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● まずはじめに。議論自体はもう平行線で事実上の終結と受け止めている。
頭の整理をするためと、今後こういうロジックにどう対処するかの覚え書きとして書いた。だから、他の人の役にもあまり立たないだろうと思う。
(つーか、「今後」があっても疲れるからもうパスしたいわけだが)
● なぜ話が終わらないのか?
趣味のWebデザイン〜 痴漢論議07 再反論
>ナツさんがリスク回避などという視点より他に問題とすべきことがあるという新しいテーマを持ち込んだから、話が終わらないのです。
話が終わらない最大の原因は、徳保さんが「根拠さえあれば、痴漢被害者の落ち度を責めてもいい」と考えているためである。
徳保さんは痴漢被害に服装は関係ない、ということは認めた。しかし、「他の落ち度なら、根拠があれば責めてもいい」と主張する。むしろ、それが防犯上必要なのだと。責められることを恐れる被害者の心の弱さこそ問題なのだとまでいう。
わたしはその言い分に納得がいかないから話が終わらなかったのだ。リスク回避が問題ならば、なぜここまで執拗に被害者を責める必要があるのだろうか。
「なぜ私がナツさんの意見の本筋に興味をもてないのか→それは無理な望みをいっているからだ(6月3日付備忘録)」と徳保さんは書いたが、今ではお互い現実的な話をしているとわかっているはず。
それなのになぜか、話はどんどんずれていく。本当に「現実論か、理想論か」が、徳保さんの最重要視している点なのだろうか?
● 「忠告」と「落ち度の追求」の違い
痴漢論議06 それから
>今度からは性犯罪から身を守る 痴漢対策に書いてあることをよく読んで、なるべく被害にあわないように注意してくださいね。今回みたいに混んだ電車の先頭車両、それもドア付近に立つのはなるべく避けてください。お願いしますよ」といった説教をされるだけでもセカンドレイプだというのだろうか?
5/24の備忘録とはずいぶん論調が違う。
被害者の落ち度を責める、というのはこういうことをさしていっていると徳保さんはいうが、これは信じがたい。はじめから上記のような忠告しか念頭にない人が、あんな風に被害者を責めるとは思わない。「落ち度を責める」という言葉をわざわざ使うとも思えない。弱さを克服しろと被害者につめよることもないではないか。
5/24付〜痴漢の言い訳 より。
>無防備にしている人は馬鹿なのです。被害に遭うことは予想できるのに、対策をしていないからです。
悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
服装と痴漢被害に明確な関連があれば、徳保さんは今でもああして痴漢被害者を責め続けていたはずである。責めること自体は肯定しているからだ。
しかし、こゆさんの場合は徳保さんにあらかじめ「忠告」されていて、それを無視したあげく被害にあったわけではないので、徳保さんの論理で行けば落ち度を責められるいわれもない。
あんな非難・嘲笑と、「お願いしますよ」といった忠告とが、まるで違う話なのは自明である。
(徳保さんにもそれはわかっているはずだ。「忠告を聞かないで被害にあったときに落ち度として責められる」と述べているからだ。
つまり、忠告(まだ起きていないことに関するアドバイス)と、落ち度を責めること(起きてしまったことに関しての被害者の断罪)とは別の事柄なのである。
なのに同じ文中で、「私はそれが別の事象だとは考えません」と書いている。すごい論理破綻である。)
● 防犯は市民の責任なのか?
(一度被害にあった人は自分なりに自衛するというわたしの主張に対して)
>ナツさんのおっしゃることが正しいならば、一度でも痴漢の被害にあった方はみなバッチリ防犯努力をしていて、たとえば電車の先頭車両には絶対に乗らないのでしょうね?
痴漢を避けるために、車両を変えてみる女性はよくいる。だが、「先頭車両は危険だ」という話に明確な根拠はあるのだろうか。
この警察庁採用サイトの例によれば、逆に「先頭車両は痴漢の被害が比較的少ない場所」ということになっている。
理由は「乗り換えに便利な場所や階段で混雑しやすい所が痴漢の出没しやすい場所。いざというときに逃走しやすいような場所を選ぶ傾向がある」からだそうである。
とすると先頭車両が危険というのもケースバイケースで、それこそ電車が停まる駅の構造によっていくらでも事情が変わると言えるだろう。その日その日でも車両の混雑具合は変動する、かなり不確定である。
また、比較的空いている車両が安全と言われても、乗りたくても乗れない日もある。他の車両で被害にあって、先頭車両に乗ってみることもある。それでたまたま被害に遭えば、落ち度を責められるべきだと言うのだろうか?
不確定であればこそ、痴漢の防犯キャンペーンでも「比較的危険」「比較的安全」としか言えないのであり、決定打とはなり得ない。もし本当にすべてを解決する決定的な対策法があれば、警察も総力を挙げて確信的に訴えるだろうし、被害に苦しんでいる人もそれを聞き入れるはずだ。
それがあるのなら示してほしいものだと思う。
示せもしないのに、「あるはずだから自己防衛しないのは無責任なので責められるべき」と断罪するのは、ありえない解決法による攻撃である。
それはともかく。徳保さんは、先頭車両に乗っていて痴漢された被害者がいた場合、責めぬいて断罪するつもりでいるようだ。大変怖い話である。
しかし実際問題、「先頭車両に乗っていた」というだけで、警察が被害者の落ち度を責めるだろうか。「あんたが先頭車両に乗っていたから悪いのだ」「だからいったのに。自業自得だ」と。確定事項として?
そんなことはまずありえない。こんな不確定要素で現在の警察が被害者を責めるとは考えられないのだ。セカンドレイプになることを恐れて、非常に慎重になっているからだ。
不確定なのを認識しつつ、「心得として」アドバイスはするかもしれない。被害者も心得のひとつとしてなら聞いておくべきである。
しかし「落ち度を責める」という行為にはならないだろうし、あってはならないのだ。
「(責められるのは)当然のリスクです。」というのは徳保さんにとってだけの「当然」であり、徳保さんであればここまで厳しく被害者を責める、という話でしかない。現実認識がまるでできていないとしか言えない。
自分ならやる、こうするべきだという願望を「社会における当然のリスク」とすり替えて語るのが徳保さんの不思議なところだ。以前、これと同じように「世間の常識」を勘違いしていたと思うのだが。
● ついには社会の公益問題に
>現に犯罪者はいるのだから、防犯に努めて少しでも犯罪を減らすよう努力しなければなりません。それが安全な社会を構成するために市民に科せられた責任であり、それを怠って被害にあった者が防犯の不十分を責められるのは必要悪です。
>忠告を無視して被害にあうのは、よくないことです。みなが犯罪を減らそうとして努力しているのに、その努力を怠って被害にあうのは責められるべきことです。
つまり、忠告を無視することが良くない、というのは、被害者の身を慮ってのことではなく、「社会全体の犯罪率が上昇するから」責められるべきだ、というわけだ。
これで「被害者個人のリスクを考えて忠告する」という徳保さんのポーズも崩れたといえる。
「挑発的な格好をしたから(被害者が)悪い」「忠告を聞かないから悪い」の次は、「公益に反するから悪い」ときた。被害者は完全に悪党扱いである。
それにしてもこれは「公益」のための議論だったのだろうか。
● 現実論か理想論か
>自分が防犯の責任を十分果たさなかったことを追及されたくないからといって被害届を出さないのは、じつに無責任な態度です。それが一番世の中のためにならない。
ナツさんは弱い人間を肯定されるようですが、私はこの弱さを克服するべきだといいたい。
「不幸な目にあった人の非を何とかして見つけ出したいという欲求の源泉は何か。」という疑問を呈していた時、徳保さんはこんなことまで考えていなかったはずだ。いつの間にこんな過激に、被害者に対して厳しくなってしまったのだろう。
それはともかく、徳保さんのBBSでも書いている人がいたとおり、これは全く現実的ではない考えである。「憶測でものを言う現実を変える」「偏見を絶滅させる」と同じくらい、「すべての被害者が落ち度を責められても動じず、トラウマをも克服し、被害を訴えるほど強くなる」ことは理想論だといえる。
「犯罪者を逮捕するという公益を考えれば」そうなるに越したことはないのだろうが、克服するべきだといくら言い立ててみても現実は変わらない。即効の方法論もない。
だとすればまず、「現実に即した」方法を考えるしかないのだ。最大の目的は、「犯罪者を逮捕して治安を維持する」ことにあるのだから、被害者が告訴しやすいような体勢を作るのがもっとも現実的であり早道である。
(そして日本の警察も、その考えに従って体制を整えてきた。徳保さんのような無茶を被害者に要求することはない。過去の失敗から学んだためである)
しかし、この現実を徳保さんは意図的か無意識にか無視している。現実は変えられないからリスク回避をまず考えろ、とあれだけ主張しておきながら、今度は現実を変えることを主張しているのだ。わたしが偏見の理不尽さを述べた時には、「本質論に出口はない」と斬って捨てたというのに。
要するに徳保さんにとっては、リスク回避論も現実主義も便法なのだろう。「被害者の落ち度追求を正当化する」ための。落ち度追求に邪魔になれば、そのロジックも簡単に捨てられる。
本気で考えているならそれこそ、理想を追うのはよいことだと思うけれども、不特定多数の弱い被害者を強くすることは、そう簡単なことではないでしょう。だからまあ、頑張ってくださいね。という、以前の徳保さんの言をお返しするしかない。
>私はこの弱さを克服するべきだといいたい。
わたしは、性犯罪にあったあとの自己嫌悪感・トラウマ問題についても語り、性犯罪の特殊性の証拠としたのだが、そこは完全にスルーされ、他の犯罪被害とまったく同列に置かれてしまった。
徳保さんは性犯罪被害者の心の問題についてはどう考えているのだろう。それをも「なかったこと」にしてかれらを断罪するつもりなら、精神病患者についても同様の見解なのだろうか。
すなわち、心の弱い人間は、世の中のためにならない人間である、と。
● 社会的要因の無視
「憶測でものをいう現実は変えられない」
「偏見はなくならない」
「自己防衛は必要である」
「防犯対策も必要である」
「落ち度の追及は犯罪の正当化ではない」
どれもよくわかっていることだ。この部分について徳保さんと対立するつもりはない。
自己防衛・防犯対策は必要だ。しかし、痴漢被害に関しては決定的な自己防衛策はない。やらないよりはやったほうがましという程度の対策がいくつかあるだけ。
徳保さんの言うとおり、「これをすれば絶対に被害にあわない、というものではない」という対策なのだ。
それなのに「これをしなかったから被害にあった。お前が悪い。自業自得だ」と被害者を責めるのは矛盾しているという話をしていたのである。
落ち度を責めるなといっても自己防衛も防犯もしなくていいと言っているわけではないのだ。それとこれとは話が別なのである。
たとえば電車における痴漢被害は、満員電車がそもそもの問題なのだ。空いた状態であれば、どこの車両に乗っていようがどんな服を着ていようが痴漢犯罪は発生しない。
警察も社会もこの大前提をよく認識しているからこそ、被害者の落ち度を責めることに意味を見出さないのだ。
被害に遭ってしまってから、「そんな服を着ていたからだ」「先頭車両に乗っていたからだ」といちいち責めることに意味があると思っているのは徳保さんくらいだろう。
(そんな不毛なことをする前に現在は有効な対策として、女性専用車両を作る試み等がなされている。)
● さらなる犠牲者非難
>防犯の話は不特定多数に向けて語るだけでいいのか? そうではないだろう。ちゃんとやっている人を賞賛し、そうでない人を批判するということでなければ、とてもじゃないが高度の水準を維持することは不可能なのである。
これは典型的なヴィクティム・ブレイミング(犠牲者非難)のロジックである。
1970年代のアメリカでW・ライアンがこういう論理の問題点を指摘し、社会的反省が行われるようになったと言われている。
たとえば、「病気になるのは本人(の生活習慣)が悪い」と病者を非難することによって、はっきりしない因果関係をもとに、すべて被害者個人の自己責任に還元したり、社会的要因を見過ごしにして話をすり替えてしまうことをいう。
このような非難によって、国家が責任を取るべき部分がうやむやにされたり、社会的要因の究明が後回しにされ、この世に起こるもろもろの不都合はすべて個人の問題だという視野狭窄状態に陥ってしまうわけだ。
(参考URL:犠牲者非難)
現在では、人種差別・いじめ・DV(ドメスティック・バイオレンス)・性犯罪(痴漢・レイプ他)などの問題についても、こうした被害者非難が問題解決の障壁になると社会学者達が指摘している。
というわけで、徳保さんの持ち出したロジックは何も徳保さんがはじめて言いだしたものではなく、ずっと昔にはまかりとおっていた考え方であり、そしてそれは間違いだったという反省がなされているのだ。
それを承知で主張しているのならもう何も言えないが、現在は「常識」でもなければ、「新しいすばらしい問題解決法」とも考えられていないことは知っておくべきだと思う。
(前回わたしはこのvictim-blamingの害悪について少しだけ触れた。徳保さんもそれを調べて故意にこのロジックを使い始めたのかも知れない。それまでは社会の公益、などという話は出てこなかったからだ。)
余談。批判は不特定多数に向けてやればいい、という方は社会主義の失敗から何を学んだのか。という話まで出てくるところが極論だな〜と思って読んでいたんだけど、社会主義の失敗の原因のひとつは、「人間の運営するシステムである」ということを視野に入れなかったためじゃないか。
社会主義思想そのものは完璧に実現できれば確かにユートピアなんだけど、システムを運営するのが神ならぬ人間である以上、完全な公平・平等などありえないし、たくさん働いても少ししか働かなくても賃金に大差がなかったら、誰も好きこのんで努力などしない。
そういう人間性のどうしようもない「弱さ」を計算に入れなかったのが最大の失敗であり、机上の空論のむなしさを実証したよなあ、と思う。
● おわりに。
「不幸な目にあった人の非を何とかして見つけ出したいという欲求の源泉」について考察していた時、徳保さんとわたしはきっと同じ視点でものを見ていた。
今の徳保さんはなぜか、「不幸な目にあった人の非を見つけたい」人の側に立っている。「忠告を無視したからそんな目にあったのだ」と言いたくてうずうずしているように見える。
口では防犯を言い立てながら、机上の空論を振り回している。
だからわたしも、たぶん閲覧者の多くも、徳保さんの主張に共感できなくなってしまったのである。
被害者の一人として腹が立ったことを否定はしないけど、それと同じくらい、どうしてこんなことになってしまったのかと非常に残念に思う。
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