痴漢被害とその被害者に
対する世間の対応などに
ついて、他サイトの管理人さん
と議論を交わした記録です。
そのに。まとめ編。

 

2003/6/9・・・いちおうまとめってことで。

● 趣味のWebデザイン〜痴漢論議05まとめ より
<科捜研の資料(の概要)が提示されてから>
>そこへ提示されたのが科捜研の資料(の概要)でした。話がひと段落したところへいいものが出たと思いましたが、これに添えられたナツさんの意見がよくわからなくて困りました。で、読解力不足のために私は迷走しはじめる。


この迷走がこちらから見ると、どんどん論旨をすり替えられて関係のない一般論へ話が転がっていくので、修正に必死だった。
なぜ私がナツさんの意見の本筋に興味をもてないのか→それは無理な望みをいっているからだ(6月3日付備忘録」と徳保さんに言われたので、「無理な望みを言ってるつもりはないので本筋について話してほしい」というのが6月4日の雑記における要望だったわけですが。

わたしの望みは徳保さんの言うところの、憶測でものをいう世間の現実を変えることでも、偏見を一掃することでもなかった。現実に即した解決法を考えなければ意味がないからだ。
だからといってじゃあ、徳保さんの言うとおり、「被害者側にだけリスク回避の責任を押しつける」しか現実的方法はないのか、といえば、そんなことはないはずだと思った。

徳保さんの論理では、(1)痴漢問題(被害者への偏見・落ち度追求)は、憶測でものをいう現実から生まれてきている→(2)しかし、憶測でものをいう現実を変えることはできない→(3)だから、ナツさんの望み(問題の解決)は実現不可能だ。
ということになるんだけど。

一見なるほどなと思ってしまう。しかしそんなあっさりかわいく騙されてはならない。よく吟味するのだ。
これはなんとなく演繹法っぽい。演繹法はしばしば前提の間違いによって結論がとんでもない方向へ行くもんである。
前提(1)」は確かに真実のひとつではある。だけど、たったひとつの真実ではない。この問題の発生には、他にも様々な要因が複雑に絡み合っているだろう。たとえば徳保さんも以前書いていたけど、「落ち度をどうしても見つけたい人間心理」とか。「女性に対する性的蔑視」もあるかもしれない。

しかしここで、「真実はひとつしかない」と思わされてしまうと、解決方法も「事実に拠らず憶測でものをいう現実を変える」という実現不可能な方法しかなくなり、思考の袋小路に入る。こんなとこに追い込まれていては話が進まないので引っかかってはダメなんである。

それはおいといて。
わたしの感覚では、「服装を理由に性犯罪被害者の落ち度を責めるべきではない」というのは、もうある程度は世間における常識になっていた。あとは、いかにこの常識をもっと広く浸透させるか、の問題でしかない。しかし多数派がこちらである以上は、それほど遠い道のりというわけではない。すでに存在する常識によって偏見側に圧力をかけられるからだ。

しかし、徳保さんにとっては違うという。痴漢と女性の服装に関連性があると思い込み、その「憶測」に従って「被害者が挑発したから」と落ち度を責める大衆が多数派を占めているという。多数派の圧力には勝てないからリスク回避のためにチャラい服を着るな、というのである。(>多数派を切り崩そうとするのだから、少数派の労力が大きくなるのは当然です。5月29日付備忘録

理想を追うのはよいことだと思うけれども、間違った常識を正すのはたいてい、そう簡単なことではないでしょう。だからまあ、頑張ってくださいね、とか言われて、わたしは無謀な望みを口にする夢想家扱いされてしまった。

だけど徳保さんの言うところの「間違った常識=思い込みで被害者を責める世間=多数派」が真なりとは納得しかねた。わたしか徳保さんか、どちらかの現実把握が間違っているのだ。この前提の正否によって結論は180度変わる。
さて、どっちなんでしょか? というのが前回の疑問だったわけ。

そしてそれに対する徳保さんの回答が、
>……現時点では、こゆさんの意見に科捜研のお墨付きがつき、評論家の意見に納得する人は「ある程度」存在するというくらいでそれほど多くもない、といったことが明らかになったので、話の前提が変わってしまいました。
>服装に気をつけた方がいいという意見が多数派と言い切れるほど多数派ではなかったこと、そもそも服装は被害確率に関係しないことは私の目測の誤りでした。

ということで、徳保さん側の前提が間違っていたという結論が出た。これで、
(1)痴漢被害確率と女性の服装には関連がある
(2)(1)を理由に、被害者の落ち度を責める者が社会の多数派=常識である

このふたつの前提どちらも崩れて、
やっと話が通じるようになったわけ。
同じ土俵で取っ組み合ってるかと思ったら違う場所にいた、ということで意見の一致を見、さてこれからが議論の総まとめってわけで。


● まずは、どーにも気になったところをツッコミ。 <こゆさんとのやりとり>から。

>ナツさんは最初から、ひとつの事実を知っていました。しかしこゆさんはご存じなかった。それでもこゆさんは服装と痴漢被害に関係があるというのは偏見だという自説に確信があった。だから評論家の発言に「はっ?」と侮蔑の言葉を投げかけたわけです。
というのが、徳保さんが彼女の日記にむかついた理由とのことなんだけど。

それは女性だからじゃないかなあ。わたしも昨年の論争の際には、科捜研の資料をはじめのうち知らなかった。それでも、被害にあった経験から「服装と痴漢被害に関係がある」という説にあまり根拠はないと思っていた。
BBSに書き込んでくれた人の経験談や周囲の女性との情報交換を通しても、「服装の露出度が低ければ被害を避けられる」なんて法則性はないだろうと。

女性はまあ、満員電車で通勤・通学せざるを得ない以上は、多かれ少なかれこの問題に苦しんで生きていますからね。人によっては小中学生くらいの幼い頃から。
だからどうやったらこんな目に遭わずに済むのか、ぐらいは大昔から何度も考え済みだし、女性の間では痴漢の話題もしょっちゅう出て来ます。

というわけでべつに科捜研の資料なんか知らなくても、女性はなんとなくこれが常識だと考えている人が多いと思う。世間的にも「セカンドレイプ」の認識が浸透してきていて、件の評論家のような意見を公的に主張すれば、頭の固いコンサバだと判断されることも知っている。
こゆさんが確信を持って評論家をバカにしたのも、そういう現実認識から、少なくとも女性の支持を受けそうなことは知っていたからでしょう。(全ての女性がこう思ってるとは思わないけど)

徳保さんはBBSで、「自分の経験から何事かを類推するという論理展開は、よくみかけます。本当のところはどうなのか、全然証明になんかなっていないわけですが、だからといって無視できるわけじゃありません。賛同者が多ければ、それが真実であろうとなかろうと一定の力を持つからです。」と書いていたけど、そのとおり。痴漢被害にあったことのある女性たちの意見だって参考になるはずです。一人ずつでは事実の証明はできないけど、経験談がたくさん集まれば信憑性は増す。
少なくとも、「それは偏見だ」と認識している人が一定数いることの証明にはなるわけです。これがもっと多くなれば、常識だということになる。

だからBBSで、被害にあった女性であるももさんに対して、「あなたがどう思うか、ということは今回の件にあまり関係ないのです。」と徳保さんが切り捨てていたのは変な話だと思う。世間の認識がどこにあるのかを知る手だてのひとつは、「世間」の一員である女性(こゆさんも含めた)の認識を聞くことでもあります。
どーも徳保さんの言う「世間」の中に女性がぜんぜん含まれていないような気がして、なんだかなーと思っていたんですが。
もう少し女性の話も聞いていれば、世間の常識を勘違いすることもなかったと思います。

>科捜研の資料を出したのはナツさんであって、こゆさんではなかったことには注意するべきだと思う。
>私から見て、評論家に「はっ?」といえるだけの根拠は、こゆさんにはない。(評論家の意見にもたいした根拠はないけれど)

これも変な話です。なにごとも事実に基づいて議論しましょうなんて本気で言い出すと、話が進まないわけです。実際のところどうなのか、いちいち調べなきゃ書けないとしたら、私は困ってしまう。と書いていたのは徳保さんではないでしょーか。
だから評論家に「はっ?」といえるだけの根拠がこゆさんにはないとしても、根拠がないと言って咎めるわけにはいかないですわな。(逆の根拠を示せない限りは)

それと、「いくら正しくても根拠を示せなかったら頑迷な論敵をやり込めることはできない」とはいえ、こゆさんがあれを書いた時は議論をしたいわけじゃなかったと思うので、誰にも証明の必要などないのです。

つーわけで、どうにもこうにも徳保さんの怒りは筋違いだとしか言えないし、だいたい、なぜ評論家にではなくこゆさんにそれほど腹を立てたのかさっぱりわからない。
根拠がないのがどちらも同じなら人間は自分の思い込みの強い方に肩入れするものです。つまり、評論家が正しいという先入観があったためじゃないでしょうか。
偏見から来た怒りなのに、「こゆさんに根拠がなかったから」と責任転嫁しているのはどうかと思う。
わたしが資料を出す前だったとか後だったとかは関係ないと思いますよ。


● 「被害を回避することを考える」のは、被害者が自主的にそうするならいいけれど、「考えないのは馬鹿」と外野が責めると、いくら目的が正しくても圧力になってしまう。「世間の圧力を回避するため」というお題目で圧力をかけるという皮肉な結果に陥る。というわたしの意見に対して徳保さんの反論。

>被害にあって、しかも社会に冷たくされたのでは踏んだり蹴ったりです。それでも、こうした社会の圧力なしには防犯意識の高まりは望めないと思います。被害者が防犯の不十分を責められるのは意味のあることで、これがなくなってしまうのはまずい。被害者への圧力は、必要悪だと思います。

なんかまたちょっとずれてますね。わたしがここで言っていたのは、「偏見によるリスク被害を考えないでチャラい服を着るのは馬鹿。これは処世術の問題」という徳保さんの圧力に対しての異論です。
徳保さんは、理不尽な常識であろうとそれが多数派の見解なら仕方がないので、それに従えといった。世間に責められる覚悟もなしにチャラい服を着て歩くのは愚かだと。

つまり、
(1)痴漢被害に遭う→(2)服装のせいだと偏見で落ち度を責められる→(3)偏見でも多数派なら従え、できないのは愚か者だと徳保さんのような人に責められる。

この最後の(3)の圧力は不必要だろうってこと。防犯意識とは関係ないから。
(2)の圧力は、偏見のある人が言うぶんにはどうしようもないとしても、徳保さんにはその偏見がないわけですから(としておきますが)、これ以上多数派だの常識だのを背景にして被害者を追いつめることもないでしょうってことです。偏見のある人にもない人にも責められるなんて、逃げ場がないとはこのことです。


それとはべつに。では防犯意識の問題から、「被害者の落ち度を責めるのは必要悪」なのかどうかって問題ですが。
どうして、「社会の圧力なしには防犯意識の高まりは望めない」と言い切れるのだろうか。痴漢に遭ったのち、被害者が次からは自主的に回避の努力をしようとするとは考えられないのだろうか。そこまで被害者および大衆がバカばっかりだとはわたしは思いません。

たとえば、満員電車で毎朝痴漢被害に苦しんでいるような女性は、ありとあらゆることを試してみています。乗車時間をずらすとか、車両を変えるとか、大きなカバンで防御するとか、彼氏や男友達と一緒に乗ってもらうとか、とにかく可能な範囲内で。痴漢は本当に不愉快で恐ろしい犯罪ですから、もう必死です。服装を変えてみることも当然あるでしょう。(制服の場合はムリだけど)

でもまー、そこまでやっても満員電車がなくならない以上はまったく決定打にはならないわけで。男女別に車両を分けるしか、本当に方法はないんじゃないだろうか。

というわけで、防犯意識の向上を目的として全国的にキャンペーンするとかなら格別、被害者本人に落ち度を責めることがそれほど「必要」とは思えない。相当何も考えていない女性ならともかく、たいていは考えてるのに、痴漢なんて防御のしようがないから被害に遭ってるんです。
そこを考慮しないで十把一絡げに、「被害にあった以上は防犯意識が足りなかったからだ」と決めつけて圧力をかけるのは暴力ではないか。防御しても防御してもまだ足りないと言われてるようなもんだから。
やるなら相当慎重にやらねばならないと思います。「落ち度を責める」というスタンスを取らずに。


それと、今回ことさらに痴漢、あるいは性犯罪のみを念頭に置いて書いたけど、徳保さんはもしかして、「犯罪全般の防犯意識について言ってるんだ」と思うかもしれない。
だけどわたしは、性犯罪の被害者の落ち度を責めることと、他の犯罪の落ち度を責めることは微妙にニュアンスが違うと思っているんです。
その理由を、次の項で書きます。


● 日々の泡〜アレゴリーとしての痴漢(6月5日付)
>結局だれも性犯罪としての痴漢ではなく、犯罪の被害者の問題を話してるんだったんなら、スリの話とかでもいいのに。電車つながりで。酔っぱらって前後不覚に寝てる間に財布とられたら自業自得だとか、「ボケっとした顔してるからスリに狙われるんだ」とか被害者をむち打つような暴言だって世間的にありそうだし。電車にこだわらなければ、あとは荷物置いて場所取りしてたら置き引きにあった、なんて例だと、被害者に対する風当たりも強そうじゃないですか。

それじゃダメなんですわ。痴漢の話と置換可能なのはレイプ、その他の性犯罪ぐらいじゃないかなあ。やっぱり性犯罪問題は特殊だと思う。
なぜスリとか万引きとか置き引きに代替不可能か、考えてみます。

まず、痴漢だのレイプだのの被害者に対して落ち度を責めるセリフで定番なのは、「そんな挑発的(扇情的)な服装をするから悪いのだ」というもの。
大辞林 第二版によると「挑発」とは

ちょうはつ てう― 0 【挑発/挑▼撥】

(名)スル
(1)相手を刺激して向こうから事を起こすようにしむけること。
「敵を―する」「―に乗る」
(2)刺激を与えて色情をそそりたてること。
「遊客を―する」

だそうな。とすると、被害者に「そんな挑発的な服装をしていたから悪い」と言うのは、「男を刺激して向こうから事を起こすようにしむけたからだ」、あるいは「男にわざと刺激を与えて色情をそそりたてたからだ」と言っているのと同じことになる。

これは被害者としては絶対に許容できない言い分で、「もともと男の気を惹くのが目的だったんだろう? でなければそんな服をわざわざ着る意味がないじゃないか」などという勝手な脳内理論に従って責任追及をされるのはたまったものではないのである。
「あんたがそんな格好で挑発したからだろう。そんなだらしのない女は痴漢されるのもしょうがないよ」などと責められるとわかっていて、被害を訴えようと思う人がいるだろうか。
わたしなら一度でもこんな皮肉を言われたら、まず間違いなく二度目からは警察になど行かない。ただでさえ傷ついているのに、これ以上傷つきたくはないからだ。
痴漢(強制わいせつ)や強姦は親告罪だから、告訴しなければ犯罪者はいつまでも野放しで痴漢を続ける。被害者は増え続ける。それでも被害者の落ち度の追求の方が重要だというのだろうか。

スリとか万引きとか置き引きの被害に遭遇してしまった被害者に対して、これと同じ論理で落ち度の追求をしてみる。
「わざとボケッと隙を見せてスリを挑発したからすられたんだ」
「万引き犯の欲しくなるような品物をわざわざ陳列して物欲を煽ったからいけない」
「置き引き犯が盗みたくなるのを知っていながら、物を放置して挑発し、相手がことを起こすようにしむけたのだ。同情できない」

・・・誰が言うっつーんでしょこんなこと。


つまり、性犯罪の被害者に対する落ち度の追求と、他の犯罪被害者の落ち度の追求が決定的に違うところは、「わざと犯罪者を煽った・こうなるとわかっていながらそうするようにしむけた」、この視点があるか、ないかに尽きると思う。
「単なるうっかりや不注意」の追求とは違い、「自分の性をエサにして男を釣った。男はそれに引っかかって犯罪者にさせられた(だから本当は両成敗)」という視点で性的におとしめられ、蔑まれるわけだ。

しかし、スリや万引き犯罪においてはこんな追求が不条理だと理解できる人でも、性犯罪に限ってはなぜか「わざと服装で煽っていると言えばそんなこともあるかも」と納得してしまいそうになることがあるから恐ろしい。だから根深い問題だと言える。
これをまー、今回の論争ではあえて「偏見」と呼んでいたわけですが。

(※ 徳保さんは「わけがわからないこと」で、
>なぜしつこく、加害者を正当化するなという結論につなげようとする人が現れたのだかわからない。犯罪者が現にいる、というのと同様に、被害者の非を責めることを加害者の正当化としか考えられない人がいるのでしょうか。

と書いていたけど、上記の文章が回答にはならないかな。「女が挑発さえしなければ、男は犯罪を犯さずに済んだかもしれない」という視点から被害者の落ち度が責められてきた性犯罪の歴史があり、これが他の犯罪とは一線を画す理由だと思うわけです。)


それでも、痴漢のほとんどが露出的・挑発的な服装によって刺激され、そういう女性ばかり狙うという法則があるならば、自衛のために服装に気をつけた方がいいよね、という理屈はわかる。地味な服やお嬢様っぽい清楚な服や制服なんかでは、まず狙われないとかいうのなら、満員電車に乗る時だけはそれを選べばいいのだし。
(それでも当然のことながら、「落ち度の追求」とは別問題なのだが)

しかし何度も何度も警察庁のデータを示しているとおり、そんな法則はなさそうだから困るのだ。チカンと一口に言ってもそれぞれに趣味(笑)があって、おとなしそうで通報しなさそうな女性が彼らの一番人気だという抽象的な法則はあるけれど、あとはてんでばらばらっぽい。もうどうしようもない。
こんな状況で「挑発的な服装」の被害者だけをあえて差別し、落ち度を責めることが、世間の「常識」なんだから我慢しろなどといわれて、納得できるわけがない。
つーわけで徳保さんにしつこく食い下がったのでした。納得いかないもんはいかないんで。

(※ ところで、「挑発した」というニュアンスがまったく含まれず、純粋に被害者に対して「うっかりミス」だけを責めるようなことが、性犯罪において可能だろうか? 「鍵をかけ忘れたからだよ。バカだねえ。次からは気をつけなさいね」みたいに軽く明るく、被害者を性的・人間的に絶対におとしめず。

わたしにはちょっと思いつかない。なんだか何を言っても、「挑発・誘発」というニュアンスが含まれてしまい、被害者を追いつめてしまうように思う。
科捜研のデータでも、「性犯罪は被害者が誘発したかのような偏見があるが、実態は違うことが裏付けられた」と担当者が話していたそうだが、やはり今まではどうしても、「被害者が挑発・誘発した」という視点で落ち度を責めていたのだろうしね)


余談だけど、女性は性的暴力に遭遇した場合、たとえ他人から落ち度を責められなくても、「もしかして自分も悪かったのではないか」「そんなつもりではなかったけれど、誘っていると思われたのでは」「全部自分が悪いのだ」という具合に、自分を追いつめることがある。程度は人それぞれだが、自分の女性性を否定し嫌悪する心理状態になることは多かれ少なかれあると思う。

そうして苦しんでいた人を知っているし、立ち直るのには時間がかかる。ただでさえそうなのだから、他人に落ち度を追求されたりしたら、もう自己嫌悪は決定的なのだ。
そんな実話のひとつについて昔書いたことがあるので、気が向いたら読んでみて欲しいです。 →無意識の悪意


蛇足のつぶやき。
現実主義者と悲観主義者とは異なる。オプティミストはしばしばその楽観視によって現実を見あやまるけれど、ペシミストはしばしばその悲観視によって現実を見あやまる。現実はたぶんいつもその中間あたりだ。
わたしもどっちかつーと悲観主義者なんで、自戒を込めて。