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2008年6月30日

『真の愛の実現』という妄想 〜 秋葉原殺傷事件に思うこと

● 「マスコミは派遣制度の問題を無視し、個人の恋愛問題に帰することで事件の本質をうやむやにしようとしている。問題は現代の奴隷制である派遣だ」
「一度は正社員になれたのに、自ら退社して派遣になったのは加藤だ。彼女いない暦=年齢というコンプレックスが加藤を押し潰した」
「家庭環境が最大の原因だった」



等々、事件からしばらく経った現在でも、秋葉原殺傷事件は多くの議論を呼んでいる。
結論から言って派遣制度に問題があることは事実だと思う。派遣を含めたワーキングプア問題全体が深刻な社会問題であり、これを一括して「自己責任」に帰することはできないとも思う。
ただし、加藤本人が「派遣であること」を最大の苦悩としていたかどうかはあやしい。



客観的に見れば、恋愛などより仕事や生活の方が「ずっと重要」だと思えるし、犯罪は許容できないものの、日本の派遣制度の異常なまでの労働者不利な現状を考えれば、将来に何の希望も持てなかった彼の閉塞感も想像がつくのだ。
しかし主観と客観はまた別物である。
加藤ばかりではなく、深刻な社会問題など二の次にして、「彼女がいないのがすべての元凶」、「恋人さえできれば人生は薔薇色になるはずなのに」という、あきれるばかりのドリームを見ている人々が多数存在することは事実だ。



このあたりの事情を理解できない者は、どうにかして派遣問題一本に絞って事件を語ろうとしているようだが、非モテ・非コミュ関連の議論を見続けてきた人ならば、「雇用格差」「労働条件の格差」などよりも、キモメンよりイケメンがモテるという「恋愛格差」(*1)の方が重大視されてきたネットの一部特性について考えざるを得ないと思う。
たとえば、


(1)派遣社員(ワープア)で雇用が安定していないから、いまを生きるのに精一杯で将来の見通しも立たない。彼女もできないし結婚も夢のまた夢 → 派遣制度の見直しを主張し、労働者の権利について問題提起しよう


というまともな主張ではなく、


(2)派遣社員だから彼女もできないし結婚も夢のまた夢 → 男に経済力を求めて高望みをする女が悪い。人間性だけを判断基準にして相手を選べばいいだけなのに、顔や収入や学歴で伴侶を選ぶ打算的な肉便器ばかり。最近の女が醜いのがすべての元凶


という方向にねじまがっている言説をよく見かける。これは秋葉事件以前からの話で、なにも今に始まったことではない。
加藤のようなワープアや、果ては「あんたは恋愛どころではないだろう」という無職ニートまでもが、雇用問題などより「モテない苦悩」を重視して、政治家や企業ではなく一般女性を攻撃する。
Kanose氏はこの現象を、『「ネットで賛同されやすい不満」というのがわかっているために選ばれた話題』と説明している。
つまり、金や仕事の問題より、モテるモテないの方が共感されやすいから、ネットはそういう不満のコピペだらけになる。よって、加藤の本当の不満が恋愛とは限らない、ということだが、わたしは少し違う考えを持っている。



● 「真の純愛を実現するためには、美しい女性が不細工なホームレスと無条件に結婚しなければならない
革命的非モテ同盟のfurukatsu氏はかつてこう主張した。このような「真の愛」とやらが実現されない限り、この世は打算的で心の醜い女ばかりの、絶望的な格差社会だということらしい。
(それを言うなら、ホームレスの薄汚いオバサンが若いイケメンに愛されなければ「打算的な男しか存在しない」という理屈も成立するわけだが。それを想定しているのだろうか。)
加藤の書き込みを読んでいても、この歪んだAll or Nothingの価値観に脳を冒されていると感じる。



(1)「派遣で不細工な俺」を無条件に愛してくれるかわいい彼女を作る(*2)
(2)その目的を達成したら、働く気が起きるから向上心を持って仕事も頑張る
(3)収入が増えたり正社員になって人生何もかもうまく行くはず



こういう脳内計画を立てていたらしいのだが、(1)の時点ですでに計画がつまづいているので、当然のことながら、いつまでたっても先へ進めない。(『彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊』
つまり彼は、「努力で収入が安定し、将来性が確保できたとして、そのおかげで彼女や嫁ができても嬉しくない。それは俺の経済力が目的なだけの寄生虫だからである。俺自身の価値を認めて愛してくれる女でなければやる気が出ない」と考えていたと思われる。派遣や雇用問題より恋愛問題を重視するのは、この心理によるものではないか。
こうした価値観はそれこそコピペのようにネットの至るところで散見されるものであり、furukatsu氏のいう「真の愛」の話もこれの一形態である。
(そして自分が、ブスで貧乏で根暗で何も取り柄のない女性に恋しないことは「打算」とは思っていないのも、共通のダブスタだ。)


しかしこれもまた、実のところは言い訳に過ぎない。今の時点では不可能な目的をいちばん最初に掲げることによって、実行可能な目的から無意識に逃げているのである。「打算的な女が悪い」という、ネットに流布する物語が自己正当化を後押しする。
このパターンは加藤の発言の至るところに見て取れる。


「服や靴に興味がない人は恋愛する資格がないのですね。服、服、服、服、みんな服です。どうして服にこだわるのでしょう。イライラします」
「顔だよ顔 全て顔 とにかく顔 顔、顔、顔、顔、顔」


彼女が欲しいという加藤の悲痛な叫びを携帯サイトで聞きつけ、とりあえず彼が自分でできそうなことを周囲はアドバイスするのだが、「何でみんな服にこだわるのか」とはねつけ、解決不可能な問題「顔」を持ち出して、「顔が不細工だからなにをやっても無駄」と自己完結し、何もしようとしないことの理由づけにする。
当然だ。彼は「何をすべきか」の答えを求めて書き込んでいるわけではない。「何もしなくてもいい」と言ってもらうために書き込んでいるのだから。
「あなたは精一杯努力している。外見・学歴至上主義の女や社会の犠牲になっているだけ。これ以上何もしなくていい。ありのまま、そのままのあなたが好き」
という回答が、たぶん唯一の「正解」なのだ。



● ただし、万が一、「正解」をひきあてた女性がいたところで、彼がその女性を信頼するかどうかは別問題である。わたしにはうまくいくとはとても思えない。
以下のやりとりを読むとそれがよくわかる。


16:14 人生に楽しいことなんて一つもありませんよ。どうせネットですし、はっきり書けばいいじゃないですか。「主(※加藤のこと)の存在が不愉快。死ね」と。


2:29 主こんばんわ。アタシ中卒で、元カレもヤンか職人だった。でも今は大卒の超真面目なリーマンと付き合ってる。人生どう転ぶかわからないね


4:55 こんばんわ。やっぱり女性は学歴を気にするのですね。三流の短大卒の私にはチャンスはなさそうです。自分だけが取り残されています。そんな私の気持ちは誰にもわからないでしょう


4:34 ぶっちゃけアタシ前は主大嫌いだったんだ。主は何に対しても否定的な感じで。でも毎日このスレを見るようになったら主みたいな人もありだなと思うようになった。冗談抜きで友達になりたいと思うようになったよ


(?) それは嬉しいですけれど、私と友達になってもあなたにとっては何のメリットもないですよ


15:21 彼女が居れば、何事も耐え忍び死ぬ気で頑張りますよ



友達になりたいと言ってくれた女性に対しての加藤のレス。「何のメリットを求めているのか」、「これ以上俺から何を奪おうというのか」という根深い猜疑心・人間不信がかいま見える。
この後に、「彼女が居れば頑張る」と書いているのは、「彼女になるくらいの覚悟がなければ友達としても信用できない」という意味だろう。「友達になりたい」と「女性が」いうのは、加藤にとっては「距離を置きたい/彼氏にするのは無理」ということと同義であり、そのまま拒絶の言葉と同じである。
しかし、「彼女になりたい」と「正解」を口にする女性が現れたとしても、やはり彼はこう言ったはずだ。「嬉しいですが、私の彼女になってもあなたには何のメリットもないですよ」。


これは拒絶ではない。彼はあらかじめ試しているのだ。メリットもないのに俺の彼女(友達)になる覚悟が本当にあるのか。ダメな俺を無条件で愛する覚悟はあるのか。俺がどんな酷いことを言っても見捨てないか。決して俺を裏切らないと誓えるか?と。
顔も知らぬ相手にいきなり、「我にすべてを捧げよ。さもなくば信用しない」と要求する25歳の幼児に根拠不明の怒りをぶつけられて、何気なく書き込んだ人々はなすすべもなく退散するしかない。


5:11 みんな死んでしまえ。上辺だけの友達。言葉だけの友達。実際は他人。みんな敵。友達が欲しい。本当の友達が欲しい


5:32 皆を踏みにじったのはお前。友達できるはずがない。しねよ


5:50 他人の不幸は蜜の味。みんな死ねばいいのに。警察に電話したら、緊急性が無いのに110使うなって言われた。緊急なんだけど


6:00 いったい何の用でかけた?


6:01 ネットいじめ。みんなが俺を陥れようとしている



誰にもかまわれず放置されるようになり、加藤はますます自分勝手に喚き散らすようになる。
そんな人間を救える者が、果たして存在するのだろうか?



(多分)続く。



*1: この論理が通用するなら、ブスより美人がモテることも格差ということになり、美少女を求める男性心理も「差別」として断罪されるがそれでいいのだろうか?
*2: 「アニメ声で巫女服の似合う小柄な美少女」を紹介しろと後輩に要求したらしい。



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投稿者 : ナツ at 2008/06/30 | カテゴリー : 気になるニュース・ネタ , 心理
コメント

投稿者 : furukatsu at 2008年6月30日 11:21

こんにちは、furukatsuです。

一つお伺いしたいのですが、私は過去「真の純愛を実現するためには、美しい女性が不細工なホームレスと無条件に結婚しなければならない」と言っていたかの記憶があいまいです。出来れば、どこでそのようなことを言っていたか指摘してもらえれば幸いです。
また、もしかすると、そのような真の愛なんてものは存在しないのだから、という論旨で話していたかもしれませんので、読者に誤解をあたえないためにも具体的にご指摘願えるようお願いいたします。


投稿者 : furukatsu at 2008年6月30日 20:22

こんにちはfurukatsuです。

自分で過去ログをあさって調べましたが、当時の私の発言の意図としては、個人の情緒的関係は、一般的に利害や功利による関係とならざるをえない、ということを意図してのものです。
ですから、女性の性質が特別悪いというような意図はありません。人間は私を含めて一般にクズでごうつくばりであるという当たり前のことを述べているにすぎないものです。
だから、私は真の愛なんて基本的に存在しないと思っているのですが…


投稿者 : ナツ at 2008年7月 1日 07:13

●furukatsuさん
自己解決されたようですが一応。
>(furukatsuさんは、「ホームレスを愛する美女の愛こそ正義だ」とおっしゃっていましたが)
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2006/1221070056.php#986
検索したんですが、わたしのブログではこれしか出て来ませんでした。うちのコメント欄じゃなくて、furukatsuさんのところか、他のコメント欄に書き込まれたことだったんですかね?

>人間は私を含めて一般にクズでごうつくばりであるという当たり前のことを述べているにすぎないものです。
「これを悪と言っているのではなく、そんなもんだと言っているだけです。」とも書かれていますね。
furukatsuさんは口先では「そんなもんだ」「自分も含めて」と納得したようなことを書いていますが、そのことに対する失望感を隠すことには成功していません。「どうせお前らの大事にしてる愛なんてみんな打算と取引だよ」と貶めている。自分の厭世観を根拠にして他人まで巻き込んで、「みんなクズでごうつくばりだ」と断罪している。
「(みんなやっていることなのだから)俺も汚い大人になってやる」
と豪語した例の賄賂騒動のように。
どうせみんな汚い。打算的だ。ズルばっかりしてる。furukatsuさんの世界観や人間観には終始そういうところが見える。その意識が結果として人をあなどり貶めることにつながり、相手の怒りを買うことを、furukatsuさんはもうご存知のはずです。

わたしは以前、こうレスしました。
>「愛とはそんなもんだ。だから、この世界も人間も醜い」というのと
>「愛とはそんなもんだ。それでも、この世界も人間も美しい」
>というのでは、まるっきり話が変わってくる。

なぜここまで多くの小市民が享受している「恋愛関係」を貶めたいのかというと、それはやはり「真の愛」(とfurukatsuさんが考えるところのもの)が実現しないからだと思いますが。
あまりも完全無欠で純粋なものを理想として掲げ、それに合致しないものは「どうせこの程度の下らないものだ」と決め付ける。「理想」どおりに行かない現実に勝手に絶望する。それをわたしは「All or Nothing」と呼んでいます。非常に一神教的な世界観ですね。
(すべての人間には生まれながらに原罪がある、自分の罪を認めろ!というアレです)
furukatsuさんは自分では「俺は現実主義だ。貶めてるんじゃなくて現実なんだ」と思っているのでしょうが、厭世観=理想の高さの裏返しなのは古今東西変わりません。つまり、たいへんな理想主義者だと思います。革命家ってものはそういうものですけど。


投稿者 : furukatsu at 2008年7月 2日 18:46

お疲れ様です、furukatsuです。

>http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2006/1221070056.php#986
>検索したんですが、わたしのブログではこれしか出て来ませんでした。

多分、それのことだと思います。

>どうせみんな汚い。打算的だ。ズルばっかりしてる。furukatsuさんの世界観や人間観には終始そういうところが見える。その意識が結果として人をあなどり貶めることにつながり、相手の怒りを買うことを、furukatsuさんはもうご存知のはずです。

私が、その考えにとらわれてしまっているばかりに失敗をしてしまうことは認めます。
しかし、人は汚く打算的である、という認識の方がより世界を合理的に説明できると考えるところです。人間が美しく自己犠牲的であれば、戦争なんて起きないわけで。

>なぜここまで多くの小市民が享受している「恋愛関係」を貶めたいのかというと、それはやはり「真の愛」(とfurukatsuさんが考えるところのもの)が実現しないからだと思いますが。
>あまりも完全無欠で純粋なものを理想として掲げ、それに合致しないものは「どうせこの程度の下らないものだ」と決め付ける。「理想」どおりに行かない現実に勝手に絶望する。それをわたしは「All or Nothing」と呼んでいます。非常に一神教的な世界観ですね。
>(すべての人間には生まれながらに原罪がある、自分の罪を認めろ!というアレです)

私が理想主義者である、という側面があることは否定しません。
しかし、実現しないから貶めているとは考えていません。おおよそ、社会(日本全体だけを意味しません)には支配的な言説というものが存在します。人間は本質的に文化の檻から逃れることはできないわけですから、何かしらの価値観や言説が力をもってしまいがちです。
しかしながら、その言説は万人にとって利益になるものではない、というのも事実であると思います。例えば、旧来の女は家庭に入って〜、というような言説は、そこで利益を得る人もいれば、不利益を被った人もいるわけです。であれば、支配的と思われた言説や価値観が自らにとって不利益であるならば、それを貶めることは合理的に理解されうるものであると考えます。
人は見たいものしか見ない、という議論が正しいならば、私は恐らく私が見たいものであるところの「人は醜い」というというのは私の見たいものであったのでしょう。しかしながら、それは「それでも、この世界も人間も美しい」というのも見たいものであることを示すでしょう。そのように考えれば、これらは立場や利害に根ざす問題であると把握せざるをえません。
円柱は横から見れば長方形ですが、上から見れば円です。同じ物に多面的な見方が存在することは当然のことです。であればこそ、自分の立場や利害を考えて円柱を上からか横からか見るより他はないと考えるところです。

あと、私はカルヴィニストではないですが、人間には醜い本性があり、それは認めなければならないとは考えています。

私が理想主義かどうかは分かりませんが、しかし、ナツさんと私では世界の見方が違うのは言えるかと思います。しかも、両方とも同じ物を見てますし、嘘をついているわけでもありません。であれば見方ぐらい自分で選ぶしかないでしょう。そして、「それでも、この世界も人間も美しい」という見方が私の利益になるならば、そのときは黙っていても宗旨を変えると思います。


投稿者 : ナツ at 2008年7月 3日 00:50

●furukatsuさん
話が伝わってないなあ。わたしはfurukatsuさんの厭世観を(今は)批判するつもりはないし、宗旨替えをしろと迫っているわけでもありません。自分の理想の高さに対して無自覚じゃないですか?と指摘しているだけです。
新エントリを読むと、「俺は理想が高くないよ。真の愛は手に入らないとわかってるよ」と仰ってますが、そういうことを言ってるんじゃないってことです。
「所詮この程度のものしか手に入らない」という失望こそが理想の高さ、傲慢さのあらわれだ、という話をしています。「こうあるべき愛」とか「こうあるべき人間像」を勝手に高く設定しているから、そうでない現実に対してクズだとか汚いとか言う。「真の愛があるべきだった。それがあれば全てうまく行ったのに」と本音は不満たらたらじゃないですか。
「そんな絶対的な愛はない」と本心から納得している人は、不満など最初からない。『あるべき愛』という幻想自体持ってない。喧嘩しては仲直りする「小市民的恋愛」で十分満足していますよ。
そのあたりはこちらの方がうまく説明なさってますけど。
http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080701/1214923268

>人は汚く打算的である、という認識の方がより世界を合理的に説明できると考えるところです。
>人間が美しく自己犠牲的であれば、戦争なんて起きないわけで。
ほらね。「自己犠牲的な愛さえあれば全てがうまく行ったはず」と思ってるんですよね。「そういうことにされちゃいました」とわたしを揶揄してましたが、実際はおとぎ話を信じているんだよなあ。
その無自覚さが気になって仕方ないから突っ込んでるだけで、おとぎ話を信じること自体はfurukatsuさんの、そして加藤の自由なんです。おとぎ話を根拠にして他人に喧嘩を売りさえしなければ。
(plummetさんとのいざこざの件や、社会や女性や恋愛に対する「断罪」の話をしてます。バカ高い理想を提示されて、「理想どおりじゃないから、みんなクズでごうつくばりだ」とか言われても困るんですよ。加藤の場合はその厭世観が嵩じて無差別殺人にまで至りましたが。)


話は戻りますが。「自己犠牲的」でないなら、人間はみな「汚く打算的」であるということですね。やっぱり「全てか無か」なんですね。
その考え方の是非はともかく、合理的でも何でもないです。
たとえば「自己犠牲的」信念に基づいて戦争をする人たちだっています。自爆テロなんてその最たる物ですし。自分の身を神と同胞にささげ、イスラム教国を救うためだと信じて死んでいく。これぞまさしく「自己犠牲的愛国心」。それでも戦争はなくならず悪化するばかり。打算より大事な物があるからこそ泥沼にはまっていくことはままあります。
こんな複雑な世界を合理的に説明づけられる「絶対的世界観」などあるはずがないですよ。それこそおとぎ話以外には。

そもそも「人は汚く打算的である」が真なら、plummetさんはあなたの贈った賄賂を喜んで受け取り、何の問題も起きなかったはずじゃないですか。そんな極端な世界観を「合理的な認識」などと盲信しているからこそ失敗したのに、まだ懲りてないんですね。ふしぎー。


投稿者 : furukatsu at 2008年7月 3日 01:57

お疲れ様です、furukatsuです。

>「所詮この程度のものしか手に入らない」という失望こそが理想の高さ、傲慢さのあらわれだ、という話をしています。「こうあるべき愛」とか「こうあるべき人間像」を勝手に高く設定しているから、そうでない現実に対してクズだとか汚いとか言う。「真の愛があるべきだった。それがあれば全てうまく行ったのに」と本音は不満たらたらじゃないですか。
>「そんな絶対的な愛はない」と本心から納得している人は、不満など最初からない。『あるべき愛』という幻想自体持ってない。喧嘩しては仲直りする「小市民的恋愛」で十分満足していますよ。

なるほど。確かにそうですね。理想条件などというありもしないものを想定していたことそのものが問題だというのは理解します。
一般論としての人間は欲深いというような考えを拡張しすぎてました。いわゆる、理性的な人間が自らの利害に基づいて合理的に判断するというのは近代合理主義の信仰です。現実的に人は最適な戦略をとらないものですし、利害以外の諸事情に左右されます。欲の深い人間だって、家族を守るために犠牲になることを厭わない、というような事態は充分想定されますし、それは利害や功利で説明しづらいものであることは言えるかと思います。そこを忘れていました。
その意味では「小市民的恋愛」で満足するのも妥当な結論ではあると思います。しかしながら、全員がそれでいいと納得しているわけではないというのも現実としてあるかと思います。私は、その点から鑑みてなんかしらの施策を打たねばならないと考えます。
喧嘩を売るな、と叱りつけたところで考えが変わる人間ばかりではありません。「小市民的恋愛」を信じてもそれにありつけない人間だって出現するでしょう。いずれにせよ自由恋愛は本質的に格差を産むものではありますから、「小市民的恋愛」を強く信仰すればするほどそれにありつけない自分を卑下したり、社会に怨嗟を抱くとも考えられます。その点は考えなければならない事項であると思います。
教化キャンプ作るわけにもいきませんし、現状追認をひたすらすることが幸せだというのはそれはそれで問題があります。この点はいかがお考えでしょうか?


投稿者 : ナツ at 2008年7月 5日 10:55

●furukatsuさん
>「小市民的恋愛」で満足するのも妥当な結論ではあると思います。
>しかしながら、全員がそれでいいと納得しているわけではないというのも現実としてあるかと思います。
>私は、その点から鑑みてなんかしらの施策を打たねばならないと考えます。
「全員が納得しろ」などと言ってません。むしろ逆です。自分の価値観を確立せず、周囲に惑わされているから問題が起こるのだと思います。
理想の異性を胸に抱き続け、「いつかきっと現れる」と思い込んで幸せに暮らせるなら、どんなに理想が高くてもその人の生き方は尊重されるべきですよ。
だけど理想の高さが、「あるべき愛の形」への飢餓感が常に不満を呼び、社会や異性への怨念と攻撃を生むだけならそんな理想は有害です。今回の事件も「現実が思い通りにならないあまりの逆ギレ」としか言いようがないですから。

>喧嘩を売るな、と叱りつけたところで考えが変わる人間ばかりではありません。
>この点はいかがお考えでしょうか?
逆にこっちが訊きたいです。加藤のような人間に対して「社会や施策が」承認を与えるとして、いったい何ができるのかと。
叱りつけても意味がない。承認を与えれば良いだけだと、いとも簡単そうにfurukatsuさんはいう。友達になりたいと言った人すら拒否して喚き続ける人間になにをしてやれば「承認を与える」ことになるんですか? 具体的にお願いします。

わたしは加藤のような人はどうにもできないと思っているし、そもそも見知らぬ他人を救うなんておこがましいことは考えてないので、何か事件が起こったら自分なりの分析・感想を書くだけです。どういう心理状態でこんな事件を起こしたのかということに興味があって、頭の中を整理するために文章を書いているだけなので。

加藤の書き込みは際限のない責任転嫁に満ちていますが、「社会が承認を与えてやらないから悪い」というfurukatsuさんの見解は、ますます「彼女がほしいのにできない」人間を社会への攻撃に走らせるだけだと思います。
つまりfurukatsuさんの考え方は加藤の責任転嫁を肯定し正当性を与えるものであって、害悪だと思っています。「承認を与えない社会が悪いよねー」というだけで実際には彼女はできないのだから、ますます飢餓感と逆恨みを煽るだけじゃないですか。
派遣制度の方は政府が重い腰を上げて「見直そう」という姿勢を示し始めましたけど、政治が救えるのは所詮「ここまで」なんですよ。心の飢餓はそれぞれ自分でどうにかするしかないです。

もし政治が何かすべきだとしたら、その認識を人の心に植えつけることですかね。「何もかも国が福祉が救ってくれる。不可能はない」というのがそもそも幻想なわけですから。


投稿者 : Q at 2008年7月 8日 10:06

世の中理想の愛なんて無いんじゃないでしょうか。容疑者の場合はそれが周りに無さ過ぎると感じていたのかも知れません。


投稿者 : furukatsu at 2008年7月 9日 01:02

お疲れ様です、furukatsuです。

>「全員が納得しろ」などと言ってません。むしろ逆です。自分の価値観を確立せず、周囲に惑わされているから問題が起こるのだと思います。
まず、そうそう簡単に自分の価値観が確立出来る。とは私はとても思えません。つい周囲に流されてしまう、などという経験は私もありますし、ナツさんにも覚えがあるでしょう。
それ以前に、人間は文化の檻やエピステーメーにとらわれ、そこから逃れることはそれを破壊することでしか為しえず、しかしながら破壊した先にあるのは新たな文化の檻であるという問題もあります。
いずれにせよ、なんかしらの支配的価値観が存在し、それに反旗を翻すことはコストの高いことです。ですから、人は周囲に惑わされがちである、というのを前提にしなければならないと私は考えます。

>逆にこっちが訊きたいです。加藤のような人間に対して「社会や施策が」承認を与えるとして、いったい何ができるのかと。
>叱りつけても意味がない。承認を与えれば良いだけだと、いとも簡単そうにfurukatsuさんはいう。友達になりたいと言った人すら拒否して喚き続ける人間になにをしてやれば「承認を与える」ことになるんですか? 具体的にお願いします。
方法は様々にあると思います。
彼はのめり込めなかったようですが、オタク趣味を通じて二次元のキャラに傾倒するというのも方法論としてはありますし、身近な職場の人間と呑み会でウサを晴らすことも出来たのかもしれません。私のように社会運動をやってみるというのも方法論の一つです。

>わたしは加藤のような人はどうにもできないと思っているし、そもそも見知らぬ他人を救うなんておこがましいことは考えてないので、何か事件が起こったら自分なりの分析・感想を書くだけです。どういう心理状態でこんな事件を起こしたのかということに興味があって、頭の中を整理するために文章を書いているだけなので。
見知らぬ他人を直接に救うことは、まぁ、困難な事業でしょう。しかし自分の周囲を見渡せばそういう不遇感を感じている人は居ると思われます。そういう人を少しでも救い上げていくというようななんかしらのアクティビティこそ重要なのではないですか?
それとも、自らの周りで非モテ問題でコンプレックスを感じている人間を叱り飛ばして劣等感を植え付けることが正義だと?

>つまりfurukatsuさんの考え方は加藤の責任転嫁を肯定し正当性を与えるものであって、害悪だと思っています。「承認を与えない社会が悪いよねー」というだけで実際には彼女はできないのだから、ますます飢餓感と逆恨みを煽るだけじゃないですか。
「承認を与えない社会が悪いよねー」というふうにギャーギャー騒げばとりあえずウサも晴れるでしょう。どう考えても合同結婚式方式で無理やりに彼女を作ってやるなんてことは不可能なわけですから、そういうアプローチは無理です。しかしながら、承認を与えない社会が悪いと叫んでデモやるなり、同じ意見を持つ仲間とともに愚痴でも語り合えばそれは、違った結果を生んだでしょう。
それとも、承認を与えられないのは仕方ないから、諦めてロボットのように生きるべきと仰しゃいますか? それはそれで結構ではあるのですが、そのように、人間の価値を貶めて、何も無いロボットに仕立て上げることこそ今回の事件の原因であったと私は考えます。


>派遣制度の方は政府が重い腰を上げて「見直そう」という姿勢を示し始めましたけど、政治が救えるのは所詮「ここまで」なんですよ。心の飢餓はそれぞれ自分でどうにかするしかないです
>もし政治が何かすべきだとしたら、その認識を人の心に植えつけることですかね。「何もかも国が福祉が救ってくれる。不可能はない」というのがそもそも幻想なわけですから。
もちろん、政治、行政の出来ることには限界があります。しかしながら、恋愛や結婚の制度的側面というのは極めて社会的な問題であるというのも言えるでしょう。文化人類学の教科書には必ず交叉イトコ婚を始めとする婚姻の社会的、文化的枠組みが語られます。これは、結婚や現代の「恋愛」と呼ばれるシステム、そしてそれを取り巻く諸々の環境が極めて社会的な問題であることを示すでしょう。デュルケームの自殺論を引くまでも無く、このような個人的と思われるような問題は実はそこに社会的な背景があることは論をまちません。
であればこそ、心の飢餓があるのならば、それなりの社会的対応も出来るでしょう。先日、東尋坊で自殺者を救ってる方についてNHKで放送されていましたが、このような活動を社会化し編成していくことができれば、それはその「心の飢餓」というのもその一部は救っていくことが出来るでしょう。
そういうことを考えずに「心の飢餓はそれぞれ自分でどうにかするしかない」と自己責任論にもっていくことが私は正義にかなうとはとても思えません。それは、社会の成員としての責任放棄であり、よりよい社会を作ることを諦めた敗北主義です。


投稿者 : hoge at 2008年7月 9日 05:23

加藤は「承認が与えられないのは社会が悪い」論に背中を押されて、あんな犯行に及んだんじゃないかって気もするけどなぁ。
非モテ論壇は加藤を救うどころか、むしろ追い込んでないか?



投稿者 : YTK at 2008年7月 9日 21:23

furukatsuさんに聞きます。
「承認を与えない社会が悪い」の「承認」の意味は?
この「承認」、自称非モテの人間が手前勝手に作った抽象的な言葉としか思えないんですよ。
自分らの解釈で自己完結してる言葉であって、第三者には全然伝わらない。
そんなもの社会に求められても困る。そもそも「承認」の使い方、間違ってませんか?
承認というのは必ず目的語を伴うはずです。たとえば医薬品を国内で使用する場合、
必ず厚労省の「承認」を得なければなりませんが、これは輸入・製造・販売などの承認を得るという意味です。
ただ「厚労省から承認を得る」と言っただけでは、「何の?」と聞き返されるということです。

一体、社会は「何の」もしくは「何に対する」承認を与えればよいというのでしょうか。

そもそもfurukatsuさん自身が本当にわかってるのかが一番怪しいのですよ。その証拠として
「だから承認するって何してやればいいのか具体的に教えて」というナツさんの問いに対する
furukatsuさんの答えをまんま列挙すると

「オタク趣味を通じて二次元のキャラに傾倒する」「身近な職場の人間と呑み会でウサを晴らす」
「私のように社会運動をやってみる」「承認を与えない社会が悪いと叫んでデモをやる」
「同じ意見を持つ仲間とともに愚痴でも語り合う」

これがfurukatsuさんの言うところの「社会からの承認」ですよね。
これを言われて納得しろって言われて、納得できる人間ているのでしょうか。
こんな自分でもよくわかってないようなものを、とりあえず社会を悪にしてまで要求するのが非モテなんですか?

結局、furukatsuさんはナツさんの
「furukatsuさんの考え方は加藤の責任転嫁を肯定し正当性を与えるものであって、害悪だと思っています。」
という意見に全く反論できない。
それどころか社会の在り方やら弱者の救済やらにまで持論を展開して大風呂敷広げてますが、
「だからどうすりゃいいんだよ」という核心を問われれば、上記の程度しか答えられない。
furukatsuさんの主義主張や行動で、非モテ問題でコンプレックスを感じている人間は救われるんですかね。
「自己責任論にもっていくことが私は正義にかなうとはとても思えない」とまで言ってますが、
自己責任もまともに負えない甘ったれた成人による、「承認を与えない社会が悪い」という他者責任論の
究極的に最悪の結果が今回の加藤の事件ですよね。

だからhogeさんの言うところの
「非モテ論壇は加藤を救うどころか、むしろ追い込んでないか?」
は、あまりに的を射た会心の一撃だと思いました。

ナツさんすいません、長々とお邪魔しました。


投稿者 : furukatsu at 2008年7月 9日 23:37

YTKさん

お疲れ様です、furukatsuです。
>「承認を与えない社会が悪い」の「承認」の意味は?
>この「承認」、自称非モテの人間が手前勝手に作った抽象的な言葉としか思えないんですよ。
>自分らの解釈で自己完結してる言葉であって、第三者には全然伝わらない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
マズローの三角形の下から3番目から4番目にかけての段階に関する問題といえばいいでしょうか? マズローの三角形が万能理論とは言えないのですが、いわゆる非モテ界隈で承認と言われている問題は、このあたりの問題です。
この話に合わせるならば親和の欲求や自我の欲求を満たすことが問題であると言い換えられるでしょう。私が例示したソリューションは、二次元で疑似的ににせよ、社会集団を通じてというかたちにせよ、親和の欲求や自我の欲求を満たすことに向かっているものであると考えます。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080508/p2
他にもこのへんで色々な処世術が紹介されているのでぜひ。


>自己責任もまともに負えない甘ったれた成人による、「承認を与えない社会が悪い」という他者責任論の
>究極的に最悪の結果が今回の加藤の事件ですよね。
確かに、モテないことも、自分で自分が認められないことも、不遇感を感じていることも自己責任といえば自己責任です。多くの普通の人は派遣労働でモテなくても殺人はしません。
しかし、いわゆる承認の問題の場合でも親和の欲求や自我の欲求が満たせられなかった背景に社会的な問題が無いかといえば嘘になるわけです。たとえば、不安定雇用であれば、会社への帰属感は低くなるでしょうし、また労働を通じて周りから認められることが給与や昇進といった形で認められる可能性が低くなります。恋愛だって然りで、人は常に満足のいく恋愛が可能であるわけではないですし、そもそも自由競争が格差を産む事が真理であるならば、自由恋愛もまた恋愛において格差を産み出すことでしょう。
そのような前提の上で、いわゆる非モテを自称して吹き上がっている人々に「てめぇらの自己責任だ、オナニーして勝手に氏ね」と言ってもまったく意味がないですし、むしろ敵愾心とルサンチマンをつのらせるだけです。
もちろん、そのように考えたり、そう言うことは自由ではあるのですが、そういうことをやっていれば第二第三の加藤が現われても仕方ないですよ、と私は思います。だったらむしろ、そういう人間をどうやって救いあげて「承認」を与えるかを考えたほうがいくらかマシな社会が作れると私は考えます。
それともこう言えばいいですか?「非モテ問題は自己責任である。勝手にルサンチマンをつのらせる不穏分子は排除すべきである!!」と。私も命令に従って鉄道のキップの手配ぐらいはやってのけますよ。


投稿者 : ナツ at 2008年7月10日 00:21

●furukatsuさん
>オタク趣味を通じて二次元のキャラに傾倒するというのも方法論としてはありますし、
>身近な職場の人間と呑み会でウサを晴らすことも出来たのかもしれません。
>私のように社会運動をやってみるというのも方法論の一つです。
だから、それをわたしは最初から言ってるんじゃないですか。「自己の価値観を確立するしかない」と。周囲の恋愛至上主義だかなんだかに惑わされず、オタク趣味でも友達づきあいにでも「価値」を見出せればこんな事件は起きなかったはずなんです。
ところがfurukatsuさんは、「周囲の価値観に流されるのは必然だからそれは無理だ」という。「じゃあ、具体的にどうすれば救われるの?」とこっちが訊けば、その舌の根も乾かないうちに、「恋愛以外のことでウサを晴らせば・・・」と言い出す。こんな明確な矛盾にどうして気がつかないのでしょうかね?
加藤が救われるには、「恋愛による承認」という願望を捨てて、他の価値観を確立するしかない。しかし加藤は「それができなかったから」凶行に走った。「社会が悪いから社会が救え」と言ったとして、では具体的にどうすればこういう人を救えるんですか、と尋ねているんですが。

>そういう人を少しでも救い上げていくというようななんかしらのアクティビティこそ重要なのではないですか?
ではあなたが救えばよろしい。それが可能だと信じているということは当然あなたにはできるのでしょう。
「自分が愛されないのは社会が悪い」と本気で思い込んでいる人が救われるには、その考えを変えるしかないとわたしは思いますが、その世界観はそのままで望みのものを与えることで救えると考えているなら、自分が率先してやってみるべきです。
furukatsuさんが加藤のような人を救いあげ、可能性を示してくれれば、賛同者も増えるかもしれませんよ。

>活動を社会化し編成していくことができれば、それはその「心の飢餓」というのもその一部は救っていくことが出来るでしょう。
カウンセリングやメンタルケアなどという「同情」や「福祉」で心の飢餓が本当に救われるなら、いくらでもやればいい。今だって無料ではないけどカウンセリングは受けられるし、現実問題として加藤に必要なのはプロのカウンセラーだったと思ってます。「友達になりたい」という素人の女の子の「同情」では彼の救いにならなかったんですから、最終的にはそれしかない。
だけどわたしがそう書くとあなたがたは必ず反発するんですよね。はしごたん騒動の時もわたしは通院を提案しましたが、さんざん批判されました。なのにfurukatsuさんからの「具体的な提案」もやっぱりその程度。

結局の所、社会が救うとかなんとかいったって、同じ所にいきつかざるを得ないんですよ。飢えた心が救われるには、「社会」を変えるのではなく、本人の価値観を変えるしかない、と。「社会から」ケアやカウンセリングが与えられても、本人に変わる気がなければどうにもなりはしません。
何度でも言うけど、自分の心を変えることは自分以外にはできないんです。わたしのいう自己責任とはそういうことです。


投稿者 : ナツ at 2008年7月10日 00:30

●通行人さん
ご紹介のブログは以前に目を通しておりました。非常に説得力のある分析だと思います。それにからめて家族問題の方にも言及したかったんですが、ちょっと忙しくて書けずにいます。


●hogeさん・YTKさん
>非モテ論壇は加藤を救うどころか、むしろ追い込んでないか?
わたしもそう思ってます。加藤タイプの人間にとって、「自分は悪くない・社会が悪い」論は無差別テロへの願望を誘発するだけで、救いにはならないという話をしているんですが、furukatsuさんにはさっぱり通じないようです。
「人を傷付けたら世の中が変わると思った」と言っている加藤のフォロワーがまたもや無差別傷害で捕まりましたし、深刻に危険性を感じはじめています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080707-00000030-kyt-l26


投稿者 : furukatsu at 2008年7月10日 00:41

ナツさん

おつかれさまです、furukatsuです。
>だから、それをわたしは最初から言ってるんじゃないですか。「自己の価値観を確立するしかない」と。周囲の恋愛至上主義だかなんだかに惑わされず、オタク趣味でも友達づきあいにでも「価値」を見出せればこんな事件は起きなかったはずなんです。
>ところがfurukatsuさんは、「周囲の価値観に流されるのは必然だからそれは無理だ」という。「じゃあ、具体的にどうすれば救われるの?」とこっちが訊けば、その舌の根も乾かないうちに、「恋愛以外のことでウサを晴らせば・・・」と言い出す。こんな明確な矛盾にどうして気がつかないのでしょうかね?
支配的価値観に責任がないとでも?
ある特定の価値観が支配的であれば、その他の価値観は劣位に置かれるものです。
たとえば、いい年こいて美少女が出てくるアニメを見てたり、人形いじってたりすれば周囲からは冷たい視線を浴びるわけです。
そんな自分の価値観を作り上げて支配的価値観に反旗を翻せるほど強い人間ばかりではない、ということをお忘れではないですか? 最終的には恋愛以外のことでウサをはらすしかないですが、それでもその背面に恋愛が支配的な価値観を形成し、それ以外の価値観を社会的劣位に置いているという現状があるでしょう。
トヨタの派遣労働者よりマッキンゼーのコンサルの方が社会適評価は高いんです。自衛隊崩れの三流企業サラリーマンよりゴールドマン・サックスのトレーダーの方が社会的地位は高いのです。

>加藤が救われるには、「恋愛による承認」という願望を捨てて、他の価値観を確立するしかない。しかし加藤は「それができなかったから」凶行に走った。「社会が悪いから社会が救え」と言ったとして、では具体的にどうすればこういう人を救えるんですか、と尋ねているんですが。恋愛を支配的価値観から降ろして別の多様な価値観を認めていくより他はないでしょう。いずれにせよ、何かしら別の価値観によって社会的に認められ、自らを認めていくという課程を踏まねばならないのですが、それが支配的価値観の圧力によって妨げられている以上、その相対的地位を偏向するという手段が適当であると考えます。

>ではあなたが救えばよろしい。それが可能だと信じているということは当然あなたにはできるのでしょう。
>「自分が愛されないのは社会が悪い」と本気で思い込んでいる人が救われるには、その考えを変えるしかないとわたしは思いますが、その世界観はそのままで望みのものを与えることで救えると考えているなら、自分が率先してやってみるべきです。
やってます。
少なくとも自分自身は完璧ではないにせよ救えたという自信がありますし、私の周りの人々もひきこもりから復帰したりとそれなりに救われている感じはあるので、一応、やってるつもりです。

>カウンセリングやメンタルケアなどという「同情」や「福祉」で心の飢餓が本当に救われるなら、いくらでもやればいい。今だって無料ではないけどカウンセリングは受けられるし、現実問題として加藤に必要なのはプロのカウンセラーだったと思ってます。「友達になりたい」という素人の女の子の「同情」では彼の救いにならなかったんですから、最終的にはそれしかない。
>だけどわたしがそう書くとあなたがたは必ず反発するんですよね。はしごたん騒動の時もわたしは通院を提案しましたが、さんざん批判されました。なのにfurukatsuさんからの「具体的な提案」もやっぱりその程度。
確かに、通院の提案を突っぱねて批判したことは間違いでした。その方法論の是非はよこに置くとしても何かしらの方法論は必要です。

>結局の所、社会が救うとかなんとかいったって、同じ所にいきつかざるを得ないんですよ。飢えた心が救われるには、「社会」を変えるのではなく、本人の価値観を変えるしかない、と。「社会から」ケアやカウンセリングが与えられても、本人に変わる気がなければどうにもなりはしません。
本人を変わる気にさせることが必要なのではないでしょうか?
結局、ある人の価値観の形成に社会的要因が深く関わっていることは当然でしょう。
であれば、社会的要因によって価値観の形成に影響を与えていくことは可能です。
もちろん、変わる気がないやつに何をやっても無駄だと切って捨てることは出来ますが、それが正しいとお考えですか?

>何度でも言うけど、自分の心を変えることは自分以外にはできないんです。わたしのいう自己責任とはそういうことです。
社会的要因を無視して本人の責任にばかり求めることはフェアではないと思います。
もちろん、自己責任と断罪して放置するのは大いにけっこうですが、そのツケはいずれ私達が払わなければならないのですよ? それでもいいんですか? 私が聞きたいのはそこです。


投稿者 : えむけーつー at 2008年7月10日 01:15

>オタク趣味を通じて二次元のキャラに傾倒するというのも方法論としてはありますし、
>身近な職場の人間と呑み会でウサを晴らすことも出来たのかもしれません。
>私のように社会運動をやってみるというのも方法論の一つです。

あー、これってまぜっかえしの類なんで、てきとーにスルーしていただければ幸いですけど、ほんとにぎりぎり孤独だと、これでも充分救いにはなります。そんなものすら手に入れられない人がいる、という現実は、あるにはあるっぽいので。ただし俺は、手に入れたければ自分でどうにかしろ主義の人ですが。
そして、こうしたものは、一時しのぎの慰めにはなっても、本質的な承認とやらには結びつかない。特にいちばん上のは、自分の体験から断言できますが、無理です。選ばれた、一種の天才の道です。
たぶん、どんな方法使っても、最後には「おまえはどうしたいのか」という問いが残ります。それに答えることが自分の価値観の確立ってやつだと思うのですが、こんなのは、方法論としては簡単です。
死にたくない。じゃあ生きるしかない。ただ生きるためだけには生きられない。じゃあ、なんのために生きる。そんだけです。その「なんのために」を社会とうまくチューニングさせられないといろいろときつい。
で、「この、たくさんの人が生きる世界で、自分はなにができるだろう」というのが健全な問いというやつだと思うんですが、俺は別に「俺がこの下等で下劣でくだらねー社会にあわせてやってるんだ」でもいいと思ってます。これなら、孤高を保ちつつうまく生きてくことができる。これはこれできついですけどね。ともだちできないし。
とにかく俺は、人に迷惑かけなければ(これまたあいまいな表現ですが)、なにやったっていいと思うんです。明日の自分を殺さないために。明日の自分が死なないのなら、今日は生きていけます。一時しのぎでもなんでもいい。そうやって生きていくうちには、いつか絶対に回避できない「で、俺はどうしたいんだ」という問いに直面します。社会とか周囲の環境とか、自分のもってる条件、そうしたものをすべて考慮に入れたうえでの「で、どうしたいんだ」という問い。
生きることは意志です。なぜなら、なんにもしないと人間は生物的に死ぬから。どこにも行きたくないなにも考えたくないだれも俺に触れるなみんな敵だ殺す殺してくれ、「なぜ世界は俺を生かすのだ」と思ったところで、それは簡単で「死にたくない」からです。その「死にたくない」と「生きたい」のあいだにある、途方もなく大きな断絶を越える橋となるのが、自己の価値観の確立だと、まあ俺はそんなふうに思うのでした。そしてそれは承認以前の問題だとも。

いつものことながら、微妙にスレ内容とずれててしつれーしました。


投稿者 : Q at 2008年7月10日 02:44

furukatsuさんに質問ですが恋愛において「社会的要因」とは何でしょか?
派遣社員の待遇を変えることは出来る(政府が)かも知れませんが、恋愛においては?少し気になりました。


投稿者 : とろろ芋 at 2008年7月10日 18:29

人の質問からは逃げるわ、自分のところのコメント欄を閉めるわ、人の問いかけからさんざん逃げ回っているくせに、他所さまのコメント欄では粘着かw furukatsu。
つーか、おまえんとこにも書いたけどさ、「おまえらみたいな連中の言葉が、加藤の背中を押した可能性がある」ことについて、きちんと考えてみたか?
おまえみたいに何でも「社会の責任」に転嫁するような発言は、加藤のような人間を生み出しこそすれ、救いもしないんだよ。事実、おまえの活動は加藤の凶行を止められず、それどころか現場にいたのに逃げ出したんだからな。それがおまえの本性。
加藤が、おまえの存在も、アキバデモのことも、何も知らなかったと思うのか?知らなかったとするのなら、おまえの活動は、なんら社会的に影響を与えられない活動であったことになるし、知っていたのなら、「なぜ凶行を止められなかった?」ということになる。いずれにせよ、加藤が事件を起こした以前のおまえの行動は、加藤にまったく影響を与えなかったか、背中を押したかのどちらかでしかなく、まったく「救い」になっていないんだよ。
そして、あの事件前後で、furukatsuの行動にもさしたる変化はない。何も変わっていない。つまり、相変わらずの存在だ、ってことだ。
自分の言動がどういう結果を生み出したか(もしくは「なんの力にもならなかったか」)を、よく考えてみたら?
ナツ氏の言うとおり、おまえは、加藤に悪い意味での逃げ道を与えただけなんだよ。もしくは、まったく届いていなかったか、だ。
その事実の前にして、何も具体的に変わろうともせずに、お題目だけで「社会を変える」だなんて、笑わせるにもほどがあるw


投稿者 : furukatsu at 2008年7月10日 20:56

皆様へ

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。革命的非モテ同盟の古澤です。

皆様も私のお話しに疑問がおありと思いますが、たいへん申し訳ありませんがこれ以上ここでお話しすることができません。
諸事情ありますので斟酌下されればと思います。

もちろん、全てが社会の責任である、とは申し上げません。しかしながら、よりよい社会を作るべく私達は努力をしなければならないと信じるものであります。
もし私の方法論が間違っている、というならばご指摘下さい。しかしながら、必ず私達はよりよい社会を、より多くの人が劣等感や不遇感に苛まれない社会をつくりあげられるものであると信じます。
そのためには皆様のご協力が必要なのです。
彼のような悲劇を産み出さないためにも私達は自分の周りから少しずつ努力をしていくべきなのです。
今一度、今一度で結構ですので、どうか、お力添えをお願いいたします。

大変、不躾なコメントで失礼いたしました。
皆様のご活躍をお祈りいたします。


投稿者 : とろろ芋 at 2008年7月10日 21:50

furukatsu、なに、さんざん好きなことを他所さまのコメント欄で言っておきながら、途中で逃げるんだよ。
しかも、逃げときながら、

>今一度、今一度で結構ですので、どうか、お力添えをお願いいたします。

だと?
なんで、お前に力添えなんかしなきゃいけない。そんな寝言は自分のブログに書け。他所さまのブログのコメント欄に書くことじゃねーぞ。
そもそも、お前の言う「我々」「私達」って誰だよ。どこまでを指してるんだよ。少なくとも私はその中に含まれてないからな。お前に賛同してお前と同じやり方で世の中を変えようとはこれっぽっちも思っていない。
自分の意見の「説明責任」も果たさずに逃げ出すような奴の言葉なんか信用できないからな。
説明責任も果たさず、具体的なことも示さず、抽象的な理想をのうのうと「逃げの言葉の中」でお願いをするなんて、どこまで世間知らずの馬鹿なのか。どこまで卑怯者なのか。
そうでないのなら、各人がお前に提示している疑問に対する説明責任を果たせ。
・・・まぁ、どうせ戻ってこないんだろうがな。お前はそういう「卑怯者」だ。


投稿者 : Q at 2008年7月11日 00:48

結局よくわからない回答が来ましたね。責める気は全然無いので建設的な意見交換をしていただきたいです。


投稿者 : YTK at 2008年7月11日 16:29

あー…これはひどい。
人様のコメ欄で壮言大語と不快感だけ残して逃げたわけですね。

ちなみに私の大学時代の専攻は心理学です。
で、リンク先の自己実現論ていうのは何も非モテに限った話でもなんでもなく
人間として生まれた以上、万人に当てはまるものであるのは一目瞭然。

老若男女問わず、人間は各々の所属する社会で
常にこの欲求を抱きながら生きていることくらい誰でもわかるでしょう。
満たされていないのは自分らだけとでも思っているのでしょうか。
本気でこれを答えとするのなら、もう手の施しようがないですね。

とろろ芋さんがあらかた仰ってくださいましたが
これからも他者の意見には耳も貸さず、徹底的に自己責任は回避して
社会への責任転嫁運動を推進してゆく決意なのはよくわかりました。

これからアキバ事件のような事件が起こるたび
わー、furukatsuさんの活動が実を結んでいるなあと思っても仕方ないですね。


投稿者 : げぇ at 2008年7月11日 20:54

まず全員この猫の顔を見てまったり落ち着くべき。

http://jp.youtube.com/watch?v=k30HdH1e6wU

<「人を傷付けたら世の中が変わると思った」と言っている加藤のフォロワー
この手の連中って往々にして自分より弱い立場の人間ばっかねらいますよね。「人を傷つけて世の中が変わる」と信じてるなら国会議事堂にでも突っ込んできゃいいのにねえ(笑)。

まあ、加藤に不遇な過去があったのは確かかもしれないけど、だったらなおさら周囲に負の影をまき散らしちゃいけないよ。嫌な目にあったからこそ、むしろ周囲に良い影響を与えていきたいと思いたいよ、俺は。傷付けられたから、傷付けるなんて傷付けた連中に対する本当の敗北じゃないか。


投稿者 : とおりすがり at 2008年7月11日 21:57

上のはミスです。すいません。

とろろ芋さんが出てきただけで逃げるfurukatsuはほんとに卑怯でどうしようもないな。自分のコメント欄で追求されると閉鎖したくせによそで粘着するその神経に脱帽。
しかも具体的なことは何もいわずに適当なことしか言ってない。具体的なことと聞けば出てくるのはくだらないことばかり。今までまわりの人間は恋愛以外にもあると言ってきたのに、それを否定してきたのは非モテだというのに。
あまつさえ、それを支配的価値観が悪いとか言って。お前等が勝手に信じているだけで、大勢が信じてるからって影響されるほうがバカなんだっていうんだ。ちゃんと自分の考えぐらい持てよ、それが出来ないなら努力しろっていうんだ。
furukatsuや加藤みたいな非モテは自己責任と言うべきことを社会に転嫁するばかりだ。しかも、単に一人でグチるだけならいざしらず、よそ様のコメント欄に粘着するんだからな。
社会では多くの人がちゃんと恋愛したり出来ないなら出来ないなりに折り合いつけて生きてるんだ。それを努力もしないで愚痴ばかり言うのは神経を疑う。社会はてめぇの母親じゃないんだ。
そもそもモテないやつは内面が醜いからモテないんであって、そんなのは自分の努力が足りないんだということだ。世の中に母親のように全てを受け入れて、自分の望むことを完璧にやってくれる、若くて美人の処女なんて居るわけ無い。居たとしてもfurukatsuみたいな人間のクズのところにあらわれるはずがない。それを社会の責任になすりつける神経は異常だ。もしかすると人格障害じゃないのか?
人間誰しも多少は不幸や苦悩をかかえて生きてるんだ。それを自分だけが不幸であるように言うのは最低だ。不幸自慢なんていくらでも出来るのだから、抜け出す努力をグチらずにしろってことだ。今の世の中はそういう責任転嫁の連中が多すぎる。成功した人間はそれなりに努力をしているし負け組は努力をしていないんだ。そしてそれは自己責任だし社会に責任を転嫁したり救済を求めるのは間違いだ。
そうすると、こういう反社会分子の非モテなんてのはやっぱり隔離と排除をすべきだと思う。あいつらは優しくすれば果てしなくつけあがるし、友達になろうという人間に対してすら無茶な要求をつきつけてくる。こんな危険分子は隔離、排除しかない。いつ通り魔やるかわからんからな。
それが嫌なら人に責任擦り付ける前に自己責任を感じて反省して努力をすべきだ。成功するとは限らないが、社会はそれを拒否する連中は受け入れない。


投稿者 : shuji Author Profile Page at 2008年7月12日 00:28

いろいろと読みながら考えていたんですが恋愛が社会的に要求されているということではないでしょうか。

それと自己責任と社会的責任というのがなんていうかおかしなもんだなというか「社会的責任」というと「成すべきこと」のように思えるんですが「自己責任」というのはたいてい失敗したことをいわれているような。

これはまあ時制的構造としていえるのではないかと思いますけど・・・・。まだちゃんと書くには難しそうですね。


投稿者 : 鎧櫃の血 Author Profile Page at 2008年7月12日 06:09

>それと自己責任と社会的責任というのがなんていうかおかしなもんだなというか
>「社会的責任」というと「成すべきこと」のように思えるんですが
>「自己責任」というのはたいてい失敗したことをいわれているような。

現在のコメント欄で論じられている「自己責任」と「社会的責任」は、「自省」と「他罰」
のことだと理解しております。

では、、「自省」及び「他罰」とは何かと申せば、問題やミス等が生じた場合、
その原因を自分に求める事を「自省」と言い、
自分以外の他者に求める事を「他罰」と言います。

で、物事に取り組む基本的な姿勢として「自省的」な人間は、社会に受容され易く、
逆に「他罰的」な人間は、受容されにくい傾向にあります。

友人関係や恋愛関係でも同様で、何か問題が生じた際に「ゴメン、俺(私)が
悪かった」と言って自らの行動に改善が見られる人間と、「俺(私)は全然悪くない
から、お前が行動を変えろよ」という人間ではどちらが付き合いやすいかわかりますよね?

他に重要なポイントがありますが、長くなるのでここまでにします。


投稿者 : 通りすがり30女 at 2008年7月12日 11:53

shujiさん

社会が恋愛することを要求しているというのはあると思いますよ。私は今年で30になる女ですが親に会うたび、親類に会うたびに結婚はまだか、いい人はいないのかと詰め寄られますもん。
でも仕方ないじゃないですか、子供が生まれなきゃ共同体を維持することができなくなりますから。

こっからはfurukatsuさんへ
でも私は恋愛をすることにまったく興味がないオタクでしかも腐女子、まさしく「三次には興味ありません」な人間です。furukatsuさんが以前恋愛したくない人間にまで恋愛を強要するなという主張をしているのをみて、そうだよねーとしばらく追いかけてみたんですよ。

そしたら実態は恋愛したくてたまらない、しかし恋愛市場で勝ち組になれないからお前らが悪い、社会が悪いと絡んでいるだけじゃないですか。

なにこれー、社会の恋愛要求を興味ないとスルーすることもできない。恋愛市場で上に行くために自分を磨くこともできない。ただの人として最底辺なだけじゃないですか。

さらに、自分が負け組みの現実を直視したくないので自分ではなく周りが悪いと騒いでいるのでは、ホント何なんだこいつとネットWatchあたりでニラニラされるのは仕方ないですよ。

しつこく自己責任といわれているのは、恋愛市場で負け組みに甘んじているのは自分の価値を確立することができない自分自身のせいですよという指摘です。

furukatsuさんはいまご自分にネットWatch板住人にpgrされる以外にどんな価値があるとお考えなんだろう。


投稿者 : とおりすがり at 2008年7月12日 13:47

そもそも、世の中でモテるやつモテないやつが出るのは仕方ないんだよ。その中でモテない奴が苦しむのも仕方ない。それが嫌なら努力するかゲームから降りろという話になる。それでゲームの価値観に勝手に縛られて努力もせずに文句を言うやつは本当のクズだ。
そもそも連中は外見が悪いからとか言い訳するばかりで、あたかも自分が内面が優れているかのようにいうけど、内面からなにからクズだからモテない。結婚してるかしてないかで社会的認知が変わるのも非モテのわがままぶりを見れば仕方のないことだ。
あまつさえ、そういう自分を省みずに社会に責任を転嫁するなんてもっての他だ。努力してまじめにやってる人間はちゃんと評価もされるし、そうでない人間は評価されないというだけだというのに。悪いのは社会ではなくて非モテのゆがんだ価値観だ。
ゆがんだ価値観をもって社会を糾弾するのは信じがたいし、犯罪的ですらある。もっと自分を省みて努力すべきだし、それでも成功しないならば自分の価値のなさをよく認識して諦めて迷惑かけないように底辺で人に役立つようにしろという話だ。
どう見ても自己責任であるモテるモテないというような話で社会に責任を転嫁して迷惑をかけるような連中は死んでほしいし、少なくとも社会は排除をすべきだと思う。ああいう連中にやさしくしたところでつけあがるばかりでどうしようもない。
furukatsuみたいな程度の低い非モテを自称するバカどもは、本当にオナニーして死んでほしいし、存在そのものが害悪だ。ああいう連中がのさばるから福祉や労働行政の名の下に無駄金が使われて、努力をしている者から奪われる。努力をしている者が評価され、努力をしない者は結果責任を自らおわされるという健全な価値観がああいうバカどものせいでゆがめられているというのだ。
他人に責任をなすりつけるバカどもに自己責任を負わせないとならない。もっと連中は自分の身の程を知って諦めて真面目に生きて努力をすべきだ。ああいう底辺は底辺になるべくしてなっている。それをすくい上げるなんてのは偽善もいいとこだし、倫理的悪ですらあるよ。


投稿者 : ぽんきち at 2008年7月13日 00:08

大変読み応えのあるコラムでした。素晴らしい!
自分も非モテのオタですが、加藤には全く同情できません。
まぁ、厳密に言えば加藤はオタではなく、安価で手軽な娯楽として
オタコンテンツを楽しんでいただけのようにも思えるのですが。
余裕の無い人間向けの娯楽が少ない状況にも、一抹の問題があるように思えます。
萌えアニメより、ブルーハーツや尾崎豊などの「苦境の若者向け音楽」をもうちょっと増やすべきなんじゃないかなあ、とか。
でも、ああいう「ダサい音楽」も「リア充」と片付けられちゃうんですかねえ?

コメ欄に上がってた話題で恐縮ですが、社会による承認、って
おれ頭が悪くてよくわからなかったのですが、
国から「もてない男認定バッヂ」かなんか贈られてくる感じですかね。
胸に着けてたら映画やバスが割引になるんだったら
…やっぱやだなあ。

コラムの続き、楽しみにしております!


投稿者 : hoge at 2008年7月13日 03:04

>国から「もてない男認定バッヂ」かなんか贈られてくる感じですかね。

きっと、そのバッヂつけてる男はすっごい周りから気を遣われるんですよ。恋愛話はそいつの前ではタブーとされて、みんなが盛り上がってる所に認定非モテが入ってきたら、突然ピタッと場が静かになってしまうみたいな。嫌だなぁ。

恋愛が「社会の支配的価値観」になってるからよろしくないってんなら、非モテ運動家は萌えアニメとか萌え漫画とかエロゲーとかの規制を訴えるべきだと思うんだが。
あれらってそれこそ恋愛万歳思想撒き散らしてるわけだし、実際、加藤タイプの男には萌えコンテンツは飢餓感をいっそう募らせるだけのような気もするけど。
非モテ言論では、三次元の女やカップルへの攻撃はやりすぎなくらいにやられてる割りに、二次元へは一切お咎めなしらしいのはなんで?


投稿者 : shuji Author Profile Page at 2008年7月13日 19:28

レスがつくとは思っていませんでした。どうもありがとうございます。

>鎧櫃の血さん
>何か問題が生じた際に「ゴメン、俺(私)が悪かった」と言って自らの行動に改善が見られる人間と、「俺(私)は全然悪くないから、お前が行動を変えろよ」という人間ではどちらが付き合いやすいかわかりますよね?

ううん・・。なんていうか典型的にコメント欄を荒らしていくタイプのように思えるんですが。

>通りすがり30女さん
>でも仕方ないじゃないですか、子供が生まれなきゃ共同体を維持することができなくなりますから。

いやまあでも実際のところ女性がそれを望んでいるんでしょうか。もしかしたら・・。村落は男性が望んだんではないんではないだろうか。でまあやることがないから権力ごっこばかりしてるんだとか。


投稿者 : ナツ at 2008年7月14日 00:08

全部にレス付けるのは無理なので、ちょっと気になったところだけ。

●とおりすがりさん
furukatsuさんの言い分にはわたしも腹が立ってるんですが、彼、あるいは非モテの人格を全否定したり、排除を訴えることには反対です。それはfurukatsuさんの責任転化論と同じくらい不毛。
また、極端な「努力論」は、「非モテは恋愛努力を強制され社会的に抑圧されている!」という被害者意識を強化するだけだと思うんです。

わたしは自分の興味ないことについて努力を強制されるのはまっぴらだという人間です。昔、運痴だったので体育の授業が苦痛で仕方なかったんですが、「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な教師に当たると最悪でした。彼らは自分の価値観に従って、「できるまで必死にやれ」と常に努力を強制してくる。
それと、これはわたしの知人の話ですが、どうみても営業向きではないのに営業に配属されて精神がズタズタになり、鬱病を発症してしまった人がいます。彼の得意な技術方面でなら能力を発揮できたと思うのに、「営業努力」を強制されて潰されてしまった。
これらのことからも、個性や価値観や能力の個体差を考えずに、一方的な価値観によって努力を強要するのは罪悪だと思っています。

そこで問題は、MK2さん言うところの「なら、お前はどうしたいんだ?」ということですね。上記の例で言えば、わたしの場合は「体育は不得意だけど国語や社会なら100点を取れる」ので、体育にこれ以上リソースを割くのはやめて得意教科に力を入れる。知人の場合なら、転属を希望するか転職して、自分に合った職種に就けばいいということになります。(知人は実際に転職しました)
これらの自由が完全に阻害され、「体育ができるようになるまで」「営業成績が上がるまで」努力を延々と強制され続け、他の道を選ぶことができない社会こそが地獄です。

わたしは体育が得意になるまで努力するのは面倒だ、と思った。興味がなかったからです。しかし小学校の体育会系教師にはこの「無関心さ」を見抜かれて憎まれ、居残りさせられて逆上がりをやらされたりしました。
営業に回されて鬱病になった知人もそうですが、この程度の抑圧や強制なんて生きてりゃ誰でもぶち当たる「壁」なんですよね。「社会が非モテを救うべき」という言説が激烈な反発を食らうのは、自分だけが特別抑圧されているという被害者意識のせいです。人は誰でも抑圧と闘っているという認識があまりに欠けている。
さらにfurukatsuさんの話をよく聞いてみると、「通りすがり30女」さんが言うように、本音では恋愛・結婚したくてしょうがないことがよくわかる。「降りる」気がそもそもないんですね。自分で自分に抑圧をかけて苦しんでるわけです。

社会的抑圧を無条件に肯定し適応しろとは言いません。が、あらゆる抑圧を一足飛びになくすことができない以上、必要なのは、「○○ができないからお前はダメだ」と誰かに全否定されることがあっても、「そりゃアンタの勝手な価値観でしょ? わたしはそんなことに興味ないから」と言い返せるだけの「自己の価値観」を一刻も早く確立することではないでしょうか。
そのためには、他の面で自分に自信をつけなければならない。ところがその自信すら、社会あるいは異性から自動的に与えてもらおうと考えているのがfurukatsuさんです。

彼は自分では「支配的価値観に反発している」つもりなのでしょうが、どうみても「恋愛至上主義的価値観」を完全に内面化しています。自分の価値観を確立している人間は、「恋愛なんかどうでもいい」と切り捨てて独自の道を行くことができますが、furukatsuさんや加藤のような人は、無条件に「周囲の価値観」を肯定してしまうからこそ、「恋愛ってすばらしい!恋愛できない奴は劣ってる!」という内部の声に自己否定されて苦しめられるのです。
これを過剰適応と言います。


でもねー。「YOU早く自分の価値観確立しちゃいなよ」と言えば暴れるし、「じゃあ勝手にしちゃいなよYOUの自由だ」と言えば、「変わる気がないやつに何をやっても無駄だと切って捨てることは出来ますが、それが正しいとお考えですか?」と絡まれるし、こんな人をどうしろっていうんですかね(笑) furukatsuさんが考えを変えるまで粘着してろというんでしょうか。
なんだ、とろろ芋さんはfurukatsuさんの望みを叶えてるだけだったんですね。じゃあなんでとろろ芋さんが来たらあわてて逃げるんだろ?(笑)

そもそも、自分の価値観すら自分で変えられないような意志脆弱な人間が、社会を変えるとか他人の価値観を変えるなどと豪語すること自体片腹痛いわけですが。やれると思うならどうぞと。
ただしわたしはfurukatsuさんの主張にこれっぽっちも賛成できないので、協力をお願いされても困りますが。「社会が何をしてやればいいの?具体的に教えてよ」という問いにすら明確な答えを返せない人に、何を協力すればいいのかさっぱりわかりませんので。


投稿者 : とろろ芋 at 2008年7月14日 00:50

ナツさま。
>なんだ、とろろ芋さんはfurukatsuさんの望みを叶えてるだけだったんですね。じゃあなんでとろろ芋さんが来たらあわてて逃げるんだろ?(笑)

なんで逃げるんでしょうね。不思議でなりません。難しいことは何も言っていないのに。
そもそも、元はそういう話じゃなかったんですよ。furukatsuのいっていることが「単なるわがまま」と判別しない限り、どう考えても、furukatsuの発言が矛盾の固まりにしかすぎない(=自分の思い通りになれ、という子供じみた欲望の発露)ことを順を追って説明しただけなんです。
で、その矛盾点に「あぁ、これは私が間違えてました。修正しましょう」といって、実際に修正していれば、すぐにでも終息する程度の話だったんです。
ところが、その「矛盾点」を認めるどころか、さらに誰にも理解できないロジックによって「矛盾点の糊塗」をしたもんだから、泥沼化しまして。その点をさらに追求したら、最後には、官僚的答弁のテンプレ対応に終始し、最終的に私とは断絶宣言をしたわけです。

結局のところ、furukatsuは、加藤のような「本来ならfurukatsuの活動が救うとしていた人」を救うにはいたらなかった。むしろ、救わずに、背中を押してあの凶行を引き起こす引き金となった可能性がある。そのことに対して、とことん自省もせず、問題点の分析もせず。自分たちの何が足りなかったかも考えず、未だに同じことを言い、それを繰り返している。
そんな人間の「反省します」という言葉自体が信じられなくなっている、ということについて、とことん「無視」なんですな。自分の信頼性を落としたいのなら止めないけど、どうにも本人はその対応が「最善」と考えているらしい。
furukatsuが本当に守りたいものが何かは未だに不明ですが、その「守りたいもの」のために、暴走しているようにみえるんですよね。
ま、その行動が、furukatsuとリアルでつきあっている人間もその程度、という評価を与えることにすら気がついてないみたいでねぇ。furukatsuの友人たちがかわいそうですよ。「あのfurukatsuの友人なのか!」というだけでマイナス評価される可能性もあるのに。そこらへんの世間の機微にfurukatsuはとことん疎いですな。

別のエントリになったら、また戻ってくるんですかねぇ?


投稿者 : 大学生 at 2008年7月14日 17:10

関係ないコメントばかりですみません。

>個性や価値観や能力の個体差を考えずに、一方的な価値観によって努力を強要するのは罪悪だと思っています。
同意します。

ナツ様は運痴でしたか。僕もそうでした。
本当に、そのような教師は困りますね。
僕の場合は、体育において男性であるというだけで、少し女性よりも大変でしたが、
ナツ様は僕の感じた男性差別以上のことを体育教師にさせられたようですね。
憎まれ、居残りをさせられる・・・
考えただけで恐ろしくなります。


投稿者 : とおりすがり at 2008年7月26日 01:15

ナツさんへ

丁寧なお返事ありがとうございます。
返信が遅くなってすいません。

私はフルカツのような非モテは全人格を否定されても仕方ないし社会から排除されるのはやむをえないと思います。連中の行動や発言は明らかな社会に対する害悪であり、第二第三の加藤ともなりかねない以上、予防拘禁は必要にして不可欠です。
また努力論は被害者意識を強化するかもしれませんが現実です。負け組が被害者意識をつのらせて文句を言うならば、それは危険分子と言えるでしょう。あくまで問題は本人の価値観と努力なのですから、それを無視して社会に憎悪を抱く危険分子は排除、隔離をすべきです。

また社会的抑圧は問題ないと考えます。あくまで問題は個人の価値観なのですから、そのような価値観に左右されない強い心を持てばよいと考えます。そしてもしそれができないというならばそれは甘えですし、それで恨みをつのらせるならやはり排除という方針で臨まねばならないと考えます。そもそも自己の価値観を確立できないような敗者に生きる資格はないでしょう。

私は非モテ問題には最終的解決が必要であると考えます。

フルカツの意見の問題は、あいつが自己の価値観を確立させようともせず、自らが敗者であることから目をそらし、恋愛や一般人に攻撃をするところです。そしてそれを指摘すれば、支配的価値観には逆らえないとか、社会を変えろと責任転嫁するばかり。
ではこれに対してどのように対処すべきかといえば、まず第一に教化という方法が考えられるでしょう。支配的価値観に逆らえないというならば教育、洗脳で正しい価値観を植え付けることは不可能でないでしょう。しかし、これはコストのかかるものですから、むしろ私は排除が必要であると考えます。連中が自己の価値観をもてないだけならまだしも、社会に攻撃を加えようとしているならば、連中は公共の敵として排除しなければなりません。

連中は公共の敵であり死ぬべきなのです。


投稿者 : Q at 2008年7月26日 07:44

一般的に全体主義に走るのは良くないと思います。あと、恋愛が出来ないことばかり考えていてはいけませんね。人間は不幸になると、普段は許容出来ていた問題がそうではなくなると思います。この事件は二つの格差を象徴しているのかも知れません。


投稿者 : スカラベ at 2008年7月28日 00:10

はじめまして。いつも拝見させて頂いております
スカラベと申します。
非常に興味深いブログで、とても勉強になります。

初めての投稿で、おかしなことを書いてしまうかも知れませんが・・
(その際は矛盾箇所を指摘して頂ければ幸いです)
よろしくお願い致します。

非モテについて

「モテたいけどモテ無い」ことに折り合いをつけるには、個人の価値観の確立
が必要という意見には大いに賛成です。

ナツ様の体育のエピソードのように、その分野において自分に見込みが無ければ
「あー、だめだこりゃw」とさっさとそのラットレースから降りてしまえばいいのだと思う。
各人得意分野・興味のある分野は違うし。

本人を苦しめるのは「その分野で見込みが無いことそのもの」ではなく、見込みが無い
のが歴然であるのにも関わらず、その分野で成功したい・しなければならないという
願望を、強迫的に持ち続けることなのだと思います。
決して埋められることのない理想と現実のギャップにいつまでもこだわっているんですよね。
見込みの無い分野に折り合いをつけず、いつまでもこだわり続けてしまう。
現実がそうである以上、折り合いをつけない限り堂々巡りになり延々と苦しむことになるわけで。


で、その苦しみを和らげるのが「個人的価値観の確立」という代替措置なのだと思う。
女性を逆恨み・否定したところで本人のモテたい願望は消えないし、解決にはならない。
(女性を攻撃したところでモテるようになるわけではない。故に決して解決にはならない
当人にとっての解決とは「モテることなのだから」)

幼稚な例えになってしまいますが・・例えば仕事で結果を出すとか
自分は確かに女性にモテないが〜という長所があるというように、「まぁトントンかな」と
コンプレックスに折り合いをつける価値観を作れればいいのではと思います。
それでコンプレックスが消えるのか?と問われると微妙ですが・・・
(レベルの差はあれ、一生残るかも知れません)
ただ、堂々巡りの自家中毒に陥るよりは確実に生き易くなるかと。

自殺をしない限り、とりあえずはこのまま生きていかなければならないわけで、生き続けて
いくのだったら苦しくないほうがいい。生き易くするのは自分次第なんですよね。
どう折り合いをつけるか。

長々とすみません


投稿者 : スカラベ at 2008年7月28日 00:47

>また努力論は被害者意識を強化するかもしれませんが現実です。

気持ちは分かりますが、努力が実を結ぶか否かも才能のうちだと思います。
どうやってもモテない人間というのは存在します。
(どうやっても女性にモテない私が言うのだから間違いありません)

「努力をすればモテるようになる」と言っているのと同じなので、延々と折り合いを
つけられず、無駄な努力をして苦しみ続ける人間を生むだけでは?

これでは「自分はこの分野(モテ)では見込みが無いと見切りを付ける」機会を奪うことに
なってしまいます。
どうやっても駄目という「あきらめ」は、発想の転換をするきっかけだと思うので。

まぁ、努力もせず社会や女性に責任転嫁する男性は論外だと思いますが


投稿者 : とおりすがり at 2008年7月28日 17:33

Qさん

全体主義ではありません。
ああいう反社会的な非モテを隔離し排除し矯正することは社会のために必要であるという当たり前のことを言っているだけです。
不幸になると言いますが、不幸と感じているのは自らの価値観が打ち立てられていないからです。加藤は生活するに十分な給料を与えられていました。格差などというのは甘えの言説です。自分の境遇に満足できないのが悪いし、それが嫌なら努力をするしかない。自分の能力が低いから派遣で彼女もいないしクビも切られるんですよ。それは自己責任です。

スカラベさん

モテないと言って努力を放棄するならその地位に甘んじるべきです。
連中が苦しむのは価値観を打ち立てられないか努力をしていないからですが、これは自己責任でしょう。我々がそこまで責任を持つ必要はないですし、あきらめが称揚される社会は不健全です。
彼らは自分の判断であきらめるなり、努力をするべきなのであって、それに社会は責任を負う必要はないでしょう。フルカツの主張を認めるというのですか? あくまで連中が勝手に苦しんだり諦めたり努力したりする問題であってそれ以上ではありません。
同時に、連中が反社会的な憎悪や意図をもつというのであれば、犯罪を予防し社会を防衛するためにも積極的な隔離と排除こそ必要なのです。ああいう不満をもつ危険分子を放置することはもはや犯罪的ですらある。ああいうルサンチマンを垂れ流す非モテによって第二第三の加藤が生み出され社会は窮地へと追いやられているのです。
また、少子化がすすむ社会のなかで、あのような二次元に逃げろとか、モテなくていいなどという言説は国力を交代させ社会を崩壊させる悪辣な宣伝と言えるでしょう。健全な男女関係を構築し社会を発展させることが我々に求められているのであって、あのような非モテなどという反社会的集団に温情をかける必要などないのです。
そもそも、状況はすでに連中が先鋭化するなかで決定的な緊張に陥っており、もはや非モテを排除するか、健全な社会が失われるかという二者択一になっています。この状況のなかでそのような甘い発言をするなど許し難いですよ。きちんと情勢を理解して発言するべきです。


投稿者 : スカラベ at 2008年7月28日 18:58

とおりすがり様

新参者の私にレスありがとうございます。
当方の言葉が足りない部分があったので、下記に補足致します。

>モテないと言って努力を放棄するならその地位に甘んじるべきです。
>連中が苦しむのは価値観を打ち立てられないか努力をしていないからですが、これは自己責任でしょう。
確かに自己責任です。自己責任でないなどと言っていません
私もモテない人間ですが、自己憐憫は無いし、他のモテない男性に対して1ミリも同情の念は
抱いていません。前々回の投稿をお読みになってください

>我々がそこまで責任を持つ必要はないですし、あきらめが称揚される社会は不健全です。
確かに責任を持つ必要はありませんし、責任を持てとは私は言っていません。


>彼らは自分の判断であきらめるなり、努力をするべきなのであって、それに社会は責任を負う必要はないでしょう。
確かに社会は責任を持つ必要は無いし、責任を持つべきだとも私は言っていません。
この点は全面的にとおりすがりさんに同意です。前々回の投稿をお読みになってください

>フルカツの主張を認めるというのですか? あくまで連中が勝手に苦しんだり諦めたり努力したりする問題であって
>それ以上ではありません。

フルカツさんの主張はうなずけません。賛成するとはどこにも書いていませんが?
その証拠に、全投稿では下記のように表現しています↓
「まぁ、努力もせず社会や女性に責任転嫁する男性は論外だと思いますが」
自己に向き合うことなく責任転嫁を繰り返すするフルカツさんの意見は、私の主張とは相容れないものがあります。

ただ、「努力をすれば報われる」的な価値観は、責任転嫁の温床になりはしないか?
という疑問を持っただけです。
加藤のような大馬鹿野郎や、フルカツさんのような人は

努力をしているのに報われない → 自分の努力を評価をしない社会が悪い というように

便利な脳内変換をするような気がするのですよ。


長々とすみません。またよろしくお願いします


投稿者 : スカラベ at 2008年7月28日 20:00

>この状況のなかでそのような甘い発言をするなど許し難いですよ。きちんと情勢を理解して
発言するべきです。

別にあなたに許して頂かなくても結構ですよ。
というか私は、真摯に意見している人間に向かって「許し難い」とか平気で言えてしまう
貴方を許し難いですよ。まぁこれは冗談ですがw
きちんと情勢を理解したうえでの発言を、許す許さないで語られてもw。初投稿で
ちゃんと(その際は矛盾箇所を指摘して頂ければ幸いです)と但し書きを書いてるじゃないですか。
否定ではなく「反論」をしていただけますか?否定をされると、そこで議論が終わってしまうので。
もう少しキャッチボールをしましょう。
あなたの許可を求めて意見を主張しているわけではないですから。あなたが何を言おうが投稿
しますよ。ムカついて仕方が無いのならスルーすればいいでしょw


投稿者 : スカラベ at 2008年7月28日 20:13

>ああいう不満をもつ危険分子を放置することはもはや犯罪的ですらある。
>ああいうルサンチマンを垂れ流す非モテによって第二第三の加藤が生み出され
>社会は窮地へと追いやられているのです。

これは、発生原因を放置したまま隅に追いやるということでしょうか?
じゃあ、

>また、少子化がすすむ社会のなかで、あのような二次元に逃げろとか、モテなくていい
>などという言説は国力を交代させ社会を崩壊させる悪辣な宣伝と言えるでしょう。

「モテなくていい」というか、そう思わざるを得ないだけでしょ。
折り合いをつけるための涙ぐましい努力ですよw 単なる強がりです。
モテたくてもモテない人間が、モテたくないわけないでしょう。
これこそモテないことに折り合いをつけるための「独自の価値観」じゃないですか。

自己責任と言ってみたり、モテない人間のアイテムを取り上げてみたり。
自己責任と言いつつ、価値観を生み出すきっかけを奪おうとしてみたり。
勝手にしろと言いつつも干渉したくて仕方がないってこと?一体どっちなの?
言ってることが無茶苦茶ですよ。

恋愛から逃げるなとおっしゃる?じゃあモテないのは「悪」ってこと?
いつまでも「悪」でいることは努力が足りないから?


投稿者 : ナツ at 2008年7月29日 00:39

長らくの放置申し訳ないです。
再度のブルースクリーンのあと画面真っ黒→起動ならず、PC復旧に手間取りまして、そこへ夏バテのダブルパンチで完全にやる気を殺がれておりました。あーパソコンの前にいると暑くて体力奪われる。
管理人がサボってるうちに議論が進んでいるようなのですが、これ以上続くようでしたら、暫定掲示板の方に移動させます。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/8520/


●とおりすがりさんへ
わたしは「とおりすがりさん」は「釣り」だと思ってるんですよね。極論書いて他人を怒らせて遊ぶのは、コメント欄が長くなるだけなので正直迷惑です。自分のブログでやっていただきたい。
非モテを隔離しろとか排除しろとかいうのは、「非モテの社会的救済」とやらと同じくらい抽象的かつ現実性に欠ける話です。そういう机上の空論を弄ぶだけという意味で、furukatsuさんもとおりすがりさんも何ら変わりはありません。

結論としては、とおりすがりさんは、非モテ過激派をそっくり反転させたようなファシズム的主張で非モテを抑圧してみせることによって、彼らを「真の弱者・被害者」にしたてあげて、furukatsuさんの「社会が非モテを抑圧しているのだ!」という主張に正当性を与えているとしか思えないです。つまり、非モテの捻くれた擁護者と言っていいのではないかと。

まあこれがわたしの邪推で、とおりすがりさんが本気で「非モテを隔離・排除するナチズム社会の到来」を願っているのであれば、スカラベさんともう少し話し合われてもいいかもしれません。その時は、前述の通り暫定掲示板の方でどうぞ。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/8520/
わたし個人の感想としては、バレンタイン撲滅にしろ非モテ撲滅にしろ、出来の悪いSF漫画みたいな話はツマランからもうやめて〜と言いたいですけど。議論が空転するばかりで、これ以上続けても不毛だと思います。


それと「価値観の確立」という問題について。
furukatsuさんはとってつけたように「多様な価値観を認めていく」とか言ってますけど、バレンタイン・クリスマス撲滅運動から鑑みて、彼の目的は「多様」どころか、「価値観を均一化・全体化」することなのはわかりきっています。
それと同様にとおりすがりさんも、「健全な男女関係」などという前時代的価値観で非モテを抑圧しようとしている。
どちらも「多様な価値観」、ないしは「価値観の確立」をうたいつつそれを抑圧するという、開いた口がふさがらない矛盾理論です。とおりすがりさんの論理でいくと、同性愛者もAセクの人も、障害があって結婚できない人も、みんな隔離収容の対象者になってしまいます。

furukatsuさんは確かに「反社会的」な思想を持っていますが、それは「彼個人が恋愛しないから反社会的」ということではありません。「個人の価値観を奪い、己の価値観で抑圧する社会を目指している」から反社会的なのです。つまりファシズムだからです。
その意味で、「非モテ」という自由な個人の「恋愛・結婚しない自由」を認めないというとおりすがりさんも反社会的ですね。「富国強兵、産めよ増やせよ」の時代ではない以上、結婚は、国家や家や社会のためにするものではありませんから。

釣りでもそこはハッキリさせておきたいので書いておきます。


投稿者 : スカラベ at 2008年7月30日 19:43

ナツ様

お世話になります。
御丁寧な解説ありがとうございました。

とおりすがりさんとのやりとりは、私としても不毛に感じていたので
自粛致します。極論をゴリ押しする方との会話は苦手なので・・

お騒がせ致しました


投稿者 : とおりすがり at 2008年7月31日 17:56

ナツさん

別に私は同性愛やAセク、非モテが自由な価値観をもつことを何ら否定しません。しかしながら、彼らがある価値観を持つことが自己責任であるならば、彼らが社会に不満を抱えるような価値観をもつ場合の社会の防衛のための措置は必要であると考えます。
たとえば、同性愛者は差別をするななどとくだらないデモをしますが、同性愛者が差別を受けていると感じるのは彼らがそういう嫉妬に満ちた価値観を勝手に自己責任で持っているからであり、それを差し置いてデモなどという反社会的行為に及ぶのは見過ごすことができません。

ナツさんのおっしゃるとおり「理想の高さが、「あるべき愛の形」への飢餓感が常に不満を呼び、社会や異性への怨念と攻撃を生むだけならそんな理想は有害」であるのです。そのような有害な理想を振りまく連中に対処することは必要にして不可欠です。
連中は差別だとかなんだとかすぐに言いますが、それこそ連中が現状に満足しない強欲であることをしめしています。連中がくだらない理想を抱き社会に挑戦するというのであれば排除しなければならないでしょう。
たとえば、コミュ能力の低い非モテが就業上不利であったとしましょう。結婚なんかは当然に不利です。障害者も不利ですが、連中は補助金漬けで不当に健常者から金をふんだくってます。しかし、ああいう連中が不利に差別を感じるのはまさにゆがんだ価値観だと言えます。
現実的にコミュ能力が低い人間や障害をもつ人間が不利なのは当然であり、差別でも何でもないはずです。これを問題としていびつな平等を目指すのは、あまつさえ社会に反抗するというのは「有害な理想」以外の何者でもないでしょう。

私はナツさんの考えを推し進めて考えているにすぎないのです。
もし誤解があるようならご説明ください。


投稿者 : hoge at 2008年7月31日 20:12

とおりすがりさんが全然とおりすがらない件について。

いいかげんにしたら?


投稿者 : ナツ at 2008年8月 1日 00:24

●スカラベさん
>極論をゴリ押しする方との会話は苦手なので・・
わたしもです。釣り師と真面目に議論してもバカを見るだけですし。実のある議論ができる時にはぜひご参加下さいね。

●とおりすがらない人さん
あ〜、はいはい。これで完全に「荒らし」だと確信できましたご苦労さまでした。
要はやはり、「ナツの主張を突きつめれば非モテのアウシュビッツ送りしかないのだ。そう思われたくなければ非モテを批判するな」と、こう仰りたいわけですね。批判すなわち「排除・隔離・死刑宣告」ということにしないと都合が悪いわけだ。
残念ながら一般常識では、誰かのある言動を非難したからと言って、その人の人間性や存在を全否定したことにはならないんです。
白か黒かの世界に生きてる人は大変ですねー。ネットでの主張を批判されただけでいちいちアイデンティティがズタボロに崩壊しまくりじゃ、自己の存在を立て直すのにどんだけエネルギーを費やさねばならない事やら。

マジレスすると、たとえ有害な思想を持った人であろうが人権はあるのが法治国家というものでして。
わたしもこの話とは別にして、「有害な思想」くらい持ってますよ。それを公の場で主張すれば、当然批判・非難されるでしょうが、社会的に排除されたり死を強制されるのは困りますね。
有害思想を少しも持っていない、心の底から純粋無垢、人畜無害、クリーンな人間なんていないんじゃないですか? とおりすがりさんだって、非常に有害な言説をまき散らしています。
「有害な思想を持った人間は法に関係なく人権を剥奪されて強制排除されなければならない」というのがあなたの思想ならば、まずご自分が隔離・排除されるのが先ではないかと。

これから先のあなたの書き込みは削除して、掲示板の方に移動させますから宜しくどうぞ。
そっちでまで相手するかどうかっていうとしないと思いますけど。いま夏バテですごいダルいし。


投稿者 : Blog読者 at 2008年8月 1日 14:05

ナツさんのBlogを舞台に、非モテの人たちが手を変え品を変え、勝手で気持ちの悪い屁理屈を並べて特攻しては、そのたび全く歯が立たず玉砕していくさまは、戦隊モノか何かを毎週見ているようだ……とちょっと思いました。

粘着質の人間にふっかけられた難癖をピシャッとはねつけるのは、なかなか誰にでもできることではないです。「関わっても面倒だから……」と皆が黙ると、声の大きい変な人達がまるで多数派かのように錯覚されてしまったりする事態にもなりかねないところ。連中の狙いもそうした事態でしょうし。

なので、こうしてナツさんが毅然としている様子は、なんというか、大事なものだと思います。うまく言えないのですが。

陰ながら応援しております。


投稿者 : ナツ at 2008年8月 4日 00:21

●Blog読者さん
いやー、粘着質の人間にもよりますよー。小林よしのりのエントリの方で、IPをコロコロ変えて全く同じことを何度も何度も書き込んでいる粘着な人がいるのですが、わたしの文章をろくに読まずにコメントしているのがまるわかりなんです。
「そんなことは書いてません。よく読んで下さい」という所から話を始めるのはもううんざりなので、無視することにしました。
「とおりすがりさん」は一見電波に見えますが本物ではありませんね。筋が通りすぎている。故意に電波を装っている人の文章はある意味突っ込みやすいんです。普通の人がどんなに狂った理屈を書こうと試みても、本当の意味では狂えないんですよ。
本物の電波とは何度も対峙しましたが、すべてが支離滅裂なのでどこからどう突っ込んでいいのかもわからず、いくら説明しても論破しても論破されたことがわからないという恐るべき生き物です。そういう粘着はスルー・削除しか対処法はないです。わたしは一時的には熱くなるけど飽きっぽいので、すぐ嫌になるし。リアル生活優先ですから。
というわけでお暑い中応援ありがとうございました(笑)



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