痴漢被害とその被害者に
対する世間の対応などに
ついて、他サイトの管理人さん
と議論を交わした記録です。
そのいち。展開編。



2003/5/31・・・この話題にはどうもこだわりが。

● 趣味のWebデザインで、先日のテキストについて反応があったので反応返しで更新。(5月29日付備忘録)
(意味の分からない人はまず先日の更新分、痴漢論議はくりかえすを読んで下さい。)

いちばん問題にしたいとこは無視されて、(チャラい格好で痴漢にあった時の世間の非難による)リスクの有無だけに論旨を絞られてるなーと思った。
まあ自分の土俵に話を引きずり込みたいのはお互いさまで、わたしの方はリスク問題にはあまり関心がないんだけど。

原因が消えれば結果も消えるってわけで、「世間の偏見」の方をどうにかする方法論にこそ関心がある。つまり被害者側をどうにかしてリスクを回避させるという視点ではなくて、「被害者に落ち度がある」という思い込みの激しい人々をどうにかすることによって、つまらないリスクから被害者を解放するべきという視点。理不尽なのは「世間のおかしな常識」であることに変わりはないんだから。

反常識で頑張ろうという方は、どうか頑張ってよい結果を獲得してください。たいていの常識にはそれなりの根拠があるので、長く険しい道程になると思いますが……。」と徳保さんは言うんだけど、この問題については根拠はなくて曖昧なイメージ、及び短絡的な思い込みが源泉であり、これを「それなりの根拠」とは言えないと思うんだけど。
徳保さんのいう根拠とはこれなのかな。

「露出の多い服装にムムッと思う人は多い→つい魔が差して痴漢行為に及んだという言い訳が本当ならば狙われやすいのは露出の多い服装の方だろう→露出の多い服装をしていて痴漢被害にあっても、あまり同情できない、なぜならその格好が危険なことは容易に想像がつくからだ」
……ね、自分の経験を起点として間接的に服装と被害確率を論証していますでしょう。


これを被害確率の証明だというのは無理がある。推論に推論を重ねた三段論法だもん。思い込みというものは得てしてこういう思考展開をたどって成立するという証明にはなってるけど。

※ちなみに例の「派手より地味な女性の方が痴漢に狙われやすい」という資料だけど、ムーノーローカルの過去ログ(これ、ミラーサイトだよな)でも発見。うちのBBSに書き込んでくれた人の元記事はこっちらしい。
本家のムーノーローカルは閉鎖しちゃってるけどここには残ってると。4月17日分の記事です。)

長く険しい道程かどうかは分からないけど、少なくともいじめ・ストーカー問題だって「被害者側に落ち度がある」という視点から脱却できたことを考えれば、不可能ではないだろう。
痴漢問題だけが少々認識が遅れ気味である原因は、偏に被害者がほぼ女性だけなので、男性側のコンセンサスが得られにくいためじゃないかと思っている。
(かといってわたしは「被害者に落ち度がある」という見解を常識とか多数派とか言い切るには疑問を感じるんだけど。だからテキストの方でも「常識(?)」とはてな付きにしたし。現時点では一部の見解、つまりは偏見でしかないんじゃないのかな)

しかし人の考えを変えるっつーのは一朝一夕にはいかない。わたしとしては、「考えなんか変えなくてもいいから、あんたらが偏見の塊だってことくらいは自覚しろ」というのが最低限の要望であったりする。

ある見解が偏見であること(自分のスタンスが世間的にはどこに位置するか)を自覚させることは、その人の言動をある程度掣肘する。偏見持ちであっても、偏見があることを知られたくなかったり、公正であると思われたがっている場合は多い。それこそリスクがあるからだけど、無い場合でも公正さだの客観性だのにこだわる人は多いからだ。特に男性。
(※ネットではセクハラ発言をして憂さを晴らしているサラリーマンが、現実社会では女子社員に気を遣って小さくなっているとかな)

「公正である自分」というセルフイメージに縛られる分、誰にどう思われようと自分のスタンスこそ正しい、と開き直っている偏見家よりは御しやすいので、「被害者側に落ち度があるという見解は公正ではない」という「常識」さえ植え付ければどうにかなる。そいつらの意識を根本的に変えるよりは近道だろう。
この手の「常識」は必ずしも多数のコンセンサスによって成立するとは限らず、例えば外圧とか、「国際社会に於いて○○なのが日本だけなのは恥ずべき事である」みたいな日本独特の価値観によって、本音では偏見を持っているのにタテマエでそれを抑圧するという傾向から生じることもある。
蓋を開けてみればほとんどが偏見のカタマリだったりしてな。でも抑圧されてさえいればとりあえずはよしとする。偏見の激しい奴がでかいツラできない社会でありさえすれば、実質的なリスクはほぼなくなるからだ。そのうちにのちの世代でタテマエだけでなく本音も変化してくるのを待つ。

(ちなみに大抵のアメリカ人は、自分が人種的偏見を持っていると見られることを極度におそれているそうだ。「差別主義者」の烙印を捺されないようにと汲々としているらしい。かといって偏見がないかといえば当然そんなことはないのだが。偏見が世の中からなくならない以上は、「公正さ(フェア)」の幻想は有効な歯止めのひとつだ)

ちょっと話はそれるんだけど、ついでに、「痴漢論議はくりかえす」を読んだ人からもらったメールが興味深かったので引用。

>アフリカ系アメリカ人が差別されている問題。
>あれは何故「黒人問題」なのでしょうね。
>問題があるのは差別「される」側の黒人ではなく、
>差別「する」側の白人であるはずなのに。
>信じられないことですが、「黒人問題」の議論には
>ずいぶん長い間この視点が欠けていたらしいです。

それは知らなかったけど、さもありなんと思った。つまり、「黒人が差別されるのはどうしてか。黒人の問題点を考えてみよう」と、差別してる白人が角突き合わせて議論してたわけだな。そりゃ、いつまで経っても解決するわきゃないわ。
「白人が黒人を差別したがるのはどうしてか。その心理を考えてみよう」という視点に転換できたのはいつ頃なんだろう。なんか、さすがは「アメリカ大陸発見」とか放言して人類の歴史とまで誇っているずうずうしい白人ならではの自分中心主義だと思った。

どうでもいいんだけど今思い出した小話。
インディアンA「あの人たち、なに発見したって騒いでるんだ」
インディアンB「この大陸を発見したんだと」
インディアンA「なにを今ごろ言ってるんだ。この大陸は俺たちのじいさまのじいさまの、そのまた昔のじいさまの時代から、ずーっとここにあったっていうの」


閑話休題。他に徳保さんの書いてたことで引っかかったとこについて。

>鍵といえど、それが単純な二元論で区分けできるのは局面を限定した場合に限られるわけです。

えーと、24日の備忘録ではこう書いてありました。
>警察だってね、鍵を開けっ放しにしていて泥棒に入られました、 なんて間抜けな話には付き合っていられないのです。服装と痴漢の話も同様なのです。

鍵の話も服装と痴漢の話も、単純に二元化した例えで語っていたのは徳保さん。
鍵が開いていれば無防備。だから露出の多い服装も無防備。露出の多い服装の女性は鍵を開けてある家と同じことだから。という論調だったので、それは違うだろと思ったからああ書いたわけで。最初の主張では鍵の種類とかサムターンがどうのという話は一言も出てないです。

鍵の種類が問題ならば、痴漢被害だって女性の露出度合い、あるいは扇情的な服装とはどこまでを言うのかが問題になってくる。でも、徳保さんはそのへんはどーでもいいみたいだった。十把一絡げに「扇情的な服装をする女性」を無防備で馬鹿だと断言していた。だからわたしも「乱暴な二元論だな」と判断したわけです。↓

>だから、無防備にしている人は馬鹿なのです。被害に遭うことは予想できるのに、対策をしていないからです。
悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。

でもまー、徳保さんの最終的な立場は理解してる。「理不尽な常識でも、その常識の暴力から自衛するためには、“常識家”につけいる隙を与えてはならない」ってのが主張なんだよな。
でも被害者になったことがある立場として思うわけです。それをたとえ処世術としてであっても黙って受け容れろというのは、もしかしたら世間の偏見より理不尽な要求かもしれないと。
「常識なんだから疑問を抱かず従うべし」という常識至上主義者とは目的が違っても、リスクにこだわるあまり、結局同じ場所に陥ることもあるんではないかと。
被害者側から見れば、痴漢されて落ち込んでる時に、「あんたの落ち度だ」と言われるのも、「あんたの落ち度だと言われるリスクを予測できないのは馬鹿だ」と言われるのも同じではなかろうかと。圧力を覚悟してないお前が悪いという圧力をかけているという点で。

>不幸な目にあった人の非を何とかして見つけ出したいという欲求の源泉は何か。いっぱい思いついてしまってまとまらなかったので、今後の課題ということで。

わたしも少し考えたんだけどありがちな心理分析しか浮かばなかったからやめたです。今度の更新の時まで覚えてたら書くかも。

なんか他にも考えたことがあったよーな・・・。思い出せねー。まーいいや。またいずれ。(と書いていつも忘れてしまう)

 
2003/6/3・・・泥沼?

● 昨年この問題で書くだけ書いて平行線でうんざりしたはずなのに学習能力ないのかわたし。ないです。納得いかないとこはやっぱ納得いかないので書いてしまう。
えーと。前回に引き続き釣られ・・・、反応返し。趣味のWebデザイン(6月1日付)参照。

>憶測なしに物事を語らない、という偏見排除の精神はいいのですが、それを徹底させるのは不可能だといっていい。
>なにごとも事実に基づいて議論しましょうなんて本気で言い出すと、話が進まないわけです。

そんなことは言っていないのになんでこうなるのかな。「なにごとも」なんて不可能であると思っているし。極論に持っていかれるのは困ります。
ただ、事実(客観的資料)が提示されたらそれに基づいて議論をすべきだとは思うし、肝心の論点にまったく事実の裏付けがなかったら「一人語り」はともかく、議論の方は成立しないのではないか。前提が間違っていたら結論もメチャクチャになるから。
だから今回の「痴漢被害と服装には関連がある」のように事実とかけ離れた認識は、事実の提示によって修正される。

それと、主観論と客観論は別です。議論の相手に、ある見解が客観的事実であることを証明したい時には、客観的資料の提示が必要だろうけど、証明の必要はない主観的意見まですべて「憶測なしに」「事実に基づいて」語るなんて、そりゃ不可能です。

(つーか、「自分が見ていて不愉快な服装」と「痴漢に遭いやすい服装の定義」とを故意にすり替えて話している人も多いと思うんだな。困ったもんだ。というわたしのぼやきに対して)
>偏見はよくないという人が、思い込みであからさまな偏見の暴露をやっている。

というけど、今の段階では事実が分からないので偏見かどうか自分では判断がつかない(主観的に正しいと思ってるが)。徳保さんにだって断言はできないわけでしょう。
でも、「服装と痴漢の被害には関連がある」は、客観的事実に反しているから偏見だと断言できる。これらをごっちゃに語るならそれこそデータを持ってきてからにしてほしいっす。
(ただし、偏見のある人間は他人の偏見を指摘できないということになれば誰もなにひとつ言えないのだが。)

>今回の痴漢の話題でちゃんと事実が出てきたのは「服装と痴漢の被害には相関がない」ということだけで、他の部分は誰の意見も基本的に推測ばっかりです。

つーか、痴漢論議はくりかえすでは「痴漢と服装に関連はないので、被害者にも落ち度があるという話に根拠はない」という話をしている。ここが論点であり、証明すべき点だったので目的は果たされてます。
あとは客観的事実ではなく、付随して「自分の考え」を述べている主観部分(枝葉末節)です。事実を提示してる部分と主観を述べている部分を混同しないでほしい。
肝心の部分が証明できていない、と「客観的事実によって」論破されるならばともかく、「他は推測ばっかりです」って・・・徳保さんは肝心なとこまで全部推測だったわけで・・・。

>「世間の常識を正す」とお題目に掲げるのはよいとしても、それだけでは今そこにある問題は回避できません。回避しないという選択肢はあります。そして世間の偏見による被害を回避しつつ「世間の常識を正す」運動を頑張ることは可能なわけです。ならば、偏見を批難する一方で偏見による被害を回避することを考えるのはそれほど意味のないことではないでしょう。

それならば、自分がリスクを被った時(あるいはリスクを被りそうな問題に関して)、それが根拠のない偏見であることを事実によって指摘することも無意味ではないでしょ、というのがわたしの視点。特に相手が偏見であることすら自覚がなく、事実だと思っている場合には。

今回の議論なんかまさにそう。徳保さんの主張は微妙に変化してきましたよね。どう見ても最初の言及(5月24付・痴漢の言い訳)からは、「服装と痴漢被害には関連がある」という前提で話をしていると読みとれるし、被害者を無防備で馬鹿だといっていた。
このやりとりを見てる人の中にも、見解が変わった人がいるのではないかと思う(うちのBBS2にも書き込まれてたけど)。
そしてそれは、わたしや他の人たちの意見によってもたらされた変化のはずです。てことは、無意味ではないと。

リスクが現実にある場合は偏見を被る側としては切実な問題です。徳保さんがこゆさんの言にむかついた以上に、むかつくしどうにかしたいと感じる。理不尽だともおかしいとも感じず、従容と受け容れられる人の方が珍しいと思う。


それとですね。「すぐに全体の意識を変える」なんてことが不可能なのは解ってるんですよ。
「偏見を持ってることを自覚させる方法もある」とか、ことさらに偏見側へのアプローチばかり考えているのは、偏見のある人間の方をまるで問題にしていないような視点はどうなのよ、被害者側にのみリスク回避の責任があるかのような論理はどうよ、と思ったからで。
逆に、痴漢被害にあった上、偏見に晒されて、踏まれたり蹴られたりの女性に「偏見のリスクを覚悟しないのは馬鹿」と、更にべつの圧力をかける結果にさえなっている。そこに思いを致すべきなんじゃないのかって話。

「被害を回避することを考える」のは、被害者が自主的にそうするならいいけれど、「考えないのは馬鹿」と外野が責めると、いくら目的が正しくても圧力になってしまう。「世間の圧力を回避するため」というお題目で圧力をかけるという皮肉な結果に陥る。
こゆさんに対しての徳保さんの意見がまさにそうだったですが。
5月31日の雑記にも似たようなこと書いたけど、そこはスルーされてますね。

リスクのみに拘泥して問題の根本を「本質論に出口はないから」といって切り捨てることは、やりすぎると単なる事なかれ主義に陥ってしまうのではないか。
徳保さんも当初の主張から、「偏見を批難する一方で偏見による被害を回避する」という主張に変わってきたようだけど、それならばひとつの選択肢としてありえる。

ただ、どの程度までの服装が具体的に偏見を持たれやすいのか、偏見のない人間にとってはよく解らないので、「偏見を持たれないような服装」を選ぶことも当然困難を極める、という問題もありますわな。


・・・てなわけで徳保さんの論旨の前提「なにごとも事実に基づいて議論しましょう」「なにごとも憶測なしに物事を語らない」という一般論には賛成しかねるので、それに基づいた批判は見当違いだと思います。主観と客観ごっちゃになってるし。
逐次反論はちっとも面白い話にならないのは経験からわかっていた。他にもあるけど、疲れ。


わたしは徳保さんの5月24日の備忘録にそもそも納得がいかなくて言及した。
でもそれだけではなくて、わたしが提示した資料から判断して、たろたま騒動の時のように何か被害者側の立場に立った、興味深い論理展開を示してくれないかとも勝手に期待してたんだけど。
詐欺事件のようなもので、ハメられた方が間抜けなのは確かだが、警察につかまり世間で指差されるのはまず詐欺師でなくてはならない。というYさんに関しての見解のよーな論法で)
・・・でもそういう話にはならなかったのが残念。議論の勝敗は「どちらの意見が多くの人の感覚にマッチするか」というレベルの話でしかない。なんて勝ち負けの話になってるのはなんとも。

 
2003/6/4・・・自分でもウザイくらいの長文。

● 掲示板バトルしてる時もそうだったが、ギロン中もアクセス増えるよな。徳保さんのサイトが大手なのでかなり人が飛んでくるのだ。逆はたぶん少ないと思うのであんまし貢献できなくて申し訳ない。
痴漢論議から話がどんどん逸れていくようで何だかなーと思うんだけど、いろいろ考えるとこがあったのでちょっとためしに修正してみる。

6月3日の備忘録において徳保さんいわく。
>痴漢の話に限定すれば、たしかにナツさんの意見に説得力があります。ただ、こうした偏見はこれまで世の中にいくらでもあって、そしてこれからもなくなりません。

それはそのとおり。この話が「痴漢と服装の関連問題」という具体的な問題から始まらず、最初から「偏見はなくならない」という偏見一般論ではじまったものなら、わたしも徳保さんに賛成して終わったと思う。
でも、実際には痴漢被害者の落ち度や、それを責める世間の偏見が論点であったわけで。ここで一般論に持ち込まれると問題点がどんどんすり替わるばかりです。

>痴漢の話というのは結局、世の中の潤滑な運営のために必要不可欠となっている「いちいち事実にあたらず基本的に憶測でものをいう」現実から生まれてきている
と徳保さんは言うけど、わたしはそこは重視していない。

「憶測でものを言う」現実を変えるなんて実現不可能と解っている。そういう話はしていないと前回も書きました。
痴漢の話に限って論じると常に一般論に逸らされるので、じゃあ少し例を広げて、「犯罪被害者の落ち度を憶測で責める」という話にしてみます。

「事実に拠らず憶測で」責めるどうかが重要なのではなく、問題は「落ち度を責める」というところにある。わたしはここに比重を置いて話しています。だから、憶測だろうがたとえ一定の事実に基づいていようが、加害者を差し置いて被害者の落ち度をどうにかして責める、という社会傾向さえなくなればいいわけです。
憶測でものをいう、結構。偏見はなくならない、その通り。ただ、「被害者側の落ち度を責めること」が公にはしにくいような社会でありさえすればいい。

考えなんか変えなくてもいいから、あんたらが偏見の塊だってことくらいは自覚しろ」というのはそんな意味です。心の中でどんなにチャラい服を着た女性を馬鹿にしていようと、「落ち度がなければ犯罪の被害者になるはずがないんだ」という偏見に充ち満ちていようと、その意識が「偏見」であるという良識が社会にあって、そんなことを公の場で大いばりで主張すれば逆にセカンドレイプだと叩かれる可能性が大きいなら、言いたくても黙っているはず。被害者の受けるリスクは格段に減少する。
あとは、「そのような良識が現代日本において多数派か少数派か」という問題になります。

で、徳保さんちのBBSにおけるたいよーさんの意見。
>調べた所、東京駅構内などで女性警官が対応する痴漢被害相談所が設置されるなど、警察も被害者側にたった対応をし始めてきています。服装で差別といった対応はセカンドレイプの一種であってそういった認識で女性団体や警察は動いています。
末端の派出所では行き届かない所もあるでしょうが、そういうケースは女性団体や相談所などにも一報を入れて派出所に適切な対処をするよう求める事も可能でしょう。


だそうなので、確かに偏見持ちはまだまだいるんだろうけど、「それはセカンドレイプだ」という認識は確実に広まっているようですね。
ということは、理想を追うのはよいことだと思うけれども、間違った常識を正すのはたいてい、そう簡単なことではないでしょう。という徳保さんの見解は、そう当たってるとは言えないことになる。少しずつ変化してきているのだし、これからも、その傾向はどんどん強まって行くだろうから。


んでもって、ここで話はさかのぼる。
5月24日の備忘録からはじまった徳保さんの一連の主張の前提。
(1)痴漢被害確率と女性の服装には関連がある
(2)(1)を理由に、被害者の落ち度を責める者が社会の多数派=常識である

これでいいでしょか。んで、このうち(1)のほうは客観的資料により関連はないと否定された。問題は(2)だけど、こっちの前提も果たして真実なのか。31日の雑記にも書いた通り、これが実は当初からの疑問でした。

わたしの提示した「痴漢と服装に関連はない」という客観的資料のために因果関係が否定され、どんな服を着ていても運が悪ければ痴漢される、ということは立証された。
しかし、これがなくても、「チャラい服着ていたお前が悪い」てなことを公に、あるいは面と向かって被害者に言える人が現在どれほどいるか。本当に多数派なのか?
徳保さんも、多数派を切り崩そうとするのだから、少数派の労力が大きくなるのは当然です。と書いているけど)
今回の問題については、本当に切り崩し困難な常識と言えるのか。

議論の勝敗は「どちらの意見が多くの人の感覚にマッチするか」というレベルの話でしかない。とのことなのであえて言うんだけど、ナツさんの意見に支持が集まったのは、ナツさんの意見がより一般的な感覚にマッチしたということを意味します。というのが事実だとしたら、世論的にも「チャラい服装をしているから痴漢されるのだ。被害者にも落ち度がある」という感覚自体、それほどの多数派ではないということではないか。

どーなんでしょ。それともこの結果はすべて例の資料の力なのかな。資料がなくても、被害者の落ち度を大いばりで責める人が多数派だとは、わたしには思えないんだけど。なぜならば。

>今回の痴漢の話題でちゃんと事実が出てきたのは「服装と痴漢の被害には相関がない」ということだけで、他の部分は誰の意見も基本的に推測ばっかりです。
>(少なくとも現時点において、ナツさんと私は明らかな事実について意見が対立しているわけではありません。事実以外の部分について納得するかしないかという話をしているのです)

と徳保さんが書いていたからです。事実と関係ない推測による主観的部分だけでも、わたしの感覚が世論にマッチしていたなら、こちらが多数派という証明にはなんないのでしょうか。

「偏見で被害者を責める人間が多数派」かどうか、という統計的データがあるわけでもないので、わたしも断言はできない。
確証はないけど、「世間の感覚にマッチしている方が多数派になる」という理論に従えば、上記(2)の前提も崩れたってことにはならないのかな。

● ケンケンゴウゴウとしつこくやっていたら、他のサイトにまで話題が波及しちゃったよーです。というわけでなるほどなと思ったご意見を引用。

herecy8日々の泡〜アレゴリーとしての痴漢(6月2日付)
>誰だって赤の他人の性欲のことなんか普通気にしてない。それがいきなり押しつけられてくるのが痴漢なんだが、そういう話をされた男は今度は、男女誰にでもあるはずの性欲が、なにか気持ちの悪いものとして男にだけ押しつけられてきてるように思ったりする。「痴漢」が「論争」になるというのは、そういうことなんじゃないかと思う。

実際の話、昨年この話で盛り上がった時は、「だったら性欲を持っている男そのものが悪いってのか。露出度高い女は責めずに挑発された男を責めるのか」みたいに怒り出す男性もいて、そりゃもう大変な騒ぎに。そんで平行線になってうんざりして議論を打ち切ったんだけど。
ああそうか、痴漢犯罪を責めているだけなのに、痴漢ではない男性まで自分の男性性、ひいては存在そのものを否定されたように感じて不愉快になったわけだな、と腑に落ちた。

しかし逆に女性側としてみると、「男を挑発するような服装はやめろ。それで痴漢にあっても文句なんか言えないだろう」という言い分は、女性性の否定と感じるわけ。
女であることを強調したり誇示したりするなと言われているわけだから、女として生まれてきて、なぜ自分の性を否定して生きねばならないのか、とやりきれなくなる。
「女であることが悪い。男に邪念を抱かせ、悪しき行いに走らせるからだ。なるべく女の部分は隠して生きろ」と要求されているように感じる。
そういう感情的対決になると平行線になるのも已むなしってわけですわな。

>でも徳保氏周辺で続いてるのは、なんか寓意としての痴漢、という感じで、敢えてセクシャルな側面が落とされているみたい。

今回は痴漢犯罪者そのものではなく、「痴漢被害にあった女性に対する世間様の反応」に焦点を当てているので、しょーがないんです。セクシャルな側面も含めた話は昨年さんざんやって収拾がつかなくなった(笑)


※ 余談。たぶんこのサイトの方は男性だと思うんだけど、伊賀の影丸の水責めが萌える、という話は中田雅喜が最初だった気がする。なんて死ぬほどマイナーな話を何故知ってるんだろう。中田雅喜なんてかなりマイナーな少女(?)マンガ家だと思うんだが。
彼女の人生最初の性的興奮、つまりヰタ・セクスアリスが幼児期に忍者マンガの水責めシーンを読んだ時だった、という話だったと思った。つーか、わたしはなぜ知ってるんだ。

さらに余談だが大槻ケンヂの性の目覚めは、小学生時代、ウルトラマンのバルタン星人だかなんだか星人だかが首を切られて、その切り口からぶくぶくと白い泡が出て来たのをTVで観た時だそうで、激しく興奮したという。白い泡っつーとこがフロイトあたりの喜びそうなポイントだよな。唐沢俊一が書いてたんだけど。こういう無意味な豆知識大好き。