● リアルの方でここ数ヶ月いろいろあったので、ご無沙汰してましたがひさびさの更新です。
ゲームの話でも書こうと思っていたところ、はてなブックマークですごい数のブクマがついている記事を発見。
ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路
これって、「かわいそうな人を見捨てない」とか「見捨てる」とかいう浪花節な話じゃなくて、いわゆるネットウォッチのリアル版だと思うんだけど。電波な人を中心にして「面白いもの好き」のウォッチャーがわらわらと集まり、金とかモノとかを与えて「どんな面白い芸をするか」を観察し、飽きたら解散。んで後に文筆のネタにする。根本敬や村崎百郎の世界。
ただしわたしは赤の他人が「やる気もなくプライドだけは高いダメ人間」を救済する義務などない、そんなことは不可能だと思っている人間なので、ウォッチ的な好奇心でもなければこういう人にわざわざ構う者などいないのが必定、これはこれでギブアンドテイクだな、と思いながら読んでいた。動機が何であれ職探しのチャンスと宿を与えたことは確かだし。
「これはいじめだ」「動物園のような構図だ」と憤慨している人もいるんだけど、どちらかというと、自己防衛のため全ての他人を見下して精神の均衡を保っていた人間が、逆に見下し返されて観察される「檻の中の動物」になってしまいました、という一種の因果応報話だと思う。
ただし、当人の意図せざるところで観察対象にされた「荻野君」が、金やモノの提供に感謝をしないからといって、「観察者」が怒る道理もないわけで、「感謝も常識も知らない社会不適応者」を観察する一環としてモノを買い与えた自分たちの当初からの意図を忘れて説教をするのも、なんだか話がズレていると思った。
ネットのウォッチ行為と違うところは、観察者が金などの具体的な出資を余儀なくされていることと、期限付きであれ観察対象を自宅に居候させたりしている点。
いつまでも家に居座られたり、つきまとわれるリスクを背負った上での体を張った「電波さん観察」なわけで、ここまで来ると野次馬根性も酔狂を通り越しているのだが、この記事の書き手も村崎百郎等と同じく精神を患っていた時期があるらしく、次第に自分と観察対象との境界が曖昧になり、最終的には「荻野を見捨てることは、自分を見捨てるのと同じ」という心境にまで至っている。
こういう自他の境界が曖昧になった状態から、相手の狂気に引きずり込まれるギリギリの精神の崖っぷち、そのスリルを味わうために「狂気の人を背負ってしまう」人が世の中には存在するのですね。自分すらも突き放しているから後のリスクとか関係なくなるのだ。
そのあたりの心理構造を理解できない人には、こういう人が、病気の赤の他人のために奔走している自己犠牲的な人間に見えるらしい。「優しい人ですね」「人の痛みがわかる人ですね」などと、単純に感動してるコメントがついているのだ。
でもそれ、なんつーか、勘違いだと思うんですよ。
このブログ主が優しくないわけでは決してないし、きっかけは好奇心であれ、警察に捕まった荻野君の身元引受人になったり、相当の物理的・精神的リソースを割いているのは確かなのだが、これは「優しい」とか、精神の弱い人を見捨てず救済しようとかいう「感動的ないい話」じゃない。そういう読み方をしている人がいるのがなんかこう、ムズムズするのだ。だってわたしメサイアコンプレックス大嫌いだし。
そもそも「いい話」として読む人がいるからこそ、「偽善者め。これっていじめだろ。何で褒められてるんだよ!」と激昂する人も出てきてしまうわけでしょうが。
そういう人たちってきっと村崎百郎とか知らないんだろうなあ。たぶん書き手の意図とも違ってると思うよ。わたしの主観に過ぎないけど。
「好奇心から」電波くんに手を貸して後でブログや小説のネタにするような人の方が、結果的には体を張っていたりするものだ。「弱者を救済しよう」とネットでお題目唱えてる人ほど口先だけですよ。対象にそれ以上深入りする気もなく、「弱者に正論を言って説教するのはいじめだ」とか演説して、表面的に弱者の味方づらしてりゃいいんだから楽なもんだ。
わたしはわたしで赤の他人の人生なんか背負えないし、体を張って直接関わる気もない。ブログのネタにするだけで終わりの傍観者なので、まあ似たようなもんですが。
ウォッチ的好奇心を排除した上で「荻野君」をどうすればいいかというと、このエントリの情報から判断すればお医者さんにかかるしかないんじゃないかと。説教しても理解できるだけの「精神の筋肉」も持っていないと思われる。
そもそも、「玄関を開け放しておいたら猫が勝手に出て行って廊下を徘徊する → ビルの管理者に怒られる」という結果すら想像できない人間に、「お前は非常識だからダメなんだ」と諭す行為が有効であるとは思えない。
つまるところ素人が自宅に短期間だけ居候させて説教してみても、どうにもならない段階に至っていると思われるので、荻野君を「本当の意味で」見捨てないつもりなら、彼の親と連絡取って通院ないし入院させるところまで面倒を見た方がいいと思うんだけど、この人(ブログ主)共依存入っちゃってるから、それも難しいんだろうなー。
荻野君の書き散らした断片的なメモを見ても、厄介な病気があるようなないような気配だから、早く専門家にまかせないとミイラ取りがミイラになる危険性すらある。
しかしそういうやばい方向に無意識のうちに転がってっちゃうのが破滅型の厄介なところでもあるわけで。「相手の狂気に引きずり込まれるか否かのギリギリの精神の崖っぷち」でしか生きてる実感を味わえないんだね。
以前、自分がその断崖絶壁から落ちて這い上がってきた人間ほど、無意識のうちにその状況を自分から再構築してしまう。狂気の人間が隣にいるからこそ、自分の正気を確認できる。ブログ主が荻野君を拾ってきたのもそのあたりの心理が原因のような気がする。
荻野君は他人に暴力を振るったことはないようだけど、家庭内暴力のせいで親から見捨てられている状態にあるらしい。こういうタイプは「他人」と識別している人間には暴力を振るわないので、その意味では安全と言える。
彼らの暴力は、「俺はどこまで存在を許されるか。どれだけ暴力を振るっても“家族”が見捨てないでいてくれるか」を確認するための狂気の儀式。「他人」に対してはまず行使されないのだ。
今日も殴っても俺の側にいてくれた。しかし明日はわからない。じゃあ明日も殴って確認してみなければ。いつ俺を見捨てるつもりだ。明後日か。明明後日か。やっぱり逃げ出しやがった見捨てないって言ったじゃないかウソつきめ!
・・・こういう狂った心理状態なので、まかり間違ってこんな人と家族的関係、たとえば「恋人」などになったら毎日がDVの嵐。
しかし荻野君を拾ったブログ主は男性で、そのあたりを見抜いていて、彼に対して高圧的な態度で一線を置いて接している。
「もう身元引き受けはやめだ、警察に行くぞ、立て荻野」
こんな具合に常に「いつでもお前を見捨てるぞ」という脅しをかけている。こういう人に対しては暴力を振るえないんですね。
というわけで荻野君が暴力的な事件を起こす可能性は今のところ低いと思うけど、同時に、常に「見捨てられ不安」を煽るような環境では精神状態が改善するとも思えない。
彼は物珍しい「電波な人」としてネットでしばらく消費されたあとは、忘れ去られる運命にあるのだろう。社会不適応の病を抱えたままに。
もちろん、「荻野君をさらし者にするのはいじめだ」というエントリをわざわざぶち上げる人も、ブクマコメントを付ける人も、彼をネタにして消費している一人であることに変わりはない。
ブームが終わる前になんとか公的支援でも受けて病院行ければいいんですけどね。消費者の一人であるわたしが言っても詮無い話だが。
blogランキング参加中やっと更新再開ですね。まっておりましたよ!
<でもそれ、なんつーか、勘違いだと思うんですよ。
そうそう、さすがに的確だ。今回の件は、感動美談じゃなくべドラムのフリークショーっていうのが事の本質ですよねえ。俺はitkzの文体が死ぬほど好きなので、彼の久し振りの長文を読めただけできっかけのoginokunには感謝したい気分だ。
そして、ディスプレイ越しにコーラ片手に今回のゴタゴタを消費している俺もまた碌でもなく、フリークの一員であるな。
今回初めてこの人のブログを知りましたが、引き込まれる文章でした。筒井康隆なんかもそうですが、周囲に変な人ばかりを寄せつける磁力を持った人がたまにいるものです。
許容力とふところの広さってのは人間性への好奇心や興味本位と比例するもんだと思ってます。赤の他人(しかも性格最悪)のために奔走する日々なんて、ネタにして笑い飛ばしでもしない限りやってられないでしょーね。
わたしだったら荻野君みたいな人にいきなり話しかけられたら、脱兎のごとく逃げる。先日もそういうことがありましたよ。だってキモいし怖いですよ。
凡人には「非常識さ」に対する心の壁はなかなか乗り越えられないもんです。
ちょうどリンク先のエントリを昨日ぐらいに読んだところでした(なんとも味わい深い文章ですね)。
>しかし荻野君を拾ったブログ主は男性で、そのあたりを見抜いていて、彼に対して高圧的な態度で一線を置いて接している。
こういった「これ以上は許さない」という線引きが、こういう人と相対する時には非常に重要だという話を聞きますね。って、これはエントリとはあまり関係ないことかもですが。
ネットウォッチ現実版というと、奥崎謙三に対して根本敬がやったやつを思い出します、私は奥崎謙三を好きだったので、あれで根本敬のことを嫌いになりました……。これもエントリと関係ないなw
うーん、とにかくですね、再開お待ちしてました!
ゲーム関係のエントリも楽しみにしております!
いろいろと考えるところもあって糸柳は書いてない話題なんだろうけど、あえて書きます。
>荻野君は他人に暴力を振るったことはないようだけど
「女性に暴力をふるって傷害罪で逮捕されたことがある。警察は嫌いだ」
と彼から聴いたことがあります。
●Tronさん
>奥崎謙三に対して根本敬がやったやつ
「神様の愛い奴」でしたっけ。観てはいないのですが、ウワサでは相当みたいですね。レビュー読んだだけでもどん底に落ちた者の悲惨さ「しか」感じられない。ので観る気になれないのだった。
「再開待ってた」コメントありがとです。あ、げぇさんもね。
●otsuneさん
>女性に暴力をふるって傷害罪で逮捕されたことがある
そうなんですか。自転車泥棒とかネカフェでお金がなくなったから逮捕とか、そういう情報しか書いていなかったので。警察が彼にお金を渡して大阪から名古屋まで放流した、というのも、危険性のない犯歴しかないからだろうと思ったんです。
それが本当ならどんだけいいかげんなんだよケーサツ。あきれた。
私も少し前に、上記のエントリで紹介されている記事を知りました。
文章が上手いので、読んでいて陶酔感すら覚えます。読み物として物凄く秀逸ですよね。
ネット上の個人的な体験談については、それが事実であるか否かに関係なく、消費者側からすればフィクション以外の何物でもないわけで、私はこの方の過去ログも意地汚く全部読み漁ってしまいました。面白かった。
糸柳氏は、見世物小屋的な興味からというより、自分が精神破綻した時に周りの人間がどう反応するかというシミュレーションのモデルとして観察していたのではないかと思いました。
糸柳氏自身があの記事の中で「周りの人間はもう荻野を見捨てろと言っていた」「自分がもう一度、精神破綻を起こしてしまったら、周りの人間は俺を見捨てるということがわかった」と書いているので、自ら率先して荻野氏に対し「こりゃダメだ」と認定するのも心地の悪いことでしょうし、自分が最後の砦だという気がしていたのかもしれません。
この手の話題は必ず「病院に(連れて)行け」という結論に帰結するし、またそれ以外の解決法もあり得ないのですが、糸柳氏は、荻野氏の抱える問題について、閉鎖病棟に投げ込んだところで解決する見込みは薄いと考えていたと思います。
まさに「荻野を見捨てることは、自分を見捨てるのと同じ」という一言に尽きますが、荻野氏のような人間(=自分)は見捨てられて当然、という多数意見を、知ってはいるけれども、自分自身は肯定したくない、という思いだったかもしれません。
●簾さん
>ネット上の個人的な体験談については、それが事実であるか否かに関係なく、
>消費者側からすればフィクション以外の何物でもないわけで
そうですね。どこまでがネタかガチかなんてどうやったって一消費者にわかるはずもないです。
ネット人格として作り上げられた「荻野君」を素材にして、わたしを含めてさまざまな人が妄想入り混じった言及をしてるわけですが、それに対して素材の提供者が「何も知らないくせに口を出すな」という方向性で怒るのはズレてるなと思いました。荻野君のみならず、糸柳さんとの関係性も含めてコンテンツとして消費され、色々な解釈をされるのは仕方ないことだと思います。
>糸柳氏は、見世物小屋的な興味からというより、自分が精神破綻した時に周りの人間が
>どう反応するかというシミュレーションのモデルとして観察していたのではないかと思いました。
なるほどなあ。簾さんの説は相変わらず興味深いです。
わたしはもう少し「自己の一部」として見てるような気がする。荻野君の個人情報の公開の是非について論争になっているようなんだけど、糸柳さんがそのこと(情報公開)に抵抗がなかったわけは、彼と荻野君との境界が曖昧になっているからじゃないかと思ってるんです。
狂気の時の人格が荻野君。正気の時の人格は糸柳さん。こんな意識だから荻野君のことを書くことも自分のことを書くことと同じなんじゃないかって気がしました。(糸柳さんはもともと自分の個人情報も公開してるので)
自分のことは他人ごと、他人のことは自分ごとになってしまう人がいるんですよね。
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