナマモノ。りんごも食べられそう。


障害者を馬鹿にした芸人『スパルタ教育』に非難の嵐

障害者を馬鹿にしたネタが『ニコニコ動画』や『YouTube』などの動画共有サイトに出回り、波紋を呼んでいる。 問題となったのは“スパルタ教育”という芸人がライブで行った映像を録画したもの。 動画自体は51秒と短いのだが、始終障害者を差別した内容となっている。 この動画をみた多くの人から苦情が寄せられ、スパルタ教育のサイトに謝罪文が掲載された。


youtubeで問題の動画を見てみましたが、ぜんぜん笑えないし下らないだけなのでリンクは貼りません。確認したい方は各自検索を。


このニュースを見て思いだしたのが、2ちゃんねる等でかなり以前から出回っているコピペ。
「電車の中で知的障害者を見たので、その人の隣に座って、同じ格好をして障害者のフリをしていたら、どこかのおじさんがやって来た。彼は、自分と障害者の両方を見てしばし考えたあと、本物の障害者の頭を叩いて『障害者の人をバカにするんじゃない!!』と言った」
こういう内容のコピペである。実話か作り話か知らないが、不謹慎きわまりないし、それこそネット以外のメディアではとても公開できないのだが、このコピペの方はかろうじてブラックユーモアが成立していると言える。
「障害者を傷つけるようなことはしてはいけない」という教条的信念を持った人が、その融通のきかなさのために、結果として自分が障害者を傷つけるような言動をしてしまう現実を皮肉った喩え話とも思えるのだ。そう解釈すれば、毒と風刺の効いたブラックジョークになる。
ただ、その真意を正しく受け取る人がどれだけいるかわからないのと、真意がどうあれ障害者の人が見れば不快だろうという社会的良識がはたらき、やっぱり匿名掲示板のコピペ以上のものにはならないのだけど。


それに比べて「スパルタ教育」のネタは、風刺もなければ真意もない。「公共の場でウンコして見せた俺はすごい。誰もできないことをやってのけた」レベルの自己満足でしかないのがひどい。赤ん坊の泣き声がウザイから殺したいとか、障害者が騒ぐのがウザイからどうのとか、最近この手のひどい言説がよく目につくんだよなあ。


要するにこれって、公共の場で欲求を解放することを「承認されている」存在に対する嫉妬心ではないか、と思うわけです。でもそういう人は、自分も赤ん坊の頃はそれを許されていたから今生きているんだという重大な事実を忘れている。それの許されなかった運の悪い赤ん坊はとっくに殺されてますよ。「泣きやまないのでイライラして強く口を押さえていたら窒息して死んだ」とか供述してる子供殺しの親が大勢いるじゃないか。
ああいう悲惨な事件がニュースで絶え間なく流れる昨今、ちゃんと泣かせてもらって、「よしよし」と鷹揚にあやされている赤ん坊を見ると、わたしはむしろホッとするというか、気持ちが安定するんだけど。


「今の自分」には許されないことが、赤ん坊、あるいは障害者という社会的に承認された弱者には許されている。そのことが無意識下で気に入らない。自分が許されて来たんだから今度は自分が許す番。どうしてもその順番を受け入れたくない、許されてきたという実感がない、いつまでも自分だけが特別扱いされる弱者側でいたいという「しがみつき」が、「許されている弱者」に対する怒りを煽る。
通り魔や無差別殺人事件において、(無差別のはずなのに)女子供老人が犠牲になる確率が高い理由もここにある。


確かにわたしも小さな子供が公共の場でギャーギャー騒いだままほっておかれてると、「うるせー!」と腹が立つ。しかしそれは、バイクの騒音や、黒板のキイイーッというひっかき音に対する生理的反応とあまり変わらない。つまり、騒音に対する怒りである。(それを放置している親に対する怒りもあるけどね)
しかし、バイクの騒音はぜんぜん我慢できるのに、子供や赤ん坊、障害者という「弱者」の発する、欲求を制御しない騒音にだけは殺意を覚えるほど苛立つというのであれば、それは単なる「騒音に対する生理的反応」とは異なる。「承認され、ありのままの自分でいることを許されている存在」に嫉妬していることを意味するものではあるまいか。



そして弱者になりたがる「なんちゃって弱者」が、本物の弱者を攻撃することに苛立つわたしにも、そういう幼児性を臆面もなく解放してはばからない人間に対する妬みみたいなものがあることは言うを待たない。
だからといってわたしは弱者として哀れまれるのなんかまっぴらだし、そもそもエセ弱者の攻撃性は社会的に承認されているわけでもないので、「無自覚な人って羨ましいよなー」という感慨以上のものにはなり得ないのですが。
(性格が悪いと言われたので、またここに憎まれ口置いておきますね)



追記:いろいろ誤解されているようなので明確にしておきたい。


わたしはエセ弱者様の攻撃そのものではなく、「スタンス・立ち位置」が気に入らないのだ、と主張している。弱者の殻に逃げ込まず、対等に世界と対峙して発言するなら、罵倒でも嘲笑でも攻撃でもなんでも好きにやればいいじゃないか、というのがわたしのスタンス。じっさい、そういう毒舌ブロガーは大勢いる。
「罵倒そのものが論点」ということにすれば、「お前だって言葉が汚い」とか、「お前こそ上から目線で茶化してる」とかいう泥沼の言い合いに引きずり込めるので、問題をすり替えようとする人が必死なのはわかりますが、わたしは対等な立場で叩かれる覚悟があって攻撃を繰り返している人には、言説の是非はともかくとして、ある意味感心しているので。


悪意をばらまいては批判されるたびに、「誰も俺の苦しみをわかってくれない。これはコンプレックスを持った弱者への暴力だ」とか、なんだってこの期におよんで泣き言を言うのか。
自分が他人を攻撃したり嘲笑するときは、「どうせリア充はこれくらいでは傷つかないだろ。俺よりコンプレックスはないし、幸せそうだからいいだろ」と勝手に決めつけ、人の気持ちなどこれっぽっちも考慮しないくせに。「だったら、アフリカの飢餓難民よりあんたは幸福なんだからいいだろ。それで満足しろ」と言われたらおしまいだということがわからない。
この無自覚な傲慢さ。これが笑わずにいられようか。


「俺が世界でいちばん不幸だから幸福なお前らは気を遣えメソッド」には、もううんざりであります。



 blogランキング参加中

投稿者 : ナツ at 2007/12/26 | カテゴリー : 気になるニュース・ネタ , 心理
コメント

投稿者 : marineko at 2007年12月26日 19:40

きゃっ。はじめましての猫写真。「もも」ちゃんだっけ?いやん、太ってないじゃない〜。むしろ、あごのラインなんか、さすが女の子らしくほっそりした印象。ちょっと恥ずかしそうな(?)表情がいいですねー。
猫の目はさー、これでいいんです(と力説)。私もなんとか真ん丸に撮れないかと思ったけど、でも、これがほんとの猫の目だもん。だから、もうこのままで可愛いの。真ん丸お目目の可愛さを見られるのは飼い主の特権だと思うようにしたわ。

ところで。
マジな話、なんで「弱者になりたがる人」があとからあとから出てくるのか、わっかりませーん。だって、この事件みたいに、弱者って、そんなに守られてもないし、やさしくされてないもの。似非弱者というか、それで利権をむさぼっている人たちというのはまた別の話としてね。日本もアメリカも、本当に弱い立場の人には冷たい国だと思うよ。
ああ、そうか、たんに「弱いから優しくして」じゃなくて、「傷ついてるから(心が弱いから)優しくして」ということなんですよね。んー。
あのね。残酷なようだけどさ、
「誰も俺の苦しみをわかってくれない。これはコンプレックスを持った弱者への暴力だ」
っていうのは「コンプレックスをもった自分を特別扱いしてほしい」という甘えでしょ。それをふりかざしてみても、
「どうせリア充はこれくらいでは傷つかないだろ。俺よりコンプレックスはないし、幸せそうだからいいだろ」
という、まさにその通りなのよ。事の是非はおいとくと、幸せな人というのは、傷つかない。ダイヤモンドが傷つかないように、その人自身が輝きのなかにいるから、ちょっとくらいの悪意を投げつけられても(しかもネットで)、芯から傷つくなんてことはない。生きてる層が違うから、「まあ、なんてお気の毒。こういう人たちもいるのね。でも、こう離れていては、何もしてあげられないわ。ごめんなさいね」と、大半はすれ違い。
だからね、虚しくないのかなーと思うの。ちょっとでも「傷つける力がある」なんて勘違いしてるほうが、余計に傷つく結果になるでしょ。ただ、見た目では「ほんとうに幸せな人」と「幸せになるために頑張ってる人」の区別がつきにくいことが問題で、往々にして、後者の方に災難が押し寄せる場合が多いと見るわけ。数的にも前者のダイヤモンドは少ないしね。
結果的に、「幸せでないもの同士の足の引っ張り合い」ということに。それが馬鹿馬鹿しいことだと認識されないうちは、ダメじゃない?
「この無自覚な傲慢さ。これが笑わずにいられようか。」
ってナツさんは言うけど、私はものすごーく惨めだと思うな。私がその立場だったら、ものすごーく惨めに感じるだろうから。だって泣こうがわめこうが脅そうが、ダイヤモンドは傷つかないし、ましてや手にも入らない、触れもしない存在なんだもの。
端で見ていて泣けてくるほど惨めなのに、どうして本人だけが気づかないの?って話ね。


投稿者 : kotarou365 at 2007年12月26日 20:26

こんにちは^^
スパルタ教育のネタ見ました。笑いに来る客にしかうけませんね。私は妊婦のときバスの2人掛けシートに座っていたのですが、降りる時のことを考えて通路側に座っていたらある知的障害を持った少年が言葉にならない言葉で何か訴えてくるので奥の席に座りたいのだと思って「どうぞ」と勧めたら私を押しのけて友だちを連れて来て2人で座った・・・・・ボー然
知的障害者だからって許されることとそうじゃないことがあることをその場で説教しなかったことを今になって悔やんでます^^;
追記が必要になりましたか。必要ないと思うのですがねぇ。


投稿者 : 鳩子 at 2007年12月27日 00:37

ももさん美人さん。これで太ってるのですか?むしろスリムな方に見えるんですけど。
にゃこは目の保養になるので、普段犬派なんですがカレンダーとかは前部猫写真です(犬は動画が好き)。

で。
似非弱者になるのって、すごく楽です。
嫉妬心に気が付くのも認めるのも、なぜ嫉妬しているかとか、何に嫉妬しているかとか考えるのは辛くて苦しいです。
それよりも「私は我慢しているのに、あいつは自分勝手にやりたい放題やっていて、しかもそれを当然のことだと思っている。抑圧されている私は被害者だ」とか考える方が楽。ついでに「被害者で弱者な私の意見や主張はもっと大事にされるべきだ」とか考えながら愚痴りあったりするのは楽しいです。
まりねこさんの「マジな話、なんで「弱者になりたがる人」があとからあとから出てくるのか、わっかりませーん。」てのには、自分の嫉妬なんかに気が付かず、引き受けないまま、ぐずぐずと何も変わらずに拗ねていた方が、楽だからこそ、弱者になりたがるっていうことなんじゃないかしらん。

以上は、私が似非弱者化する際の状況です。「楽な気がする・楽しい気がするから」弱者になりたい。
…でも楽な気がするだけで、ずっとイライラぐずぐずで実は無駄にエネルギー食います。自分を慰めるにしたって効率悪いです。自分も周囲も変化なんてないし、そうしているうちに幸せな人はどんどん幸せになって被害者な私を置き去りにしていく。昨日まで弱い私の意見に耳を傾けてくれた人すら、鬱陶しそうに去っていく。あんな優しさも気遣いもないやつだなんて思わなかった。…ってなっちゃいました。
無駄な時間です。

「誰も俺の苦しみをわかってくれない。これはコンプレックスを持った弱者への暴力だ」とか言うのは楽な気がするんですけど、本当に効率よく自分を救済したいならば、一時の楽で楽しい感じに誘惑されず、自身の嫉妬心を承認し、大事にした方がいいんですよね。
似非弱者化の効率の悪さに気が付いていない人には「それマジ長期的に見ると損が多いよ」と言いたいんですけど、気が付いているけど一時的に楽だからという人は…うん、どうしましょうか…。似非弱者としての一生って、一種の自殺だと思うんですけど。

ちなみに。「だったら、アフリカの飢餓難民よりあんたは幸福なんだからいいだろ。それで満足しろ」と言われたら、「周囲と一緒に餓死するより、幸せな奴らに囲まれて日々コンプレックスを逆撫でされている方が不幸だ」と返してくるのが似非弱者だと思います。


投稿者 : ナツ at 2007年12月27日 00:40

●marinekoさん
親バカなので、猫を褒められるとニヤニヤする自分きめえ。ホントは太ってるんですよ6kgだもん。女の子だから痩せて見える写真を選んだんですの。どうしても我慢できなくなるまでは、ウンザリした顔をしつつも撮影に付き合ってくれるのが猫のタマラン所です。

>「弱いから優しくして」じゃなくて、「傷ついてるから(心が弱いから)優しくして」
真実突いてますねー。でも、同じ傷を抱えた不幸な者同士、傷を舐め合うことはできますよね。たとえば、非モテというカテゴリ内で共感し合ってある程度癒されている人たちもいるようですし。
ただそれでは満足できないから「幸福な人」に向かって、「そんなに余裕があるなら俺を気遣ってくれよ!」と叫んでいるわけで。つまりまず先に「幸福な人たち、持てる者たちに振り向いて欲しい」願望があって、その要求が満たされないから怨念に変わったんじゃないかな、とも思えます。単純な「持てる者への嫉妬」だけではなしに。
とはいえ、単に「私は確かに幸福だけど、不幸なあなたはかわいそうね」と同情しただけでは収まりが付かないというか余計恨まれるだけ。最終的に要求しているものは「持てる者からの(恋愛による)承認」ではないかと思うわけです。・・・持たざる者、非モテ同士ではどうしても承認欲求が満たされないらしい。

>私がその立場だったら、ものすごーく惨めに感じる
普通は誰しも、「こんな生き方だけは嫌だ」「こんな風に生きたい」という理想や自己規範があって、完璧には無理でもそれに従って生きるわけだけど、彼らにはそういうのがないんだろうなあ、と見ていて思う。理想があったとしても「こんな風に他人にして欲しい」という要求だけで、「自分がどう生きるか」ではない。理想がないから「理想とは逆のことをやってる自分」というのもないので自己嫌悪も感じない。それが不幸の源泉だと思います。


●kotarou365さん
>知的障害者だからって許されることとそうじゃないことがあることをその場で
>説教しなかったことを今になって悔やんでます^^;
それは悩ましいですね。どの程度の障害かというのも問題ですが、友達を座らせる気遣いができるくらいなら、ちゃんと言い聞かせれば、妊婦への配慮も必要だという理解はできそうです。周囲の大人がそういうことを教えてこなかったのかな。
追記は、他のエントリのブクマを見ると誤解がありそうだったので、あえて書いておきました。論点すり替えられるのが嫌ならスタンスを明言しておくに限ります。


投稿者 : marineko at 2007年12月27日 08:38

おはようございます。
えー、撮影につきあってくれるの?いいなぁ〜。うちのオコタンなんかなぜかカメラ嫌いで、すぐ逃げるし、こんなカメラ目線の写真、なかなか撮れない。もっと慣れさせなきゃだわ。

ところで。
私、今回の鳩子さんの書き込みを読んで、目からウロコが十枚ぐらいボロボロってはがれたわ!

>「楽な気がする・楽しい気がするから」弱者になりたい。

この心境をここまで易しく解説してくれれば、私にでもなんとか想像がつくというもの、鳩子さん、ありがとう。

>似非弱者としての一生って、一種の自殺だと思うんですけど。

これもなんとなくわかる。身体は生きてるけど、ほんとうの魂、喜びを感じる魂を殺しているという感じね。

>「周囲と一緒に餓死するより、幸せな奴らに囲まれて日々コンプレックスを逆撫でされている方が不幸だ」

うーん。さすが。知ってるからわかるのね。

いやぁー、それにしても、「そのほうが楽だし楽しいから」っていう発想は全くなかったわ。だってみんな自称弱者の人って、苦しい辛いって言ってるから、それがいかに稚拙であれ、時にはた迷惑であれ、本人的にはすごくしんどいのかと思ってた。で、なんでそんなしんどい状態を少しも改善しようともしないで続けてるのかわかんなかった(周囲への甘え、露悪趣味以外に)。もちろん、鳩子さんの提示してくれたのは一つのタイプなんだろうけど、でも、近似な人がたくさんいそうね。いやいや驚きました。これって個人差?私やっぱり時代の影響もあると思うな。それを書くと長くなるので、まー、自分とこでエントリにします。


投稿者 : kotarou365 at 2007年12月27日 20:19

>どの程度の障害かというのも問題ですが、友達を座らせる気遣いができるくらいなら、ちゃんと言い聞かせれば、妊婦への配慮も必要だという理解はできそうです。周囲の大人がそういうことを教えてこなかったのかな。


そうか、そういう考え方もあるな〜
(友達を座らせてあげる気遣いね)
その時の障害者の子は上手く言葉に表現できない感じで体を見る限りでは丈夫そうでした(でも本人じゃないからもしかしたら体に障害もあって立っているのが辛かったのかもしれないね)でも私もその時は切迫流産しそうで絶対安静だったから座って居たかった^^;

先に手を打つのも名案ですね^^


投稿者 : イカフライ at 2007年12月27日 20:29

 少し話がずれるかも知れないのですが。
ある知人が「いつのまにネットに自称弱者げ増えたんだろう?」と言っていたことがあるんです。
 彼がネットを始めたのは10年ちょっとくらい前らしいのですが、その当時は鼻持ちなら無い自慢屋さんが多かったらしいのですよ「俺はエリートだ」的な。「そんなエリートなら忙しいはずなのに、なんでこんな早い時間にカキコミできるんだ、プッ」みたく笑い返す場面がよく見られたんだけど、いつの間にか「俺の不幸自慢」が幅を利かせてきた。自称メンヘラーも多いですね、自称・自称と決め付けているようですが、ネットのカキコミだけじゃ解らないですからね。
 エリート自慢も鼻持ちならないけど、まだそれは理解できる、でも、自分をそんなに情けないヤツにして何が楽しいんだろう?とその人は言っていたのですが、もしかしたらこれって同じ心理の裏返しかもしれないですね。


投稿者 : 空 at 2007年12月27日 22:56

ああ、ももちゃん可愛い〜いいなーいいなー猫画像は〜vと、思って続きを押したら、『うわぁ』という内容でした。
件の障害者を馬鹿にした芸人〜の動画は観ていませんが、心底嫌な気分になりますね。
『俺はタブー視されてる障害者の罵倒をやったんだぜぃ、お前らこんなこと出来ないだろ?』
とか、何か勘違いしちゃったんじゃないかなぁと邪推したり。
ちょっと見る気にはなれません。
(話は横に逸れますが『おそいひと』という映画の予告を観て固まってしまった私。障害者をこういうカタチで主役に据える映画は凄いと思うし、良し悪しは別にしても力のある映像だと惹きつけられちゃうし、つい観てしまうんですけど)
許されてる弱者に対する怒り・・・かぁ。
十年ちょっと前だったんですけど、実家の方で、赤ちゃん連れのお母さん(周囲に人いない時)に向かって『幸せそうにしてんじゃねぇよ!』と怒鳴って逃げる不審者(中年男?)が出る〜なんて話を聞いたことがあります。
(注意しましょう〜って回覧が回ってたらしい)
その時は意味不明なことするヤツがいるもんだなぁ、でも怖いよね、で終わったんですが。
今回のエントリを読んで思い出しました。
・・・『そういうこと』だったのかもしれないなぁ。
反撃してこないであろう母子連れに理不尽に向ける罵倒。
弱者であることを理由にして他人に悪意を向けてる人は結局こういう歳の取り方しか出来ないのかもしれませんね。


投稿者 : 花咲正直 at 2007年12月28日 00:38

初めてコメントさせてもらいます
通り魔みたいなひとには人間を自分より強いか弱いかだけでしか判断できないタイプがなりやすいらしいです。
だから自分より強いと認識したひとには極端に媚びたり自分より弱いはずのこどもが自分を(無条件で)敬わないと殺意を抱くらしいです(敬われないと自分がガキ以下となるので)

自分は幸せも不幸も感情の一種なので永続するものではないし自分の中でしか解決できないものだと思っています。


投稿者 : ナツ at 2007年12月28日 01:00

●鳩子さん
もものお腹はぷよぷよで触ると気持ちがいいっす。いつかそれも公開しますね。メタボ。
犬動画ならこれはどうですか? 犬社会の序列は猫とはまるで違うので面白いです。
http://jp.youtube.com/watch?v=0HNKIGhALQY

>「楽な気がする・楽しい気がするから」弱者になりたい。
自分で書いてらっしゃる通り、「気がする」だけですよね。わたしも同じ精神状態になったことありますが、自分を変えるより楽(なはず)だとは思ったけど、楽しくはなかった。「みんなの方がおかしいのになぜ正しいわたしが変わらなければならないの?」「変わったら負けだと思ってる」みたいな下らない意地まで出てきたら、もうおしまい。友達も潮がひくようにいなくなりますね。
「弱い者の方が正義」という価値観が勧善懲悪型の物語のデフォですが、周囲を悪者にして自分が正義だと思い込むために、「弱者」になりたがるという側面もあるかと。

>「周囲と一緒に餓死するより、幸せな奴らに囲まれて日々コンプレックスを逆撫でされている方が不幸だ」
鋭い。言われてみればその通り。この期に及んでも「自分がいちばん不幸」と言い続けるくらいの根性がなければ、エセ弱者なんてやってられませんね。これって間違った平等教育の成果?

●marinekoさん
>撮影につきあってくれるの?いいなぁ〜。
「かわいいねー!いい子だねー!だいすき!ももって最高っ!世界でいちばんの猫!!かつお節?ごはん??」
全面肯定と絶賛に「食べ物」の単語を交えつつ注意を惹きながら、こっちを向いた瞬間にシャッターを押す。どこかへ行こうとしたら止めれば、諦めて仕方なさそうにジッとしていてくれます。マジで「うぜえ!」と怒ったら噛まれますが。
オコタンは何色でしたっけ?鼻と肉球がピンクの猫にも憧れがあるんだよなー。ももは黒いし・・・黒くても肉球はぷにぷにしてて可愛いけど。

●kotarou365さん
たとえ本当の弱者であっても、通る要求と通らない要求がある、ということははっきりさせておかなきゃですよね。自分以外の弱者に対する敏感さも必要。周囲が「あんたが一番可哀想」という態度で甘やかしていたら、いつまでたってもそういう世界観は身につきそうにありません。

●イカフライさん
>その当時は鼻持ちなら無い自慢屋さんが多かったらしいのですよ「俺はエリートだ」的な
10年前と言えば、わたしもネットを始めたばかりの頃ですが、それは気づかなかった。でも、自称弱者よりそっちの方がまだましだなー。どこかかわいげがあるし、「バーカバーカ」と茶化しても、「お前は弱者を笑い物にする醜悪な性格」と深刻ぶって断罪してきたりはしないでしょ。頓狂な主張をしていたら弱者だろうがエリートだろうが嘲笑されると思うんだけど。
「ネットの書き込みだけじゃ解らない」のは自称エリートも自称弱者も同じですが、前者は「ウソつけ」と言えるけど、後者は疑ってはならない、みたいな空気がありますね。
わたし的には、不幸自慢でもなんでも好きにすればいいと思うんですが、それを担保にして他人に要求をごり押しするのはやめろ、と思います。ただの自分語りなら特に害はないわけだし。「可哀想ね」くらいの同情や共感で十分満足できるなら、傷を癒すためにも自分語りは意義がある。それ以上のこと(特別扱いなど)を要求するのはアウト。
エリート自慢は他人に何も要求できないし、特別扱いどころか反発を食らうだけなので、かまってちゃんには物足りなかったのかもしれません。

●空さん
猫嫌いとか犬派の人は「目つき怖い」って言うんですよ・・・あんなにかわいいのに・・・。顔の隈取りとか目の上の模様がキツイので怖いらしいです。怒ってるような顔でも、側に近寄ったらぐるぐる言ってて機嫌良いのに。

>『幸せそうにしてんじゃねぇよ!』と怒鳴って逃げる不審者(中年男?)
出たよリアルはしごたん・・・。数年前に、愛知のスーパーでベビーカーの赤ちゃんの頭に包丁を突き刺し、その子の姉の三才児にも暴行しようとした男が逮捕されましたが。たまたま近くにいた20代の女性(他人)が、女の子の体の上に覆いかぶさって守ったため、この子の方は殺されずに済みました。女性は顔や背中を蹴られて軽傷。
この犯人の場合、20代の女性にすらも殺意までは抱かず、ひたすら赤ん坊と幼児という絶対的弱者だけを狙っているところが怖ろしいです。
ネットで流行の女性嫌悪も、社会的に守られ、保護されているように「見える」が故の憎悪という側面がありますけども。そして、これらの憎悪を抱く者はおおむね負け組男性ばかりという共通点が。


投稿者 : marineko at 2007年12月28日 08:59

ひぇー、何その手なづけよう。うちはダメ。私「可愛いねー、だいすきー」オコタン「またかよ・・・」って感じ。
>諦めて仕方なさそうにジッとしていてくれます
これもないない。寝てるときか、箱座りしてるときぐらいね。カメラ向けてもじっとしてるのは。
ちなみにオコタンは黒っぽいキジトラというの、それに額から八割れに胸からおなかまで白くなってる。まーうちのブログ見てみて。手足は完全な白ソックスじゃないので、肉球はピンクと黒があり。しかし肉球フェチな人多いねー。私は肉球より耳触るのが好きなんだけど。
お鼻はピンクだよーん。べつにそんなこと気にしてなかったけど、人が「お鼻がピンクで可愛いね」と言うので、そうか、確かに可愛いかも、と気づいたしだい。寒くなると白っぽくなって、運動したり暖かいとピンクが濃くなります・・・って猫の話ばかりですみません。


投稿者 : ナツ at 2007年12月29日 00:44

●花咲正直さん
>自分より弱いはずのこどもが自分を(無条件で)敬わないと殺意を抱くらしいです
それだと赤ん坊を殺すタイプの通り魔の説明はできないような。相手が幼児にしても、話もしないでいきなり攻撃・・・では、敬おうにも敬うヒマがないですよね。

>幸せも不幸も感情の一種なので永続するものではないし自分の中でしか解決できない
つまりは自意識の問題ということですよね。非モテ問題に関しては同意です。承認欲求が満たされないのは不幸ですが、それを基本的人権として社会に要求することはまず不可能なので。

●marinekoさん
>私「可愛いねー、だいすきー」オコタン「またかよ・・・」
愛に慣れすぎてますね・・・。うちはまだ愛情表現でコミュニケーション取れてますよ。目が合うと、互いに目をパチクリしながらアイコンタクト。それから「ももはかわいいねー」「なあに?」とか話しかけると、「あぁん♪」というかすれた高音の甘え声で返事します。もちろん喉はゴロゴロ。
そのかわり機嫌の悪いときにしつこくかまったら噛み付きひっかき攻撃が。「嫌なものは嫌」と意思表示されるのは小気味良いんですけどね。人間の方が立場強いから、そこはハッキリしていた方がいい。

オコタン見ました!お腹出してゴロニャンしてるのかわいい〜。顔の模様がすごく個性的。口元だけ白いのはうちのも含めてよく見るんですが、あんな風に鋭角的に三角になってるのはあまり見たことがない。肉球の色も違うなんてふしぎ!


投稿者 : ulu at 2007年12月29日 01:50

ナッちゃんさ、何度も言って悪いんだけどさ。コメント付けやすいようにもう少し内容ごとに区切って、記事を別にしてくれよ。
だいたい、モモちゃんのカテゴリー枠を作っていいくらいだろう、この可愛らしさわ。

それにしてもこの写真は凛々しいなぁ。この写りだとぱっと見がスリムに見えるけど、
お尻へのラインから察するに、相変わらずのぽっちゃり体型みたいね。
人に換算したらかなり姉さんな年齢になっただろうに、元気そうで何よりだわ。
ま、目つきがキツイのは、飼い主に似たせいだからしゃーないだろ。


投稿者 : 山中馬のすけ at 2007年12月31日 00:55

イカフライさん
>でも、自分をそんなに情けないヤツにして何が楽しいんだろう?とその人は言っていたのですが、もしかしたらこれって同じ心理の裏返しかもしれないですね。
きっと自称弱者宣言はあくまでも手段であって目的ではないんでしょうね。
「弱者を攻め立てるのは間違ってる」と相手の追及を防ぐための盾として使ったり、逆に「弱者だからこそ優遇されて然るべき」と自論を押し通す武器として使うことで、ネットでの“事実上の強者”になるのがその目的のような気がします。
だとしたら仰るとおり10年のうちにアプローチの仕方が真逆になっただけで意図するところはなんら変わってない感じがする。
年寄りが「わしは年寄りなんだからもっと優しくせい」と好き勝手やったくせにそれを諭されると自分の行為を棚上げにして「か弱い年寄りを苛めるなんて酷い奴じゃ」ってわめき散らす構図が浮かびます。
手法としてはかなり古典的だ(´Д`;)

ナツさん
>わたしはエセ弱者様の攻撃そのものではなく、「スタンス・立ち位置」が気に入らないのだ、と主張している。
>弱者の殻に逃げ込まず、対等に世界と対峙して発言するなら、罵倒でも嘲笑でも攻撃でもなんでも好きにやればいいじゃないか
弱者を理由に自分だけ安全なところから石を投げるじゃやっぱり説得力に欠けますよね。
本当に弱者問題を訴えたいというよりは単に発言を正当化するために弱者宣言してるんじゃないかと感じてしまいます。
方便として都合よく弱者を持ち出すのは捨て身で弱者問題に取り組んでる人にも失礼だと思う



投稿者 : ナツ at 2008年1月 2日 01:24

あけおめことよろです。今年もどうぞよろしく。

●うるちゃん
>コメント付けやすいようにもう少し内容ごとに区切って、記事を別にしてくれよ。
え〜だってめんどくさいんだもん。つーか、ももの写真はおまけという意識だったんで、猫好きの人からコメントが入ることを考慮していなかったわ。
ももカテゴリーか・・・。可愛い可愛い言ってるわりには、あまり写真を撮らない方だからな〜。自分だけ見てりゃいいか、みたいな感じで。
ももは11歳のはず。だんだん記憶が曖昧に。あいかわらずにゃーにゃー自己主張がうるさいしトイレのあとは興奮して走ってるしで、年取ったって感覚がないんだよね。どんなに太っても仔猫時代から変わらないマイスイートハニーだし。

>ま、目つきがキツイのは、飼い主に似たせいだからしゃーないだろ。
勝手なことゆうな。わたしには隈取りなんかない!


●山中馬のすけさん
>方便として都合よく弱者を持ち出す
そうそう。非モテ問題において「弱者」になるってことは、多数派の価値観を正常と認めて、それに対して自分は欠陥があると主張しているも同様です。でも、恋愛できないことは欠陥だと「他人から」言われると怒るわけでしょ。自分から弱者宣言してる時点で「みんなができる・やらなければならないことが自分にはできない」という意味になることが解っていないんじゃないかなあ。だから反論や批判を回避する為の方便に見える。



コメントする


トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:

トラックバック

「俺が世界でいちばん不幸だから幸福なお前らは気を遣えメソッド」にどう対応したらいいのだろう? from どんなジレンマ
猫さん可愛いですね、こんにちは。id:NATSU2007さんの下記記事拝見しました。 ★ 電脳ポトラッチ: 許されざるもの 「俺が世界でいちばん不幸だか... [続きを読む]

Tracked on 2007年12月26日 11:59