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2007年12月28日

幼児的全能感の檻に入って出たがらない大人コドモ

一番タチが悪いのは「俺は世の中と一体になっているから変わる必要がないけど、お前は変われ」という人間 - こころ世代のテンノーゲーム


タチが悪いのは同意だけど、"一番"悪いというのはどうなんだろ。「俺は変わりたくねぇ。1mmたりとも変わりたくねぇよ!だけど利権だけは欲しいな!ラクしてイイ思いだけしてぇな!だからお前ら(社会)が変われ」という人間も、タチの悪さではまったく引けを取らない。前者は少数派を変えようとする多数派、後者は多数派を変えようとする少数派、という構図に単純化できるでしょうか。
相手の生き方を否定したら反発が返ってくるのは道理なわけで、「じゃあ、何であんたは他人の生き方を変えたいの?」というところから解体する必要があるよね。



・少数派でもそれなりに充実して生きてます、という人に対して、「価値観違うやつは目障り。規律を乱すから自分を変えろ」とのたまう多数派
→ 「俺は世の中と一体になっている」と自認する者の傲慢。タチの悪い抑圧。


・多数派の価値観を否定して、「世の中狂ってる。俺が生きにくいからお前ら変われ」と騒いでいる少数派
→ 世の中が変わることが必要と思うなら大衆が納得する論拠を提示すべきであり、それができない者の要求はただの妄言。幼稚なわがまま。


ということになるかと。
自分の価値観をちゃんと持ちながらも、適応すべき所は適応して生きている少数派に、「世間的には非常識だから全て変えろ」と迫る体育会系はウザいったらない。それはつまり、「少しでも自分の理解できない部分があることが気に入らない」支配的欲求である。(umetenさんの指摘しているのはこのような人格だと思うのだけど)
逆に、「世の中が変わるべき」説得力のある論拠も示せずに、ただただ不特定多数に向かって愚痴と罵倒を繰り返すだけの少数派ともコミュニケーションは成立しない。それは逆恨みや八つ当たりとしか見なされない。「そんなに苦しいなら、てめーが変われウザいんだよ」と言い返されても仕方ないだろう。



実際には、「完全な多数派」も「完全な少数派」も存在しないはずだ。わたしは自分のことをトータルでは少数派と見なしているが、部分部分では多数派に属する。そういう人がほとんどではないかと思う。
自分が「世の中と一体になっている」と思える側面では生きにくさを感じなくて済むが、規範からどうもはずれているなあ、と感じる側面では生きにくくなる。低学歴で妻子のいる人と、高学歴で非モテの人では、生きにくさの種類は違えど、両者とも生きにくいと感じているだろう。みな多かれ少なかれそういう部分を抱えつつ、世の中と折り合いを付けて生きている。


こればかりは人権侵害だ、折り合いは付けられない、自分の生きにくさは特別なのだ、という問題があるなら、周囲を説得できる論拠を引っ提げて環境を改善すべく戦うしかない。フェミニスト達もそうして長い年月をかけて欲しいものを勝ち取ってきたのだから。
何度も書いたが、個人的な問題を社会的な問題にするためには、それなりのロジックが必要なのである。



たとえばわたしは、「体育会系ホモソーシャルで抑圧・暴行されたあげくの自殺」とか、「軽度発達障害と診断されたが、職場の理解がなく迫害されている」という問題については、こんなことがもう起きないよう、社会の方が変わるべきだと主張されれば納得する。即時改善は無理にしても、とりあえずそれらは「社会問題」である、と認識する。


だけど、「クリスマスにカップルがセックスするのは非モテへの抑圧」とか、「子供産んで幸せだとブログに書くことは、結婚できない人への暴力」という主張には納得できない。「キティちゃんに口がないのは、『女は黙ってろ』という男性社会の無言の抑圧であり女性差別」と抗議していたフェミ団体がいたらしいが(*1)、それと変わりない妄言である。責められた方は言いがかりを付けられているも同然だから、嘲笑したり反発を覚えたり、ときに論争になる。
パラダイムシフトを起こすような画期的な理論が確立されない以上、これらは今のところ「被害妄想」、社会問題ではなく自意識の問題として片付けられるだけだ。(*2)


タチが悪いのは、大多数が納得するような深刻な弱者問題・差別問題を例に取り上げつつ、「だから自分の要求も正当なのだ。変わるべきは他人の方だ」とごり押ししようとするエセ弱者でありましょう。(umetenさんの話ではないですが)



2007年12月26日 yuta0210 社会
「世の中」というものの一部に「自分」が組み込まれていることも、その逆も考慮されていない。「一は全、全は一」。世の中と自分に線を引こうとするから過剰適応乖離も起きる。世の中を変えるために自分が変わるのだ


2007年12月26日 mike_n コミュニケーション, アイデンティティ
変わり方にもよるんじゃないかな。相手を変えるため、「手段・方法として」自分が変わる場合もある。


自分を嫌っていたり、無関心な相手の好意や理解が欲しい場合、自分が変わらなければ相手の態度も変わらない。(*3)
今の自分の主張では世間のコンセンサスを得られない、と悟ったなら、黒人問題や女性問題に匹敵する社会問題にすべく、説得力のある理論を構築したり、考え方や方法論を変えなければならないだろう。「世の中を変えるために」。



あれも嫌だ。それも変えたくない。面倒くさいことはしたくない。今のままで弱者として優遇されたい。ありのままの自分で他人の好意や承認が欲しい。それを認めてくれない人は弱者を抑圧する悪者。お前たちが私に都合よく変わればいい。だって自分は誰よりも可哀想なんだから。
「弱くて守ってあげたい存在」でいさえすれば自動的に大人の愛情が手に入った、子供時代の全能感を一体いつまで引きずってるんだよ。と呆れずにはいられない。


*1: ネットでは散々叩かれ、茶化された。フェミニストがこんなことばかり主張していたら、何百年経っても権利獲得は不可能だっただろう。
*2: この論争過程で主張者の自意識が論点になるので、本人は全否定されているかのような錯覚に陥る。
*3: 変わっても得られない場合もあるが、嫌われるような言動は慎み、理解されるように自分の考えを説明すれば可能性としては高くなる。



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投稿者 : ナツ at 2007/12/28 | カテゴリー : ジェンダー
コメント

投稿者 : kiya2014 at 2007年12月28日 09:07

いつも思うんですけど、ナツさんってなんかいつもイライラしてませんか?
仕事とか、うまくいってないんですか?

ちょっとネットの世界から目を離し、リフレッシュでもしたほうがいいかなって思います(^^;

この前のフジテレビの江原さんの番組でも、そういうこと言ってましたよ。ギスギス生きていると守護霊も悲しむと。


投稿者 : 読者 at 2007年12月28日 10:03

なるほどな〜と思い、考えさせられました。いつもながら説得力のあるエントリです。

ギスギスしてるとはちっとも思いませんでしたけど…。
なつかしの「はっぱ隊」の歌に「君が変われば、世界も変わる」って一説がありましたね。その通りだと思います。
何か変えたいんだったら、まずは自分から変わるべき。そうしたら、周囲も変わっていく。
頭ではわかってても、認めたくない、できない人が多いのかもしれないですけどね。


投稿者 : 元非モテ at 2007年12月28日 14:37

突然失礼します。
以前烏蛇さんの掲示板に書き込んだものです。その節はお世話になりました。

さて、あくまで一般論ですが、

>世の中が変わることが必要と思うなら大衆が納得する論拠を提示すべきであり、それができない者の要求はただの妄言。幼稚なわがまま。

というのは疑問があります。差別というのは大衆の無知につけ込んで発展するものですし、大衆は難しい議論よりも「細木」や「江原」の方に説得力を感じるものだからです。

人種差別を例に取ってみましょう。
既に二千年前に「人は神のもとに平等である」と、ナザレのイエスという人が主張していて、この人は大変に影響力を持った人でした。「理論」という意味においても、「人権」の思想は啓蒙主義の時代にはとうに確立していました。フランス革命は18世紀のことなのです。ですが、未だに人種差別は根絶されたとはいえません。最も影響力があったのはおそらくキング牧師の演説でしょうが、それとてせいぜい数十年前のことですし、あの演説は「理論」というものではありません。

同様の例はフェミニズムにもいえます。確かにフェミニズムは一定の成功を収めており、性差別は数十年前に比べ劇的に改善されたでしょう。しかし、フェミニズムを「理論」として理解している人が人口の1%もいるとは思えません。私自身、以前バトラーの「ジェンダー・トラブル」なる本を読んでみたことがありますが、ものの十ページも理解できなかった。人文科学の専門的訓練を受けた人以外にはおそらく理解不能な本でしょう。そんな本が「大衆が納得する論拠」であるとは到底思えません。

つまり、世の中を動かしているのは「理論」ではないのです。確かに「理論」が世の中に何らかの影響を与えるのは事実ですが、決定打でないことも確かでしょう。
とすれば、何が問題なのでしょうか?キング牧師のように大衆に受けいれられる説得力が問題であり、それを欠いている「自称弱者」は門前払いということなら、ヒットラーという人物はどうでしょうか。彼は大衆に対する説得力は絶大で、「ゲルマン民族は被害者、ユダヤ人は加害者」と主張したわけですが、その帰結はご存知の通りです。

ナツさんが主張される気持ちは理解できるのです。確かに目に余る主張を繰り返す人間もいます。しかし、余りにも簡単な図式で全体を二分してしまうのは危険ではないでしょうか。上に示したごとく、例外はたくさんあります。おそらく、事の本質はそのように簡単に言いきってしまえないところにあるのではないでしょうか。

ではどうすればよいのか。一見関係のない話ですが、ここにヒントがあるように思えます。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_71225.html
私はこの記事の内容にほぼ全面的に賛同するものです。特にこのくだり。

>それだから、自己の経済利害に立脚する物言いを次元の低いこととように見下し、損得の優劣で根拠づけずに、価値観自体に優劣をつけてくる姿勢になってしまう。その点が、「きれいごとのお説教」という反感を生むことになるのである。
>そんな「配慮の連帯」はもういらない。「利害の連帯」の時代になっているのだ。

>人権論も間違っているわけではない。人権に、切実な暮らしの都合から根拠をつけるよう進化するべきなのだ。そのためには、現代資本主義が集団アイデンティティの経済的根拠を崩している現実を引き受けなければならない2)。

いかがでしょうか?経済的文脈を「非モテ」その他の文脈に読み替えても、この話は通用するような気が私はします。

長くなってごめんなさい。


投稿者 : ナツ at 2007年12月29日 00:51

●kiya2014さん
>ちょっとネットの世界から目を離し、リフレッシュでもしたほうがいいかなって思います(^^;
ホントに、非モテもちょっとネットから離れて恋愛・結婚の話題からも離れて、リフレッシュでもしたほうがいいんじゃないかなって見ていて思うんですよねー。
わたしがイライラしてるのはテキストサイト時代からの芸風なのでいまさら変わりませんけどね!夏から秋にかけては、ネットから離れてリフレッシュしてましたがごらんの通りです。

>江原さんの番組でも、そういうこと言ってましたよ。ギスギス生きていると守護霊も悲しむと。
江原って嫌いなんで見てないからよくわかんないけど、「前世でモテ貴族だったあなたは大勢の女をヤリ捨てて食い散らした。今生でモテないのは、前世の報いです」とかって話をしてるわけですかね? 
スピリチュアル(笑)

●読者さん
「はっぱ一枚あればいい。生きているからハッピーだ!」・・・さすがにそこまでは悟りきれませんが(笑)
とりあえず、自分が変わりたくないなら他人も変わりたくないのは同じ。そこで「私は弱者だから気を遣ってあんたたちが変わりなさいよ!」という安易なメソッドに走る人だけはどうしようもないですね。
「いや、理屈で納得できなければこっちも変われないし」と言ったら、「情け容赦のない悪者」にされるから困ります。


投稿者 : ナツ at 2007年12月29日 00:59

●元非モテさん
お久しぶりです。その節はどうも。

>フェミニズムを「理論」として理解している人が人口の1%もいるとは思えません。
小難しい理論は大衆には必要ないでしょうが、説得力というのは、目的意識や「因果」がはっきりしている主張についてきます。「それなりのロジック」というのはその程度のものだと考えてください。つまりわたしと元非モテさんの主張は概ね同じであると考えます。

>そんな「配慮の連帯」はもういらない。「利害の連帯」の時代になっているのだ。
リンク先の総論はともかく、これには賛成します。確かに大衆を動かすには「利益の提示」も有効な手段ですね。多数派に、「クリスマスに恋人や夫婦が仲睦まじく過ごすのをやめ、恋愛や結婚もやめればこれだけの利益がある。今より幸せになれる」と提示するのです。もちろん説得力がなければ受け入れられませんが。それが価値観の転換です。
今のところ非モテはそのような利益の提示もできてはいない。これでは利害の連帯も不可能だと言えます。

元非モテさんの話は、いつも一般論としては説得力があるんです。概ね賛成できます。しかし、こと個別論、非モテの問題にあてはめると首を傾げざるを得ません。
なぜなら、非モテには今のところ「理論」もなければ、感情面でも多数派に受け入れられてはいないからです。「社会がどうなれば非モテが幸せになれるのか」それすらわたしにはわかりません。これが明示できない以上、社会運動にはならないでしょう?
非モテの苦悩そのものは、自分にも覚えがあることとして共感するのですが、みんなが自意識の問題として処理し、折り合いを付けたり自分を変えたりして克服してきている問題に、なぜいつまでもこだわり「俺ではなく社会が変わるべき」と言い続けるのか。
元非モテさんも、遅れてきた思春期だからいずれは卒業すると仰いましたよね。いずれ卒業するような問題に対して社会変革するほどのリソースを割く理由がわからない。わからないから誰も納得できない。思春期の苦悩とは、社会問題ではなく自意識の問題ですから。


従って、元非モテさんが「一般論としてはそうとも限らないんじゃない?」というだけなら、確かに仰るとおりです。要求する側のわがままとは決めつけられないですね。単純化しすぎました。
ですが、こと非モテ問題として考えると、あらゆる意味で説得力を持たないのが非モテの要求です。
「苦しいのは解った。で、社会がどうなれば満足なの?」という問いに明確に答えられる非モテはいない。たまに答えられても、「誰も恋愛しない社会」とか、もう完全に「わがまま」。自分の幸福のために他の大多数の幸福・自由を奪う、という形でしか目的を実現できないのでは、利害の連帯どころじゃないです。
大概はそういう話になると、非モテには関係ない「社会的認知された弱者問題」を持ち出して話をすり替えようとしますね。「〜という例もある。だからこれに非モテを当てはめると・・・」当てはまらないっつーの(笑) 
富や機会のように、恋人・配偶者を公平に分配することは不可能である以上、どうやっても他の格差問題と同じようには論じられない。「平等に愛される権利」なんてこの世にはないんですから。(フェミニストですらも、「美人もブスもお婆さんも平等に恋愛・結婚できるようにすべき!でないと女性差別!」とまでは主張できない。・・・やった人いるのかな?)

このあたりを一般論に逃げず、その上で十分な説得力を持って要求を主張できる非モテがいれば、パラダイムシフトも起こせるかもしれませんね。でもそうなるとカルトによる洗脳みたいな領域に入り込みそうです。


投稿者 : しぎこ at 2007年12月29日 02:52

umetenさんのブログの過去記事、読まれたかもしれませんが

http://d.hatena.ne.jp/umeten/20061001/p1
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20070327/p1

umetenさんは、かなりはっきりと「自分は呪われし存在であり、かわいそうである」メソッド使っちゃってる方なんですよね…。
「幸福なお前らは気を遣え」とまでは言ってないかもしれないけど、「どうせ自分も含む弱者(数において弱い「少数派」もここに入る)が何をやっても、たとえ暴力を振るったとしても負けて潰されるってのは決まってるんだからせめて放っといてくれ」的な事は言ってますよね。
今回の記事へのブクマコメントを見るとそう思います。

umetenさんに限らないでしょうけど、「視点を変えれば自分にだって多数派であり強者である側面がある」とか「他ならない自分自身が世の中というものを構成している一員である」という事実を受け入れる事ができない場合というのはあるのでしょうね。
個人的には、それを受け入れてしまったら自分の受けた屈辱を晴らし傷を癒す機会が永遠になくなる、と思い込んでいるからではないかと思いますが。

↑別に目新しくもない意見ですねこれ;

おまけに思いっきり一部の人に対して上から目線ですが(まあ、本当にそれが上なのかなんて人間同士じゃ分からないんですけどね)私も「強者」たるおなご様の一員なのでたまにはそれらしく振舞ってみようかとw


投稿者 : 山中馬のすけ at 2007年12月31日 01:08

>利害の連帯
>非モテの社会運動
現状の非モテの主張のほとんどは一部のモテなくて且つ神経質な人が感じる情緒レベルの問題でしかないですからね。
非モテを理由に会社をクビにされたりとか誰にでも理解しやすい社会面、あるいは経済面での明らかな差別が続出しない限り、タコツボ化が進むことはあっても社会的なムーブメントとして広がりを持つとは考えづらいです。
非モテの主張も途中までは共感できるんだけど話が進むとだんだん理不尽な攻撃性が強くなってくるからなぁ。。(;´Д`)


投稿者 : リルファ at 2007年12月31日 20:52

はじめまして、リルファです。
烏蛇ノートからたどってきました。

読んでいて思ったのですか、エセ弱者とは一体どういう意味なのでしょうか。教えてほしいです。文脈からたどると、長ったらしい言葉を使っていろいろと感情を吐き出したがる非モテなどがそれに該当するようですが・・・自分にはその人たちも弱者にしか見えません。


投稿者 : ナツ at 2008年1月 2日 01:31

●しぎこさん
>「どうせ自分も含む弱者(数において弱い「少数派」もここに入る)が何をやっても、
>たとえ暴力を振るったとしても負けて潰されるってのは決まってるんだからせめて放っといてくれ」
これ認めちゃうと行き着く先はテロの容認ですからねー。確かにイラクはアメリカに潰されたし、アメリカが正義だなんてこれっぽっちも信じてませんが、テロという手段が正当化されるわけではない。それに、いくつものマイノリティが潰されず権利を獲得している(完璧ではないけど)のを忘れてるんじゃないかと。

>「視点を変えれば自分にだって多数派であり強者である側面がある」とか「他ならない自分自身が世の中というものを構成している一員である」
生まれつきの性別や人種などは変えようがないですが、「非モテ」と自称するのをやめれば「男性」とか「日本人(アジア人)」だけが残る。女は女と自称してるわけじゃないので何が起ころうが「女」でしかない(黒人も同じ)。そういう不可変の属性と、「非モテ」というものは果たして同じものなのだろうか、という疑問もあります。「『非モテ』というのは状態を表している」と書いていた人もいましたけど。


●山中馬のすけさん
>非モテを理由に会社をクビにされたりとか誰にでも理解しやすい社会面、あるいは経済面での明らかな差別
差別とまでは言わないまでも性的な抑圧はありますよね。結婚しないのかとか処女とか童貞とか聞き出そうとする奴、女とアレをやったこれをやったと言いふらす奴、それに難色を示すとお前が異常だと決めつける奴など。そういう行為が問題だという社会的認識は必要かなと思います。男性に対するセクハラは不可視状態なので、その路線で攻めていくのはアリだと思うですよ。って前にも書いたけど。

でも、それってどちらかというと男性社会の病理という気がする。そこで「女が俺を受け入れていれば男にも受け入れられたのに」という意識のすり替えが起こってるのが何だかなーと。「女に受け入れられない男を排除する男社会が問題」ということにはならないんですね。
この社会が男性原理で動いてる以上、社会的強者は男性。「女に選ばれる男に価値がある」という社会的価値観があるなら、それを決めているのも男性自身。「女ごときが何を言おうが男の価値は変わらない」という時代なら、モテるモテないなんて関係なかったんですが。・・・という視点からバックラッシャーが台頭するわけですね。
「女ごときが」じゃなくて「自分の価値を決めるのは自分」。ここまで社会が成熟するのが一番いい。


投稿者 : ナツ at 2008年1月 2日 01:32

●リルファさん
んー、本当に非モテが「弱者」ならある意味で「障害者」ということになりますよね。
恋愛できないことは障害なんですか? 違うでしょ。人にはそれぞれ得意不得意ってものがあるだけなんだから。泳げないとか数学が苦手とかいうレベルの問題でしかない。(と、非モテ自身が主張してるはずなんだけど・・・)
問題は、カナヅチの人よりは恋愛できない人の方が、バカにされて不愉快な思いをする場面が多いということ。それならセクハラ・ラブハラを具体的に訴えていけばいいんですよ。そうすればセクハラに苦しんでいる女性と共闘できる余地もある。
「非モテ=弱者」と定義しちゃったら、「恋愛できないかわいそうな人」という意味になってしまう。歩けない人、目の不自由な人、そんなのと同じ。
これでは「恋愛・結婚」をスタンダードにしたい勢力とやらの思うつぼですよ。他人の価値観を内面化して、自分に欠陥があると認めているようなものです。言い分を通すために自己矛盾を起こしてるとしか思えません。
こちらこそ、そのへんの理屈を納得できるように教えてほしい、ということです。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月 2日 04:06

>ナツ氏
 どうもご無沙汰しております。新年明けましておめでとうございます。

 ウチの掲示板でも色々とあった「弱者」の話について、ここのやりとりを見ていてちょっと思うところがあったので、それについて少し書いておきます。
 しぎこ氏が「視点を変えれば自分にだって多数派であり強者である側面がある」と言っておられるように、「弱者」という言葉は個人の属性を示すものではなく、「立場」を表している言葉だと思うのですね。ある側面から見て「弱者」とみなされる人達が、別の側面から見ると「強者」になるというような場合は往々にしてあります。そのことに鈍感だと、例えば「同和利権」といった「弱者」と「強者」が複雑に交錯する問題に気付きにくくなる危険があります。
 その意味では「本当の弱者」「偽物の弱者」とかいう区別はありえないですから、このような言い方は誤りだということになります。実際、「非モテ」は一部のコミュニケーションスキルなどにおいて「弱者」と言える場合はありうると思います。それを「本物」とか「偽物」とか言ってても仕方がありません。

 しかしながら、ナツさんが記事本文で言っておられる「エセ弱者」というのはそういう意味ではない、というのも分かるんですね。「一方的な価値観の押し付けに伴う抑圧や暴力」と「嫉妬心による疎外感」というそれぞれ別の問題であるはずのものを、一方が他方の理由付けになるかのように混同して論じるな、という趣旨だと思いますし、それには全く以って同感です。
 ただ、それに「エセ弱者」といった、あたかも「本物の弱者」なるものが実体として存在するかのような表現を使うのは微妙なんじゃないかな、と。

 「本物の弱者」だったら何言っても許されるわけではないし、「弱者」と言う際には「どういう文脈の中での弱者なのか」を常にはっきりさせておく必要があります。「本物の」「偽物の」という表現は便利なので、私もつい使ってしまいがちなんですが、概念を不当に固定化してしまう危険性は自覚しとかなきゃいけないな、と自戒を込めて思います。


投稿者 : リルファ at 2008年1月 2日 20:48

>ナツさん
女性の場合はどうか知りませんが、男性の場合、何かしらの欠陥を抱えているような気がします。場の雰囲気が読めない。好きなのに気持ち悪い視線を向けることしかできない。騒ぐべき場面で騒ぐこともできない。遊びに誘われたこともない。何かに熱中しすぎて他のものをないがしろにしている。相手が嫌がってるのにメールを送ったり、付きまとったりしてる。モテナイあまり嫉妬して、デモ行進をしたり、都合のいいキャラクターを脳内で作って、そいつ交わってる。この段階で、もう、異常者のすることとしか思えないのですが・・・この程度ではまだ正常なのですか?


投稿者 : えむけーつー at 2008年1月 3日 08:06

>都合のいいキャラクターを脳内で作って、そいつ交わってる
呼びました?

ところで、実際に、童貞、彼女いない歴=年齢、みたいな人たちに対する差別のようなものは存在するわけです。烏蛇さんの新しいエントリなんか読んでると、そのへんがコンパクトにまとまってましたけど。
何度考えても、どう考えても、これって「ひとりでいる」「つがいじゃない」が、あたりまえの状態として社会的に認知される、というところ以外に、落としどころがないような気がするんですけど。
とはいえ、典型的な非モテ、非コミュだった昔の俺が、それで救われただろうかって想像すると、それはないような気がします。個人的には、なにをどうやっても、あの「人間」という存在への飢えのようなものを克服できるとは思えない。
でもまあ、それを認めちゃうと敗北です。
そしてだいたいの人は敗北したくないだろうなあ、と。
そんで、かつての俺はよく思いました。「(完璧な)夢が見れる機械が欲しい」と。それがあれば、もう少しがんばれた気もします。でも死にたくなったかもしれません。どっちかは、ちょっとわからないです。生きてたとしても、生きてるといえるかどうかも謎。


投稿者 : ナツ at 2008年1月 4日 00:31

●烏蛇さん
>「非モテ」は一部のコミュニケーションスキルなどにおいて「弱者」と言える場合はありうると思います。
「コミュニケーション弱者」という意味ですか? それが単に自分個人の認識で終わるならかまわないと思います。でも、社会的救済、他者の気遣い、特別扱いを求めるときのダシに使われるとすれば、「弱者」という言葉を使うのは反対です。・・・というか、今まで見てきた限りでは、あえて弱者を自称する人はみんなこのタイプなんですよね。周囲を「抑圧者」と見なして己を正義にするための便法だったり。

>「エセ弱者」といった、あたかも「本物の弱者」なるものが実体
>として存在するかのような表現を使うのは微妙なんじゃないかな、と。
自称弱者が要求してるのは「障害者のように気を遣え」ってことだと思うんです。社会的認知された障害者というのは、「バカにしてはいけない」「人と同じ事ができないのは当然だから責めてはいけない」という「一応の」コンセンサスの元に生きてますよね。そういう社会的コンセンサスがあたかも「特権」のように見えている。それが証拠に、かれらは障害者なり同和なりに対しては概ね冷ややかです。
でもわたしは本物の障害者に対してその意識こそが無礼だと思う。だから自称弱者と、本当の障害者は区別したいんです。本当の弱者は弱者であることを決して特権だとは感じていないですから。政治的思惑がからんで結果として特権を得ることはあるにしても。

>「どういう文脈の中での弱者なのか」
これはその通りですね。エントリをいくつか書いているうちに、「前にだいたい書いたから伝わるだろ」と思って、新しいエントリでは言葉の定義が曖昧なまま使っていることがあります。その記事しか読んでいない人には誤解される危険があるというのは肝に銘じておきます。


投稿者 : ナツ at 2008年1月 4日 00:47

●リルファさん
>異常者のすることとしか思えないのですが・・・この程度ではまだ正常なのですか?
変人ではあると思いますが異常者はないでしょ・・・。世の中の多数派にはあまり理解されない価値観・行動様式だというだけで。
そういう人は最近いきなり増えたかのように捉えられてますが、昔から一定数いたと思います。昔は世の中に受け入れられていたかというとそんなことはなかった。
ただ、今の「オタク」に相当する昔の人は自分の価値観に絶対の自信を持っていた、ということはよく言われますね。理解されなくて当然、むしろお前らごときにわかってたまるか、少数の理解者だけいれば満足という感じで。今の非モテあるいはオタクとはそこが違う。
昔の方が「異常」だったのか、今の「他人の価値観が気になって疎外感を覚える」人々の方が「異常」なのかはわかりません。

●MK2さん
>「ひとりでいる」「つがいじゃない」が、あたりまえの状態として社会的に認知される、というところ以外に、落としどころがないような気がするんですけど。
というか、「それ以上のことは社会にも他人にも期待できない、要求する権利もない」ってことですよね。問題はそのことをきちんと理解しているかどうか、なんですが。頭での理解ではなく、「納得」という形で。

>「(完璧な)夢が見れる機械が欲しい」
光瀬龍「百億の昼と千億の夜」ですね。国民はみなコールドスリープして、脳だけをコンピューターに接続して夢を見続けている惑星。夢の中では平等で平和で文明的なユートピアが実現してるんですよ。現実社会でその実現が不可能だから、進化をあきらめて「夢」に退行してしまったディストピア。諸星大二郎にも似たような話があったかな。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月 4日 02:39

>ナツ氏
 うーんうーん… どうもあんまり伝わってない気がします。「本当の弱者は弱者であることを決して特権だとは感じていない」というのは、「本当の弱者であるか否か」は「弱者であることを特権だと感じているか否かで決まる」ってことですか? だとすればその考え方には反対です。「社会的に認知されている弱者」がそれを特権だと感じることだって無いとは言えませんし、当人がそう感じるかどうかと社会的に認知されているか否かは無関係です。

 社会的な手当てを受ける障害者というのは、その被っている障害の性質と度合に合わせて社会から支援を受けています。ここで注意すべきことは、いわゆる健常者と言われる人達だって、同じようにそれぞれに合った社会的手当てを受けているはずなんですね。例えば、未成年の人間は社会から保護される対象と見做され、あるところまでの教育を無償で受けられます。障害者に対する社会的手当てというのは、このように一般的に行われている社会的手当ての延長であって、そもそもが「特別扱い」などではありません。
 すなわち、おっしゃるような「気遣いや特別扱いを求める自称弱者」に対して「本当の弱者」なるものを対比として出してくる必要なんかないんですよ。社会的な手当てを受けているという意味での「認知された社会的弱者」だって、別に「他者からの気遣いや特別扱い」を保障されてるわけじゃないんですから。

 障害者に対して「人と同じ事ができないのは当然だから責めてはいけない」というような社会的コンセンサスがあるとすれば、それはむしろ障害者差別の一種ではないか、とさえ思います。障害者は障害を持っている部分以外のことは出来るんですから、「人と同じ事ができないのは当然」とは限りません。しかし、そのような他者の思い込みによって、本当はできるのに「できないのが当然」と見做されてしまうこともあり得るでしょう。「障害者にはスポーツができない」とかね。このような思い込みのことを偏見と呼びます。

 「社会的な手当てを受けている社会的弱者」である人が、「気遣いや特別扱いを求める自称弱者」である場合もあれば、そうでない場合もあります。両者は全く別の事象であり、比べる方が間違ってるんですよ。「自称弱者」の人達が両者を混同させているからといって、それに乗せられちゃ駄目です。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月 4日 02:54

>MK2氏
>烏蛇さんの新しいエントリなんか読んでると、そのへんがコンパクトにまとまってましたけど。

 最近はつい記事が長くなりすぎてしまいがちなので、コンパクトにまとまってると言われるとちょっと嬉しかったり。

>何度考えても、どう考えても、これって「ひとりでいる」「つがいじゃない」が、あたりまえの状態として社会的に認知される、というところ以外に、落としどころがないような気がするんですけど。

 そうなんですけど、それこそが難関だと思うんですよね。

>とはいえ、典型的な非モテ、非コミュだった昔の俺が、それで救われただろうかって想像すると、それはないような気がします。個人的には、なにをどうやっても、あの「人間」という存在への飢えのようなものを克服できるとは思えない。

 うーん。感覚的には分かる気がしますが、かといって、それを「何としても解決しなければならないもの」とも思えません。詭弁に感じられるかもしれませんが、飢餓感や孤独感って、生きていく中で大切なものの一つじゃないかな、って個人的には思うんですよね。常に満ち飽きている生き方はつまらないですよ。


投稿者 : えむけーつー at 2008年1月 4日 04:59

>典型的な非モテ、非コミュだった昔の俺
あ、これ俺の勇み足だ。スルーしてください。俺、典型的じゃなかったです。よくないクセだなあ、自分のこと典型的だと思いたがるの。

で、エントリから外れた趣旨のコメント書いた俺が悪いんですが、簡単に。確かに満ち足りてしまったら人間終わりかなーとも思うんですが、でもあの飢餓は人殺します。しかしそう簡単に死ぬわけにもいかないんで、さーどうしよう、ってな話かと。なにごともほどほどが肝心って話かもしんないです。人はひとりきりで考える時間が必要だと思うんですけど、完全にひとりきりだとぐるぐる回るだけです。そこになんの意味もないです。意味ないのはほんとに怖いです。


投稿者 : イカフライ at 2008年1月 5日 11:38

えー、あけましておめでとうございます。

>しぎこさん

 umetenさんとかいう人のリンクオ読ませて頂きましたが。
イケメンでもなく運動苦手でDUQとはほど遠い性格でカレカノがいる人なんていくらでもいるんですけどね、てか、そういう人のほうが多い。そういう思い込みが人を遠ざけることが解らないのか、それとも、周りによほど友達いないのか、どっちなんでしょうね。そういえば、非モテの人ってカレカノのいる友人っているんでしょうか?

>元非モテさん

 お久しぶりです。
 うーん、経済格差と恋愛格差を同一に論じたがる人は居るけど、一緒に語れるものではないんじゃないか、と。例えば年収一千万の人と年収200万の人が居れば600万ずつ分ければよい、勿論、実際にはそんな単純には行きませんが最低賃金の底上げ、累進化税率のアップ等、経済格差をなくす方法はありだと思うんです。でも、14歳で初体験して30歳までに経験10人、結婚は3回目の人(がいたとして、30歳喪童貞にその相手を分けるなんて出来ないでしょ相手にだって感情があるし、また、モテるって数じゃないしね。
 あとは、セクハラとかモラハラといったような感情面になるんでしょうか?ただ、非モテハラみたいなものが存在するとしても、それは一定の説得力がないといけない。もしかしたら、非モテブログ書いている人の中にはそれをやろうしている人もいるもかもしれませんが、今の段階ではむしろ非モテによる女性やモテ側(と非モテが勝手に言っているパンピー)に対するハラスメントのほうが目立ちます。


投稿者 : イカフライ at 2008年1月 5日 12:00

>烏蛇さん

>>「非モテ」は一部のコミュニケーションスキルなどにおいて「弱者」と言える場合はありうると思います。

 コミュニケーションスキルというのは生まれつきの得手不得手もあるけれど、ある程度、訓練による部分もあるんじゃないかな、それに、別に恋愛に限らず社会生活を営んでいく上で必要でもえると思うの。よほど特殊な環境・職業に就いている場合を除けばどうしたって必要になるし、それに応じて発達していくものだとも思うんだけれど。

 で、非モテが非コミュでそれが出来ない、というのなら、社会で生きていこうとするなら、苦手科目でもまなばなければいけないし、そんな苦労したくないというのなら、つまはじきにされることは受け入れなければならない。違うのかな?
 非モテの人がおかしいのは、自分は苦手なんだから努力する気なんてない、それどころかその必要も無い、お前ら(モテと言う名のパンピー)は俺達よりずっと恵まれているんだから、俺達の都合に合わせわがままを受け入れろ、こうなんだよね。実際、烏蛇さんの掲示板に集った人達なんてこの類、多かったじゃん。
 これを弱者特権だといっているのがこのエントリーの主旨だと思うけど。

>えむけーつーさん

>「ひとりでいる」「つがいじゃない」が、あたりまえの状態として社会的に認知される、というところ以外に、落としどころがないような気がするんですけど。

 うーん、これを具体的に「結婚」という形とだけ捉えるのなら、かなり認知はされ始めているとは思うのですが。実際20年前、30年前に比べても中年の独身者は増えています、かつては30過ぎて独り身だと半ば強制的にお見合いさせられたという状況もありましたが、今は40過ぎてて独身の人も男女ともに多いですね。まあ、ここでは具体的な結婚と言う話じゃなく、過去現在の恋愛経験についてってことは解りますが。
 ただ、>童貞、彼女いない歴=年齢、みたいな人たちに対する差別のようなもの>で難しいのは、とにかくカレカノがいなくてはならないという考えに凝り固まった人達の偏見なのか、それとも、コミュニケーション面に問題があることに対しての批判なのか、ということがビミョウです。
 


投稿者 : リルファ at 2008年1月 5日 14:34

横槍失礼します。

>イケメンでもなく運動苦手でDUQとはほど遠い性格でカレカノがいる人なんていくらでもいるんですけどね
そういうもんなんですかね・・・
同僚に(自分から見て)イケメンのAさん、おしゃれだけど暗いBさん、専門学校に通っていてオタクとうわさされてるCさん、おしゃれで草野球が趣味のDさんの3人がいます。AさんとBさん、Dさんは女受けもよく、女のほうはいつも楽しそうにしてます。一方、Cさんはいつも一人で、誰といてもぴりぴりした空気が走ってました。

ついでに言うとCさんは彼女なんていないらしく、恋愛の対象から外れてました(すごく体が締まっていたといったら、一人の女が目のを色を変えてましたが・・・)


投稿者 : ナツ at 2008年1月 7日 00:16

●烏蛇さん
うーん。何か噛み合わないなー。
>「本当の弱者であるか否か」は「弱者であることを特権だと感じているか否かで決まる」
違います。わたしの言いたかったのはむしろこっち。

>障害者に対して「人と同じ事ができないのは当然だから責めてはいけない」と
>いうような社会的コンセンサスがあるとすれば、それはむしろ障害者差別の一種
その通りなんですよ。腫れ物に触るような扱い、特別扱いという名の偏見、弱者にはそんなものが常につきまとう。特権でも何でもない。自称弱者はそれを理解できずに弱者になりたがっているように見えます。「努力しろ」と言われることに強い抵抗感があるので、そう言われなくて済む障害者の立場が特権的であると考えているのではないかと。
しかし現実には、「どうせできないんだから仕方ない」と決めつけられる立場が楽なものでないことは仰る通りです。そんな立場をうらやましがるのは深刻な障害を持たないからではないでしょうか。わたしの怒りの源もそこらあたりにあります。

>社会的な手当てを受ける障害者というのは、その被っている障害の性質と度合に合わせて社会から支援を受けています。
その「被っている障害の性質と度合」に見合った救済や理解が「自分だけ」「不当に」得られないと思っている。自称弱者の不満はそこではないでしょうか? 
そこで、「ホントにそれって障害なの?」という疑問と、「社会的救済が必要ならそれなりの客観的証明をしてくれ」というエントリ内容に戻るんですけど。

>「自称弱者」の人達が両者を混同させているからといって、それに乗せられちゃ駄目です。
軽度発達障害の人がわたしの記事を読んで、「職場で迫害されているが、周囲に(障害について)理解してもらおう、環境改善をしようと考えるのは間違いなのか。俺が変わらなければならないのか」という記事を書いていたんですが、こういう誤解をされたくないのです。
「比べる方が間違ってる」と言っても、「コミュニケーションできず苦しんでる弱者なのは同じじゃないか。障害者の多くは救済(理解)されているのに非モテは救済されないのはおかしい」と返ってくると思います。烏蛇さんならどう答えますか?
今のところわたしには「非モテが社会的に救済されないのは不当だ」とは見えないわけで、逆に発達障害者が救済されないとしたら不当だと感じる。エセ・本物というのはその程度の意味です。(実際の支援のみならず、その対象者であるという社会的認識そのものも一種の救済と考えてます)
で、そのへんについても(弱者を自称する)非モテがどうしたいのかいまいちわからないんですよね。障害者認定されたいのかどうなのか。非モテ=アスペルガーであるかのような主張をしている人もいますし。

自分が仏頂面をしていても向こうから話しかけてくれるのを待っているだけの人間は無視されて当然。思っていることを説明しないなら誤解されるリスクもついて回る。コミュニケーションの努力を放棄するならその厳しい現実を受け入れる強さだけは必要ですよね。(というのはイカフライさんと同意見)
そこから逃避しているのが「自称弱者」だという認識です。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月 7日 06:57

>ナツ氏
>「比べる方が間違ってる」と言っても、「コミュニケーションできず苦しんでる弱者なのは同じじゃないか。障害者の多くは救済(理解)されているのに非モテは救済されないのはおかしい」と返ってくると思います。烏蛇さんならどう答えますか?

 「救済」の中身をどう捉えるかの問題です。例えば「非モテは障害者なのだから、恋愛相手を社会が保障せよ」というような「救済」の理屈はもちろん通りませんし、「非モテは障害者だから無条件に気遣いされるべき」という理屈も「障害者」を誤解した理論ですから通りません。しかし例えば、「非モテ」を自称する人達の中にもしアスペルガー症候群の人が居たとすれば(実際、少なくない割合で存在すると私は考えています)、精神科の医師に相談したり、アスペルガーの互助グループに参加することで何らかの「救済」を得られる可能性はありますよね?
 このように、「救済」の中身を詳しく考えていけば、「救済されないのはおかしい」という理屈は割と簡単に反駁できます。益田ラヂオ氏の「弱者利権が欲しい」のような話にならない理屈はどうしようもないですが。


>軽度発達障害の人がわたしの記事を読んで、「職場で迫害されているが、周囲に(障害について)理解してもらおう、環境改善をしようと考えるのは間違いなのか。俺が変わらなければならないのか」という記事を書いていたんですが、こういう誤解をされたくないのです。

 そこでこんがらがるのは、「救済されるべきか否か」という話にしてしまうからではないでしょうか? 発達障害が社会的に認知されているのは(まだ認知されているなどとは言えない状態だと思いますが)、それが一般の人に理解されうるロジックを得ているからです。「非モテ」が認知されないのはそういうロジックを持っておらず、内輪のみに通じる理屈に固まっているからでしょう。発達障害や身体障害だって、最初から「社会的に認知」されていたわけではありません。
 その意味で、

>自分が仏頂面をしていても向こうから話しかけてくれるのを待っているだけの人間は無視されて当然

という意見は(認知されている障害者に対しても)間違ってはいないと思います。あとはこの命題をどう考えていくかであり、「自分が変わるか社会を変えるか」というような単純な二択の考え方を避けてもう少し丁寧に述べていけば、そのような誤解を与えることは少なくなるかと思います。


 ところで、「気遣いや特別扱いを求める自称弱者」というのは、こういった話とは全く別物です。この手の「自称弱者」には最初から正当性も糞もありません。「俺は弱い人間なんだから特別扱いしろ」というのは、「弱い人間を見ると放っておけない」タイプの人につけ込んで依存したい人間が使う理屈です。先のレスでも述べたように、「認知されている障害者」の中にもこのタイプの人物は存在するでしょう(そうでない人にとっては傍迷惑な存在でしょうが)。
 「弱者」について論じられる際には、この両者が混同されているためにおかしな話になってる気がするんですね。もっとも、それは「非モテ」の中にそういう混同をしている人がいるからだと思うんですが、それに対して反論する際に同じ理屈に乗っちゃダメだと思うんですよ。

 本物の(救済されるべき)弱者か偽物の(救済されてはならない)弱者か?で考えるのではなく、「救済」とはどのような救済なのか?を考えていけば、このような混乱は回避できるはずです。最初のレスで述べたように、ナツさんのエントリの趣旨自体を批判しているわけではありません。ご理解戴けますでしょうか?


投稿者 : Q at 2008年1月 7日 08:16

初めまして。世の中には弱者の特権を振りかざして、周りを変えようとする人がいますが、彼らは主に自分を変えようとしない。しかし、自称弱者が全てそうだとは思いません。周りを変えようとしても無理なことだったり、自分の問題だと気付いて引きこもる人も居るんじゃないかなーというのが僕の意見です。ナツさんが仰る自称弱者はあんまり見たことがありません。そういう人は相当病んでると思います。


投稿者 : ナツ at 2008年1月 9日 00:49

●烏蛇さん
>「非モテ」を自称する人達の中にもしアスペルガー症候群の人が居たとすれば
>(実際、少なくない割合で存在すると私は考えています)、精神科の医師に相談したり、
>アスペルガーの互助グループに参加することで何らかの「救済」を得られる可能性はありますよね?

それは「救済されるべき」という言説に説得力を持たせるために、非モテ問題と障害者問題を意図的に混在させようとする人々の手だと思うんです。その場合には「アスペはアスペで障害者問題として語るべき」と答えた方がいいのでは?
非モテとは、何ら障害を持たないのにコミュ不全や恋愛問題で苦しんでいる人の総称ですよね。それを社会的に救済されるべき新たな「障害」と見なすのか、非モテ自身はそれを望んでいるのか、わたしが知りたいのはそこです。
「努力しろ」と言われるとアスペや発達障害を持ち出して反駁。しかし本格的に障害者問題になってくると恋愛・結婚できないこと、女性に承認されないことに対する不満は述べられなくなる。非モテ問題に障害などを持ち出す人は、こうしたジレンマの中で都合よく主張を使い分けている気がします。

>発達障害が社会的に認知されているのは(まだ認知されているなどとは言えない状態だと思いますが)、
>それが一般の人に理解されうるロジックを得ているからです。
・・・という話をわたしもエントリですでに(略)
まあ他にも誤解されている人がいるようなのでわたしの書き方が悪かったのでしょう。そういうロジックを構築しないで「抑圧だ迫害だ」と闇雲に社会のせいにしていてもなにも変わらないよという話だったんですけども。

>「救済」とはどのような救済なのか?
「俺は弱い人間なんだから特別扱いしろ」という要求は、確かに自称であろうが本当の障害者であろうが肯定できるものではありません。
ですが実際問題として、障害者はある程度「特別扱い」をされていると思います。「努力してもそこが精一杯だから仕方ない」という目線です。これがある意味差別的でもあることは同意事項ですが、自称弱者の求めている「救済」とはそういう社会的容認ではないのか、と考えているんです。「無能・怠惰と罵られるより、障害だから仕方ないと同情されたい。だって障害者と同じで*どうしようもない*のだから」こう書いている非モテ(喪男?)を見たこともあります。
だから社会不適応に絡む自己責任問題になるとえらい勢いで反発する。「自己責任なんて納得がいかない。障害者はそんなこと言われない。俺だって弱者だ」
ここでわたしは、「いや、あんたら自称だし。弱者(障害者)だと言いたいならそれなりのロジックを」と言いたくなるんです。こういう意味での「特別扱い」を求めている自称弱者に、いったいどう言えばいいでしょうか。

>ナツさんのエントリの趣旨自体を批判しているわけではありません。ご理解戴けますでしょうか?
それはわかりました。「弱者」の定義に絡む混乱についてですよね。
確かにうかつに本物・偽物という言い方をするのは話をすり替えられる危険性が高いですね。気をつけます。


●Qさん
>ナツさんが仰る自称弱者はあんまり見たことがありません。そういう人は相当病んでると思います。
その相当病んでる人を想定しているのがこのエントリなわけで・・・。はしごたんとかfurukatsuさんとかrAdioさん等の発言をよく読んで、それからコメントして下さい。
まったくあてはまらない人のことは最初から話題にしておりません。当然ながら。
で、そういう自称弱者の周りに、「弱者に対する強者の暴力はやめろ」という論法で批判・非難を封じようとする人々まで群がって病んだ空気を一部形成していることも事実です。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月 9日 02:47

>ナツ氏
 なんとか話が噛み合ってきましたね。

>非モテ問題に障害などを持ち出す人は、こうしたジレンマの中で都合よく主張を使い分けている気がします。

 うーん……それはどうでしょうか? 非モテ(及び非コミュ)問題を明確に「障害」として扱おうとしているのはumeten氏くらいで、氏は私の知る限り「恋愛・結婚できないこと、女性に承認されないことに対する不満」をそもそも問題にしていません。
 ただ、益田ラヂオ氏のように、明確に「非モテ=障害」であるとは言わないが「弱者として扱え」という主張をしている人物は複数居ます。彼らはおっしゃるようなダブルスタンダードを使用していると言っていいと思います。それに反論する際には、「障害」概念を明確にすることで論駁可能でしょう。

>・・・という話をわたしもエントリですでに(略)

 はい、おっしゃる通りです。それを分かってて書きました。
 ここは「エントリ本文で指摘されているように」とか一言挟めばよかったですね。この辺の書き方はちょっと微妙だったなぁ。どうもすみません。

>実際問題として、障害者はある程度「特別扱い」をされていると思います。「努力してもそこが精一杯だから仕方ない」という目線です。これがある意味差別的でもあることは同意事項ですが、自称弱者の求めている「救済」とはそういう社会的容認ではないのか、と考えているんです。
>こういう意味での「特別扱い」を求めている自称弱者に、いったいどう言えばいいでしょうか。

 だとすれば、「そんな『救済』は認められない」とバッサリ切ってしまうべきではないでしょうか。「おまえらの言ってることはただの障害者差別だよ」と。そこを敢えて「自称弱者の求めている救済の形」に寄り添って論じる必要はないと思います。下手をすれば、彼らの障害者差別的視点を容認してしまうことにもなりかねません。


投稿者 : ナツ at 2008年1月11日 07:35

●烏蛇さん
>氏は私の知る限り「恋愛・結婚できないこと、女性に承認されないことに対する不満」をそもそも問題にしていません。
本当にそうなら「非モテ」というカテゴライズにこだわる意味がないと思うんです。性的承認(女性からの承認とそれに絡む男性からの承認)が必要ないなら、アセクなどの性的少数者を名乗るか、障害問題に特化した方が早いと思うのですが。
誰とも性的・恋愛関係を望まず、そのことに対する苦悩もない人が、「モテるモテない」を問題にしていると見える「非モテ」を自称するのが納得いかないんですよ。それとは別の深刻な社会問題を訴えたいなら、承認問題を抱えている非モテやカウンターカルチャーとしての非モテと混同されるだけで、マイナスにしかならないと思います。それをあえてやっているのはなぜ? (umetenさんに限らずですけど)

>明確に「非モテ=障害」であるとは言わないが「弱者として扱え」という主張をしている人物は複数居ます。
>それに反論する際には、「障害」概念を明確にすることで論駁可能でしょう。
「障害」概念を明確にしたら、結局のところ、それに当てはまらない自称弱者はエセだ、と言うことになると思うのですが。
rAdioさんの主張はムチャクチャで戯画的ではあるけれど、自称弱者の本音に少なからず通じるものがあると思ってます。他の人はムチャクチャだと批判されないように「かわいそうな人」を前面に押し出して乗り切ってるだけで。

>「そんな『救済』は認められない」とバッサリ切ってしまうべきではないでしょうか。
>彼らの障害者差別的視点を容認してしまうことにもなりかねません。
いや、そこが難しいと思うんですよ。障害で歩けない人に向かって「努力すれば数歩くらい歩けるだろ。歩こうともしないお前が悪い」とは言えない。その人が歩けないという前提で周囲がフォローに回るのは妥当な対応です。その「空気」が差別的であることもあれば、実際に障害者を助けることもあるのは事実です。
例えば体の弱い子供にも、ただの運痴と分け隔てせず「平等に」スパルタ教育をする体育教師がいます。努力しないから鍛えられないんだと。だけどこうした「平等」が問題を起こすことの方が多いわけで、普通は体質虚弱な者にまで努力を強要しませんよね。
この立場を羨望しているのが自称弱者ではないでしょうか。努力を強要されず、かといって無能・怠惰という評価もされず文句だけは言えるし、それに対する批判も「弱者への暴力」として封じられるから。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月12日 02:03

>ナツ氏
>誰とも性的・恋愛関係を望まず、そのことに対する苦悩もない人が、「モテるモテない」を問題にしていると見える「非モテ」を自称するのが納得いかないんですよ。

 umeten氏に関しては、既に「非モテ」からかなり距離を置いていますね。
 私の場合、あくまで「非モテ」にコミットしようとする理由の一つは、「承認問題を抱えている非モテ」や「カウンターカルチャーとしての非モテ」の人達が、その見方のみで固定化されてしまう(あるいは自分達で凝り固まってしまう)のを避けたいからです。「承認問題を抱えている」からといって、あるいは恋愛至上主義を内面化しているからといって、「だったら恋愛至上主義的な価値観に押し潰されて生きてればいい、自業自得だ」とは私は考えません。

>例えば体の弱い子供にも、ただの運痴と分け隔てせず「平等に」スパルタ教育をする体育教師がいます。努力しないから鍛えられないんだと。だけどこうした「平等」が問題を起こすことの方が多いわけで、普通は体質虚弱な者にまで努力を強要しませんよね。

 そもそも、虚弱体質な子供に、そうでない子供と同じ運動量を強いるのは「平等」でもなんでもないでしょう。

>この立場を羨望しているのが自称弱者ではないでしょうか。努力を強要されず、かといって無能・怠惰という評価もされず文句だけは言えるし、それに対する批判も「弱者への暴力」として封じられるから。
>rAdioさんの主張はムチャクチャで戯画的ではあるけれど、自称弱者の本音に少なからず通じるものがあると思ってます。他の人はムチャクチャだと批判されないように「かわいそうな人」を前面に押し出して乗り切ってるだけで。

 この辺りのことについては、話の前提になりそうなことも含めて、新たに記事を書きました。

「非モテ弱者論」を考えるための基礎
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20080111

 なお、私は「自称弱者の本音」なるものを固定的に考える理由はないと思います。コメントにも書きましたし、記事中でも述べていますが、「自称弱者が羨望する『弱者の立場』」は幻想の中にしかありません。そうと分かってしまえば、「本音」もおのずと現実を突きつけられて変わらざるを得ないでしょう。人間の「本音」なり「欲望」なりというものには、その程度の可塑性はあると私は思っているんですが。


投稿者 : ナツ at 2008年1月13日 23:35

●烏蛇さん
>「承認問題を抱えている」からといって、あるいは恋愛至上主義を内面化しているからといって、
>「だったら恋愛至上主義的な価値観に押し潰されて生きてればいい、自業自得だ」とは私は考えません。

恋愛市場主義を内面化しているのは自分なのに、社会や異性のせいにしている他罰的な人には「自業自得だ」と思うし、押し潰されたくないからと他者攻撃を繰り返すのは八つ当たりです。承認されないのも「承認してくれない他人が悪い」わけではない。
そこをどうやって納得していくか、という自意識の問題と、「恋愛・結婚したくない人」へのラブハラスメントの問題、これを混同したり意図的にまぜこぜにしている場合が多々ありますね。これらをまず切り離して、社会に対して訴えるとすれば後者のみにすべきです。完全に切り離すためには「非モテ」を自称するのはマイナスです。

「非モテ問題」として差別を訴えても「モテるモテないがそこまで深刻か」と嘲笑を買うだけで理解されないのは革非同のデモを見てもわかることです。あれを一種のカウンターカルチャーと捉える人はいても、深刻な差別に対する社会運動と思う人はいないでしょう。
ですから社会問題にしたいなら性的少数者に対するラブハラ/アスペなどの障害者認知問題としてアプローチした方が早い。
それをしないのは、承認問題を抱えている非モテが八つ当たりをやめたくないからではないか、としか思えません。そして八つ当たりである以上、それは社会問題にはなり得ないという事です。堂々めぐりですよ。

>そもそも、虚弱体質な子供に、そうでない子供と同じ運動量を強いるのは「平等」でもなんでもないでしょう。

烏蛇さんが「障害者にはできないというのは障害者差別だ」と仰ったので、実際にそれを差別と考えて健康な子と虚弱な子に同じことを強いる教師の例を挙げたんです。
当の虚弱な子供にしてみれば、「お前にはどうせ無理だ」という扱いが苦痛なのか、「お前にもやればできる」と、他の生徒と同じように扱われることが苦痛なのかはわかりません。しかしリスク回避のために前者を選ぶことが常識だと思います。それを「障害者差別だ」とは言えないでしょう。
そしてこの場合、虚弱な子は、無能・怠惰とは言われず、「どうしようもない障害」としてむしろ哀れまれる立場にあります。運痴の子供と違って。
ですからこういう「特別扱い」を求めている人に、「障害者差別だから、そんな『救済』は認められない」という論法で切り捨てることもできないわけです。

>「自称弱者が羨望する『弱者の立場』」は幻想の中にしかありません。

彼ら(自称弱者)を見ていると、「今のままでも十分差別されているのに特権だけがない。それくらいなら差別と抱き合わせの特権が得られる方がいい」と考えているように思えます。それは虚弱な子・運痴の子の話で書いたとおりです。
アファーマティブなんてのは一番目に見えやすく論じやすい問題ですが、実際のところは「障害者をいたわろう」「女性に対する暴力・暴言は悪」みたいな、漠然とした社会的コンセンサス自体が気に入らないんじゃないでしょうか。自分たちこそ弱者なのに、何でお前らばかり気を遣われてるんだ、ってことだと思います。
実際にその「いたわり」の恩恵を受けている者がごく一部だとしても、「『漠然とした空気』それ自体を俺たちに寄こせ。なぜなら俺こそが弱者だから」と迫っている人に、現実的な弱者への手当の内容を話したところで話が噛み合うとは思えないんです。

rAdioさんはもっと露骨に「解同の糾弾会を目指してる」と書いていました。実際には今現在、法務省の通達で糾弾行為は否定されているんですが、「同和問題は怖い」という認識のように、「非モテ問題は怖い。触らぬ神に祟りなし」という「空気」を普及させたいのだとしたら、アファーマティブの内容を論じたところで説得はできないでしょう。


烏蛇さんの新エントリについては一般論として同意だし、説得力があると思います。ただしそれは今問題になっている「自称弱者」以外の人にとって、ということであり、「(自称弱者の)「本音」もおのずと現実を突きつけられて変わらざるを得ないでしょう。」とまで楽観的には思えないんですよね・・・。
もっとロジカルなバックラッシャー相手であればともかく、そもそもロジック自体がない自称弱者には通用しないのでは。だからこそこんなにこじれているんじゃないでしょうか。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月15日 07:08

>ナツ氏
>そこをどうやって納得していくか、という自意識の問題と、「恋愛・結婚したくない人」へのラブハラスメントの問題、これを混同したり意図的にまぜこぜにしている場合が多々ありますね。

 確かにこれはおっしゃる通りで、「非モテ」という括りはこの点で微妙なんですよね。umeten氏が「非モテ」から距離を置いているのはその辺の事情のようです。

>「非モテ問題」として差別を訴えても「モテるモテないがそこまで深刻か」と嘲笑を買うだけで理解されないのは革非同のデモを見てもわかることです。あれを一種のカウンターカルチャーと捉える人はいても、深刻な差別に対する社会運動と思う人はいないでしょう。

 私自身は、革非同の活動はカウンターカルチャーというよりパフォーマンスだと捉えていますし(実際に参加してみて確信しました)、またそうである「べき」だとも考えています。問題は古澤氏が、自身の活動を(実態はパフォーマンスであるにも関わらず)狭義の社会運動であると捉えてしまっていることなんですが。

>実際のところは「障害者をいたわろう」「女性に対する暴力・暴言は悪」みたいな、漠然とした社会的コンセンサス自体が気に入らないんじゃないでしょうか。自分たちこそ弱者なのに、何でお前らばかり気を遣われてるんだ、ってことだと思います。

 はい、まさにこのことを件のエントリで「『弱者』への不信感」と表現しています。益田ラヂオ氏のように「敢えて」こういう主張をしている人はともかく、このような「非モテこそ弱者として認められるべき」という論調が受け入れられてしまうのは、「弱者への不信」を無視しては語れないでしょう。これは別に「非モテ」に限った話じゃなくて、例えば赤木智弘氏の弱者男性論などにも同様の構造が見られます。
 おっしゃる通り、いくら益田氏のような人に理詰めで説得しようとしても意味はないでしょう。氏は「理がないことを分かっていて敢えて」そう主張しているのであり、その感情的根拠が漠然とした「弱者不信」にあるだけだからです。ですが、益田氏自身はともかく、「弱者不信」をそのまま放置すれば、その人達にとって益田氏のような主張が説得力を持ってしまいます。それに対しては「『弱者』が社会からどのように扱われているか」を示すことで、すなわち「弱者の不透明性」を減らすことで、ある程度防止できる可能性もあるんじゃないかと思うのですね。(ただ、これをきちんと整理・峻別するのはかなり大変なことではあります。)

 運動音痴の話は長くなりますので、別に分けます。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月15日 07:09

>ナツ氏
>烏蛇さんが「障害者にはできないというのは障害者差別だ」と仰ったので、実際にそれを差別と考えて健康な子と虚弱な子に同じことを強いる教師の例を挙げたんです。

 これ、よくよく考えてみると、かなり根の深い問題なんですよね……。私も最初はあんまり気付いてなかったですが。
 ええと、こちらのコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20080111#c)で「通りすがりです」氏が

>一 運動が好きで上手になりたいのに、体の効率的な使い方がわからず運動音痴
>二 運動に楽しさが見出せないで、結果的に運動スキルが低いまま育って現状に至る
>三 生まれつきハンデのある肉体なので運動ができない、させてはいけない
>この3つは似ているようでも別で、周囲も同じ対応をしちゃいけませんよね?

 と分けて述べておられますが、この分け方でちょっと考えてみます。
 問題は二と三に「同じことを強いる」という部分です。三のタイプには運動を強いることはできないとして、では二のタイプには強いてもいいのか? そもそも「運動を強いる」とはどういうことなのか? という問題ですね。

 例えば、小学校の鉄棒の授業の中で、二のタイプの子供がいつまでも逆上がりができずに放課後残されて練習を続けさせられ、一方、三のタイプの子供はその「苦役」を免除されていたとしましょう。ここで二のタイプの子供は、三のタイプの子供に羨んだりするかもしれません。これは、三のタイプの子供が「特別扱い」で得をしているのでしょうか?
 「原理的には」そうではありません。学校での体育の授業は、「心身の健やかな成長を助ける」という目的で行われているものです。二のタイプと三のタイプで対応が違うのは、「心身の健やかな成長に寄与する」ためにそれぞれ異なる対応が必要だからです。
 ですが、本当にそうなっているか?というと難しい。「逆上がりができるようになる」というのは目的ではなく手段であって、運動の苦手な子供に「逆上がりを覚えさせる」ことを目的に運動を強いることが本当に「心身の健やかな成長」にとって必要かどうかは怪しいところがあります。だからといって二のタイプの子供は鉄棒やらなくていいよ、とも言えません。

 ここで話がややこしくなるのは、教育にパターナリズムがどうしても入り込んでしまう、という問題を抱えているからです。ここで上記の話を「コミュニケーション不全」に読み替えて「運動→コミュニケーション」としてみると、全く別の問題が浮上してくることが分かります。
 運動の例では「運動をしなければならない理由」は「健全な成長」とパターナリズムでした。この場合、三のタイプの人は一、二のタイプと同様の運動をしない方がより「健全な成長」に寄与できます。
 これをコミュニケーションに置き換えると、「コミュニケーションしなければならない理由」は「社会生活への順応」です。この場合、三のタイプの人は一、二のタイプと同様のコミュニケーションをしない場合は不利益を被ることになります。

 というわけで、この問題は細かく考えていくとかなり厄介なことになりそうです。少なくとも、運動とコミュニケーションで単純な比較は難しい気がします。


投稿者 : ナツ at 2008年1月16日 00:18

●烏蛇さん
>umeten氏が「非モテ」から距離を置いているのはその辺の事情のようです。
どうなんでしょうね。ただ「非モテ」という言葉を使うのを避けているだけで、非モテ論争には普通にコミットされてますし、14日の「対象不明確な」エントリを見ただけでも距離を置いているとは思えないですよ。

>問題は古澤氏が、自身の活動を(実態はパフォーマンスであるにも関わらず)狭義の社会運動であると捉えてしまっていることなんですが。
はい。主催者本人が「社会運動」と定義していながら、全く実効性がない原因の一つは、「八つ当たり」と「深刻な社会問題の提起」がごちゃ混ぜだからだということです。前者を切り離せないから嘲笑されるのに、後者に対して嘲笑されたと腹を立てるのは筋違いですよね。
烏蛇さんはこの点についてどう思っているんでしょう? 「承認問題を抱えている非モテに、内面的価値観に押し潰されて生きろとは思わない」と仰いましたが、ではどうすればいいと思うのか。furukatsuさんのような方法を支持するのか。それとも他に方法があるのか。

umetenさんの記事は、「八つ当たり」という評価すら受け止められず、テロを示唆しているように読めます。わたしは「ラブハラや価値観の押し付け等は問題と考えている」と書いているのに、彼はそれのみならず、恋愛による承認問題を切り捨てられることが不当だと考えているようです。これはご本人にも伺いたいところですが。

>いくら益田氏のような人に理詰めで説得しようとしても意味はないでしょう。
rAdioさんだけでなくはしごたんも、furukatsuさんも、umetenさんも、納得するようには思えないんですが。烏蛇さんの記事を読んで彼らが「弱者」自称をやめるとは考えにくいので。
ロジカルなバックラッシャーの「弱者不信」を放置しておいたら、ロジックなき自称弱者にも正当性を与えかねない、という意見については同意です。
しかし今の「自称弱者」問題はそれとは別ですよね。というわけで、「自称弱者は現実(弱者手当の内容など)を突き付けられれば変わらざるを得ない」という結論についていえば、やはり疑問視している、ということです。


>そもそも「運動を強いる」とはどういうことなのか? という問題ですね。
「運動を強いる」という点は枝葉末節なんですよ。わたしがこんな例を出したせいかもしれませんが、論点がすり替わっている。いちばん言いたかった点は、「無能・怠惰」というレッテルを貼られるか貼られないかです。通りすがりさんの例で言えば、一と二の子供が努力を続けなかった場合、有無を言わさず「無能・怠惰」と評価されます。
社会に出れば皆、何らかの画一性で評価されてしまうものであり、一人一人の過去の事情や心理・個性まで考慮して「心身の健やかな成長」を願って対応してくれる親切な評価者など存在しません。学校はその点まだ多少はマシです。
「無能・怠惰」と結論づけられたくなければ、スキル向上のために努力を継続するしかないし、それが嫌なら「社会が求めるスキルを自分は備えていないのだから確かに無能であり、これ以上努力する気もないから怠惰である」と、甘んじて評価を受け止めるしかない。自分の特性や過去のトラウマなどを関係者各位に説明して回るわけにもいかない。今現在の態度・結果でしか評価されないのは当然です。

そこを諦めきれずに、「無能・怠惰という評価は不当な差別だ」と言い続けているのが自称弱者です。はじめから「ハンデがあるからしょうがない」と哀れまれる立場にある障害者を羨んで、俺たちにもその特権を寄こせと言っている。

この他者の厳しく一律な「評価」から逃れる唯一の手段は、コミュニケーションによって味方・仲間を増やし、「不器用でもそれなりに努力している人」という理解を得ることくらいしかないのですが、そもそもその「コミュニケーション」ができないという話なのでどうしようもないんですね。
この手の評価に晒されているのは何も非モテだけではなく、社会生活する以上、全員が平等に被っているリスクなのですが、それを非モテだけが免除され優しくされたいというなら、それなりのロジックを構築しろと。それもしたくないくせに特別扱いを要求するのは幼児的全能感(略)という最初の主張に戻ります。


投稿者 : げぇ at 2008年1月16日 01:15

「非モテ」まわりの人って基本真面目よな。
社会(っつーかまあ実質的には半径数キロの人間関係なんだけど)には、まあ腹のなかで茶化しつつ、舌をだしつつ適当にあわせてのらりくらりやってけばいいのになぁ。
規範にあわせてを自分をすりへらしてく人を見るのはやっぱり痛ましいし。自己憐憫に陥らず太く生きていける知恵があればいいんだけど。


投稿者 : ナツ at 2008年1月17日 00:45

●げぇさん
>腹のなかで茶化しつつ、舌をだしつつ適当にあわせてのらりくらりやってけばいいのに
それができれば苦労はないというか、息を吸うように簡単にはできないから「非コミュ」なんですよ。わたしもそうだけど。嫌な奴にテキトーに合わせなければならないのは相当のエネルギーを消耗します。
だから非モテの気持ちはわかるんだけど、「社会の構造が変われば自分の周りの人も優しくしてくれる・好意を持ってくれる」とかってドリームだけはどうにもならない。それこそ無駄な方向にエネルギー遣ってるとしか思えない。常に周囲の人と向き合うのを避けて社会だの天下国家だの言い出すのは一種の現実逃避と思います。

「こんな狭い世界に合わせるのはいやだ!俺は自由に生きていくぜ!」と日本を飛び出しちゃった人が身近にいますが、そんなにいやならそこまで突き抜けて、自分の道を切り開けばいいのになあ。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月18日 03:52

>ナツ氏
 まず、古澤氏に関して。
 古澤氏の「社会運動」に実効性がないのは「八つ当たり」が混じってるからではなくて、もともと最初から「社会運動としての実効性」のない運動だからです。こちらの記事の中では何度も書いていることですが、恋愛至上主義に抑圧されていると感じる人達が「団結」しただけでは何も出来ません。明確な政治的対象を持ってないんですから。

 パフォーマンスというのは、社会運動とは異なる形の、ある種のコミュニケーションです。「相手を笑わせる」ことからスタートして、お互いが持っている「固定的な意味性」をずらしていくことが出来れば、パフォーマンスとしては成功だといえます。
 ところが、アキハバラ解放デモの(古澤氏を除く)主催者達は、自ら「批判者を罵倒する」という形で「自分達で意味を固定化」してしまいました。また古澤氏自身も、自らの活動を社会運動と位置付けてしまったことで、やはり「自ら意味を固定化」する愚を繰り返しています。

 「内面的価値観に押し潰されて生き」るのでないなら、その内面的価値観そのものをずらしていけばいいんです。これは単なる「非モテ」側の自意識の問題だけじゃなくて、「恋愛至上主義」寄りの人達とのコミュニケーションと、彼らの内的価値観への働きかけをも含みます。私が古澤氏に一時期期待したのは、パフォーマンスという形での「働きかけ」でした。(結局、古澤氏が自らコミュニケーションの回路を潰すという形で頓挫してしまったわけですけど。)


>rAdioさんだけでなくはしごたんも、furukatsuさんも、umetenさんも、納得するようには思えないんですが。烏蛇さんの記事を読んで彼らが「弱者」自称をやめるとは考えにくいので。

 hashigotan氏や古澤氏については分かりませんが、少なくともumeten氏は私の当該記事に「重要な論点だと思う」とコメントしておられます。「弱者自称をやめるとは考えにくい」などとおっしゃる前に、直接ご本人に尋ねてみては如何でしょうか? ナツさんは、印象だけで相手の「本音」をこうと決め付けているように、どうしても見えてしまいます。

>いちばん言いたかった点は、「無能・怠惰」というレッテルを貼られるか貼られないかです。通りすがりさんの例で言えば、一と二の子供が努力を続けなかった場合、有無を言わさず「無能・怠惰」と評価されます。

 ナツさんの重視しておられるポイントは一応了解しました。

>非モテだけが免除され優しくされたいというなら、それなりのロジックを構築しろ

 「非モテだけが評価を免除され特別扱いされたい」などという発想がそもそも誤りであって、そのようなロジックは構築できないし、構築すべきでもありません。これまでの繰り返しになりますが、「社会的弱者」として認知されている人達は、あくまで「特定の人間だけが特別扱いされる」のではないロジックを構築したからこそ社会的に認められてきたんです。
 確かに「評価」という観点から見れば、「社会的弱者」とされる人達が「評価自体から免れる」ように「見える」場合もあるかもしれません。しかしそれは、そのように「見える」だけであって事実とは異なります。また、ナツさんのおっしゃる「自称弱者」の人達が「評価から免れたい」ようには私にはあまり見えません。ただ、これは個人的な印象の範疇を出ない話なので、ここから先は平行線でしょう。


投稿者 : ナツ at 2008年1月21日 00:43

●烏蛇さん
>「内面的価値観に押し潰されて生き」るのでないなら、その内面的価値観そのものをずらしていけばいいんです。
>私が古澤氏に一時期期待したのは、パフォーマンスという形での「働きかけ」でした。
>(結局、古澤氏が自らコミュニケーションの回路を潰すという形で頓挫してしまったわけですけど。)
furukatsuさんの最終目的が「俺が恋愛できない以上はお前もするな」という「八つ当たり」にある以上、問題の本質はコミュニケーション方法ではないと思われます。つまり主張自体に説得力がないとわたしは考えています。
わたしは恋愛至上主義者ではないので、「非モテに恋愛至上主義を押しつけるな」と言われれば「はい、押しつける気はないです」と答えますが、非モテに関係ないところで自分が恋愛することは躊躇しません。人を好きになること・好きでいることは理屈では止められないし、それはわたしの勝手ですから。
「社会において恋愛が至上」という価値観をずらすことは可能でも、「自分にとっては今のこの恋愛が大切」という内的価値観は消えない。他人のその思いをずらそうとするのは「価値観の押し付け」です。それを弱者差別の名の下にやろうとしているのが革非同でしょう。
コミュニケーションが深化すればするほど目的意識が問題となり、「単なるパフォ」として笑って済まされなくなりますから、批判や嘲笑は強まるだけだと思います。
で、烏蛇さんは意図的に「目的・主張」について語るのを避けている気がするのですが、気のせいですか?

>ナツさんは、印象だけで相手の「本音」をこうと決め付けているように、どうしても見えてしまいます。
rAdioさんについてはわたしと烏蛇さんの「印象」はおおむね合致していると考えて良いでしょうか。
烏蛇さんの「現実を突き付けられれば自称弱者の本音も変わるだろう」という結論も、印象から導き出された憶測でしかないのでは。それがわたしには「決めつけ」に見えたので、彼らの今までの発言からみて、わたしは別の印象を持っています、という話をしたんです。
アファーマティブの内容を知ったくらいで、「現実を突き付けられて改心する」人々という印象は持ってないんですよ。だからわたしにしてみれば、烏蛇さんの認識(印象)はすごく楽観的に見えるんです。

>「社会的弱者」として認知されている人達は、あくまで「特定の人間だけが特別扱いされる」のではないロジックを構築したからこそ社会的に認められてきたんです。
そうとは限らないと思います。過去の被差別的歴史に鑑みて、贖罪的な意味で一種の特別扱いを受けているケースは存在します。アボリジニの優遇措置もそれで「逆差別」と問題になっているくらいです。オーストラリア全体の失業率が上がっても、アボリジニだけは優遇措置でほとんど影響を受けないらしいですから。白人や他の少数民族の失業者にとっては納得がいかない話です。
だから何だと言われれば、そういう歴史認識を社会的に共有することができれば、「特別扱い」と思われるほどの優遇を受けることも不可能ではないという可能性の話です。そのレベルの弱者あるいは被差別者としてのロジックを持ってるの?と言いたいわけです。

>「非モテだけが評価を免除され特別扱いされたい」などという発想がそもそも誤り
それを肯定・推奨しているわけではなく、つまりは皮肉なんですよ。できっこないだろうと。通じなかったようですみません。

>「自称弱者」の人達が「評価から免れたい」ようには私にはあまり見えません。
成績・学歴・社会的地位などで評価されることは納得しているのに(自分も他人を評価しているのに)、コミュ能力で評価される件については納得していないと思います。学歴差別よりも不当な差別と考えているようで、そこが不思議なところです。
また、異性から承認されないことで異性や社会を糾弾すること自体、評価から免れようとする試みだと思うんですが。「あなたは恋愛対象にならない」という周囲の評価に納得していないわけですから。

印象が合致する限りは印象で語ることを互いに問題にしませんが、ひとたび食い違うと「あなたは印象論で決めつけてる」という話になってしまいますね。確かにこれでは平行線です。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月21日 05:09

>furukatsuさんの最終目的が「俺が恋愛できない以上はお前もするな」という「八つ当たり」にある以上、問題の本質はコミュニケーション方法ではないと思われます。つまり主張自体に説得力がないとわたしは考えています。

 うーん。古澤氏の「最終目的」なるものがそうと決まっていれば話は簡単ですけど、おそらくそうではないと思います。古澤氏の行動は単に「非モテのための利益」という漠然とした抽象概念を追い求めているだけのように見えます。私が彼のことを指して「中身がない」と言っているのも、その辺に由来します。彼の主張に説得力がないというより、主張そのものが存在しないんですよ。
 当然ながら、デモを行っている以上「何か確固たる主張なり信念なりがあるはずだ」と見ている人は思います。そういう視点で見ると古澤氏の行動はまるで理解不能に見えるでしょう。「最初から目的そのものがないのだ」とは普通は思わないでしょうから。私も実際に会って話を聞くまでは、そこまでは思っていませんでした。

>過去の被差別的歴史に鑑みて、贖罪的な意味で一種の特別扱いを受けているケースは存在します。アボリジニの優遇措置もそれで「逆差別」と問題になっているくらいです。オーストラリア全体の失業率が上がっても、アボリジニだけは優遇措置でほとんど影響を受けないらしいですから。白人や他の少数民族の失業者にとっては納得がいかない話です。

 はい、これはおっしゃる通りで、「弱者の特別扱い」に関してはちょっと言い過ぎでした。「社会的弱者」が「特別扱い」ではない、という話はあくまで原則論(べき論)であって、現実とは必ずしも一致していない、というのはご指摘の通りです。この点は撤回します。
 しかしながら、そのような「特別扱いの社会的弱者」が場合によっては成立し得るという前提に立つならば、「特別扱いされたいならそれなりのロジックを組め」と言うのは尚のことまずい気がします。たとえそれが皮肉のつもりであったとしても。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月21日 05:13

 私とナツさんの考え方の差は、欲望ないし目的意識が「どのくらい固定的なものか?」という点にあるように思えます。ナツさんは、「恋愛したい」という欲望、あるいは「俺が恋愛できない以上はお前もするな」といったような願望を(環境の変化に左右されないという意味で)根源的なものと捉えておられるように見えます。
 私はそのような欲望や願望を、それほど根源的なものとは考えていません。むしろ、現実離れした脆弱な幻想の上にかろうじて立っている砂上の楼閣のように捉えています。そのような幻想は、現実に直面する何らかのきっかけさえあれば簡単に崩れます。「自分の心の傷に精神科の薬など効かない、恋愛で承認されるしかないんだ」と言ってあれほど精神科にかかるのを拒んでいたhashigotan氏が、実際に精神科にかかった途端にこれを引っくり返したのが良い証拠です(http://d.hatena.ne.jp/hashigotan/20080109/p1)。もっとも、「社会的弱者≠特別扱い」であることを示しさえすれば「幻想」が崩れるとは私も思っていません。私の記事http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20080111で述べていることは、「社会的弱者」の範囲を捉え直し、彼らの「自称弱者という名の弱者叩き」を食い止めるための防波堤みたいなものです。
 問題は、どうしたらその「脆弱な幻想」が崩れるのか、ということになります。イカフライ氏などは「じゃあ現実に恋愛してみればいいじゃん」と言っておられるわけですけど、私にはそうは思えないのですね。ここから先は話が反れるので、今は詳しく述べませんが。

 ちなみに、私が古澤氏の「デモという名のパフォーマンス」に期待していたのは、このような部分でした。「非モテ」と「モテ」はどちらも恋愛至上主義を内面化している点で共通していますが、お互いの持つ幻想のパターンは異なります。しかし両者の間にはコミュニケーションが乏しいので、お互いの幻想がぶつかって変質するということがありません。そこで一方からの幻想がパフォーマンスに落とし込んで表現され可視化することで、お互いの幻想が変質していく契機になることを期待していたのでした。実際には、そう簡単に事は運ばなかったわけですが。


投稿者 : イカフライ at 2008年1月21日 13:56

名前が上がったんでちょっと横レス。
>イカフライ氏などは「じゃあ現実に恋愛してみればいいじゃん」と言っておられるわけですけど、私にはそうは思えないのですね。

 あのさ、勝手に人の意見ダイジェストしないで欲しいんだけど。そこまで喪処女喪童貞にこだわって、頭がそれでぐるぐる一杯になっちゃうんなら、恋愛すれば?といっているだけであって。

 そもそもはしごたんだって恋愛(まあ、会ってもいないネット上のやり取りだけを恋愛とまで言えるのかどうかがと言えば恋愛未満ですが)した事によって、自分の中の幻想(恋愛に寄って全てが救われる)が違っていた事が解ったわけでしょ、それできちんと精神科に通院しはじめることが出来た。ただ、彼女の恋愛観は共感できる部分も多いです、特に感性の深い部分で繋がる関係とかね。

>どうしたらその「脆弱な幻想」が崩れるのか
 これってイソップの「酸っぱいブドウ」じゃないのですか?自分が手が届かなくて食べられないから、あのブドウは酸っぱいんだと決め付けると言う。
 というか、恋愛が幻想だ、なんてことは、多かれ少なかれみんな解っていると思うよ。伊集院静だっけ?「愛は錯覚です、だから100年間錯覚して見ませんか?」とプロポーズしたのは。


投稿者 : 烏蛇 at 2008年1月21日 17:33

 上のコメントを書いたあとでhashigotan氏のセックス報告エントリを読んで、色んな意味で苦笑いでした。

>イカフライ氏
 あががが、すみません。ちょっと乱暴にまとめすぎましたね。

>というか、恋愛が幻想だ、なんてことは、多かれ少なかれみんな解っていると思うよ。

 恋愛が幻想だ、って言うだけなら誰でも言えます。問題は、その幻想がどう実際の関係に影響を及ぼしてるか、ってところだと思うのですよ。


投稿者 : げぇ at 2008年1月21日 22:27

ここはいいバター工場ですね。

いい加減しょうもない非モテ話よりも、
ナツさんのオタ話を読みたいなあと思ってます、わがままな一読者としては。


投稿者 : ナツ at 2008年1月22日 00:57

●烏蛇さん
>古澤氏の行動は単に「非モテのための利益」という漠然とした抽象概念を追い求めているだけのように見えます。
>彼の主張に説得力がないというより、主張そのものが存在しないんですよ。
彼の理想は以前言っていた、「(非モテが恋愛できないなら)誰も恋愛しない社会」だと思いますね。ただ、それを前面に押し出したやりかたでは反発を食らうと気がついたので、表向き「非モテのための利益」という漠然とした抽象概念に切り替えたんだと思います。
今回の一連のエントリでよくわかりました。「批判により現実を突き付けられて」考えを変えていったのかと思っていたら、中身は何も変わっていなかった。ただ批判されたくないから主張を抽象化して、パフォーマンスで誤魔化していただけだったんですね。
furukatsuさん本人は「俺には中身がない」と開き直っていますが、他人の意見に合わせて変化しているのはあくまで表面的なものだけです。ここまで各方面から批判されても、未だに「恋愛の再配分」だの「自由恋愛を制限する」だのという妄想を固持し続けている。これほど頑固な人は見たことがないです。

>「特別扱いされたいならそれなりのロジックを組め」と言うのは尚のことまずい気がします。たとえそれが皮肉のつもりであったとしても。
「アファーマティブは全て妥当である。特権など存在しない」というのが嘘である以上、そういう論法で彼らを説得することはできないし、「そんな特権は間違っている」と言っても無駄だと思います。「事の善悪など関係ない。実際に特別扱いされている弱者はいるじゃないか」と思っている人間に対して、考え方の間違いを指摘しても無意味です。
だから、どこからどう見ても自称弱者は悲惨な歴史を背負った被差別者ではない。弱者としての説得力に欠ける。我々(強者認定された側)が贖罪すべき論理的根拠もない。と言ってるわけです。
ただ、「自称弱者による弱者叩きを食い止めたい」という烏蛇さんの意図は理解しました。

>そのような幻想は、現実に直面する何らかのきっかけさえあれば簡単に崩れます。
はしごたんは、何度も書いてますが非モテとしては異色です。こんなに行動的で、傷つくことも怖れず突っ走っていく非モテは他に見たことない。だから現実に直面して挫折する機会にも、逆に欲しいものをゲットする機会にも事欠きませんが、他の大抵の非モテは「見たくない現実に直面する状況」そのものを回避しているので、いつまでたっても幻想は崩れません。「モテたい」という本音からすら逃げてる人が多い。
固定されてるのは願望や目的意識よりも、「幻想を壊したくない(現実を見たくない)」という逃避的姿勢だと思います。

>「非モテ」と「モテ」はどちらも恋愛至上主義を内面化している点で共通していますが、お互いの持つ幻想のパターンは異なります。
>そこで一方からの幻想がパフォーマンスに落とし込んで表現され可視化することで、お互いの幻想が変質していく契機になることを期待していたのでした。
いや、革非同のパフォーマンスは「モテない人々の自虐芸」以上のものには見えませんよ。「クリスマスのカップルイベント粉砕」を旗印にしてる以上、恋愛至上主義的価値観を補強するだけなのはわかりきった話じゃないですか。
嫉妬する人間がいなければ「二人きりのお楽しみ」以上のものではないのに、非モテが糾弾することにより、モテない人間に羨望されるイベントとして再定義されるんです。これは変質どころじゃない。強化でしょ。

ただ、ルサンチマンをパフォーマンスとして昇華するのは面白いと思ったし、目的意識を「価値観の解放」という方向性に変えれば道も開けるんじゃないかと期待して見てたんですけどね。でも今回、「お答えします」ってエントリ読んでああこりゃ駄目だと思いましたわ。


投稿者 : ナツ at 2008年1月22日 01:01

●げぇさん
すみません。なんかあまりにも話が噛み合わないので、どうしてここまで食い違っちゃうんだろ?とムキになってました(笑) 烏蛇さんとは根本的に見えてるものが違うらしいです。
オタ話・・・っていうと漫画とかゲームとかですか? 年明けてからちょっと落ち着かないんで、シムピ中断しっぱなしなんですよね。まあぼちぼち。


投稿者 : げぇ at 2008年1月22日 23:30

関わった人間だっれひとり幸せになってませんからねぇ、非モテ議論。中心人物はどんどん自爆してくし。呪われてるとしか思えないっすよ。どんな喜劇だ。

結局、一人勝ちしたのは自分の雑誌をだせて、念願のラノベも出版できた本田透だったという。本田自身はインタビューで(たしか読売新聞)「負け女性には実は恨みはない。本を売るために意図的に煽った」ってなことをいっていて、いま思うと随分罪つくりだなあと。


投稿者 : Q at 2008年1月23日 02:45

本田秀というひとがラノベを出したんですか、2ちゃんで電車男を作ったのも自演的ですからね。ネットの議論て商売になるんだ。へぇ〜


投稿者 : ナツ at 2008年1月24日 00:20

●げぇさん
>関わった人間だっれひとり幸せになってませんからねぇ、非モテ議論。中心人物はどんどん自爆してくし。
そもそも異性や社会への糾弾行為自体が「自爆テロ」ですからね・・・自分が愛されない理由を求めて犯人探して三千里。犯人なんかいるわけがない以上、どこまでいっても「八つ当たり」にしかならない。

>「負け女性には実は恨みはない。本を売るために意図的に煽った」
「負け犬の遠吠え」を書いた女性も同じことを言ってるらしいですね。本田氏の「電波男」を読んで、「オタク男性に恨みはなかった。本のためにわざとオタクを叩いた」と謝罪したという話。その点はどっちもどっちと言えるかと。


投稿者 : えむけーつー at 2008年1月27日 02:12

>本を売るために意図的に煽った
マジギレしてた俺はいったい……。
そりゃ本気だとは思えなかったわけです。本気で論陣張ってると思えばこそ、マジギレもするわけで。
まあ、虚実入り混ぜて、商品として売れるものを作ったんだから、そこは非難されるべきところじゃないでしょうけど、だとしたら、せめて本田透って人には、種明かしはやめてほしかったな。

いいや。えろげの続きやろ……。


投稿者 : ナツ at 2008年1月29日 21:37

●MK2さん
>本田透って人には、種明かしはやめてほしかったな。
まあ、今頃種明かししても、異性や社会へのルサンチマンは一部男性に確実に根付いてますし、電波男だけが原因でないとはいえ、ミソジニーブームの一角をになったことは確かです。本田氏本人もそれを自覚してヤバイと思っているからこそ、最近になって「本気じゃなかった」だの「三次元を攻撃する非モテイクナイ。二次元の世界にこもってろ」だのと必死に弁解してるわけですね。でも彼の罪(?)の重さは変わらないと思います。

あ、今さらですが、昨年末に送ったメール届いてます・・・よね?前に人妻と間違えられて削除されたのでちょっと気になっていた(笑)


投稿者 : えむけーつー at 2008年1月30日 00:09

あ、ごめんなさい。届いてます。
なんか一生懸命返信書いてるうちに長くなって、推敲してるうちにワケわかんなくなって、下書きフォルダに入ってます。近々、並みの迷惑メールよりよっぽど迷惑な長文メールが行くかもしんないで、心の準備よろしくです。



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