物理的には時間があっても精神的に余裕がないので、あまりネットもせず文章も書かず過ごしている今日この頃なわけなのですが。
あちこち見ないので、最近のほぼ唯一のネタ元である趣味のWebデザインで、えらい懐かしい話題が出ているのを読んでしまった。(5月24、25日付の備忘録参照)
痴漢論争・・・。やったやった。飽きるほどやった。うんざりした。
荒らし(議論じゃなくて煽りが目的の奴)まで出てきて収拾つかなくなったりした時は後悔した。それでも、「こんな無茶苦茶な物の考え方する人がこの世に存在するのか」つーことがわかったりして、ある意味収穫もあったといえばあったけど。

その当時のことを知らない人は過去の脳内物質及び、BBS2の方のこのへんとか読んでくれたら、どんな話になってたかだいたいわかるんじゃないかと。全部のログは残ってないので不完全ですまん。
徳保さんちのBBSでも、あの頃とほぼ同じような展開の議論になっているのがおもしろい。
やっぱ焦点は「女性の挑発的な服装によって男性が痴漢するという説に根拠はあるのか」「あるとしたらどこからが挑発的であり、どこまでの服装ならセーフだというのか」あたりになっちゃうんだわな。どこでも。

で、「狙われやすいのは露出の多い服装の女性」という主張と、「服装に関係はない」という主張とで意見が対立するところも同じ。
徳保さんの意見としては
(露出度の高い服装だと痴漢されやすいという)相手の意見が経験則といくつかの事実に間接的に裏付けられているのに対して、自分の意見はどちらの服装でも被害に遭う(場合がある)としかいっていないわけで、確率の問題について何ら傍証を挙げることに成功していない。
とのことなんだけど、わたしは前者の意見だって裏付けとしては薄弱だと考えているし、思い込みに過ぎないと思っている。
多くの女性被害者はまず普通の服装の時に触られた、と言うからだ。もちろん自分自身の経験に照らし合わせてみてもそうだった。
うちのBBSにおける経験談だけでは根拠薄弱だというならば、過去にこのあたりのことを調べてくれた人の書き込みでこんなものがあった。

>既にニュースソースはデッドリンクとなっておりますが、かつて朝日comサイトにおいて2000年4/17付けでこういう記事が掲載されていた模様です。恐らく新聞で報道されたのではないかと思いますが、今現在手許に確認できる資料がないので断言はできません。サイト上の過去記事検索は有料のため断念しました。

『警察庁の科学警察研究所が全国の警察を通じて性犯罪の被害者と容疑者に聞いた初の調査結果がまとまった。
容疑者545人に、その被害者を狙った理由を聞いたところ、「挑発的な服装」を挙げた者はわずかで、「おとなしそう」「警察に届けないと思った」の方がはるかに多かった。
「性犯罪は被害者が誘発したかのような偏見があるが、実態は違うことが裏付けられた」と担当者は話す。
「前からつけ回していた」「相手が納得していると思った」など16の理由の中から容疑者が複数選択で選んだところ、「挑発的な服装をしていた」は全体で5%に過ぎず、「好みのタイプ」「だれでもよかった」は約1割だった。』

同様の内容がこのページにもあるのでソースは一応存在すると。 →http://www.iff.co.jp/jrnl/A20003j/173252.html


でまあ、徳保さんは扇情的な服装をしていたって、そりゃあ痴漢するやつが悪いのは当たり前です。当たり前ですが、わざわざ危ない格好をしている必要もないだろうと思う人がたくさんいるのも当然のことなのです。と、無防備にしていて痴漢に遭う人を馬鹿だと言い切っているんだけど、その「扇情的」とか「無防備」とか「危ない格好」とかの定義が曖昧な上、上記の理由により「そういう服装だと痴漢に遭いやすい」という話に根拠がなさそうだから納得がいかないわけだ。って前にも同じこと書いたから今さらなんだけどさ。

そういう曖昧な根拠で服装のいい悪いを言われたくはないし、それを「家の鍵を開けた状態」にたとえるのもどうかと思う。「これならば痴漢に遭うのも当然だ」と人が感じる服装が主観によってバラバラである以上、だれでもが盗難のリスクを負うのも仕方がないと納得しうる「家の鍵が開いた状態」とは比較にならないと思う。

とはいうもののまだまだ「痴漢に遭うのは女の方にも隙があるからだ」と考えている人々が存在するのが現状であるという話には同意。
だけど、その見方をよしとするのは話が違うんじゃないか。

たとえばいじめ問題だって、昔は「いじめられる側にも問題がある」と必ず言われたものだけど、近年になって「そういう考え方は間違っていた。その意識が被害者をより追いつめ、加害者に正当化の根拠を与える原因にもなっていた」という報告がなされている。
「いじめられる側の問題」なるものを探し出して駆逐しようとも、絶対にいじめはなくならないと気がついた教育現場の人々が、偏見を克服したわけだな。
痴漢問題も、たとえ日本がイスラム教国家のように女性の服装に制限を設けようとも決してなくならないと思う。上に書いたとおり、服装の問題ではないからだ。

要するに
痴漢(どちらかというと大人しそうな女性を狙う)」
被害に遭う女性(服装はまちまちで法則性はない)」
世間の思い込み(隙がある服装の女が痴漢に遭う)」
という三者が存在している状態で、当事者である痴漢と被害者を無視して、「世間の思い込みはこうなんだからそれに従うべきだ」というのは、どうにも納得がいかないと。

その思い込みに根拠がない以上、服装をどうにかすることは、痴漢防止にはほぼ効果がない。そればかりか、「被害に遭うのは女に隙があるから」という「偏見」が、いっこうになくならないじゃないか。
仮に「社会の見方がこうだから」という理由で肌の露出のある服装が全面禁止になるとしよう。それで被害に遭わなくなればいいのだが、実際には痴漢され続けるだろう。(地味めの女性が狙われるのだという調査結果からいけば、むしろ痴漢される確率が高くなるかもしれないわけだ。なんという理不尽さ!) そしてそれは「まだまだお前に隙があるせいだ」といわれ続ける。
被害者側にも問題があるという意識がいつまでもいつまでもなくならず、被害者でありながら非難され二次的被害に遭うという状況を生み出す。

こう考えると、「女性の服装が挑発的だから痴漢される」なんて神話がいまだのさばっていることそのものが百害あって一利なしだろう。
「隙のない服装で被害に遭った場合は同情されるし、落ち度はないと言われるのだから、服装に気をつければ済む」なんて単純な問題ではないと思う。
それが本当だとしたら、今現在の日本ではたまたま「チャラい服装」をした女性がたくさんいるから、その人に比較して地味な服装の被害者は同情されているだけである。女性全員が気をつけて地味めの服装をするようになれば、「その中でさらに比較的派手めな服装で被害にあった女性」が隙があると非難される、という堂々めぐりに陥るのは目に見えている。
隙があるだのないだのという基準が主観や時代の流行に左右される曖昧なモノである以上は、比較の問題でしかないからだ。「家の鍵が開いている」か「閉まっている」かという黒か白かの問題とはちがうのだ。
(厳しいイスラム国家では、ブルカを外して歩いただけで、強姦されても女性に落ち度があったと言われる。「露出が激しい服装」の定義が極限にまでいきついた結果だ)



というわけでわたしは、「痴漢(レイプもそうだが)されるにはされるだけの落ち度があるはずだ」という意識が問題だと思っている。それを「従うべき常識」と言いきって話を終わらせてしまうことにはものすごい危機感を感じる。
いじめもストーカーも満員電車での痴漢被害も運・不運にすぎない。どんなに気をつけていようとも、運が悪ければ被害者になってしまうだけのことだ。
ストーカー犯罪もかつては「痴情のもつれであり、被害者に問題がある」と言われ、それが常識だった。しかし、「ストーカー」という言葉が定着するにつれ、被害者側の落ち度なんてものは、多くの場合、われわれが日常普通に犯している程度の過ちでしかないことがわかってきた。
つまりは、いつ何どき自分が被害者になり、「あんたにも落ち度はあったんじゃないの?」と責められるかわからない、ということが社会的に認知されるようになってきたわけ。
痴漢犯罪だけがいまだに「女に隙があるせい」と思われているのだとすれば、その常識(?)も変わることが必要ではないかと思う。
(つーか、「自分が見ていて不愉快な服装」と「痴漢に遭いやすい服装の定義」とを故意にすり替えて話している人も多いと思うんだな。困ったもんだ)


やっぱり前に書いたことの焼き直しになっちゃったよ。まあ、それだけこの手の「被害者側が悪い」論には昔からむかついてるってことで。