● 前回のエントリの非モテ論議が失敗するありがちなパターンについて、細かいツッコミが入ったのでお答えします。
「議論が失敗する」のが「極端なケース」ではなく良くあることならば、「ありがち」というのは何を指していて「極端なケース」は何を指しているのでしょうかね?
Diary of Dary
非モテ論議に首を突っ込んだばかりの初心者は、わたしもそうだったのだけど、前エントリに書いたような提案をする人が多いんですよ。「相性の合う人を捜せばいい」的な楽観論を提示したり、自分や周囲の人の恋愛経験から語ったり。それがまず「ありがちなパターン」ということ。
ところがそれらの意見は、まずもって非モテに受け入れられたためしがない。多くの非モテは、「非モテのことを分かっていない。それ以前の問題なんだ」と消極的に否定し、一部の「極端な」非モテは、ブコメないしコメント欄で論者を罵倒したり、痛烈な人格攻撃をはじめる。これもありがちなパターン。
つまり、どっちにしろ否定的な反応しか得られないし、反論から議論が発展する、ということもあまりないので、議論を目的とした場合、提案をした時点ですでに「失敗」している。結局のところ有効なアドバイスにもならないので、その意味でもまあ「失敗」かと。
ただし、いくら非モテにとっては「的外れな論」であったにしても、論者への人格攻撃や言葉尻をとらえることに終始したり、「どうせお前は非モテを"上から目線"で見下したいだけだろ? キモイと思ってるんだろ? オナニーして死ねとか思ってるんだろ?」というねじくれた解釈をして攻撃する必要はないはずです。
そういう「極端な」非モテがしゃしゃり出てくると、必ずと言っていいほど議論がグダグダになります。彼らは論者を完全に「憎むべき敵」と見なしているので、相手の言葉を正しく理解しようという気もなければ、内容に対するきちんとした反論をする気も、はなからないわけですから。
そういう悪意ある非モテに対してはいいかげんウンザリしてるので、前回のエントリの主目的は、彼らに対する「悪意あるこき下ろし」です。それを隠すつもりは毛頭ないんですけどね。ダダ漏れなんだから。
それとは別に、これから非モテについて言及する人に対して、「非モテ論議においてこういう提案をすると、こういう反発をされる可能性がある」という、注意喚起の意図があって書いてます。前回記事で述べているように、もともとはこのブクマとかこのブクマのコメントを読んでいて考えたことですから。
ただ「注意しろ」と書くのはすこし押し付けがましいし大きなお世話なので、「私的メモ」というエクスキューズを付けて内向きにしておいただけ。(*1)
それともうひとつ。
たしかにこういう「極端な非モテ」はごく一部の存在ではあるのだけど、多数派の穏健な非モテにとって、彼ら「こじれた非モテ」は、一体どういう存在なんだろう?という疑問を常日ごろから持っているんですよね。
「同じ非モテとして恥ずかしい」のか、「頭がおかしい」と思っているからこそスルーの対象なのか。「賛同はしないが、同じ非モテとして同情する」から黙殺しているのか。
それとも、「そんなおかしな非モテは一部だろう!」と我々には言いつつ内心では、彼らの露悪的なルサンチマン、少しのためらいもない他者への攻撃性に、心の中で共感したり、拍手喝采したり、溜飲を下げているのではないか。
論者が女性だというだけで蔑視してみたり、
自分は他人を馬鹿にしまくるのに、自分が少しでも馬鹿にされたと感じると、「非モテの苦悩は深刻なのに茶化しやがって」と憤ったり、
「本田透の虐待された過去はかわいそう」と言う人がいれば、「上から目線で見下してる蛆」と憎しみを込めて中傷したり、
非モテへの意見や批判はすべて、「要するにオナニーして死ねってことだろ?」と極論でまとめたり、
弱者であることを盾にして発言責任から逃れつつ、「強者」と認定した相手を攻撃したり、
はては、恋愛の話を非モテの前でするだけで差別だから、自由恋愛を制限して恋愛格差をなくすべしと唱えてみたり。
自分がやりたくてもできないこと、言いたくても言えないことを正直に喚き散らし、欲望をむき出しにして暴れている。
そうした存在が穏健な非モテにとっても必要だからこそ、彼ら「攻撃的な非モテ」の存在は容認されているのではないか。
「容認などしていないし、賛同もしていない」というのであれば、彼らを非難する者が現れるたびに、「そんなのは一部だろ。あんたはわざわざ極端な例を出して叩いてるだけだ」という反論に終始し、彼らの存在そのものについて議論しよう、という姿勢を示す非モテがほとんどいないのはなぜなのか。
そうした疑惑が湧いてくるわけです。今回もおおむねその通りの展開ですし。
「こじれた非モテ」の罵倒はただの逆ギレで、まともな反論を相互に行って論を煮詰めていけるような代物ではない。しかし、「ただの逆ギレだから」とスルーしていてもこれらはなくならない。
あらたに非モテ論議に参入する初心者(モテ)が現れるたびに、飛んでいって攻撃し、その「初心者」が、非モテのことをもっと深く知ったり、誤解が解けるひまもないうちに、非モテに対する悪印象を植えつける。
こういうことのくり返しが、非モテ全体にとって弊害であるということについて無自覚過ぎやしないかと思うので、極端な例を提示してるわけです。
「非モテ」がマイノリティだからこそ、一般人にとっては「よく知らない」存在だからこそ、こういう状況は致命的なんじゃないでしょうか。そもそも「非モテ語り初心者」が、非モテから見て的外れな言及をすることが多いのも、「非モテをよく知らない・誤解している」部分があればこそなわけでしょう。
「非モテ問題を少しでも正しく知ってもらいたい」という気がないんでしょうか。ないなら、そもそも「非モテ」を自称してブログで問題提起しているのは、いったい何のためなのかという話になる。
誤解されたり悪印象を持たれたまま、言及・批判をされることに文句を言うのも筋違いだということになります。(*2)
また、「非モテを誤解している論者」は放置せず速攻で叩くのに、一方で「まともな反論を放棄し、中傷や曲解しかしない非モテ」を放置するとしたらフェアじゃありません。
加えて、彼らがなしくずしに議論をグダグダにしていくのを黙視するのは、結局のところ「非モテを誤解させる要素」を温存することにつながります。
temtanさんをはじめとする非モテの多くは、わたしに対しては、「非モテ全体に悪印象を持たれるような極論はやめろ」と非難するのに、そもそもの問題である「こじれた非モテが発言する極論」に対しては、「非モテ全体に悪印象を持たれてしまう」という危機感をまったく抱いていないらしいことが不可解です。
こういうことを言うと、「女だって悪事を犯している女をいちいち糾弾しないじゃないか。女全体が悪印象を持たれてもいいってことか?」みたいなおかしな反論をする人がいるんですが、ネットにおける「非モテ」というのは、男性・女性という生物学的なカテゴリとは違う、一種の思想集団みたいなものですよね。モテなくても「非モテ」を自称していない人はごまんといるんですから。(*3)
モテないことをアイデンティティにし、モテないことによる苦悩や疎外感をよりどころにしてレーゾンデートルを問うているような存在。「恋愛資本主義」「恋愛至上主義」などの造語による主張・世界観からみても、あえていえばカルトに近い。
たとえば、オウム真理教がサリン事件を起こしたら、在家信者までが迫害されたように、「ものの考え方・価値観・世界観」をおおむね共有する者たちが、わざわざ自称している属性が「非モテ」であるならば、ある非モテの「非モテとしての発言・自己主張」が、他の非モテにも影響を与えるのは避けられないことだと思うのですが。
そのへんについての無自覚さが気になるわけです。
わたしもそういう、「こじれた非モテ」とのグダグダな言い合いに火をくべている点は自覚しつつも、たいがい学習能力がないので、懲りずにまたツッコミを入れる。ということを繰り返していますから、確かに自戒の意味はあまりありませんけどね。
ただしスルーしてもまた別の論者に粘着して議論をグダグダにするだけです。
それは不毛な行為であり、そんなことをしてもさらに非モテ叩きが加速するだけだと批判すれば、「俺達に黙ってオナニーして死ねと言うのか」と逆ギレ。以下ループ。
この非モテ論議におけるネガティブスパイラルに変化をもたらすためには、外部による批判よりも、非モテ自身による自己批判が必要だと思うのですが。
さて、非モテ自身は「こじれた非モテ」の存在をどう考えているのでしょう。
わたしの言いたいことはそんなところですが、ご理解いただけたでしょうか。
● そして今回のブクマも例示通りのコメントがついている件について。
「重度の非モテは手の施しようが無いから黙って独りで生きて死ね」「その辺は俺もすげえ同感っていうか〜独りでオナニーしてろって話なわけで」でお馴染みの
↑ これは前エントリ例文の(3)に相当するコメントですね。
(3)「モテたくないならモテなくても良いじゃん? 同じとこでぐるぐる回ってないで、一人で趣味にでも没頭したらどうだろう」と提案するとキレられる
モテたい非モテに対して、「異性と親しくなるにはあーしてこーして」という話をすると、「モテたくない人」がやってきて、「モテを強制するな恋愛至上主義者め」と罵られ、
モテたくないと言ってる非モテに対して、「誰とも恋愛する気がないなら、趣味を楽しみながら一人で生きるのもひとつの生き方だよね」という話をすれば、「モテたい人」がやってきて、「非モテは黙って一人でオナニーして死ねってことですか。あーはいはい」と悪意に満ちた解釈をされる。
みたいな法則が発動してますね。
このコメントに限らず、非モテ論議におけるすべての発言について、「非モテ、あるいは非モテ論議にとってマイナスかプラスか」で考えるより、「発言者が非モテかそうでないか」の方が重要だというのなら、もう何をか況やなんですが。
blogランキング参加中過激派やそのシンパは目立つのに穏健派の反応は弱いのは、一重に非モテといっても定義も裾野も広がりまくった今ではその温度差にも違いがあるからでは。
大抵の非モテはネットで流布されてる非モテ定義みたいなのを見て「ああ、これ俺にも当てはまるわ」くらいの認識であって一部の過激派以外には「非モテであること」に対してカルトに比するような帰属意識があるとは思えません、だから他所の誰ともわからない非モテが何言ってようと、その結果非モテへのネガティブなイメージが増幅されたとしてもそれほど強い関心を示さないんじゃないでしょうか。そもそも「穏健な非モテ」はモテないながらも、自分の中で自身や周囲に対してある程度納得してるケースが多いから、非モテエントリを探し回っては恨み辛みや訴えたいことをぶちまける非モテ原理主義者みたいなのと喧々諤々やり合うことにリソースを割く気もなければそうする意義も見出せないんだと思う。
● 山中馬のすけさん
>他所の誰ともわからない非モテが何言ってようと、その結果非モテへのネガティブな
>イメージが増幅されたとしてもそれほど強い関心を示さないんじゃないでしょうか。
いや、言及先のtemtanさんは、多分穏健派の非モテだと思いますが、今回わたしが「過激派非モテ」をこき下ろした記事に反応しているわけですよ。
あとブクマにおける非モテの反応を見ても、「べつに〜ネガ非モテがパンピーに噛み付いてるのなんかどうでもいいし、気に入らないならどんどん叩けばいいじゃん。穏健派の俺には関係ないし」という恬淡とした態度の人は少ない。
「俺はそんなことはしてないのに、一部のおかしな非モテをやり玉に挙げて非モテ全体に対する印象操作をしている」という反応が出て来るということは、ネガティブイメージに対して危機感をもっている証拠じゃないのかなあ。
>「穏健な非モテ」はモテないながらも、自分の中で自身や周囲に対してある程度納得してるケースが多いから、
>非モテエントリを探し回っては恨み辛みや訴えたいことをぶちまける非モテ原理主義者みたいなのと
>喧々諤々やり合うことにリソースを割く気もなければそうする意義も見出せないんだと思う。
それならば、非モテ原理主義者に対する批判者と喧々囂々やり合うことも無意味だ、となりそうなものですが、実際はそうではない。そこが疑問なんですよね。
どうも、はてなの id で temtan の人です。記事を読ませていただきました。
こちらで「矛盾じゃないか?」と指摘した部分について、理解しました。矛盾はしていませんね。この記事を読んで、前回の記事で想定していたことはちゃんと理解できたんじゃないかと思ってます。
それで今回こちらに聞きたいことについて。
要するに「一部のこじれた非モテ」の行動と前回のナツさんの記事は「普通の人の『非モテに対する印象』を下げる」という点では一緒だけど、なんであっちは放置でナツさんには今回みたくなるの?という事でよろしいでしょうか?
確かにダブルスタンダードみたいだなあと思ったのですが、ちゃんと説明できるほど掘り下げてません。
こちらの罵倒している記事に対して真剣に答えて下さったからにはちゃんと回答したいと思っています。ので、申し訳ないですが、私用により相当遅れる(1week近く行くかも)しれませんが、必ず回答しますので暫く待ってて下さい。
●temtanさん
はじめまして。
>「一部のこじれた非モテ」の行動と前回のナツさんの記事は「普通の人の『非モテに対する印象』を下げる」
>という点では一緒だけど、なんであっちは放置でナツさんには今回みたくなるの?という事
そうですね。あと、「極論」という点でも同じです。
どっちも叩けよ!というよりですね、なんつーか、わたしの口だけを封じても、こじれた非モテがブクマやブログなどで暴れて目立っているのを放置していれば、ネットで彼らに絡まれた人、それを見ている傍観者が「非モテキモイ」とドン引きする状況にまったく変化はない。わたしはその状況を指摘してるんです。指摘する人間がいなくなったとしてもやっぱり現実は現実なわけで。
つまり、非モテへのネガティブイメージを無くしたいにしては、手段が目的に合致してないんじゃない?ということです。
>こちらの罵倒している記事に対して真剣に答えて下さったからにはちゃんと回答したいと思っています。
今回は皮肉っぽい煽り臭い記事を書いたので、temtanさんのような反応は予想してましたから。わたしに限らず非モテでも、あからさまな悪意には悪意が返ってくるものですよね。
でもちゃんと真剣に筋を通して論じた時でも、「オナニーして死ねというのか」という悪意的な反応が返ってきたりするので、非モテ・非コミュ問題については本当に何を書いても反発があるのは経験上わかってるんですけど。
>「俺はそんなことはしてないのに、一部のおかしな非モテをやり玉に挙げて非モテ全体に対する印象操作をしている」という反応
これを言うのに無自覚にしろ自覚的にしろ過激派の暴言は看過している場合は、穏健派というよりは過激派の消極的なシンパだと思う。
主張よりも属性を重視する人がこういう反応を取っているのでは。
つまり意見は違えど同じ悩みを持つ人間が滅茶苦茶なこと言って身内を貶めるケースよりも、悩みを共有してない(ように見える)人が同じ悩みを抱えた人間を攻撃した場合のほうがより強い反感を覚えるんだと思う。
同じ民族の違う勢力同士で普段は反目しあってても、異民族に攻撃されると大同団結することは珍しくないけど、その規模の小さいことが非モテ界隈でも起こってるのではないでしょうか。特に非モテであることに強くアイデンティティを感じている人ほどこの傾向があるような気がします。
>「べつに〜ネガ非モテがパンピーに噛み付いてるのなんかどうでもいいし、気に入らないならどんどん叩けばいいじゃん。穏健派の俺には関係ないし」という恬淡とした態度の人は少ない。
少ないというより解脱しちゃってたり我関せずみたいなマイルドな意見の人はエントリ読んで反感覚えた人に比べて発言しないから目につきづらいだけだと思う。
その結果、相対的にこの手の議論で目立つのは非モテ批判に超反応で反撃してくるような過激派と上記したような過激派の他罰性にはついてけないけど非モテ攻撃には反感を持つ人たちばかりになって
>非モテ原理主義者に対する批判者と喧々囂々やり合うことも無意味だ、となりそうなものですが、実際はそうではない。
というような惨状になっているような気がします。
●山中馬のすけさん
>主張よりも属性を重視する人がこういう反応を取っているのでは。
>意見は違えど同じ悩みを持つ人間が滅茶苦茶なこと言って身内を貶めるケースよりも、
>悩みを共有してない(ように見える)人が同じ悩みを抱えた人間を攻撃した場合のほうがより強い反感を覚える
そうそう。結局そういうことなんだろうなあと思わざるを得ないんです。でもそんな感情的な対応ばかりでは、目的がいつまで経っても達成されないんじゃない?と。非モテの主張をネットで知らしめるどころか、反感買いまくってばかりじゃ。まじめに非モテについて考えたり議論しようとする人がいても、反論ではなく罵倒して追い払っている状態ですから。
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